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	<title>パリ郊外 &#8211; Le vrai Japon. フランス発見 | Nippon.fr</title>
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		<title>モンフォール ラモリ</title>
		<link>/ja/archives/3802</link>
		<pubDate>Sun, 19 Dec 2010 21:06:09 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[Aki]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[フランス観光]]></category>
		<category><![CDATA[Monfort l'Amaury]]></category>
		<category><![CDATA[パリ郊外]]></category>

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		<description><![CDATA[Montfort-l&#8217;Amaury　モンフォール ラモリの位置： イル・ド・フランスにあるYvelines県の村。パリの南西部に位置し、モンパルナス駅から毎時一本電車が出ています。Dreux行きの電車でMontfort-L&#8217;Amaury Mere駅下車。そこから村まで一本道でまっすぐ。私の場合は友達が住んでいるので迎えに来てもらえましたが、歩いてでも行けなくはないと（2~3km）。Rambouillet Forestが隣接しハイキングにも人気。 モンフォール ラモリの歴史： 町の名前は、The Comtes de Montfort（モンフォール伯爵）初代王家、Amaury I de Montfort（モンフォール アモリ1世）から来ています。この場所は、9世紀の初めからモンフォール家の要塞として存在し、Amaury I（アモリ1世）が城壁を築きました。さらにKing Robert IIが996年にモンフォールの丘に城を築きましたが、100年戦争の間イギリスによって破壊されてしまいます。モンフォール伯爵家は1294年にArthur of Brittany（ブリタニ アーサー）とYolande de Dreux-Montfort（ドゥリュ－モンフォールヨランド）との結婚によりブリタニ公国（フランス語名ブルターニュ公国）とつながりを持ちますが、ブルターニュがフランソワ1世（1494~1547）の治世にフランスの一部になった際、王位はフランスに戻されます。 村の丘の頂上に立つ城砦跡。 （こちらの写真は、天気が悪くうまく写真が撮れなかったので、ウィキペディアより拝借） 観光スポット： Eglise Sait-Pierre 11世紀の中頃に教会の建築が始まり、15世紀の終わりまで存続します。 その後、1491年、la reine Anne de Bretagne（ブルターニュ アンヌ女王）が新しい教会の建設を計画し、もともとゴシック様式だったものが、ルネッサンス様式に取って代わることになります。教会の前は広場になっており、お店が立ち並びます。小さいながら観光客がたくさん訪れていました。 教会の周辺をぶらぶらと散策してみましょう。なかなかの雰囲気があっていいですよ。 教会正面を左に曲がって通りに入ると、ツーリストオフィスがあり、そこを通り過ぎると正面に墓地が現れます。修道院のような回廊が走っていてますが周りはお墓だらけ。この墓地の上から教会を眺めることができます。 Maurice Ravel（モーリス ラヴェル1875~1937）が晩年を過ごした家： 墓地を横切って教会と反対側に出ると、音楽家として有名なモーリス ラヴェル（バレエ音楽『ボレロ』の作曲者）が住んでいた家が見えてきます。音楽には疎く、よく知らなかったのですが『ボレロ』と言えばとても有名。また調べたところ『展覧会の絵』をムソルグスキーのピアノ曲から管弦楽曲に編曲したのもモーリス ラヴェル。どちらも素晴らしい作品。一度聞いたら頭から離れませんね。いつもこれらの曲を聴くたび、すごくかっこいい！なんて思っていました。そんな偉大な人物がこんな小さな村に住んでいたなんて驚きです。 Les Journees Ravel Monnfort l&#8217;Amaury そしてその手前にある階段小道を降りて行きます。 さあ、ここからハイキングへ。 夏のハイキングもいいですが、冬の散歩もなかなかすがすがしくて気持ちがいいですよ(道はちょっと悪いですが）。空気も水も透き通っています。 冬は日が沈むのが早く 、帰りの距離を計算して歩かないといけませんね。ここからForet Domaniale de &#8230; <a href="/ja/archives/3802" class="more-link">Continue reading <span class="screen-reader-text">モンフォール ラモリ</span> <span class="meta-nav">&#8594;</span></a>]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p><strong>Montfort-l&#8217;Amaury　モンフォール ラモリの位置：</strong></p>
<p>イル・ド・フランスにあるYvelines県の村。パリの南西部に位置し、モンパルナス駅から毎時一本電車が出ています。Dreux行きの電車でMontfort-L&#8217;Amaury Mere駅下車。そこから村まで一本道でまっすぐ。私の場合は友達が住んでいるので迎えに来てもらえましたが、歩いてでも行けなくはないと（2~3km）。Rambouillet Forestが隣接しハイキングにも人気。</p>
<p><strong>モンフォール ラモリの歴史：</strong></p>
<p>町の名前は、The Comtes de Montfort（モンフォール伯爵）初代王家、Amaury I de Montfort（モンフォール アモリ1世）から来ています。この場所は、9世紀の初めからモンフォール家の要塞として存在し、Amaury I（アモリ1世）が城壁を築きました。さらにKing Robert IIが996年にモンフォールの丘に城を築きましたが、100年戦争の間イギリスによって破壊されてしまいます。モンフォール伯爵家は1294年にArthur of Brittany（ブリタニ アーサー）とYolande de Dreux-Montfort（ドゥリュ－モンフォールヨランド）との結婚によりブリタニ公国（フランス語名ブルターニュ公国）とつながりを持ちますが、ブルターニュがフランソワ1世（1494~1547）の治世にフランスの一部になった際、王位はフランスに戻されます。</p>
<p><img class="alignnone size-full wp-image-3805" title="Montfort l'Amaury" src="/wp-content/uploads/2010/12/250px-Montfort-lAmaury_Donjon.jpg" /><br />
村の丘の頂上に立つ城砦跡。 （こちらの写真は、天気が悪くうまく写真が撮れなかったので、ウィキペディアより拝借）</p>
<p><strong>観光スポット：</strong></p>
<p><strong><span style="text-decoration: underline;">Eglise Sait-Pierre</span></strong></p>
<p><img class="alignnone size-full wp-image-3806" title="eglise saint pierre" src="/wp-content/uploads/2010/12/P1030236-320x200.jpg" /></p>
