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	<title>フランス観光 &#8211; Le vrai Japon. フランス発見 | Nippon.fr</title>
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		<title>陶器の村ムスティエ（プロヴァンス）</title>
		<link>/ja/archives/7301</link>
		<pubDate>Tue, 14 Jul 2015 09:25:14 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[Aki]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[フランス観光]]></category>
		<category><![CDATA[ムスティエ]]></category>
		<category><![CDATA[陶器]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://www.nippon.fr/?p=7301</guid>
		<description><![CDATA[ムスティエ サント マリ　Moustiers Sainte-Marie 南仏の本当に山の中、北部に位置する小さな村ムスティエはフランスの美しい村の一つとして認定されています。 近くにはLac de Sainte Croixという大きな湖と、Gorges du Verdonという峡谷があり、たくさんのフランス人がキャンピングカーで夏のバカンスを楽しんでいます。 またこの村は世界でも名を知られる陶器の産地としても有名です。 ムスティエ観光公式サイト &#160; 村の歴史 ムスティエと現在呼ばれるこの地域に人間が住み始めたのが、クロマニョン人時代、約３万年前。 ブロンズ時代にはリギュールと呼ばれる部族(Ligures)が一帯を支配し、Oppidasと呼ばれる要塞化された集落を築いていきます。 しかし５世紀になって初めて現在の村の起源が始まります。Lérinsの修道士たちが凝灰岩の洞窟に住み始め、６世紀に修道院を築き、そこからMoustiers Sainte-Maire(Monasterio au Moyen-Age)という名前の由来が来ます。 その後、１０、１１世紀にムーア人の侵入があり、住民たちは身を守るために洞窟の中へと避難し、１２、１３世紀頃に要塞や家々が立ち並ぶようになります。 しかし１４世紀にはペストの大流行（1348年）に加え、プロバンス伯爵領の継承争いにより多大な人口損失を受けることになります。 さらに１６世紀、水力を利用したなめし革業や製紙業が開発され村は再び活気づきますが、１７世紀に降りかかった厳しい気候のせいで村の機能は悪化し、再び人口が減少してしまいました。 &#160; ムスティエ陶器 ムスティエ陶器技術は中世より発展してきました。もともとは緑と茶色という自然の色で陶器が作られていたのですが、1668年にイタリア人修道士がLérinsの修道院からこの土地に立ち寄った際に白い陶器を作る秘伝を伝えました。 さらにルイ１４世が財政難を乗り切る政策として金や銀の食器を減らすよう命じたため、ムスティエの陶器はヨーロッパの宮廷で最高の名声を得ることになります。 ………… ムスティエ陶器のお薦めショップ お店を選ぶときにはEPVのマークを目印にするといいですね。 Enterprise du Patrimoine Vivant 自然のままの粘土を使った製法と伝統的なノウハウをマスターしたアトリエとして認められている証拠です。 ・Atelier Bondil ・Manufacture Lallier-Moustiers 確かにこの二つのお店の店員さんは『自然の粘土を使用しているから手にすると意外と軽いんですよ』とおっしゃっていました。別のお店で同じような食器を持ってみると重いんです。また絵柄の説明や、歴史なども丁寧に教えてくださいました。 私たちはAtelier Bondilで伝統的な白い陶器にブルーのデザインのお皿と、カラフルなデザインの花瓶を購入。 ＊おそらく観光客が店内で無断で写真を撮って帰るのでしょうね。写真は撮らないようにと張り紙のしてあるお店もあるので十分注意しましょう。 &#160; ヴェルドン渓谷 Gorges du Verdon ムスティエ サントマリの村の近くにはヨーロッパで一番深い渓谷の一つGorges du Verdonがあります。ここは必見！ Allos峠近くに水源をもつVerdon川によってHaute Provence大地の石灰が侵食してできた結果この渓谷が生まれました。長さは５０kmも続き、一番深い地点で７００mもあるそうです。 ボート遊びを楽しむ人、ハイキングを楽しむ人、手前の橋から写真を撮っている観光客。今回私たちは観光客側でしたが、次回はハイキングに来ようと約束。素晴らしい景色が見られるはずです。 &#8230; <a href="/ja/archives/7301" class="more-link">Continue reading <span class="screen-reader-text">陶器の村ムスティエ（プロヴァンス）</span> <span class="meta-nav">&#8594;</span></a>]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p><strong>ムスティエ サント マリ　Moustiers Sainte-Marie</strong></p>
<p>南仏の本当に山の中、北部に位置する小さな村ムスティエはフランスの美しい村の一つとして認定されています。</p>
<p>近くにはLac de Sainte Croixという大きな湖と、Gorges du Verdonという峡谷があり、たくさんのフランス人がキャンピングカーで夏のバカンスを楽しんでいます。</p>
<p>またこの村は世界でも名を知られる陶器の産地としても有名です。</p>
<p><a href="http://www.moustiers.eu/?lang=fr">ムスティエ観光公式サイト</a></p>
<p>&nbsp;</p>
<p><span style="text-decoration: underline;">村の歴史</span></p>
<p>ムスティエと現在呼ばれるこの地域に人間が住み始めたのが、クロマニョン人時代、約３万年前。</p>
<p>ブロンズ時代にはリギュールと呼ばれる部族(Ligures)が一帯を支配し、Oppidasと呼ばれる要塞化された集落を築いていきます。</p>
<p>しかし５世紀になって初めて現在の村の起源が始まります。Lérinsの修道士たちが凝灰岩の洞窟に住み始め、６世紀に修道院を築き、そこからMoustiers Sainte-Maire(Monasterio au Moyen-Age)という名前の由来が来ます。</p>
<p>その後、１０、１１世紀にムーア人の侵入があり、住民たちは身を守るために洞窟の中へと避難し、１２、１３世紀頃に要塞や家々が立ち並ぶようになります。</p>
<p><a href="/wp-content/uploads/2015/07/2015-07-02-15.52.53.jpg" /></a></p>
<p><a href="/wp-content/uploads/2015/07/2015-07-02-15.55.25.jpg" /></a></p>
<p><a href="/wp-content/uploads/2015/07/2015-07-02-15.58.29.jpg" /></a></p>
<p>しかし１４世紀にはペストの大流行（1348年）に加え、プロバンス伯爵領の継承争いにより多大な人口損失を受けることになります。</p>
<p>さらに１６世紀、水力を利用したなめし革業や製紙業が開発され村は再び活気づきますが、１７世紀に降りかかった厳しい気候のせいで村の機能は悪化し、再び人口が減少してしまいました。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><span style="text-decoration: underline;">ムスティエ陶器</span></p>
<p>ムスティエ陶器技術は中世より発展してきました。もともとは緑と茶色という自然の色で陶器が作られていたのですが、1668年にイタリア人修道士がLérinsの修道院からこの土地に立ち寄った際に白い陶器を作る秘伝を伝えました。</p>
<p>さらにルイ１４世が財政難を乗り切る政策として金や銀の食器を減らすよう命じたため、ムスティエの陶器はヨーロッパの宮廷で最高の名声を得ることになります。</p>
<p>………… ムスティエ陶器のお薦めショップ</p>
<p>お店を選ぶときには<strong>EPV</strong>のマークを目印にするといいですね。<br />
<strong>E</strong>nterprise du <strong>P</strong>atrimoine <strong>V</strong>ivant 自然のままの粘土を使った製法と伝統的なノウハウをマスターしたアトリエとして認められている証拠です。</p>
<p>・<a href="http://www.faiencebondil.fr">Atelier Bondil<br />
</a>・<a href="http://www.lallier-moustiers-04.com">Manufacture Lallier-Moustiers</a></p>
<p>確かにこの二つのお店の店員さんは『自然の粘土を使用しているから手にすると意外と軽いんですよ』とおっしゃっていました。別のお店で同じような食器を持ってみると重いんです。また絵柄の説明や、歴史なども丁寧に教えてくださいました。</p>
<p>私たちはAtelier Bondilで伝統的な白い陶器にブルーのデザインのお皿と、カラフルなデザインの花瓶を購入。</p>
<p><img class="alignnone size-medium wp-image-7500" src="/wp-content/uploads/2015/07/2015-08-10-19.01.11-300x300.jpg" /></p>
<p><img class="alignnone size-medium wp-image-7501" src="/wp-content/uploads/2015/07/2015-08-10-19.01.23-300x300.jpg" /></p>
<p>＊おそらく観光客が店内で無断で写真を撮って帰るのでしょうね。写真は撮らないようにと張り紙のしてあるお店もあるので十分注意しましょう。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><span style="text-decoration: underline;">ヴェルドン渓谷 Gorges du Verdon</span></p>
<p>ムスティエ サントマリの村の近くにはヨーロッパで一番深い渓谷の一つGorges du Verdonがあります。ここは必見！</p>
<p><a href="/wp-content/uploads/2015/07/2015-07-02-15.25.24.jpg" /></a></p>
<p><a href="/wp-content/uploads/2015/07/2015-07-02-15.25.48.jpg" /></a></p>
<p>Allos峠近くに水源をもつVerdon川によってHaute Provence大地の石灰が侵食してできた結果この渓谷が生まれました。長さは５０kmも続き、一番深い地点で７００mもあるそうです。</p>
<p>ボート遊びを楽しむ人、ハイキングを楽しむ人、手前の橋から写真を撮っている観光客。今回私たちは観光客側でしたが、次回はハイキングに来ようと約束。素晴らしい景色が見られるはずです。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><span style="text-decoration: underline;">ランチは</span></p>
<p>さてランチですがGorges du Verdonの南に位置するMoissac Bellevueにあるホテルレストランに連れて行ってもらいました。</p>
<p><a href="http://www.bastide-du-calalou.com">Bastide du CALALOU</a></p>
<p><img class="alignnone size-medium wp-image-7317" src="/wp-content/uploads/2015/07/2015-07-02-14.47.55-300x225.jpg" /></p>
<p><img class="alignnone size-medium wp-image-7318" src="/wp-content/uploads/2015/07/2015-07-02-12.34.16-300x225.jpg" /></p>
<p>緑に囲まれたとても素敵なレストランです。サービスもさすが４つ星レストラン問題ありません。</p>
<p><img class="alignnone size-medium wp-image-7319" src="/wp-content/uploads/2015/07/2015-07-02-12.59.32-300x225.jpg" /></p>
<p><img class="alignnone size-medium wp-image-7320" src="/wp-content/uploads/2015/07/2015-07-02-13.17.44-300x225.jpg" /></p>
<p><img class="alignnone size-medium wp-image-7321" src="/wp-content/uploads/2015/07/2015-07-02-14.03.46-300x225.jpg" /></p>
<p><img class="alignnone size-medium wp-image-7322" src="/wp-content/uploads/2015/07/2015-07-02-14.03.45-300x225.jpg" /></p>
<p>アントレのマグロのカルパッチョ、メインはポーク、デザートは苺のスープとチョコレートたっぷりのProfiterole chocolat caramel。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><span style="text-decoration: underline;">お土産にオリーブオイル</span></p>
<p><a href="http://www.moulingervasoni.com">Moulin à Huile GERVASONI</a></p>
<p><img class="alignnone size-medium wp-image-7326" src="/wp-content/uploads/2015/07/2015-07-02-18.35.05-300x225.jpg" /></p>
<p><img class="alignnone size-medium wp-image-7325" src="/wp-content/uploads/2015/07/2015-07-14-11.11.24-300x225.jpg" /></p>