<p><img class="alignnone size-full wp-image-3807" title="montfort l'amaury" src="/wp-content/uploads/2010/12/P1030237-320x200.jpg" /></p>
<p>11世紀の中頃に教会の建築が始まり、15世紀の終わりまで存続します。 その後、1491年、la reine Anne de Bretagne（ブルターニュ アンヌ女王）が新しい教会の建設を計画し、もともとゴシック様式だったものが、ルネッサンス様式に取って代わることになります。教会の前は広場になっており、お店が立ち並びます。小さいながら観光客がたくさん訪れていました。</p>
<p><img class="alignnone size-full wp-image-3810" title="montfort l'amaury" src="/wp-content/uploads/2010/12/P1030241-320x200.jpg" /></p>
<p><img class="alignnone size-full wp-image-3812" title="montfort l'amaury" src="/wp-content/uploads/2010/12/P1030242-320x200.jpg" /></p>
<p>教会の周辺をぶらぶらと散策してみましょう。なかなかの雰囲気があっていいですよ。</p>
<p><img class="alignnone size-full wp-image-3813" title="montfort l'amaury" src="/wp-content/uploads/2010/12/P1030238-320x200.jpg" /></p>
<p><img class="alignnone size-full wp-image-3815" title="montfort l'amaury" src="/wp-content/uploads/2010/12/P1030240-320x200.jpg" /></p>
<p>教会正面を左に曲がって通りに入ると、ツーリストオフィスがあり、そこを通り過ぎると正面に墓地が現れます。修道院のような回廊が走っていてますが周りはお墓だらけ。この墓地の上から教会を眺めることができます。</p>
<p><strong><span style="text-decoration: underline;">Maurice Ravel（モーリス ラヴェル1875~1937）が晩年を過ごした家：</span></strong></p>
<p><img class="alignnone size-full wp-image-3808" title="Ravel" src="/wp-content/uploads/2010/12/300px-Montfort-lAmaury_Maison_Ravel.jpg" /></p>
<p><img class="alignnone size-full wp-image-3816" title="montfort l'amaury" src="/wp-content/uploads/2010/12/P1030244-320x200.jpg" /></p>
<p>墓地を横切って教会と反対側に出ると、音楽家として有名なモーリス ラヴェル（バレエ音楽『ボレロ』の作曲者）が住んでいた家が見えてきます。音楽には疎く、よく知らなかったのですが『ボレロ』と言えばとても有名。また調べたところ『展覧会の絵』をムソルグスキーのピアノ曲から管弦楽曲に編曲したのもモーリス ラヴェル。どちらも素晴らしい作品。一度聞いたら頭から離れませんね。いつもこれらの曲を聴くたび、すごくかっこいい！なんて思っていました。そんな偉大な人物がこんな小さな村に住んでいたなんて驚きです。</p>
<p><a href="http://www.lesjourneesravel.com/">Les Journees Ravel Monnfort l&#8217;Amaury</a></p>
<p>そしてその手前にある階段小道を降りて行きます。</p>
<p>さあ、ここからハイキングへ。</p>
<p><img class="alignnone size-full wp-image-3818" title="hiking" src="/wp-content/uploads/2010/12/P1030245-320x200.jpg" /></p>
<p><img class="alignnone size-full wp-image-3820" title="hiking" src="/wp-content/uploads/2010/12/P1030247-320x200.jpg" /></p>
<p><img class="alignnone size-full wp-image-3823" title="hiking" src="/wp-content/uploads/2010/12/P1030250-320x200.jpg" /></p>
<p>夏のハイキングもいいですが、冬の散歩もなかなかすがすがしくて気持ちがいいですよ(道はちょっと悪いですが）。空気も水も透き通っています。</p>
<p><img class="alignnone size-full wp-image-3824" title="hiking" src="/wp-content/uploads/2010/12/P1030251-320x200.jpg" /></p>
<p><img class="alignnone size-full wp-image-3825" title="hiking" src="/wp-content/uploads/2010/12/P1030252-320x200.jpg" /></p>
<p><img class="alignnone size-full wp-image-3826" title="hiking" src="/wp-content/uploads/2010/12/P1030253-320x200.jpg" /></p>
<p>冬は日が沈むのが早く 、帰りの距離を計算して歩かないといけませんね。ここからForet Domaniale de Rambouillet（ランブイエの森）です。</p>
<p><img class="alignnone size-full wp-image-3827" title="hiking" src="/wp-content/uploads/2010/12/P1030254-320x200.jpg" /></p>
<p><img class="alignnone size-full wp-image-3828" title="hiking" src="/wp-content/uploads/2010/12/P1030255-320x200.jpg" /></p>
<p><img class="alignnone size-full wp-image-3829" title="hiking" src="/wp-content/uploads/2010/12/P1030256-320x200.jpg" /></p>
<p>しばらくすると湖が見えてきます。この日は湖全体が凍っていました。</p>
<p><img class="alignnone size-full wp-image-3830" title="hiking" src="/wp-content/uploads/2010/12/P1030257-320x200.jpg" /></p>
<p><img class="alignnone size-full wp-image-3831" title="hiking" src="/wp-content/uploads/2010/12/P1030258-320x200.jpg" /></p>
<p>最後にパノラマ！</p>
<p>パリから電車で40分ほどの場所に位置するので、いつでも気軽に行けそうです。今度は夏に訪れてみたいと思っています。</p>
<p><strong>モンフォールラモリ　<a href="http://www.ville-montfort-l-amaury.fr/">オフィシャルサイト </a></strong></p>
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			</item>
		<item>
		<title>アルベール・カーン博物館/庭園</title>
		<link>/ja/archives/3311</link>
		<pubDate>Sun, 05 Sep 2010 16:37:19 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[Aki]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[フランス観光]]></category>
		<category><![CDATA[アルベール・カーン]]></category>
		<category><![CDATA[パリ郊外]]></category>
		<category><![CDATA[日本庭園]]></category>

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		<description><![CDATA[天気のよい9月の第1日曜日。今日は美術館や博物館が無料の日！お昼からブローニュにあるアルベール・カーン庭園へ足を運ぶことに。 アルベール・カーン（Albert Kahn 1860~1940）という人物は南アフリカの金鉱とダイヤモンド鉱への投資で成功し、自らの銀行を設立。その後「地球映像資料館」を設立し、世界中50カ国に写真家を派遣し多くのカラー写真やフィルムの撮影をしました。しかしながら1929年に起きた世界恐慌で破産してしまい、映像資料館は買い取られ、現在このアルベール・カーン博物館でそれらの貴重な写真が見られるそうです（私が訪れた日は改装中のようでした）。また彼は日本との関係もあります。銀行を設立した当初、急激に発展を進める日本に投資をし成功を収めました。明治時代の渋沢栄一と交友もあったそうです。 アルベール・カーン庭園 そんな日本との関係もあり、庭園には日本庭園が設けられています。ブローニュの森南西に位置する一角にこんな日本の景色が見られるとはちょっとビックリ。 まずは入り口から右手に向かって歩き始めました。するといきなり日本の伝統的家屋が立ち並び、日本人にとってはなつかしい風景が目に飛び込んできます。 Village Japonais（日本の村） 建物は全て日本から送られてきたものだそうです。屋根の修復が必要らしく2011年から工事が始まるようです。 砂まできちんとアレンジされているのには驚きました。これがきっと日本のイメージなんでしょうね。 Jardin Anglais（イギリス庭園） 大きな池が広がり、雰囲気がまったく違います。 Foret（森） イギリス庭園を抜けるとそこからは森が広がります。小道があちこちと連なり、どんどん歩いて行きます。結構広いですよ。 都会にいることを忘れそうな空間です。 Jardin Francais（フランス庭園） 綺麗に区画分けされたフランス庭園。日本庭園とは対照的です。バラ（ちょっとシーズンが遅かったかな9月だと）や果物がたくさんなっていました。 温室もありましたが残念ながらこの日は閉まっていました。また次回に。 Jardin Japonais（日本庭園） そして最後にたどり着いたのが日本庭園（このお隣が出発点だったVillage Japonaisです）。 池には錦鯉がたくさん泳いでいました。こども達がえさをやって喜んでいます。あ、おじさんも喜んでいました。 お昼過ぎすぐに行ったので人もまばらでしたが、だんだん人も時間がたつに連れて増えてきました。特に第一日曜日だったからかな。お散歩がてらに出かけてみてはいかがでしょうか。パリではなくパリのお隣ブローニュ市の中にある日本発見です。 アルベール・カーン博物館/庭園への行き方 Albert-Kahn, Musée et Jardins Service des Publics 10-14, rue du Port 92100 Boulogne メトロ10番線Boulogne-Pont de Saint Cloud（10番線の終点です）　庭園はメトロから歩いてすぐ。 バス72番（Hotel de Ville やLovreから）、52番（Operaから）　同じくBoulogne-Pont de Saint Cloudで止まります。 アルベール・カーン博物館/庭園　オフィシャルサイト 入場料金　1,5ユーロ　月曜休館]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>天気のよい9月の第1日曜日。今日は美術館や博物館が無料の日！お昼からブローニュにあるアルベール・カーン庭園へ足を運ぶことに。</p>
<p><span style="text-decoration: underline;"><strong>アルベール・カーン</strong></span>（Albert Kahn 1860~1940）という人物は南アフリカの金鉱とダイヤモンド鉱への投資で成功し、自らの銀行を設立。その後「地球映像資料館」を設立し、世界中50カ国に写真家を派遣し多くのカラー写真やフィルムの撮影をしました。しかしながら1929年に起きた世界恐慌で破産してしまい、映像資料館は買い取られ、現在このアルベール・カーン博物館でそれらの貴重な写真が見られるそうです（私が訪れた日は改装中のようでした）。また彼は日本との関係もあります。銀行を設立した当初、急激に発展を進める日本に投資をし成功を収めました。明治時代の渋沢栄一と交友もあったそうです。</p>
<p><span style="text-decoration: underline;"><strong>アルベール・カーン庭園</strong></span><br />
そんな日本との関係もあり、庭園には日本庭園が設けられています。ブローニュの森南西に位置する一角にこんな日本の景色が見られるとはちょっとビックリ。</p>
<p>まずは入り口から右手に向かって歩き始めました。するといきなり日本の伝統的家屋が立ち並び、日本人にとってはなつかしい風景が目に飛び込んできます。</p>
<p><strong>Village Japonais（日本の村）</strong></p>
<p><img class="alignnone size-full wp-image-3313" title="village Japonais" src="/wp-content/uploads/2010/09/P1020790-320x200.jpg" /></p>
<p><img class="alignnone size-full wp-image-3314" title="Village Japonais" src="/wp-content/uploads/2010/09/P1020792-320x200.jpg" /></p>
<p><img class="alignnone size-full wp-image-3315" title="Village Japonais" src="/wp-content/uploads/2010/09/P1020795-320x200.jpg" /></p>
<p>建物は全て日本から送られてきたものだそうです。屋根の修復が必要らしく2011年から工事が始まるようです。</p>
<p><img class="alignnone size-full wp-image-3316" title="Village Japonais" src="/wp-content/uploads/2010/09/P1020793-320x200.jpg" /></p>