<p>レストランのある村から東に位置するAupsという村で偶然立ち寄った小さなオリーブ工場。そこで見つけたオリーブオイルは毎年メダルを取っているものすごいお店でした。小さな販売所に入るとその認定証が天井一杯に掲げてあり、製造過程を一通りビデオで見せてもらった後、３種類のオリーブオイルを味見。南仏出身の主人はスーパーのオリーブオイルでは決して満足しないため、いいオリーブオイルを探し出すのはかなり大変なのですが、ここの商品は太鼓判。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>まだまだ発見することがたくさんあるプロヴァンス。ドライブがおススメです！</p>
]]></content:encoded>
			</item>
		<item>
		<title>Villecroze ヴィルクロズ（プロヴァンス）</title>
		<link>/ja/archives/6263</link>
		<pubDate>Sun, 24 Aug 2014 10:16:42 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[Aki]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[フランス観光]]></category>
		<category><![CDATA[プロヴァンス]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://www.nippon.fr/?p=6263</guid>
		<description><![CDATA[南仏といえば海側コートダジュールが人気ですが、山側もとても楽しい。いろんな小さな村が静かに点在しています。今回訪れたのはVillecrozeヴィルクロズと呼ばれる小さな町というか村。 ランチが目的だったのですが早く着いたのでまずはレストランの近くにあった公園へと足を運んでみました。 Jardin des grottes 公園奥には35mの高さから流れる滝や、名前の通り居穴洞窟もあります。奇麗に整備された花壇にはバラがたくさん咲いていました。のーんびりお昼まで時間をつぶしたら、歩いてすぐそこにあるレストランへ。 Le Colombier Quartier Le Colombier &#8211; RD557 83690 VILLECROZE こちらはホテルレストランとなっておりレストランの裏を少し登った所にホテルがありました。早く着き過ぎたので迎え出てくれたシェフが公園を紹介してくれました。戻ってみると今度はマダムがお出迎え。 テラスもかわいくデコレーション。南仏らしい雰囲気です。 そしてメニューは！ 前菜：トマトとメロンのムース。これがとても美味しい。そしてグルマンドサラダと鴨のフォアグラ（自家製）。 メインはMarmite de Noix de St-Jaquesを選びました。中にはホタテとポワロが入っています。 デザートはイチゴパフェ？もう一つはVacherin Glaceと呼ばれるアイスクリーム。 南仏の山側には本当に美味しくて素敵なレストランがたくさんあります。ドライブがてらいろんなレストランを試してみて下さい。]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>南仏といえば海側コートダジュールが人気ですが、山側もとても楽しい。いろんな小さな村が静かに点在しています。今回訪れたのはVillecrozeヴィルクロズと呼ばれる小さな町というか村。</p>
<p>ランチが目的だったのですが早く着いたのでまずはレストランの近くにあった公園へと足を運んでみました。</p>
<p><strong>Jardin des grottes</strong></p>
<p><a href="/wp-content/uploads/2014/08/2014-07-25-12.14.00.jpg" /></a></p>
<p><img class="alignnone size-medium wp-image-6266" src="/wp-content/uploads/2014/08/DSC00268-300x225.jpg" /></p>
<p><img class="alignnone size-medium wp-image-6267" src="/wp-content/uploads/2014/08/DSC00270-300x225.jpg" /></p>
<p><img class="alignnone size-medium wp-image-6268" src="/wp-content/uploads/2014/08/2014-07-25-12.09.30-300x225.jpg" /></p>
<p>公園奥には35mの高さから流れる滝や、名前の通り居穴洞窟もあります。奇麗に整備された花壇にはバラがたくさん咲いていました。のーんびりお昼まで時間をつぶしたら、歩いてすぐそこにあるレストランへ。</p>
<p><a href="http://www.lecolombier-var.com"><strong>Le Colombier</strong></a></p>
<p>Quartier Le Colombier &#8211; RD557<br />
83690 VILLECROZE</p>
<p>こちらはホテルレストランとなっておりレストランの裏を少し登った所にホテルがありました。早く着き過ぎたので迎え出てくれたシェフが公園を紹介してくれました。戻ってみると今度はマダムがお出迎え。</p>
<p><img class="alignnone size-medium wp-image-6270" src="/wp-content/uploads/2014/08/2014-07-25-11.56.21-300x225.jpg" /></p>
<p><img class="alignnone wp-image-6271 size-medium" src="/wp-content/uploads/2014/08/2014-07-25-11.55.47-300x225.jpg" /></p>
<p>テラスもかわいくデコレーション。南仏らしい雰囲気です。</p>
<p>そしてメニューは！</p>
<p><img class="alignnone size-medium wp-image-6272" src="/wp-content/uploads/2014/08/2014-07-25-13.11.54-300x225.jpg" /></p>
<p><img class="alignnone wp-image-6273 size-medium" src="/wp-content/uploads/2014/08/2014-07-25-13.24.01-300x225.jpg" /></p>
<p>前菜：トマトとメロンのムース。これがとても美味しい。そしてグルマンドサラダと鴨のフォアグラ（自家製）。</p>
<p><img class="alignnone size-medium wp-image-6274" src="/wp-content/uploads/2014/08/2014-07-25-13.51.49-300x225.jpg" /></p>
<p>メインはMarmite de Noix de St-Jaquesを選びました。中にはホタテとポワロが入っています。</p>
<p><a href="/wp-content/uploads/2014/08/2014-07-25-14.23.22.jpg" /></a></p>
<p><img class="alignnone size-medium wp-image-6276" src="/wp-content/uploads/2014/08/2014-07-25-14.23.33-300x225.jpg" /></p>
<p>デザートはイチゴパフェ？もう一つはVacherin Glaceと呼ばれるアイスクリーム。</p>
<p>南仏の山側には本当に美味しくて素敵なレストランがたくさんあります。ドライブがてらいろんなレストランを試してみて下さい。</p>
]]></content:encoded>
			</item>
		<item>
		<title>ブールジュ</title>
		<link>/ja/archives/6251</link>
		<pubDate>Sun, 24 Aug 2014 09:29:03 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[Aki]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[フランス観光]]></category>
		<category><![CDATA[サンテティエンヌ大聖堂]]></category>
		<category><![CDATA[ブールジュ]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://www.nippon.fr/?p=6251</guid>
		<description><![CDATA[お城で有名なロワール地方にある都市ブールジュ。元はケルト人が設けた集落があり、共和政ローマ時代のガリア戦争ではカエサル率いるローマ軍とガリア軍の戦いの場所ともなりました（アウァリクム包囲戦）（ウィキペディアより）。 そしてこの町の見所といえばサン＝テチエンヌ大聖堂。12−13世紀にかけて建設された司教座聖堂で、シャルトルの大聖堂と並ぶフランスゴシックの代表的建築と知られています。1195年にブールジュ大司教アンリ・ド・シュリがブールジュ司教座大聖堂の教会参事会に贈り物をしたことが、それまで小さかったロマネスク様式の聖堂から大聖堂へと建て替えるきっかけとなったそうです。 そして1992年にはブールジュ大聖堂としてユネスコ世界遺産に登録されました。 大き過ぎてカメラに納まりません・・・。 この柱の大きさが伝わるでしょうか。ブールジュ大聖堂には他の大聖堂と違って翼廊が存在せず、そのことによって視界が開け、内部の空間が広大に感じられるのだそうです。 小さな町ですが、この大聖堂周辺には中世からルネッサンス期に建てられた美しい建物が点々と集まっており、のんびり歩いてみるのもいいかもしれません。 ブールジュ観光局 &#160; &#160;]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>お城で有名なロワール地方にある都市ブールジュ。元はケルト人が設けた集落があり、共和政ローマ時代のガリア戦争ではカエサル率いるローマ軍とガリア軍の戦いの場所ともなりました（アウァリクム包囲戦）（ウィキペディアより）。</p>
<p>そしてこの町の見所といえば<strong>サン＝テチエンヌ大聖堂</strong>。12−13世紀にかけて建設された司教座聖堂で、シャルトルの大聖堂と並ぶフランスゴシックの代表的建築と知られています。1195年にブールジュ大司教アンリ・ド・シュリがブールジュ司教座大聖堂の教会参事会に贈り物をしたことが、それまで小さかったロマネスク様式の聖堂から大聖堂へと建て替えるきっかけとなったそうです。</p>
<p>そして1992年にはブールジュ大聖堂としてユネスコ世界遺産に登録されました。</p>
<p><img class="alignnone size-medium wp-image-6255" src="/wp-content/uploads/2014/08/DSC00239-300x225.jpg" /></p>
<p><img class="alignnone wp-image-6256 size-medium" src="/wp-content/uploads/2014/08/2014-07-22-08.28.09-300x225.jpg" /></p>
<p>大き過ぎてカメラに納まりません・・・。</p>
<p><img class="alignnone size-medium wp-image-6257" src="/wp-content/uploads/2014/08/2014-07-22-08.32.26-300x225.jpg" /></p>
<p><a href="/wp-content/uploads/2014/08/2014-07-22-08.38.11.jpg" /></a></p>
<p><img class="alignnone size-medium wp-image-6259" src="/wp-content/uploads/2014/08/2014-07-22-08.35.25-300x225.jpg" /></p>
<p><img class="alignnone size-medium wp-image-6260" src="/wp-content/uploads/2014/08/DSC00240-300x225.jpg" /></p>
<p>この柱の大きさが伝わるでしょうか。ブールジュ大聖堂には他の大聖堂と違って翼廊が存在せず、そのことによって視界が開け、内部の空間が広大に感じられるのだそうです。</p>
<p>小さな町ですが、この大聖堂周辺には中世からルネッサンス期に建てられた美しい建物が点々と集まっており、のんびり歩いてみるのもいいかもしれません。</p>
<p><strong><a href="http://www.bourges-tourisme.com">ブールジュ観光局</a></strong></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
]]></content:encoded>
			</item>
		<item>
		<title>テンプル騎士団の村</title>
		<link>/ja/archives/6230</link>
		<pubDate>Sat, 23 Aug 2014 21:10:19 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[Aki]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[フランス観光]]></category>
		<category><![CDATA[Larzac]]></category>
		<category><![CDATA[テンプル騎士団]]></category>
		<category><![CDATA[聖ヨハネ騎士団]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://www.nippon.fr/?p=6230</guid>