<p><img class="alignnone size-full wp-image-3317" title="Village Japonais" src="/wp-content/uploads/2010/09/P1020794-320x200.jpg" /></p>
<p><img class="alignnone size-full wp-image-3318" title="Village Japonais" src="/wp-content/uploads/2010/09/P1020797-320x200.jpg" /></p>
<p>砂まできちんとアレンジされているのには驚きました。これがきっと日本のイメージなんでしょうね。</p>
<p><strong>Jardin Anglais（イギリス庭園）</strong></p>
<p><img class="alignnone size-full wp-image-3319" title="Jardin Anglais" src="/wp-content/uploads/2010/09/P1020801-320x200.jpg" /></p>
<p><img class="alignnone size-full wp-image-3320" title="Jardin Anglais" src="/wp-content/uploads/2010/09/P1020803-320x200.jpg" /></p>
<p><img class="alignnone size-full wp-image-3321" title="Jardin Anglais" src="/wp-content/uploads/2010/09/P1020804-320x200.jpg" /></p>
<p>大きな池が広がり、雰囲気がまったく違います。</p>
<p><strong>Foret（森）</strong></p>
<p><img class="alignnone size-full wp-image-3322" title="Foret" src="/wp-content/uploads/2010/09/P1020808-320x200.jpg" /></p>
<p><img class="alignnone size-full wp-image-3323" title="Foret" src="/wp-content/uploads/2010/09/P1020811-320x200.jpg" /></p>
<p><img class="alignnone size-full wp-image-3324" title="Foret" src="/wp-content/uploads/2010/09/P1020813-320x200.jpg" /></p>
<p>イギリス庭園を抜けるとそこからは森が広がります。小道があちこちと連なり、どんどん歩いて行きます。結構広いですよ。</p>
<p><img class="alignnone size-full wp-image-3325" title="Foret" src="/wp-content/uploads/2010/09/P1020818-320x200.jpg" /></p>
<p><img class="alignnone size-full wp-image-3326" title="Foret" src="/wp-content/uploads/2010/09/P1020825-320x200.jpg" /></p>
<p><img class="alignnone size-full wp-image-3327" title="Foret" src="/wp-content/uploads/2010/09/P1020827-320x200.jpg" /></p>
<p>都会にいることを忘れそうな空間です。</p>
<p><strong>Jardin Francais（フランス庭園）</strong></p>
<p><img class="alignnone size-full  wp-image-3331" title="Jardin Francais" src="/wp-content/uploads/2010/09/P1020865-320x200.jpg" /></p>
<p><img class="alignnone size-full wp-image-3328" title="Jardin Francais" src="/wp-content/uploads/2010/09/P1020831-320x200.jpg" /></p>
<p><img class="alignnone size-full wp-image-3329" title="Jardin Francais" src="/wp-content/uploads/2010/09/P1020832-320x200.jpg" /></p>
<p>綺麗に区画分けされたフランス庭園。日本庭園とは対照的です。バラ（ちょっとシーズンが遅かったかな9月だと）や果物がたくさんなっていました。</p>
<p><img class="alignnone size-full wp-image-3330" title="Jardin Francais" src="/wp-content/uploads/2010/09/P1020836-320x200.jpg" /></p>
<p><img class="alignnone size-full wp-image-3332" title="Jardin Francais" src="/wp-content/uploads/2010/09/P1020855-320x200.jpg" /></p>
<p><img class="alignnone size-full wp-image-3333" title="Jardin Francais" src="/wp-content/uploads/2010/09/P1020862-320x200.jpg" /></p>
<p><img class="alignnone size-full  wp-image-3335" title="Jardin Francais" src="/wp-content/uploads/2010/09/P1020857-320x200.jpg" /></p>
<p><img class="alignnone size-full wp-image-3334" title="Jardin Francais" src="/wp-content/uploads/2010/09/P1020859-320x200.jpg" /></p>
<p><img class="alignnone size-full wp-image-3336" title="Jardin Francais" src="/wp-content/uploads/2010/09/P1020858-320x200.jpg" /></p>
<p>温室もありましたが残念ながらこの日は閉まっていました。また次回に。</p>
<p><strong>Jardin Japonais（日本庭園）</strong></p>
<p><img class="alignnone size-full wp-image-3337" title="Jardin Japonais" src="/wp-content/uploads/2010/09/P1020843-320x200.jpg" /></p>
<p><img class="alignnone size-full wp-image-3338" title="Jardin Japonais" src="/wp-content/uploads/2010/09/P1020838-320x200.jpg" /></p>