		<description><![CDATA[世界一高い場所に架かる橋，ミヨー橋を越え、A75（高速道路）を南へと進んで行くとPlageau de Larzac（プラトー　ドゥ　ラルザク）と呼ばれる高地へと辿り着きます。どんどん山を登ったかと思うとそこから下らず永遠と平地が続きます。日本人には少し不思議な地形です。 この一帯はGrands Causses National Regional Parc（グラン・コース自然地方公園）として保護さており、ヨーロッパでも一番美しい自然が楽しめる場所として有名です。 広大な高地の合間に深い谷がいくつも入り組んでいる眺めは圧巻。 　クリック そしてこの住む人もまばらな地域にテンプル騎士団、聖ヨハネ騎士団がかつて築きあげたという村が点在しているのです。 Larzac Rampartと呼ばれる一帯には5つの見所があります。 ・La Cavalerie ・Le Viala du Pas de Jaux ・Saint-Jean-d&#8217;Alcas ・La Couvertoirade ・Ste-Eulalie de Cernon 今回私達が訪れたのはLa Couvertoirade（ラ・クヴェルトワラドゥ）。 古い石造りの集落がひっそりと佇んでいます。ここにテンプル騎士団や聖ヨハネ騎士団が・・・感動です。 そして村を見下ろす場所に教会が。そばには騎士団の十字架マークの入った墓がいくつか残っていました。どんな人がここに眠っているのでしょうか・・・。 テンプル騎士団とは： エルサレムへ向かう殉教者たちの旅の安全を守るため1113年に聖ヨハネ騎士団、1120年にテンプル騎士団が誕生しました。12世紀中頃、テンプル騎士団がLarzacに落ち着いた頃、この高地一帯は複数の地主たちが支配していました。それが12世紀後半になると多くの寄進が行われ、Larzac高地はテンプル騎士団の支配下に置かれることになります。そしてそれから150年の間、騎士団は分散してくらしていた高地住人をLa Cavertoiradeなどの集落に集めます。1312年には、テンプル騎士団は教皇によって廃止され全ての財産は聖ヨハネ騎士団へと引き渡されることになります。さらに百年戦争（1338ー1453）による社会不安の中、聖ヨハネ騎士団は受け継いだ集落の強化をはかるのですが、16世紀にはユグノー派教会により集落は奪われてしまいます。ちなみに聖ヨハネ騎士団はその後マルタ島を与えられます（歴史がいっぱいのマルタ島の旅も良かったですよ！）。聖ヨハネ騎士団はマルタ騎士団とも呼ばれます。 またこの集落の中には小さなお土産屋さんやカフェなどもあります。 地元の果物、ハチミツ、ハム、チーズなど美味しそうなものがいっぱい。サンドイッチ屋さんでサンドイッチとチーズを買って野原でピクニック。景色は最高！ 　クリック おすすめのショップはGilles DIRUITさんの作る、なんて言うんでしょうか・・・説明が・・・ このストーブのミニチュアなのですが、煙突やなべに香水をしみ込ませて、後ろ側は見えませんが空洞になっているのでそこでキャンドルに火をつけると、その熱で香りがふわっと部屋中に広がるのです。これはBonne idéeです。小さなお店に一つ一つ手作りの作品がずらーっと並んでいます。騎士団とは全く関係ないのですが・・・女性には喜ばれそうな。おすすめです。 BRÛLE PARFUM METAL Atelier Métamorphose 12230 La Couvertoirade 中世の歴史や、テンプル騎士団に興味のある方にはとてもおもしろい場所だと思います。機会があれば是非。ただ車がないとアクセスできないのが難点ですが。 Conservatoire Larzac 　オフィシャルサイト　（音に注意）]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>世界一高い場所に架かる橋，ミヨー橋を越え、A75（高速道路）を南へと進んで行くとPlageau de Larzac（プラトー　ドゥ　ラルザク）と呼ばれる高地へと辿り着きます。どんどん山を登ったかと思うとそこから下らず永遠と平地が続きます。日本人には少し不思議な地形です。</p>
<p>この一帯はGrands Causses National Regional Parc（グラン・コース自然地方公園）として保護さており、ヨーロッパでも一番美しい自然が楽しめる場所として有名です。</p>
<p>広大な高地の合間に深い谷がいくつも入り組んでいる眺めは圧巻。</p>
<p><a href="/wp-content/uploads/2014/08/DSC_0111.jpg" /></a>　クリック</p>
<p>そしてこの住む人もまばらな地域にテンプル騎士団、聖ヨハネ騎士団がかつて築きあげたという村が点在しているのです。</p>
<p>Larzac Rampartと呼ばれる一帯には5つの見所があります。</p>
<p>・La Cavalerie<br />
・Le Viala du Pas de Jaux<br />
・Saint-Jean-d&#8217;Alcas<br />
・La Couvertoirade<br />
・Ste-Eulalie de Cernon</p>
<p>今回私達が訪れたのは<strong>La Couvertoirade</strong>（ラ・クヴェルトワラドゥ）。</p>
<p><img class="alignnone size-medium wp-image-6234" src="/wp-content/uploads/2014/08/2014-07-23-11.56.34-300x225.jpg" /></p>
<p><img class="alignnone size-medium wp-image-6235" src="/wp-content/uploads/2014/08/2014-07-23-11.57.37-300x225.jpg" /></p>
<p><img class="alignnone size-medium wp-image-6236" src="/wp-content/uploads/2014/08/2014-07-23-12.03.16-300x225.jpg" /></p>
<p><img class="alignnone wp-image-6237 size-medium" src="/wp-content/uploads/2014/08/2014-07-23-12.08.05-300x225.jpg" /></p>
<p>古い石造りの集落がひっそりと佇んでいます。ここにテンプル騎士団や聖ヨハネ騎士団が・・・感動です。</p>
<p><img class="alignnone size-medium wp-image-6238" src="/wp-content/uploads/2014/08/2014-07-23-12.15.00-300x225.jpg" /></p>
<p><img class="alignnone wp-image-6239 size-medium" src="/wp-content/uploads/2014/08/2014-07-23-12.12.29-300x225.jpg" /></p>
<p>そして村を見下ろす場所に教会が。そばには騎士団の十字架マークの入った墓がいくつか残っていました。どんな人がここに眠っているのでしょうか・・・。</p>
<p><strong>テンプル騎士団とは</strong>：<br />
エルサレムへ向かう殉教者たちの旅の安全を守るため1113年に聖ヨハネ騎士団、1120年にテンプル騎士団が誕生しました。12世紀中頃、テンプル騎士団がLarzacに落ち着いた頃、この高地一帯は複数の地主たちが支配していました。それが12世紀後半になると多くの寄進が行われ、Larzac高地はテンプル騎士団の支配下に置かれることになります。そしてそれから150年の間、騎士団は分散してくらしていた高地住人をLa Cavertoiradeなどの集落に集めます。1312年には、テンプル騎士団は教皇によって廃止され全ての財産は聖ヨハネ騎士団へと引き渡されることになります。さらに百年戦争（1338ー1453）による社会不安の中、聖ヨハネ騎士団は受け継いだ集落の強化をはかるのですが、16世紀にはユグノー派教会により集落は奪われてしまいます。ちなみに聖ヨハネ騎士団はその後マルタ島を与えられます（歴史がいっぱいのマルタ島の旅も良かったですよ！）。聖ヨハネ騎士団はマルタ騎士団とも呼ばれます。</p>
<p>またこの集落の中には小さなお土産屋さんやカフェなどもあります。</p>
<p>地元の果物、ハチミツ、ハム、チーズなど美味しそうなものがいっぱい。サンドイッチ屋さんでサンドイッチとチーズを買って野原でピクニック。景色は最高！</p>
<p><a href="/wp-content/uploads/2014/08/DSC_0113.jpg" /></a>　クリック</p>
<p>おすすめのショップはGilles DIRUITさんの作る、なんて言うんでしょうか・・・説明が・・・</p>
<p><img class="alignnone size-medium wp-image-6244" src="/wp-content/uploads/2014/08/2014-08-16-14.58.43-300x225.jpg" /></p>
<p>このストーブのミニチュアなのですが、煙突やなべに香水をしみ込ませて、後ろ側は見えませんが空洞になっているのでそこでキャンドルに火をつけると、その熱で香りがふわっと部屋中に広がるのです。これはBonne idéeです。小さなお店に一つ一つ手作りの作品がずらーっと並んでいます。騎士団とは全く関係ないのですが・・・女性には喜ばれそうな。おすすめです。</p>
<p>BRÛLE PARFUM METAL<br />
Atelier Métamorphose</p>
<p>12230 La Couvertoirade</p>
<p>中世の歴史や、テンプル騎士団に興味のある方にはとてもおもしろい場所だと思います。機会があれば是非。ただ車がないとアクセスできないのが難点ですが。</p>
<p><strong><a href="http://www.conservatoire-larzac.fr">Conservatoire Larzac </a>　</strong>オフィシャルサイト　（音に注意）</p>
]]></content:encoded>
			</item>
		<item>
		<title>ミヨー橋</title>
		<link>/ja/archives/6204</link>
		<pubDate>Fri, 22 Aug 2014 20:30:11 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[Aki]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[フランス観光]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://www.nippon.fr/?p=6204</guid>
		<description><![CDATA[Viaduc de Millau （ミヨー高架橋） フランス南部，南仏への入り口に当たる辺りにある都市Millau(ミヨー)にある高架橋です（A75/オートルート75号線）。なんと塔の高さはエッフェル塔よりも東京タワーよりも高い、343メートルに達します！　世界一高い橋として2004年に開通しました。 　画像クリック 橋を渡る直前にサービスエリアがあり、パーキング横にある小高い山というか丘を少し登っていくと橋とミヨーの町が見下ろせる展望台があります。橋はタルン川渓谷に架かっており、それはそれは見晴らし最高です。ここは誰が撮ってもポストカードのような写真が撮れると思います。 　画像クリック ではもう一枚の写真もどうぞ。この高さ伝わるでしょうか。この橋の上を渡る時のドキドキ感，ワクワク感・・・素晴らしい眺めです。 ミヨー高架橋オフィシャルサイト では、橋を眺めた後はミヨーの町へ降りていきましょう。 街中自体にはそれほど見るべきものはないのですが、ここは中央山塊と呼ばれる地域で辺りは山や谷など自然がいっぱい。Grands Causses（グラン・コース）地方自然公園の中にあり、アウトドアアクティビィティが盛んのようです。 歴史としては、3000年前にまでさかのぼりますが、タルヌ川一帯にコンダトマグス(Condatomagus)というガリア語の地名があり、陶器製造で栄えローマ帝国に製品が輸出されていたそうです。その後、民族大移動が起こりタルヌ川流域に侵攻して来た民族がアミリアヴム（Amiliavum）と名付け、フランス語のミヨーと変化していったそうです（wikipediaより）。 ミヨー市オフィシャルサイト 市街地を抜け、自然公園の奥へと進んでいきます。山の中を車でぐるぐると、走ること20分。目的地であるホテルに到着！ Grand Hotel de la Muse et du Rozier タルヌ川沿いに立つ4つ星ホテルです。川のほとりまで降りて行くことができ、川で泳いでいる人もいました。またオープンテラスで川を眺めながらぼんやりするのも素敵です。  クリック 　こちらもクリック 川辺にはリクライニング式のイスが用意されていていつでもどこでもお昼寝可能！ もちろんどの部屋からも山や川の景色が見れるようになっています。私達の選んだ部屋は広めのスタンダードの部屋。出窓になっている部屋もありましたが、一泊しかしないし・・・（次回訪れた時には連泊したい）。またバルコニー付きは部屋が少し狭いようです（値段は安くなりますが）。景色も窓部屋の方が奇麗に見えました。夜は、川の音を聞きながら眠ることができます！ そして食事は、運の良いことに私達が訪れた日は特別メニュー！　地元の食材を使ったコースでした！！！　偶然にもいい日に当たりラッキーだとホテルの人にも言われました。 ミヨーのすぐ近くにある町Roquefort(ロックフォール)といえばロックフォールチーズ、そしてこの地方のもう一つの名物Aligot（アリゴチーズ）。 ロックフォールチーズと梨のパイ 子羊とAligotチーズ そしてデザート：地元の羊のミルクでできたチーズで作ったチーズケーキとアイスクリーム。おいしい！！！ 満腹状態ですぐには眠れそうにもないので、川辺のテラスで少し休憩してから部屋に戻りました。ここは一泊するだけではもったいない場所です。是非次回は長く滞在して近くの山をハイキングして回りたいと思います。自然公園のほんの一部ですからね。まだまだ見所がありそうです。]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>Viaduc de Millau （ミヨー高架橋）</p>
<p>フランス南部，南仏への入り口に当たる辺りにある都市Millau(ミヨー)にある高架橋です（A75/オートルート75号線）。なんと塔の高さはエッフェル塔よりも東京タワーよりも高い、343メートルに達します！　世界一高い橋として2004年に開通しました。</p>
<p><a href="/wp-content/uploads/2014/08/DSC00244.jpg" /></a>　画像クリック</p>
<p>橋を渡る直前にサービスエリアがあり、パーキング横にある小高い山というか丘を少し登っていくと橋とミヨーの町が見下ろせる展望台があります。橋はタルン川渓谷に架かっており、それはそれは見晴らし最高です。ここは誰が撮ってもポストカードのような写真が撮れると思います。</p>
<p><a href="/wp-content/uploads/2014/08/DSC_0088.jpg" /></a>　画像クリック</p>
<p>ではもう一枚の写真もどうぞ。この高さ伝わるでしょうか。この橋の上を渡る時のドキドキ感，ワクワク感・・・素晴らしい眺めです。</p>
<p><a href="http://www.leviaducdemillau.com/#/accueil/">ミヨー高架橋オフィシャルサイト</a></p>
<p>では、橋を眺めた後はミヨーの町へ降りていきましょう。<br />
街中自体にはそれほど見るべきものはないのですが、ここは中央山塊と呼ばれる地域で辺りは山や谷など自然がいっぱい。Grands Causses（グラン・コース）<span style="color: #271f18;">地方自然公園の中にあり、</span>アウトドアアクティビィティが盛んのようです。</p>
<p>歴史としては、3000年前にまでさかのぼりますが、タルヌ川一帯にコンダトマグス(Condatomagus)というガリア語の地名があり、陶器製造で栄えローマ帝国に製品が輸出されていたそうです。その後、民族大移動が起こりタルヌ川流域に侵攻して来た民族がアミリアヴム（Amiliavum）と名付け、フランス語のミヨーと変化していったそうです（wikipediaより）。</p>