<p><img class="alignnone size-full wp-image-3339" title="Jardin Japonais" src="/wp-content/uploads/2010/09/P1020844-320x200.jpg" /></p>
<p>そして最後にたどり着いたのが日本庭園（このお隣が出発点だったVillage Japonaisです）。</p>
<p><img class="alignnone size-full wp-image-3348" title="Jardin Japonais" src="/wp-content/uploads/2010/09/P1010737-320x200.jpg" /></p>
<p><img class="alignnone size-full wp-image-3350" title="Jardin Japonais" src="/wp-content/uploads/2010/09/P1010735-320x200.jpg" /></p>
<p><img class="alignnone size-full wp-image-3351" title="Jardin Japonais" src="/wp-content/uploads/2010/09/P1010733-320x200.jpg" /></p>
<p><img class="alignnone size-full wp-image-3340" title="Jardin Japonais" src="/wp-content/uploads/2010/09/P1020846-320x200.jpg" /></p>
<p><img class="alignnone size-full wp-image-3341" title="Jardin Japonais" src="/wp-content/uploads/2010/09/P1020853-320x200.jpg" /></p>
<p><img class="alignnone size-full wp-image-3342" title="Jardin Japonais" src="/wp-content/uploads/2010/09/P1020854-320x200.jpg" /></p>
<p>池には錦鯉がたくさん泳いでいました。こども達がえさをやって喜んでいます。あ、おじさんも喜んでいました。</p>
<p>お昼過ぎすぐに行ったので人もまばらでしたが、だんだん人も時間がたつに連れて増えてきました。特に第一日曜日だったからかな。お散歩がてらに出かけてみてはいかがでしょうか。パリではなくパリのお隣ブローニュ市の中にある日本発見です。</p>
<p><span style="text-decoration: underline;"><strong>アルベール・カーン博物館/庭園への行き方</strong></span></p>
<p>Albert-Kahn, Musée et Jardins<br />
Service des Publics<br />
10-14, rue du Port<br />
92100 Boulogne</p>
<p>メトロ10番線Boulogne-Pont de Saint Cloud（10番線の終点です）　庭園はメトロから歩いてすぐ。<br />
バス72番（Hotel de Ville やLovreから）、52番（Operaから）　同じくBoulogne-Pont de Saint Cloudで止まります。</p>
<p>アルベール・カーン博物館/庭園　<a href="http://www.albert-kahn.fr/">オフィシャルサイト</a></p>
<p>入場料金　1,5ユーロ　月曜休館</p>
]]></content:encoded>
			</item>
		<item>
		<title>フォンテーヌブロー宮殿</title>
		<link>/ja/archives/2909</link>
		<pubDate>Mon, 23 Aug 2010 21:14:22 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[Aki]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[フランス観光]]></category>
		<category><![CDATA[ナポレオン]]></category>
		<category><![CDATA[パリ郊外]]></category>
		<category><![CDATA[フォンテーヌブロー]]></category>
		<category><![CDATA[フランソワ1世]]></category>
		<category><![CDATA[世界遺産]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://www.nippon.fr/?p=2909</guid>
		<description><![CDATA[パリの南東郊外55kmに位置する町Fontainebleauフォンテーヌブロー。そしてその町に構えるのがフォンテーヌブロー宮殿。フランスでも最も大きな宮殿の一つとされ、1981年にユネスコ世界遺産にも登録されています。今日ある宮殿の姿は多くのフランス君主による築城の成果であり、その始まりは16世紀初頭のフランソワ1世にさかのぼります。 パリからはGare de Lyon〈リヨン駅）から電車が出ており約45分ほどでFontainebleau‐Avon駅へ、そしてそこからはフォンテーヌブロー宮殿行きバスで15分。詳しくはページ下のフォーンテーヌブロー市オフィシャルサイトにて詳細＋地図が載っています。 フォンテーヌブロー宮殿の歴史 1169年：　フォンテーヌ・ベル・オー（Fontaine Belle Eau）あるいはフォンテーヌ・ブロー（Fontaine Belleau）と名前が残されている。 12世紀後半：　この敷地にあった古い城はすでにルイ7世（1120‐1180）よって利用されており、カンタベリ大主教であったトマス・ベケット（Thomas Becket）が彼のために礼拝堂を捧げている。 13世紀：　またこのフォンテーヌブロー城はフィリップ2世（フィリップオーギュスト1165 ‐1223）やルイ9世（1214‐1270）のお気に入りの城でもあった。 14世：　フィリップ4世〈端麗王1268‐1314）がフォーンテーヌブロー城にて誕生。逝去もこの城にて。 15世紀~16世紀：　フランソワ1世（1494‐1547）により現在のような建物へと造りかえられていきます。フランソワ1世のもと、Gilles le Bretonという建築家が南門Porte Doree（黄金の門）を含むCour Ovale（楕円宮廷）のほとんどを建築。また王は建築家のSebastiano Serlioをフランスに招き、Leonardo da Vinci（レオナルド・ダ・ヴィンチ）も呼び寄せている。Rosso Fiorentinoによるフレスコでフランソワ1世のギャラリーは飾られ、これがフランスで建てられた一番最初の装飾ギャラリーとなった。 大まかに言うと、このフォンテーヌブローでルネッサンスがフランスへと流れ込んできます。 16世紀前半~中期：　アンリ2世（1519 ‐1559）の治世において、Salle des Fetes（祝祭の広間）がイタリアのマニエリスム画家Francesco PrimaticcioとNiccolo dell&#8217;Abbatteによって装飾されます。「フォンテーヌブローのニンフ〈妖精）」は、宮殿装飾のために作られましたが、現在はルーブルにあるそうです。さらにアンリ2世とCatherine de Medici（カトリーヌ・ド・メディシス）により拡張建築がなされます。アンリ3世（1551‐1589）フォンテーヌ城にて誕生。 16世紀後半~17世紀前半：　このフランソワ1世からアンリ2世までに築かれてきた城にアンリ4世（1553‐1610）は中庭を付け加え、名をCour des Princes（王の中庭）としました。その庭にはGalerie de Diane de Poitiers（ディアーヌ・ド・ポワチエのギャラリー）や Galerie des Cerfs（雄鹿のギャラリー）が設置され図書室として利用され、さらに木々で覆われた庭園に1200ｍの水路を設け、松やエルムの木、果樹などを植えるように命令します。ルイ13世（1601‐1643）フォンテーヌ城にて誕生。 1685年：　ルイ14世により「フォンテーヌブローの勅令」発令。これによりナントの勅令が破棄されることになります。ナントの勅令とは、1598年アンリ4世によるもので、プロテスタント〈ユグノー）などに対してカトリックと同じ権利を与えるという勅令。 18世紀後半：　城の不運が始まる。フランス革命期に多くの調度品が売りに出される。国民のための資金を調達する目的と、ブルボン家が二度と贅沢な生活に戻れないようにするためである。しかしながら、10年も経たないうちにナポレオン・ボナパルトがこの城を彼の力のシンボルとして利用するようになります。荷馬車が通れるよう石畳のエントランスに作り変えさせたりこの城の修正を図り、ナポレオンによって現在我々が目にする宮殿が完成されます。 1814年：　フォンテーヌブロー宮殿にてナポレオンが親衛隊に別れの挨拶をし亡命する。 こうして見てみるとさまざまな王たちがここフォンテーヌブロー宮殿で過ごしてきた様子が分かります。では、ここから中の様子を。 まず門をくぐり敷地内に入るとお城までの石畳の道が続きます。ここがナポレオンが近衛兵と別れを告げた「別離の中庭」。ナポレオンはエルバ島へ流されます。 横を見ても上を見ても隙間のないくらいの装飾です。こちらは「皿の間」と呼ばれ皿絵で飾られています。一枚一枚よーく見てみましょう。セーブル陶器博物館でも同じものを見ました。 扉の向こうに見える奥行きに圧倒されます。 「フランソワ1世の回廊」。壁にはフランソワ1世の紋章サラマンダーとイニシャルFの文字が見えます。サラマンダーとは、《苦難に負けずに貫き通される信仰や熱情にとらわれない貞節、善なる火を燃え上がらせ悪なる火を消し去る正義を表す》とされています。 そしてこちら、「フランソワ1世の回廊」にあった絵。人が集まって話していたのを横で聞いていたところ、この白い像は力と知恵の象徴で足元のコウノトリが国王の母への敬意を表しているんだとか。一つ一つちゃんと意味があるんですね。フランソワ1世がイタリアから呼び寄せた画家ロッソ・フィオレンティーノ(Rosso Fiorentino）のフレスコ画だそうです。 「皇后の寝室」〈左と中央）。歴代の王妃や皇后の寝室として使われてきたそうです。 「ルイ13世の間」（右）。ルイ13世がフォンテーヌ宮で誕生。父アンリ4世がその誕生を祝って豪華に改装したんだそうです。テーブルの上にはセーブル焼きの壺、そしてそのテーブルにも工夫がしてあり座る人ごとに各引き出しが付いています。 次から次へと豪華な部屋が現れます。左写真は「マリーアントワネットの小部屋」。フォーンテーヌブローはもともと王たちの狩猟を楽しむ場所として城が建てられました。ルイ16世ももちろん毎年ここへ猟をするためにやってきたことでしょう。しかしこの時代には城の老朽化が進み、王の間が拡張され、王妃の小部屋が改装されることになりました。改装後はマリーアントワネット好みの装飾に変えられ、部屋にある家具も彼女用にデザインされたものです。「皇后の寝室」にあるベッドもマリーアントワネットのために作られたものです。右写真は「王の控え室」。 &#8230; <a href="/ja/archives/2909" class="more-link">Continue reading <span class="screen-reader-text">フォンテーヌブロー宮殿</span> <span class="meta-nav">&#8594;</span></a>]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>パリの南東郊外55kmに位置する町<strong>Fontainebleauフォンテーヌブロー</strong>。そしてその町に構えるのが<strong>フォンテーヌブロー宮殿</strong>。フランスでも最も大きな宮殿の一つとされ、1981年にユネスコ世界遺産にも登録されています。今日ある宮殿の姿は多くのフランス君主による築城の成果であり、その始まりは16世紀初頭のフランソワ1世にさかのぼります。</p>
<p>パリからはGare de Lyon〈リヨン駅）から電車が出ており約45分ほどでFontainebleau‐Avon駅へ、そしてそこからはフォンテーヌブロー宮殿行きバスで15分。詳しくはページ下のフォーンテーヌブロー市オフィシャルサイトにて詳細＋地図が載っています。</p>
<p><strong><span style="text-decoration: underline;">フォンテーヌブロー宮殿の歴史</span></strong></p>
<p>1169年：　<strong>フォンテーヌ・ベル・オー（Fontaine Belle Eau）</strong>あるいは<strong>フォンテーヌ・ブロー（Fontaine Belleau）</strong>と名前が残されている。</p>
<p>12世紀後半：　この敷地にあった古い城はすでに<strong>ルイ7世</strong>（1120‐1180）よって利用されており、カンタベリ大主教であったトマス・ベケット（Thomas Becket）が彼のために礼拝堂を捧げている。</p>
<p>13世紀：　またこのフォンテーヌブロー城は<strong>フィリップ2世</strong>（フィリップオーギュスト1165 ‐1223）や<strong>ルイ9世</strong>（1214‐1270）のお気に入りの城でもあった。</p>
<p>14世：　<strong>フィリップ4世</strong>〈端麗王1268‐1314）がフォーンテーヌブロー城にて誕生。逝去もこの城にて。</p>
<p>15世紀~16世紀：　<strong>フランソワ1世</strong>（1494‐1547）により現在のような建物へと造りかえられていきます。フランソワ1世のもと、Gilles le Bretonという建築家が南門Porte Doree（黄金の門）を含むCour Ovale（楕円宮廷）のほとんどを建築。また王は建築家のSebastiano Serlioをフランスに招き、Leonardo da Vinci（レオナルド・ダ・ヴィンチ）も呼び寄せている。Rosso Fiorentinoによるフレスコでフランソワ1世のギャラリーは飾られ、これがフランスで建てられた一番最初の装飾ギャラリーとなった。</p>
<p>大まかに言うと、このフォンテーヌブローでルネッサンスがフランスへと流れ込んできます。</p>
<p>16世紀前半~中期：　<strong>アンリ2世</strong>（1519 ‐1559）の治世において、Salle des Fetes（祝祭の広間）がイタリアのマニエリスム画家Francesco PrimaticcioとNiccolo dell&#8217;Abbatteによって装飾されます。「フォンテーヌブローのニンフ〈妖精）」は、宮殿装飾のために作られましたが、現在はルーブルにあるそうです。さらにアンリ2世とCatherine de Medici（カトリーヌ・ド・メディシス）により拡張建築がなされます。<strong>アンリ3世</strong>（1551‐1589）フォンテーヌ城にて誕生。</p>
<p>16世紀後半~17世紀前半：　このフランソワ1世からアンリ2世までに築かれてきた城に<strong>アンリ4世</strong>（1553‐1610）は中庭を付け加え、名をCour des Princes（王の中庭）としました。その庭にはGalerie de Diane de Poitiers（ディアーヌ・ド・ポワチエのギャラリー）や Galerie des Cerfs（雄鹿のギャラリー）が設置され図書室として利用され、さらに木々で覆われた庭園に1200ｍの水路を設け、松やエルムの木、果樹などを植えるように命令します。<strong>ルイ13世</strong>（1601‐1643）フォンテーヌ城にて誕生。</p>