<p><a href="http://www.millau-viaduc-tourisme.fr">ミヨー市オフィシャルサイト</a></p>
<p>市街地を抜け、自然公園の奥へと進んでいきます。山の中を車でぐるぐると、走ること20分。目的地であるホテルに到着！</p>
<p><a href="http://www.hotel-delamuse.fr">Grand Hotel de la Muse et du Rozier</a></p>
<p><img class="alignnone size-medium wp-image-6215" src="/wp-content/uploads/2014/08/2014-07-23-09.50.48-300x225.jpg" /></p>
<p><img class="alignnone wp-image-6216 size-medium" src="/wp-content/uploads/2014/08/2014-07-23-09.46.02-300x225.jpg" /></p>
<p>タルヌ川沿いに立つ4つ星ホテルです。川のほとりまで降りて行くことができ、川で泳いでいる人もいました。またオープンテラスで川を眺めながらぼんやりするのも素敵です。</p>
<p><a href="/wp-content/uploads/2014/08/DSC_0099.jpg" /></a></p>
<p><a href="/wp-content/uploads/2014/08/DSC00251.jpg" /></a> クリック</p>
<p><a href="/wp-content/uploads/2014/08/DSC00253.jpg" /></a>　こちらもクリック</p>
<p>川辺にはリクライニング式のイスが用意されていていつでもどこでもお昼寝可能！</p>
<p>もちろんどの部屋からも山や川の景色が見れるようになっています。私達の選んだ部屋は広めのスタンダードの部屋。出窓になっている部屋もありましたが、一泊しかしないし・・・（次回訪れた時には連泊したい）。またバルコニー付きは部屋が少し狭いようです（値段は安くなりますが）。景色も窓部屋の方が奇麗に見えました。夜は、川の音を聞きながら眠ることができます！</p>
<p><img class="alignnone size-medium wp-image-6221" src="/wp-content/uploads/2014/08/2014-07-22-21.42.36-300x225.jpg" /></p>
<p><img class="alignnone wp-image-6222 size-medium" src="/wp-content/uploads/2014/08/2014-07-22-21.43.14-300x225.jpg" /></p>
<p>そして食事は、運の良いことに私達が訪れた日は特別メニュー！　地元の食材を使ったコースでした！！！　偶然にもいい日に当たりラッキーだとホテルの人にも言われました。</p>
<p>ミヨーのすぐ近くにある町Roquefort(ロックフォール)といえばロックフォールチーズ、そしてこの地方のもう一つの名物Aligot（アリゴチーズ）。</p>
<p><img class="alignnone size-medium wp-image-6224" src="/wp-content/uploads/2014/08/2014-07-22-20.13.28-300x225.jpg" /></p>
<p>ロックフォールチーズと梨のパイ</p>
<p><img class="alignnone size-medium wp-image-6225" src="/wp-content/uploads/2014/08/2014-07-22-20.35.25-300x225.jpg" /></p>
<p>子羊とAligotチーズ</p>
<p><img class="alignnone size-medium wp-image-6226" src="/wp-content/uploads/2014/08/2014-07-22-21.19.14-300x225.jpg" /></p>
<p>そしてデザート：地元の羊のミルクでできたチーズで作ったチーズケーキとアイスクリーム。おいしい！！！</p>
<p>満腹状態ですぐには眠れそうにもないので、川辺のテラスで少し休憩してから部屋に戻りました。ここは一泊するだけではもったいない場所です。是非次回は長く滞在して近くの山をハイキングして回りたいと思います。自然公園のほんの一部ですからね。まだまだ見所がありそうです。</p>
]]></content:encoded>
			</item>
		<item>
		<title>ロワールのお城</title>
		<link>/ja/archives/6175</link>
		<pubDate>Fri, 22 Aug 2014 12:45:20 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[Aki]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[フランス観光]]></category>
		<category><![CDATA[クロ・リュセ城]]></category>
		<category><![CDATA[シャンボール城]]></category>
		<category><![CDATA[シュノンソー城]]></category>
		<category><![CDATA[ロワール]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://www.nippon.fr/?p=6175</guid>
		<description><![CDATA[Chambord （シャンボール城） フランソワ1世の狩猟小屋として始まった城は、1519年から1547年にかけて建設されていきました。お城の見所としては、何と言っても二重螺旋階段。この二つの階段を使えば相手に出会うことなく３回に昇り降りができるのです。 豪華絢爛なお城ですが、実際フランソワ1世が滞在したのは32年間の統治生活の中で72日。お城が完成する前にこの世を去ることになります。現在のお城の姿はその後に続く王、アンリ2世とルイ14世が築き上げました。 あくまでも王様の狩猟が目的であったため、お城の中は部屋というよりもオープンスペースが多い。なんと贅沢なことでしょう。 　クリック 　クリック とにかく敷地が広い。パーキングまでのながーい道のり。そしてまたパーキングからお城まで歩いて行きます。あ、パーキング料金の払い忘れに注意してください。パーキングで払うのではなく、お城の近くに料金所があるようです。私達はそれに後で気がつき、また長い道のりを歩くはめになってしまいました・・・。 Chambord 　オフィシャルサイト お昼は、お城を見ながらフランス料理はいかがでしょう。ちょうど出発する1ヶ月前にフランスの雑誌でおすすめとあったので予約してみました。 Restaurant du Grand Saint Michel 103 place St-Michel, 41250 Chambord, France お天気がいいと、外でお城を目の前に食事を満喫できるでしょう。お店の名前を見ると高級な感じがしますが、料金も味の方もカジュアルです。 Château du Clos Lucé (クロ・リュセ城） こちらはレオナルド・ダ・ヴィンチが住んでいた館です。1516年フランソワ1世の招きでイタリアからやって来ました。当時既に60歳を超えていたダ・ヴィンチはここで約３年間過ごすことになります。 ここはかなりおすすめ。いろんな発明品が模型と一緒に説明されていてとてもおもしろい。 庭もかなり広いです。そして至る所にダ・ヴィンチの発明品が。実際動かして試してみることもできますよ！ Château du Clos Lucé  オフィシャルサイト（音に注意） Chenonceau （シュノンソー城） 貴婦人たちの城と呼ばれるように、このお城の城主は６人の女性でした。 ・ディアーヌ・ド・ポワティエ：国王アンリ2世の愛妾。 ・カトリーヌ・ド・メディシス：アンリ2世の正妻。アンリ2世の未亡人となった後、ディアーヌ・ド・ポワティエを城から追い出し、城の建設工事を進める。 ・ルイーズ・ド・ロレーヌ：アンリ３世の妻。アンリ３世を失くし、シュノンソー城に引き蘢り祈りの日々を送る。 ・ルイーズ・デュパン：シュノンソー城が大地主クロード・デュパンに売却。ルイーズはその妻。城で知識人サロンを開催。フランス革命でシュノンソー城を守った。 ・マルグリッド・ペルーズ：産業資産家出身。ディアーヌ・ド・ポワティエ時代の城の姿に復元するため多大な費用を投じる。しかし政治的陰謀に巻き込まれ破産。その後シュノンソー城は数回に渡り売却。 ・シモーヌ・ムニエ：第一次大戦中、城のギャラリーを病院に改装。看護婦長として病院を運営。 おそらく一番印象に残るのはルイーズ・ド・ロレーヌの居室ではないでしょうか。彼女は夫アンリ３世が亡くなった後、ずっと白い服を身に付け瞑想と祈りのためにこの城に籠りました。真っ暗なその部屋に入ると、その悲しみが伝わって来そうです。 シェール川にかかる美しいお城です。川ではボート遊びをする人々も。昔もこんな感じだったのでしょうか。 ギャラリーです。ここが戦時中病院として機能していたんですね。第二次世界大戦ではこのシェール川はドイツ軍に占領されており、城の入り口（右岸）は占領地区側、ギャラリーの南側の扉は左岸の非占領地区になっていました。 Chenonceau オフィシャルサイト]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p><strong>Chambord （シャンボール城）</strong><br />
フランソワ1世の狩猟小屋として始まった城は、1519年から1547年にかけて建設されていきました。お城の見所としては、何と言っても二重螺旋階段。この二つの階段を使えば相手に出会うことなく３回に昇り降りができるのです。 豪華絢爛なお城ですが、実際フランソワ1世が滞在したのは32年間の統治生活の中で72日。お城が完成する前にこの世を去ることになります。現在のお城の姿はその後に続く王、アンリ2世とルイ14世が築き上げました。 あくまでも王様の狩猟が目的であったため、お城の中は部屋というよりもオープンスペースが多い。なんと贅沢なことでしょう。</p>
<p style="color: #252525;"><a href="/wp-content/uploads/2014/08/2014-07-21-14.16.45.jpg" /></a>　クリック</p>
<p style="color: #252525;"><a href="/wp-content/uploads/2014/08/2014-07-21-15.02.53.jpg" /></a>　クリック</p>
<p style="color: #252525;"><img class="alignnone size-medium wp-image-6177" src="/wp-content/uploads/2014/08/DSC_0047-300x200.jpg" /></p>
<p style="color: #252525;">とにかく敷地が広い。パーキングまでのながーい道のり。そしてまたパーキングからお城まで歩いて行きます。あ、パーキング料金の払い忘れに注意してください。パーキングで払うのではなく、お城の近くに料金所があるようです。私達はそれに後で気がつき、また長い道のりを歩くはめになってしまいました・・・。</p>
<p style="color: #252525;"><a href="http://chambord.org">Chambord </a>　オフィシャルサイト</p>
<p style="color: #252525;">お昼は、お城を見ながらフランス料理はいかがでしょう。ちょうど出発する1ヶ月前にフランスの雑誌でおすすめとあったので予約してみました。</p>
<p style="color: #252525;"><strong><a href="http://www.saintmichel-chambord.com">Restaurant du Grand Saint Michel</a></strong></p>
<p style="color: #252525;">103 place St-Michel, 41250 Chambord, France</p>
<p style="color: #252525;"><img class="alignnone size-medium wp-image-6180" src="/wp-content/uploads/2014/08/2014-07-21-12.54.21-2-300x225.jpg" /></p>
<p style="color: #252525;"><img class="alignnone wp-image-6181 size-medium" src="/wp-content/uploads/2014/08/2014-07-21-13.15.55-300x225.jpg" /></p>
<p style="color: #252525;">お天気がいいと、外でお城を目の前に食事を満喫できるでしょう。お店の名前を見ると高級な感じがしますが、料金も味の方もカジュアルです。</p>
<p style="color: #252525;"><strong>Château du Clos Lucé (クロ・リュセ城）</strong><br />
こちらはレオナルド・ダ・ヴィンチが住んでいた館です。1516年フランソワ1世の招きでイタリアからやって来ました。当時既に60歳を超えていたダ・ヴィンチはここで約３年間過ごすことになります。</p>
<p style="color: #252525;"><img class="alignnone size-medium wp-image-6190" src="/wp-content/uploads/2014/08/2014-07-21-09.31.21-300x225.jpg" /></p>
<p style="color: #252525;"><img class="alignnone size-medium wp-image-6191" src="/wp-content/uploads/2014/08/2014-07-21-09.32.44-300x225.jpg" /></p>
<p style="color: #252525;">ここはかなりおすすめ。いろんな発明品が模型と一緒に説明されていてとてもおもしろい。</p>
<p style="color: #252525;"><img class="alignnone wp-image-6192 size-medium" src="/wp-content/uploads/2014/08/2014-07-21-09.58.55-300x225.jpg" /></p>
<p style="color: #252525;"><img class="alignnone wp-image-6193 size-medium" src="/wp-content/uploads/2014/08/2014-07-21-09.56.38-300x225.jpg" /></p>
<p style="color: #252525;"><img class="alignnone wp-image-6194 size-medium" src="/wp-content/uploads/2014/08/DSC_0042-300x200.jpg" /></p>
<p style="color: #252525;"><img class="alignnone wp-image-6195 size-medium" src="/wp-content/uploads/2014/08/DSC_0034-300x200.jpg" /></p>
<p style="color: #252525;">庭もかなり広いです。そして至る所にダ・ヴィンチの発明品が。実際動かして試してみることもできますよ！</p>
<p style="color: #252525;"><a href="http://www.vinci-closluce.com">Château du Clos Lucé </a> オフィシャルサイト（音に注意）</p>
<p style="color: #252525;"><strong>Chenonceau （シュノンソー城）</strong><br />
貴婦人たちの城と呼ばれるように、このお城の城主は６人の女性でした。</p>
<p style="color: #252525;">・<strong>ディアーヌ・ド・ポワティエ</strong>：国王アンリ2世の愛妾。<br />
・<strong>カトリーヌ・ド・メディシス</strong>：アンリ2世の正妻。アンリ2世の未亡人となった後、ディアーヌ・ド・ポワティエを城から追い出し、城の建設工事を進める。<br />
・<strong>ルイーズ・ド・ロレーヌ</strong>：アンリ３世の妻。アンリ３世を失くし、シュノンソー城に引き蘢り祈りの日々を送る。<br />
・<strong>ルイーズ・デュパン</strong>：シュノンソー城が大地主クロード・デュパンに売却。ルイーズはその妻。城で知識人サロンを開催。フランス革命でシュノンソー城を守った。<br />
・<strong>マルグリッド・ペルーズ</strong>：産業資産家出身。ディアーヌ・ド・ポワティエ時代の城の姿に復元するため多大な費用を投じる。しかし政治的陰謀に巻き込まれ破産。その後シュノンソー城は数回に渡り売却。<br />
・<strong>シモーヌ・ムニエ</strong>：第一次大戦中、城のギャラリーを病院に改装。看護婦長として病院を運営。</p>
<p style="color: #252525;">おそらく一番印象に残るのはルイーズ・ド・ロレーヌの居室ではないでしょうか。彼女は夫アンリ３世が亡くなった後、ずっと白い服を身に付け瞑想と祈りのためにこの城に籠りました。真っ暗なその部屋に入ると、その悲しみが伝わって来そうです。</p>
<p style="color: #252525;"><img class="alignnone wp-image-6186" src="/wp-content/uploads/2014/08/DSC_0069-300x200.jpg" /></p>
<p style="color: #252525;"><img class="alignnone wp-image-6187 size-medium" src="/wp-content/uploads/2014/08/DSC00236-300x225.jpg" /></p>
<p style="color: #252525;">シェール川にかかる美しいお城です。川ではボート遊びをする人々も。昔もこんな感じだったのでしょうか。</p>
<p style="color: #252525;"><img class="alignnone wp-image-6185 size-medium" src="/wp-content/uploads/2014/08/2014-07-21-17.27.49-300x225.jpg" /></p>
<p style="color: #252525;">ギャラリーです。ここが戦時中病院として機能していたんですね。第二次世界大戦ではこのシェール川はドイツ軍に占領されており、城の入り口（右岸）は占領地区側、ギャラリーの南側の扉は左岸の非占領地区になっていました。</p>
<p style="color: #252525;"><a href="http://www.chenonceau.com">Chenonceau </a>オフィシャルサイト</p>
]]></content:encoded>
			</item>
		<item>
		<title>モンサンミシェル</title>
		<link>/ja/archives/6157</link>
		<pubDate>Fri, 22 Aug 2014 10:09:26 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[Aki]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[フランス観光]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://www.nippon.fr/?p=6157</guid>
		<description><![CDATA[いつかは行ってみたいと思いつつ長年実行できなかったモンサンミシェルに行くことに。パリを朝8時に車で出発。しかしパリから離れるにつれて天気が崩り坂。豪雨の中、主人が頑張って運転してくれました。これがノルマンディーの天気らしい・・・。 簡単にモンサンミシェルの歴史を説明すると： モンサンミシェルと呼ばれるこの島は元はMont Tombe（モン・トンブ/墓の山）と呼ばれていたそうです。ケルト人が信仰する聖地だったのが、708年アヴランシュ司教オベールが大天使ミカエルから夢の中でお告げを受け、礼拝堂を作ったことからカトリックの聖地として信仰されるようになったそうです。 1979年にユネスコ世界遺産に登録。近年は島の周囲が砂州化し国家事業として、かつての島を取り戻す工事が進められています(2015年完成予定)。 おそらくフランス人よりも日本人のほうがよく歴史を知っているのではないのでしょうか。モンサンミシェルって日本人にものすごい人気ですよね。私達が訪れた時も、次から次と日本人観光客のグループが・・・。噂には聞いていましたが、こんなに多いとは知らずビックリしました。 細い路地を修道院を目指して登っていくのですが、人人人です。近くのガイドさんの話をちらっと耳にしたところ、この状態で少ない方だとか。天気があまり良くなく、ピークの時よりましだそうです。お土産屋さんに入ろうと思っても一苦労です。レストランなんて、まずここで食べようなんて計画していませんでしたし・・・。 フランスのニュースでやっていたのですが、モンサンミシェルの人気が下降気味なんだとか。人が多いのもその理由の一つなのですが、レストランやホテルの異常な料金の高さ（評判もいまいちのようで）。観光地ですからね、当然と言えば当然かもしれませんが。 そこで私達はモンサンミシェルへ行く前にPontorsonという町に寄ってランチをとってきました。 フランス人の間でも評判の良いle Grillonという小さなンホテルレストランです。地元の人がたくさん入っているレストランは安心ですね。座った席の後ろにある部屋で女性２人が休みなくクレープを焼いていました。ボリュームたっぷりで美味しかったですよ（満足）。シードルもお忘れなく。サービスも気さくで良かったです。 Le Grillon  37, rue Couesnon, 50170 Pontorson, France と、私達はここで腹ごしらえをして気合いを入れてモンサンミシェルへ向かいました。モンサンミシェルはすぐそこです。 モンサンミシェルの対岸に到着すると大きなパーキング。ここからまたバスに乗り島へと移動するのですが、予想通りバスを待つ人人人です。バスの中もものすごい混雑。そして島に着いたら着いたで、今度はとにかく階段を登っていかなければならない。出発前のエネルギー補給、かなり重要です！ でも苦労して頂上まで行けば、素晴らしい景色が待っていますよ。これからモンサンミシェルに出発される方、頑張ってくださいね。 モンサンミシェル観光協会]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>いつかは行ってみたいと思いつつ長年実行できなかったモンサンミシェルに行くことに。パリを朝8時に車で出発。しかしパリから離れるにつれて天気が崩り坂。豪雨の中、主人が頑張って運転してくれました。これがノルマンディーの天気らしい・・・。</p>
<p>簡単にモンサンミシェルの歴史を説明すると：</p>
<p>モンサンミシェルと呼ばれるこの島は元はMont Tombe（モン・トンブ/墓の山）と呼ばれていたそうです。ケルト人が信仰する聖地だったのが、708年アヴランシュ司教オベールが大天使ミカエルから夢の中でお告げを受け、礼拝堂を作ったことからカトリックの聖地として信仰されるようになったそうです。</p>
<p>1979年にユネスコ世界遺産に登録。近年は島の周囲が砂州化し国家事業として、かつての島を取り戻す工事が進められています(2015年完成予定)。</p>
<p><img class="alignnone size-medium wp-image-6158" src="/wp-content/uploads/2014/08/DSC00216-300x225.jpg" /></p>
<p><img class="alignnone wp-image-6159" src="/wp-content/uploads/2014/08/DSC_0009-300x200.jpg" /></p>
<p>おそらくフランス人よりも日本人のほうがよく歴史を知っているのではないのでしょうか。モンサンミシェルって日本人にものすごい人気ですよね。私達が訪れた時も、次から次と日本人観光客のグループが・・・。噂には聞いていましたが、こんなに多いとは知らずビックリしました。</p>
<p><img class="alignnone size-full wp-image-6162" src="/wp-content/uploads/2014/08/2014-07-20-13.57.56.jpg" /></p>
<p>細い路地を修道院を目指して登っていくのですが、人人人です。近くのガイドさんの話をちらっと耳にしたところ、この状態で少ない方だとか。天気があまり良くなく、ピークの時よりましだそうです。お土産屋さんに入ろうと思っても一苦労です。レストランなんて、まずここで食べようなんて計画していませんでしたし・・・。</p>
<p>フランスのニュースでやっていたのですが、モンサンミシェルの人気が下降気味なんだとか。人が多いのもその理由の一つなのですが、レストランやホテルの異常な料金の高さ（評判もいまいちのようで）。観光地ですからね、当然と言えば当然かもしれませんが。</p>
<p>そこで私達はモンサンミシェルへ行く前にPontorsonという町に寄ってランチをとってきました。</p>
<p>フランス人の間でも評判の良いle Grillonという小さなンホテルレストランです。地元の人がたくさん入っているレストランは安心ですね。座った席の後ろにある部屋で女性２人が休みなくクレープを焼いていました。ボリュームたっぷりで美味しかったですよ（満足）。シードルもお忘れなく。サービスも気さくで良かったです。</p>
<p><img class="alignnone size-medium wp-image-6164" src="/wp-content/uploads/2014/08/2014-07-20-12.13.50-300x225.jpg" /></p>
<p><img class="alignnone size-medium wp-image-6165" src="/wp-content/uploads/2014/08/2014-07-20-13.09.11-300x225.jpg" /><br />
<strong><a href="http://www.le-grillon-pontorson.com">Le Grillon</a>  <span class="street-address" style="color: #555555;">37, rue Couesnon</span><span style="color: #555555;">, </span><span class="locality" style="color: #555555;">50170 Pontorson</span><span style="color: #555555;">, </span><span class="country-name" style="color: #555555;">France</span></strong></p>
<p>と、私達はここで腹ごしらえをして気合いを入れてモンサンミシェルへ向かいました。モンサンミシェルはすぐそこです。</p>
<p><img class="alignnone size-medium wp-image-6166" src="/wp-content/uploads/2014/08/2014-07-20-14.47.27-300x225.jpg" /></p>
<p><img class="alignnone size-medium wp-image-6168" src="/wp-content/uploads/2014/08/2014-07-20-14.53.56-300x225.jpg" /></p>
<p>モンサンミシェルの対岸に到着すると大きなパーキング。ここからまたバスに乗り島へと移動するのですが、予想通りバスを待つ人人人です。バスの中もものすごい混雑。そして島に着いたら着いたで、今度はとにかく階段を登っていかなければならない。出発前のエネルギー補給、かなり重要です！</p>
<p>でも苦労して頂上まで行けば、素晴らしい景色が待っていますよ。これからモンサンミシェルに出発される方、頑張ってくださいね。</p>
<p><a href="http://www.ot-montsaintmichel.com/index.htm">モンサンミシェル観光協会</a></p>
]]></content:encoded>
			</item>
		<item>
		<title>コティニャック（プロヴァンス）</title>
		<link>/ja/archives/5541</link>
		<pubDate>Sun, 28 Jul 2013 20:13:40 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[Aki]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[フランス観光]]></category>
		<category><![CDATA[プロヴァンス]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://www.nippon.fr/?p=5541</guid>