<p>1685年：　<strong>ルイ14世</strong>により「フォンテーヌブローの勅令」発令。これによりナントの勅令が破棄されることになります。ナントの勅令とは、1598年アンリ4世によるもので、プロテスタント〈ユグノー）などに対してカトリックと同じ権利を与えるという勅令。</p>
<p>18世紀後半：　城の不運が始まる。フランス革命期に多くの調度品が売りに出される。国民のための資金を調達する目的と、ブルボン家が二度と贅沢な生活に戻れないようにするためである。しかしながら、10年も経たないうちに<strong>ナポレオン・ボナパルト</strong>がこの城を彼の力のシンボルとして利用するようになります。荷馬車が通れるよう石畳のエントランスに作り変えさせたりこの城の修正を図り、ナポレオンによって現在我々が目にする宮殿が完成されます。</p>
<p>1814年：　フォンテーヌブロー宮殿にてナポレオンが親衛隊に別れの挨拶をし亡命する。</p>
<p>こうして見てみるとさまざまな王たちがここフォンテーヌブロー宮殿で過ごしてきた様子が分かります。では、ここから中の様子を。</p>
<p><img class="alignnone size-full  wp-image-2944" src="/wp-content/uploads/2010/08/p1000887-320x2001.jpg" /></p>
<p><img class="alignnone size-full  wp-image-2913" src="/wp-content/uploads/2010/08/p1000885-320x200.jpg" /></p>
<p><img class="alignnone size-full wp-image-2912" src="/wp-content/uploads/2010/08/p1000883-320x200.jpg" /><br />
まず門をくぐり敷地内に入るとお城までの石畳の道が続きます。ここがナポレオンが近衛兵と別れを告げた「<strong>別離の中庭</strong>」。ナポレオンはエルバ島へ流されます。</p>
<p><img class="alignnone size-full wp-image-2916" src="/wp-content/uploads/2010/08/p1000890-320x200.jpg" /></p>
<p><img class="alignnone size-full wp-image-2917" src="/wp-content/uploads/2010/08/p1000891-320x200.jpg" /></p>
<p><img class="alignnone size-full wp-image-2918" src="/wp-content/uploads/2010/08/p1000892-320x200.jpg" /><br />
横を見ても上を見ても隙間のないくらいの装飾です。こちらは「<strong>皿の間</strong>」と呼ばれ皿絵で飾られています。一枚一枚よーく見てみましょう。<a href="/ja/archives/2751">セーブル陶器博物館</a>でも同じものを見ました。</p>
<p><img class="alignnone size-full wp-image-2919" src="/wp-content/uploads/2010/08/p1000893-320x200.jpg" /></p>
<p><img class="alignnone size-full wp-image-2922" src="/wp-content/uploads/2010/08/p1000901-320x200.jpg" /></p>
<p><img class="alignnone size-full  wp-image-2945" src="/wp-content/uploads/2010/08/p1000902-320x2001.jpg" /><br />
扉の向こうに見える奥行きに圧倒されます。</p>
<p><img class="alignnone size-full wp-image-2923" src="/wp-content/uploads/2010/08/p1000902-320x200.jpg" /></p>
<p><img class="alignnone size-full wp-image-2924" src="/wp-content/uploads/2010/08/p1000903-320x200.jpg" /></p>
<p><img class="alignnone size-full wp-image-2925" src="/wp-content/uploads/2010/08/p1000904-320x200.jpg" /><br />
「<strong>フランソワ1世の回廊</strong>」。壁にはフランソワ1世の紋章サラマンダーとイニシャルFの文字が見えます。サラマンダーとは、《苦難に負けずに貫き通される信仰や熱情にとらわれない貞節、善なる火を燃え上がらせ悪なる火を消し去る正義を表す》とされています。</p>
<p><img class="alignnone size-full wp-image-2926" src="/wp-content/uploads/2010/08/p1000907-320x200.jpg" /><br />
そしてこちら、「フランソワ1世の回廊」にあった絵。人が集まって話していたのを横で聞いていたところ、この白い像は力と知恵の象徴で足元のコウノトリが国王の母への敬意を表しているんだとか。一つ一つちゃんと意味があるんですね。フランソワ1世がイタリアから呼び寄せた画家ロッソ・フィオレンティーノ(Rosso Fiorentino）のフレスコ画だそうです。</p>
<p><img class="alignnone size-full wp-image-2931" src="/wp-content/uploads/2010/08/p1000930-320x200.jpg" /></p>
<p><img class="alignnone size-full wp-image-2930" src="/wp-content/uploads/2010/08/p1000929-320x200.jpg" /><br />
「<strong>皇后の寝室</strong>」〈左と中央）。歴代の王妃や皇后の寝室として使われてきたそうです。</p>
<p><img class="alignnone size-full wp-image-2953" src="/wp-content/uploads/2010/08/p1000915-320x200.jpg" /></p>
<p><img class="alignnone size-full wp-image-2928" src="/wp-content/uploads/2010/08/p1000913-320x200.jpg" /><br />
「<strong>ルイ13世の間</strong>」（右）。ルイ13世がフォンテーヌ宮で誕生。父アンリ4世がその誕生を祝って豪華に改装したんだそうです。テーブルの上にはセーブル焼きの壺、そしてそのテーブルにも工夫がしてあり座る人ごとに各引き出しが付いています。</p>
<p><img class="alignnone size-full wp-image-2932" src="/wp-content/uploads/2010/08/p1000931-320x200.jpg" /></p>