		<description><![CDATA[Provence-Alpes-Côte d&#8217;Azur（プロヴァンスコートダジュール）地方にある小さな町Cotignacコティニャック。 コートダジュールから少し離れて山の中に位置します。この周辺には小さな町が点在しドライブにも最適。 以前訪れたBesse(ベス)の町も近くにあります。 町に近づくと遠くの山に奇妙な岩肌が見えてきます。ちょっと車を降りて写真撮影。 ちょうどこの日は祝日で町の中はガラーンとしていましたが、それはそれで楽しめてよかったかな。 そしてお目当てのハチミツ屋さんへ。Figaroで紹介されていたお店です。町中のお店は閉まっていましたが、ハチミツ農場は開いていました（車で１５分くらいのところにあります）。 Les ruchers du Bessillon　ホームページ 1870―1890年代にかけて、コティニャック農家の息子Augustin Carmagnolleが野生のミツバチの群れを集め木の幹の中に収容し始めます。少しずつハチの数が増え、養蜂家が本職となっていきました。これがこのお店の起源。1890年からずっと代々家族で経営されているハチミツ屋さんなのです。 ホームページでもたくさん写真で見ることができますが、ものすごいハチミツの種類があります。お店で味見をさせてもらえるので好みの味を探してみてください。ラベンダー、タイム、ローズマリーなど様々。私達のお気に入りはラベンダーのクリーミィタイプ、アカシア、そしてmiel de montage。味が全く違います。お土産にいいですよ。 &#160; さて、静かーな町をとぼとぼ歩いて、先ほど遠くから見えた岩山へと近づいていきます。 見上げるとなんだか崖の至る所にぼこぼこと穴があいていて、よーく見ると建物がくっついているような埋め込まれているような・・・ここには古ーい歴史が存在します。 &#160; コティニャックの歴史 コティニャックの名前は古く1030年から確認されています。フランス言語学者 Albert Dauzatによると、その名前はgallo-romainガロ―ローマン人Cottiniusから来ていると考えられています。 中世封建時代初期には岩のてっぺんに二つの塔が立ちその下に村が作られていましたが、1033年になるとコティニャック城が存在していました。この城はBoniface de Castellane(Castelanne の最初の男爵)が所有。 12世紀に入ると、Saint-André de Villeneuve-lès-Avignon大修道院が教区を治めることになりますが、続いてPignansと呼ばれるコミューン（地方自治体）の教会へと移ります。 その後コティニャック領主の土地はプロヴァンス伯爵の領土となります。 コティニャックの主要な経済はオリーブオイルの生産にあり、歴史的には1660年にルイ14世が行ったNotre Dame de Grâce礼拝堂への巡礼の旅で有名。 階段を上って崖へとアクセスします。ここから見る町の景色もなかなかです。 切り立った崖に窓らしきものが点々と。不思議な光景です。 ドライブのポイントにちょっと立ち寄ってみてはどうでしょうか。 参考サイト： Provence Web Office de Tourisme de Cotignac]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>Provence-Alpes-Côte d&#8217;Azur（プロヴァンスコートダジュール）地方にある小さな町<b>Cotignacコティニャック</b>。<br />
コートダジュールから少し離れて山の中に位置します。この周辺には小さな町が点在しドライブにも最適。</p>
<p>以前訪れた<a href="/ja/archives/3847">Besse(ベス)</a>の町も近くにあります。</p>
<p>町に近づくと遠くの山に奇妙な岩肌が見えてきます。ちょっと車を降りて写真撮影。</p>
<p><img class="alignnone size-medium wp-image-5550" src="/wp-content/uploads/2013/07/P1040597-300x225.jpg" /></p>
<p><img class="alignnone size-medium wp-image-5551" src="/wp-content/uploads/2013/07/P1040600-300x225.jpg" /></p>
<p>ちょうどこの日は祝日で町の中はガラーンとしていましたが、それはそれで楽しめてよかったかな。</p>
<p>そしてお目当てのハチミツ屋さんへ。Figaroで紹介されていたお店です。町中のお店は閉まっていましたが、ハチミツ農場は開いていました（車で１５分くらいのところにあります）。</p>
<p><img class="alignnone size-medium wp-image-5552" src="/wp-content/uploads/2013/07/P1040601-300x225.jpg" /></p>
<p><img class="alignnone size-medium wp-image-5560" src="/wp-content/uploads/2013/07/P1040619-300x225.jpg" /></p>
<p><strong>Les ruchers du Bessillon　<a href="http://www.lesruchersdubessillon.com">ホームページ</a></strong></p>
<p>1870―1890年代にかけて、コティニャック農家の息子Augustin Carmagnolleが野生のミツバチの群れを集め木の幹の中に収容し始めます。少しずつハチの数が増え、養蜂家が本職となっていきました。これがこのお店の起源。1890年からずっと代々家族で経営されているハチミツ屋さんなのです。</p>
<p>ホームページでもたくさん写真で見ることができますが、ものすごいハチミツの種類があります。お店で味見をさせてもらえるので好みの味を探してみてください。ラベンダー、タイム、ローズマリーなど様々。私達のお気に入りはラベンダーのクリーミィタイプ、アカシア、そしてmiel de montage。味が全く違います。お土産にいいですよ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>さて、静かーな町をとぼとぼ歩いて、先ほど遠くから見えた岩山へと近づいていきます。</p>
<p>見上げるとなんだか崖の至る所にぼこぼこと穴があいていて、よーく見ると建物がくっついているような埋め込まれているような・・・ここには古ーい歴史が存在します。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><span style="text-decoration: underline;"><strong>コティニャックの歴史</strong></span></p>
<p>コティニャックの名前は古く1030年から確認されています。フランス言語学者 Albert Dauzatによると、その名前はgallo-romainガロ―ローマン人Cottiniusから来ていると考えられています。</p>
<p>中世封建時代初期には岩のてっぺんに二つの塔が立ちその下に村が作られていましたが、1033年になるとコティニャック城が存在していました。この城はBoniface de Castellane(Castelanne の最初の男爵)が所有。</p>
<p>12世紀に入ると、Saint-André de Villeneuve-lès-Avignon大修道院が教区を治めることになりますが、続いてPignansと呼ばれるコミューン（地方自治体）の教会へと移ります。</p>
<p>その後コティニャック領主の土地はプロヴァンス伯爵の領土となります。</p>
<p>コティニャックの主要な経済はオリーブオイルの生産にあり、歴史的には1660年にルイ14世が行ったNotre Dame de Grâce礼拝堂への巡礼の旅で有名。</p>
<p><img class="alignnone size-medium wp-image-5556" src="/wp-content/uploads/2013/07/P1040614-300x225.jpg" /></p>
<p><img class="alignnone size-medium wp-image-5559" src="/wp-content/uploads/2013/07/P1040618-300x225.jpg" /></p>
<p>階段を上って崖へとアクセスします。ここから見る町の景色もなかなかです。</p>
<p><img class="alignnone size-medium wp-image-5557" src="/wp-content/uploads/2013/07/P1040615-300x225.jpg" /></p>
<p><img class="alignnone size-medium wp-image-5548" src="/wp-content/uploads/2013/07/IMG_0005-300x225.jpg" /></p>
<p>切り立った崖に窓らしきものが点々と。不思議な光景です。</p>
<p><img class="alignnone size-medium wp-image-5554" src="/wp-content/uploads/2013/07/P1040611-300x225.jpg" /></p>
<p><img class="alignnone size-medium wp-image-5555" src="/wp-content/uploads/2013/07/P1040613-300x225.jpg" /></p>
<p>ドライブのポイントにちょっと立ち寄ってみてはどうでしょうか。</p>
<p>参考サイト：</p>
<p><a href="http://www.provenceweb.fr/f/var/cotignac/cotignac.htm">Provence Web</a></p>
<p><a href="http://www.la-provence-verte.net/decouvrir/cotignac.php">Office de Tourisme de Cotignac</a></p>
]]></content:encoded>
			</item>
		<item>
		<title>クリュニー中世美術館</title>
		<link>/ja/archives/5361</link>
		<pubDate>Wed, 30 Jan 2013 13:29:57 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[Aki]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[フランス観光]]></category>
		<category><![CDATA[クリュニー美術館]]></category>
		<category><![CDATA[パリ]]></category>
		<category><![CDATA[中世]]></category>
		<category><![CDATA[美術館]]></category>
		<category><![CDATA[貴婦人と一角獣]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://www.nippon.fr/?p=5361</guid>
		<description><![CDATA[ずっと以前から訪ねてみたいと思っていた美術館。いつもこの近くまで来ていたのですが、入り口が見つけられなかったのです・・・。 大きな通りbd Saint Michelにはショッピングやカフェなどたくさんの人でいつも込み合っていますが、そこでちょっと角を曲がるとひっそりと美術館の入り口がみつかります。ここにあったのかーと、少し感動。 もともとこの場所には１世紀頃ローマ時代の公共浴場があったそうで、その後ブルゴーニュ修道士の邸宅が建てられ、今の美術館へと変移していきます（1843年）。建物の外観がすでに中世の雰囲気を醸し出しています。 美術館は日曜日でしたがそれほど込んでいることもなくガラガラでもなく、スムーズに鑑賞できました。思ったより大きな美術館で見所もたくさんあります。 中世と言えばまず中世の騎士。鉄のヘルメットや剣が展示してあります。こんな重いものを持って振り回していたんですね。マルタ島に行った時にもいろんな形のヘルメットを見ることができましたが、奇妙な形のものはどんな機能があるんだろうといつも不思議に感じてしまいます。観察してみてください。 さて次に私の目にとまったものは、櫛（くし）です。なかなか可愛らしいデザインで現代でも通用しそうな一品です。どんな人が使ってたんでしょうね。想像が広がります。 そして、おしゃれなカップ（左）。足がついています。右の写真はよーく見てもらうと分かると思うのですが、樽の栓がついています。ワインが入っていたのでしょう。これもまたかなりおしゃれなアイディア品です。 中世というと古いイメージですが、とてもカラフルで凝ったものを作っていたんですね。 実用的なものも、現代と通じるものがあり感心しました。水筒やベルト。今とほとんど同じですよね。 こちらは子供用のおもちゃ。ままごとセットと言ったところでしょうか。とてもリアルに作られています。 中世の家のドアにはこんな豪華な鍵がついていたのでしょうか（左）？右は女性の手に注目。キャンドルがのせられるようになっており、これも素敵だと思いませんか。かなり感動したのですが。 書物などもたくさん展示してありますが、その中で見つけた、これは楽譜でしょうか。音符が見られます。とてもカラフルですよね。 見るもの見るもの興味深いものばかりです。 さあ、ここでこの中世美術館での必見作品をご紹介しましょう。 &#160; Christ des Rameaux １５世紀終わりに菩提樹で作られたキリストがエルサレムに入ろうとしている場面を表す作品です。新約聖書によると、イエスは若い雄のロバに乗りエルサレムに入り、群衆が歓呼して迎えたということです。このキリストの移動祝日を正教会では聖枝祭、カトリックでは枝の主日、プロテスタントでは棕櫚の主日と呼び、この祝い事は４世紀頃から行われていたそうです。ちなみにフランス語では le dimanche des Rameauxと呼ばれます。 最初はこのロバに乗ったキリストを山車の上にのせていただけでしたが、１２世紀になりドイツ南部、スイス、あるいはアルザス地方で人々が車輪のついた板に固定する考えを得ます。そうすることによって町の中を引っ張って行進できるようになったのです。特に聖遺物でもなく奇跡的なパワーを持っているわけではないけれど、この新しい発想のおかげでこの彫刻が大変人々の間で人気を博したそうです。 しかしプロテスタントの宗教改革が起こり、カトリックの偶像崇拝を廃止しようとします。そしてたくさんの偶像が焼かれ破壊されてしまったのです。幸運にも難を逃れたものは納屋にしまい込まれ、長い年月をかけ、２００５年にこのクリュニー美術館によって獲得されました。今でもドイツのいくつかの町ではこの車輪のついたキリスト像を引っ張って行進しているそうです。 &#160; La Dame à La Licorne- A Mon Seul Désir さあ、こちらは有名な貴婦人と一角獣です。６枚のタペストリーから構成され、それぞれにテーマが備わっていいます。味覚、聴覚、視覚、嗅覚、触覚とよーく観察してみると人間の五感が現れてきます。１５世紀終わりから１６世紀始めに制作され、１８４１年に発見さました。１８８２年にこの中世博物館に収められることになりましたが、６枚のうち５枚が５感を表しているのだと気づかれたのは１９２１年になってからだそうです（イギリス人中世研究家による）。 では最後の６番目のタペストリーは何を表しているのか？ 唯一この６枚目のみ題字が記してあります。 &#8220;A Mon Seul Désir&#8221; 　私の唯一の願望へ 手にはネックレスを持っているが、それを箱に片付けているのか、身につけようとしているのか？？？ その答えは未だにはっきりとはしていないのですが、１９世紀の初めに二人の歴史家BoudetとGlaezerがある仮定を提示しました。 彼らによると、これらの作品は五感による中世階級に沿っているのだと。つまり、物質的なもの/触覚、味覚からより精神的なもの/嗅覚、聴覚、視覚へと変化していく様だという。そして、その階級の行き着く先とは、もちろんl&#8217;esprit精神である。 貴婦人の手はおそらくネックレス（物質）をまさに放棄しようとしているところなのでしょう。精神という卓越した域に達するために。五感を超えた域です。 しかしながらあくまでも仮定に過ぎません。様々な研究家か様々な仮定をしています。例えば、ある者はそれは愛を示しているのだとか、ある者は精神とは全く逆の肉体的な欲望を表しているのではないかと。 貴婦人のそばに描かれている一角獣つまりユニコーンとは純潔さのシンボルであり、またその角は性的な暗示の働きをしているのだとか。 ちなみにこの美術館にはCorne de Licorneユニコーンの角という作品というかそのままの角が展示してあります。１４世紀のフランス王国では一番貴重な宝として収められていたようです。しかし、ユニコーンとは・・・想像の生き物。実際はこの角はNarval（その名も日本名、一角　イッカク）の角だそうです。 &#160; &#8230; <a href="/ja/archives/5361" class="more-link">Continue reading <span class="screen-reader-text">クリュニー中世美術館</span> <span class="meta-nav">&#8594;</span></a>]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>ずっと以前から訪ねてみたいと思っていた美術館。いつもこの近くまで来ていたのですが、入り口が見つけられなかったのです・・・。</p>
<p>大きな通りbd Saint Michelにはショッピングやカフェなどたくさんの人でいつも込み合っていますが、そこでちょっと角を曲がるとひっそりと美術館の入り口がみつかります。ここにあったのかーと、少し感動。</p>
<p>もともとこの場所には１世紀頃ローマ時代の公共浴場があったそうで、その後ブルゴーニュ修道士の邸宅が建てられ、今の美術館へと変移していきます（1843年）。建物の外観がすでに中世の雰囲気を醸し出しています。</p>
<p>美術館は日曜日でしたがそれほど込んでいることもなくガラガラでもなく、スムーズに鑑賞できました。思ったより大きな美術館で見所もたくさんあります。</p>
<p><img class="alignnone size-full wp-image-5363" src="/wp-content/uploads/2013/01/2013-01-27-15.06.52.jpg" /></p>
<p>中世と言えばまず中世の騎士。鉄のヘルメットや剣が展示してあります。こんな重いものを持って振り回していたんですね。マルタ島に行った時にもいろんな形のヘルメットを見ることができましたが、奇妙な形のものはどんな機能があるんだろうといつも不思議に感じてしまいます。観察してみてください。</p>
<p><img class="alignnone size-medium wp-image-5364" src="/wp-content/uploads/2013/01/2013-01-27-15.17.41-300x225.jpg" /></p>
<p>さて次に私の目にとまったものは、櫛（くし）です。なかなか可愛らしいデザインで現代でも通用しそうな一品です。どんな人が使ってたんでしょうね。想像が広がります。</p>
<p><img class="alignnone size-medium wp-image-5365" src="/wp-content/uploads/2013/01/2013-01-27-15.19.07.jpg" /></p>
<p><img class="alignnone size-medium wp-image-5372" src="/wp-content/uploads/2013/01/2013-01-27-16.10.26-300x225.jpg" /></p>
<p>そして、おしゃれなカップ（左）。足がついています。右の写真はよーく見てもらうと分かると思うのですが、樽の栓がついています。ワインが入っていたのでしょう。これもまたかなりおしゃれなアイディア品です。</p>
<p>中世というと古いイメージですが、とてもカラフルで凝ったものを作っていたんですね。</p>
<p><img class="alignnone size-medium wp-image-5366" src="/wp-content/uploads/2013/01/2013-01-27-15.21.42-300x225.jpg" /></p>
<p><img class="alignnone size-medium wp-image-5374" src="/wp-content/uploads/2013/01/2013-01-27-15.50.57-300x225.jpg" /></p>
<p>実用的なものも、現代と通じるものがあり感心しました。水筒やベルト。今とほとんど同じですよね。</p>
<p><img class="alignnone size-medium wp-image-5367" src="/wp-content/uploads/2013/01/2013-01-27-15.20.30-300x225.jpg" /></p>
<p>こちらは子供用のおもちゃ。ままごとセットと言ったところでしょうか。とてもリアルに作られています。</p>
<p><img class="alignnone size-medium wp-image-5368" src="/wp-content/uploads/2013/01/2013-01-27-15.24.16.jpg" /></p>
<p>中世の家のドアにはこんな豪華な鍵がついていたのでしょうか（左）？右は女性の手に注目。キャンドルがのせられるようになっており、これも素敵だと思いませんか。かなり感動したのですが。</p>
<p><img class="alignnone size-medium wp-image-5377" src="/wp-content/uploads/2013/01/2013-01-27-15.29.26-300x225.jpg" /></p>
<p><img class="alignnone size-medium wp-image-5375" src="/wp-content/uploads/2013/01/2013-01-27-15.37.28.jpg" /></p>
<p>書物などもたくさん展示してありますが、その中で見つけた、これは楽譜でしょうか。音符が見られます。とてもカラフルですよね。<br />
見るもの見るもの興味深いものばかりです。</p>
<p>さあ、ここでこの中世美術館での必見作品をご紹介しましょう。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><strong>Christ des Rameaux</strong></p>
<p><img class="alignnone size-medium wp-image-5370" src="/wp-content/uploads/2013/01/2013-01-27-15.30.30.jpg" /></p>
<p>１５世紀終わりに菩提樹で作られたキリストがエルサレムに入ろうとしている場面を表す作品です。新約聖書によると、イエスは若い雄のロバに乗りエルサレムに入り、群衆が歓呼して迎えたということです。このキリストの移動祝日を正教会では聖枝祭、カトリックでは枝の主日、プロテスタントでは棕櫚の主日と呼び、この祝い事は４世紀頃から行われていたそうです。ちなみにフランス語では le dimanche des Rameauxと呼ばれます。</p>
<p>最初はこのロバに乗ったキリストを山車の上にのせていただけでしたが、１２世紀になりドイツ南部、スイス、あるいはアルザス地方で人々が車輪のついた板に固定する考えを得ます。そうすることによって町の中を引っ張って行進できるようになったのです。特に聖遺物でもなく奇跡的なパワーを持っているわけではないけれど、この新しい発想のおかげでこの彫刻が大変人々の間で人気を博したそうです。</p>
<p>しかしプロテスタントの宗教改革が起こり、カトリックの偶像崇拝を廃止しようとします。そしてたくさんの偶像が焼かれ破壊されてしまったのです。幸運にも難を逃れたものは納屋にしまい込まれ、長い年月をかけ、２００５年にこのクリュニー美術館によって獲得されました。今でもドイツのいくつかの町ではこの車輪のついたキリスト像を引っ張って行進しているそうです。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><strong>La Dame à La Licorne- A Mon Seul Désir</strong></p>
<p><img class="alignnone size-medium wp-image-5371" src="/wp-content/uploads/2013/01/2013-01-27-16.28.09-300x225.jpg" /></p>
<p>さあ、こちらは有名な貴婦人と一角獣です。６枚のタペストリーから構成され、それぞれにテーマが備わっていいます。味覚、聴覚、視覚、嗅覚、触覚とよーく観察してみると人間の五感が現れてきます。１５世紀終わりから１６世紀始めに制作され、１８４１年に発見さました。１８８２年にこの中世博物館に収められることになりましたが、６枚のうち５枚が５感を表しているのだと気づかれたのは１９２１年になってからだそうです（イギリス人中世研究家による）。</p>
<p>では最後の６番目のタペストリーは何を表しているのか？</p>
<p>唯一この６枚目のみ題字が記してあります。</p>
<p>&#8220;A Mon Seul Désir&#8221; 　私の唯一の願望へ</p>
<p>手にはネックレスを持っているが、それを箱に片付けているのか、身につけようとしているのか？？？</p>
<p>その答えは未だにはっきりとはしていないのですが、１９世紀の初めに二人の歴史家BoudetとGlaezerがある仮定を提示しました。</p>
<p>彼らによると、これらの作品は五感による中世階級に沿っているのだと。つまり、物質的なもの/触覚、味覚からより精神的なもの/嗅覚、聴覚、視覚へと変化していく様だという。そして、その階級の行き着く先とは、もちろんl&#8217;esprit精神である。</p>
<p>貴婦人の手はおそらくネックレス（物質）をまさに放棄しようとしているところなのでしょう。精神という卓越した域に達するために。五感を超えた域です。</p>
<p>しかしながらあくまでも仮定に過ぎません。様々な研究家か様々な仮定をしています。例えば、ある者はそれは愛を示しているのだとか、ある者は精神とは全く逆の肉体的な欲望を表しているのではないかと。</p>
<p>貴婦人のそばに描かれている一角獣つまりユニコーンとは純潔さのシンボルであり、またその角は性的な暗示の働きをしているのだとか。</p>
<p>ちなみにこの美術館にはCorne de Licorneユニコーンの角という作品というかそのままの角が展示してあります。１４世紀のフランス王国では一番貴重な宝として収められていたようです。しかし、ユニコーンとは・・・想像の生き物。実際はこの角はNarval（その名も日本名、一角　イッカク）の角だそうです。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><strong>Musée de Cluny-National Museum of the Middle Ages</strong></p>
<p>6 place Paul-Painlevé 75005 Pairs<br />
Métro 10番線 Cluny-la Sorbonne<br />
Open: 9:00am-5:45pm 火曜休館</p>
<p><a href="http://www.musee-moyenage.fr">公式サイト</a></p>
<p>中世の歴史の好きな人にはかなり面白いミステリーがたくさん詰まった美術館です。</p>
<p>ここに載せた情報はd&#8217;Art d&#8217;Artといういろんな美術作品をまとめた本から翻訳してみました。フランス語のできる方、おすすめの一冊です！</p>
]]></content:encoded>
			</item>
		<item>
		<title>グラナム遺跡（プロヴァンス）</title>
		<link>/ja/archives/5159</link>
		<pubDate>Sat, 11 Aug 2012 19:18:29 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[Aki]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[フランス観光]]></category>
		<category><![CDATA[ガリア人]]></category>
		<category><![CDATA[プロヴァンス]]></category>
		<category><![CDATA[南仏]]></category>
		<category><![CDATA[遺跡]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://www.nippon.fr/?p=5159</guid>
		<description><![CDATA[夏のヴァカンスでプロヴァンス滞在中、どこかにドライブに行こうということになりました。まだ行ったことのない所に連れて行ってあげようと義理の両親が提案。グラナム遺跡と呼ばれる場所に出かけてきました。 遺跡を見る前にまずは歴史を整理しておきましょう！ &#160; 紀元前のプロヴァンス地方の歴史： 青銅器時代—鉄器時代（紀元前１２００—紀元前５００年） ケルト人が中部ヨーロッパに広まる。ギリシャからの影響などを受け文化が発展。鉄製武器を身に付けヨーロッパ各地で活動。 紀元前６００年頃 植民市マッサリア(マルセイユ)が古代ギリシャ船乗りのボカイア人によって築かれる。 紀元前３００—２００年 さらにマッサリアはポエニ戦争でローマ側につきカルタゴと戦う。 紀元前１００ ゲルマン人に追われたケルト人(ガリア人またはゴール人)は西フランスとスペインに移動。のちローマのカエサルらによって征服される(カエサルのガリア戦記が有名)。地中海沿いの地域はアウグストゥスの時代にはガリア・ナルボネンシスという名前で呼ばれるようになる（もちろんこの地方にはギリシャ人も多く住んでいた)。ちなみにこのガリア人たちは中世にゲルマン系のフランク人に吸収されフランス人に同化していく。 &#160; このように、ヨーロッパは様々な民族が移動することによってそれぞれの国が少しずつ形成されていきます。プロヴァンス地方も同様に、ケルト人の一派ガリア人、ギリシャ人、ローマ人とさまざまな影響を受けているということをまずは理解しなければ、遺跡の面白さがつかめません。 &#160; それではグラナム遺跡に向かってみましょう。 まずは駐車場のすぐそばに立つ大きな遺跡が２つ。まず１つ目は凱旋門。 そしてこちら紀元前２５年に建てられたという霊廟。皇帝アウグストゥスの二人の孫のための記念碑だそうです。 紀元前ですよ！ &#160; 道を渡って反対側に移り少し歩くと遺跡への入り口があります。ここで入場券(大人7,50ユーロ)を買って中に進んでいきます。お土産物も売っているので見学の後にでも見てみるといいですね。入り口も出口も同じ所を通ります。 &#160; この地にケルト人が定住したのは紀元前７または８世紀頃と言われます。 ケルト神Glanとお供の女神が病回復に効果のあるという水源近くに住み始めたことが、このグラナムの起源となっています。この水源の噂は広まり、その水を求めてたくさんの巡礼者がこの集落を訪れました。 写真にある石の台は、身体障害者のために作られたものです。体が不自由で階段を降りられない人はこの台に寝転がり、ありがたい水を体にかけてもらったそうです。 そしてその効果を得られた裕福な者は右の写真のようにお礼の石碑を建てました。さらに裕福な者(この地域を支配する者)は水源のそばに神殿を建てました(左写真)。 集落で何かを決定する際に使われた広場。ここで決めごとの賛成反対を多数決で決めたそうです。手に石の玉をを持って中央にある石つぼの中にそっと入れて取り決めたそうです。 こちら集落に存在した肉屋さん(左)とオリーブ油のお店(右)の跡です。当時は冷蔵庫もなく、お肉の腐敗も早かったそうです(当たり前ですが)。お肉はお祭り事などの際に食されていました。このレ・ボー・ド・プロヴァンスにはオリーブの木が一帯に広がっていますが、昔からオリーブオイルはあったんですね。なるほどーとうなずきながらガイドさんの話に聞き入っていました。 共同浴場跡。左手には水が溜めてあり(プール)、右手には３つの部屋が設けられていました。一つ目は暑い部屋、二つ目は暖かい部屋、次が冷たい部屋。まずは体にオリーブオイルをかけ、建物の前にある広場で体を鍛えるためのトレーニングをします。すると体は砂だらけになりますね。その状態で暖かく保たれている部屋に入り、オイルと砂と一緒にむだ毛の処理をしてもらい、強いマッサージを受けます。次に暑い部屋に入って汗をかき、さらに暖かい部屋で軽いマッサージを受けます。仕上げは再度暑い部屋で汗をかいた後に冷たい部屋に入る。夏の時期などはその代わりにプールに入ったようです。 と、ガイドさんが一般的な共同浴場の利用の仕方を説明してくれました。 さてこちらの壁は三段階構成になっています。一番元になっているのがガリア人作、その上にギリシャ人、ローマ人と手法が変わっているのが分かります。 最後は、比較的裕福な家の 遺跡です。家の中央には水が溜めてあり、太陽の光が反射して家の中が明るくなるように工夫してあったようです。この周りにいくつかの部屋が囲むように並んでいるのが特徴的です。このように水が豊富にあるため、集落の外まで出かけなくても家でトイレができたそうです。家の一角には奴隷たちの部屋もありました。奴隷と行っても、家族の一員のようなものです。昔の人の知恵はすばらしい！ 他にもたくさん興味深い遺跡が保存されています。フランス語ができればガイドさんが詳しく説明してくれます。何人かのガイドさんがいるようでしたが、私たちのあたったガイドさんはなかなか説明がうまく、図などを使って面白く話してくれました。 &#160; 所在地 Site archéologique de Glanum Route des Baux-de-Provence 13210 Saint-Rémy-de-provence &#160; 夏に訪れる際には帽子をお忘れなく。日陰がないため、かなり暑いです！　近くには レ・ボー・ド・プロヴァンスもあるので寄ってみてはどうでしょうか。]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>夏のヴァカンスでプロヴァンス滞在中、どこかにドライブに行こうということになりました。まだ行ったことのない所に連れて行ってあげようと義理の両親が提案。<strong>グラナム遺跡</strong>と呼ばれる場所に出かけてきました。</p>
<p>遺跡を見る前にまずは歴史を整理しておきましょう！</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><strong>紀元前のプロヴァンス地方の歴史</strong>：</p>
<p>青銅器時代—鉄器時代（紀元前１２００—紀元前５００年）<br />
ケルト人が中部ヨーロッパに広まる。ギリシャからの影響などを受け文化が発展。鉄製武器を身に付けヨーロッパ各地で活動。</p>
<p>紀元前６００年頃<br />
植民市マッサリア(マルセイユ)が古代ギリシャ船乗りのボカイア人によって築かれる。</p>
<p>紀元前３００—２００年<br />
さらにマッサリアはポエニ戦争でローマ側につきカルタゴと戦う。</p>
<p>紀元前１００<br />
ゲルマン人に追われたケルト人(ガリア人またはゴール人)は西フランスとスペインに移動。のちローマのカエサルらによって征服される(カエサルのガリア戦記が有名)。地中海沿いの地域はアウグストゥスの時代にはガリア・ナルボネンシスという名前で呼ばれるようになる（もちろんこの地方にはギリシャ人も多く住んでいた)。ちなみにこのガリア人たちは中世にゲルマン系のフランク人に吸収されフランス人に同化していく。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このように、ヨーロッパは様々な民族が移動することによってそれぞれの国が少しずつ形成されていきます。プロヴァンス地方も同様に、ケルト人の一派ガリア人、ギリシャ人、ローマ人とさまざまな影響を受けているということをまずは理解しなければ、遺跡の面白さがつかめません。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>それではグラナム遺跡に向かってみましょう。</p>
<p><img class="alignnone size-medium wp-image-5162" title="" src="/wp-content/uploads/2012/08/P1030180-300x225.jpg" /></p>
<p><img class="alignnone size-medium wp-image-5165" title="" src="/wp-content/uploads/2012/08/P1040377-300x225.jpg" /><br />
まずは駐車場のすぐそばに立つ大きな遺跡が２つ。まず１つ目は凱旋門。</p>
<p><img class="alignnone size-medium wp-image-5164" title="" src="/wp-content/uploads/2012/08/P1040372-300x225.jpg" /></p>
<p><img class="alignnone size-medium wp-image-5163" title="" src="/wp-content/uploads/2012/08/P1030187-300x225.jpg" /><br />
そしてこちら紀元前２５年に建てられたという霊廟。皇帝アウグストゥスの二人の孫のための記念碑だそうです。<br />
紀元前ですよ！</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>道を渡って反対側に移り少し歩くと遺跡への入り口があります。ここで入場券(大人7,50ユーロ)を買って中に進んでいきます。お土産物も売っているので見学の後にでも見てみるといいですね。入り口も出口も同じ所を通ります。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><img class="alignnone size-medium wp-image-5167" title="" src="/wp-content/uploads/2012/08/P1030191-300x225.jpg" /></p>
<p><img class="alignnone size-medium wp-image-5168" title="" src="/wp-content/uploads/2012/08/P1030192-300x225.jpg" /><br />
この地にケルト人が定住したのは紀元前７または８世紀頃と言われます。</p>
<p><img class="alignnone size-medium wp-image-5172" title="" src="/wp-content/uploads/2012/08/P1030199-225x300.jpg" /></p>
<p><img class="alignnone size-medium wp-image-5180" title="" src="/wp-content/uploads/2012/08/P1040386-300x225.jpg" /><br />
ケルト神Glanとお供の女神が病回復に効果のあるという水源近くに住み始めたことが、このグラナムの起源となっています。この水源の噂は広まり、その水を求めてたくさんの巡礼者がこの集落を訪れました。</p>
<p><img class="alignnone size-medium wp-image-5173" title="" src="/wp-content/uploads/2012/08/P1030203-300x225.jpg" /><br />
写真にある石の台は、身体障害者のために作られたものです。体が不自由で階段を降りられない人はこの台に寝転がり、ありがたい水を体にかけてもらったそうです。</p>
<p><img class="alignnone size-medium wp-image-5174" title="" src="/wp-content/uploads/2012/08/P1030204-300x225.jpg" /></p>
<p><img class="alignnone size-medium wp-image-5178" title="" src="/wp-content/uploads/2012/08/P1040392-300x225.jpg" /><br />
そしてその効果を得られた裕福な者は右の写真のようにお礼の石碑を建てました。さらに裕福な者(この地域を支配する者)は水源のそばに神殿を建てました(左写真)。</p>
<p><img class="alignnone size-medium wp-image-5175" title="" src="/wp-content/uploads/2012/08/P1030209-300x225.jpg" /></p>
<p><img class="alignnone size-medium wp-image-5179" title="" src="/wp-content/uploads/2012/08/P1040394-300x225.jpg" /><br />
集落で何かを決定する際に使われた広場。ここで決めごとの賛成反対を多数決で決めたそうです。手に石の玉をを持って中央にある石つぼの中にそっと入れて取り決めたそうです。</p>
<p><img class="alignnone size-medium wp-image-5181" title="" src="/wp-content/uploads/2012/08/P1040399-300x225.jpg" /></p>
<p><img class="alignnone size-medium wp-image-5182" title="" src="/wp-content/uploads/2012/08/P1040400-300x225.jpg" /><br />
こちら集落に存在した肉屋さん(左)とオリーブ油のお店(右)の跡です。当時は冷蔵庫もなく、お肉の腐敗も早かったそうです(当たり前ですが)。お肉はお祭り事などの際に食されていました。このレ・ボー・ド・プロヴァンスにはオリーブの木が一帯に広がっていますが、昔からオリーブオイルはあったんですね。なるほどーとうなずきながらガイドさんの話に聞き入っていました。</p>
<p><img class="alignnone size-medium wp-image-5176" title="" src="/wp-content/uploads/2012/08/P1030216-300x225.jpg" /></p>
<p><img class="alignnone size-medium wp-image-5177" title="" src="/wp-content/uploads/2012/08/P1030217-300x225.jpg" /><br />
共同浴場跡。左手には水が溜めてあり(プール)、右手には３つの部屋が設けられていました。一つ目は暑い部屋、二つ目は暖かい部屋、次が冷たい部屋。まずは体にオリーブオイルをかけ、建物の前にある広場で体を鍛えるためのトレーニングをします。すると体は砂だらけになりますね。その状態で暖かく保たれている部屋に入り、オイルと砂と一緒にむだ毛の処理をしてもらい、強いマッサージを受けます。次に暑い部屋に入って汗をかき、さらに暖かい部屋で軽いマッサージを受けます。仕上げは再度暑い部屋で汗をかいた後に冷たい部屋に入る。夏の時期などはその代わりにプールに入ったようです。</p>
<p>と、ガイドさんが一般的な共同浴場の利用の仕方を説明してくれました。</p>
<p><img class="alignnone size-medium wp-image-5189" title="" src="/wp-content/uploads/2012/08/P1040397-300x225.jpg" /><br />
さてこちらの壁は三段階構成になっています。一番元になっているのがガリア人作、その上にギリシャ人、ローマ人と手法が変わっているのが分かります。</p>
<p><img class="alignnone size-medium wp-image-5190" title="" src="/wp-content/uploads/2012/08/P1040405-300x225.jpg" /><br />
最後は、比較的裕福な家の 遺跡です。家の中央には水が溜めてあり、太陽の光が反射して家の中が明るくなるように工夫してあったようです。この周りにいくつかの部屋が囲むように並んでいるのが特徴的です。このように水が豊富にあるため、集落の外まで出かけなくても家でトイレができたそうです。家の一角には奴隷たちの部屋もありました。奴隷と行っても、家族の一員のようなものです。昔の人の知恵はすばらしい！</p>
<p>他にもたくさん興味深い遺跡が保存されています。フランス語ができればガイドさんが詳しく説明してくれます。何人かのガイドさんがいるようでしたが、私たちのあたったガイドさんはなかなか説明がうまく、図などを使って面白く話してくれました。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>所在地</p>
<p><strong>Site archéologique de Glanum</strong><br />
Route des Baux-de-Provence<br />
13210 Saint-Rémy-de-provence</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>夏に訪れる際には帽子をお忘れなく。日陰がないため、かなり暑いです！　近くには <a href="/ja/archives/303">レ・ボー・ド・プロヴァンス</a>もあるので寄ってみてはどうでしょうか。</p>
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