<p><img class="alignnone size-full wp-image-2927" src="/wp-content/uploads/2010/08/p1000911-320x200.jpg" /><br />
次から次へと豪華な部屋が現れます。左写真は「<strong>マリーアントワネットの小部屋</strong>」。フォーンテーヌブローはもともと王たちの狩猟を楽しむ場所として城が建てられました。ルイ16世ももちろん毎年ここへ猟をするためにやってきたことでしょう。しかしこの時代には城の老朽化が進み、王の間が拡張され、王妃の小部屋が改装されることになりました。改装後はマリーアントワネット好みの装飾に変えられ、部屋にある家具も彼女用にデザインされたものです。「皇后の寝室」にあるベッドもマリーアントワネットのために作られたものです。右写真は「<strong>王の控え室</strong>」。</p>
<p><img class="alignnone size-full wp-image-2947" src="/wp-content/uploads/2010/08/p1000928-320x200.jpg" /></p>
<p><img class="alignnone size-full wp-image-2934" src="/wp-content/uploads/2010/08/p1000944-320x200.jpg" /></p>
<p><img class="alignnone size-full wp-image-2929" src="/wp-content/uploads/2010/08/p1000922-320x200.jpg" /><br />
「<strong>ナポレオン王座の間</strong>」（左写真）。ナポレオンがここに座っていたんですねえ。両端のポールの上にナポレオンのイニシャルＮが見えます。そして中央写真は「<strong>ナポレオンの小部屋</strong>」と呼ばれ、この机でいろんな案を練っていたんでしょうね。机には仕掛けがあり一瞬で書類が隠せるようになっているそうです。ナポレオンはあまり寝ない人だったようで後ろに簡易ベッドが備え付けてあります。右写真はナポレオンが読んだであろう本が収められている「<strong>ディアナの回廊</strong>」。</p>
<p><img class="alignnone size-full wp-image-2935" src="/wp-content/uploads/2010/08/p1000948-320x200.jpg" /></p>
<p><img class="alignnone size-full wp-image-2950" src="/wp-content/uploads/2010/08/p1000939-320x2001.jpg" /></p>
<p><img class="alignnone size-full wp-image-2951" src="/wp-content/uploads/2010/08/p1000940-320x200.jpg" /><br />
そしてこちらお風呂（左）。ナポレオンはお風呂好きだったとか。「<strong>ナポレオンの寝室</strong>」〈中央と右）。こちらも落ち着いた緑色で統一されています。ここにおいてある椅子にも工夫がしてあります。暖炉にあたる側は手掛が低くなっており、もう片方は高くなっています。よく温まれるように工夫してあるんですね。</p>
<p><img class="alignnone size-full  wp-image-2952" src="/wp-content/uploads/2010/08/p1000938-320x200.jpg" /></p>
<p><img class="alignnone size-full  wp-image-2948" src="/wp-content/uploads/2010/08/p1000945-320x200.jpg" /><br />
「<strong>会議の部屋</strong>」（左）。そして赤で統一された「<strong>退位の間</strong>」（右）はナポレオンが退位するときに書類にサインをした部屋だそうです。</p>
<p><img class="alignnone size-full wp-image-2936" src="/wp-content/uploads/2010/08/p1000951-320x200.jpg" /><br />
そして途中みつけたおもしろい一品。中央は秒針と分針の付いた普通の時計なのですが、その周りに曜日だの月名だの、うるう年だの、太陽、月の位置だの星座だのといろんなものがくっついています！</p>
<p><img class="alignnone size-full wp-image-2921" src="/wp-content/uploads/2010/08/p1000900-320x200.jpg" /></p>
<p><img class="alignnone size-full wp-image-2937" src="/wp-content/uploads/2010/08/p1000956-320x200.jpg" /><br />
「<strong>トリニテ礼拝堂</strong>」。左は城に入ってすぐのところで、礼拝堂を見下ろすような感じ。右は下から見上げた様子です。元は聖王ルイが建てた聖堂を三位一体修道会（トリニテ修道会）が引き継ぎました。ここで国王と王妃が毎日ミサに参加していたんですね。</p>
<p><img class="alignnone size-full wp-image-2938" src="/wp-content/uploads/2010/08/p1000957-320x200.jpg" /></p>
<p><img class="alignnone size-full wp-image-2939" src="/wp-content/uploads/2010/08/p1000958-320x200.jpg" /><br />
さあ、外に出てちょっと休憩。たくさんの部屋を見終わって、主人と一緒に歴史話。ヴェルサイユ宮殿もそうですがこれだけの財力が一部の選ばれた人間に集中するなんてものすごいことですよね。そんな時代があったからフランス革命につながるのでしょうが。歴代王が居住した宮殿ということで、なんとなく一度にいろんな時代を駆け回ったような一日でした。</p>
<p>さあ　またバスと電車でパリに戻ります。ちょっと大変だけれども時間があればぜひ一度。</p>
<p>関連サイト<br />
<a href="http://www.fontainebleau.fr/">フォンテーヌブロー市オフィシャルサイト</a></p>
<p><a href="http://www.musee-chateau-fontainebleau.fr/">フォンテーヌ宮殿オフィシャルサイト</a></p>
<p>以上参考ウィキペディア、宮殿内ガイドより</p>
]]></content:encoded>
			</item>
		<item>
		<title>セーヴル陶器博物館</title>
		<link>/ja/archives/2751</link>
		<pubDate>Wed, 11 Aug 2010 12:59:21 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[Aki]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[フランス観光]]></category>
		<category><![CDATA[セーヴル焼き]]></category>
		<category><![CDATA[セーヴル陶器]]></category>
		<category><![CDATA[パリ郊外]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://www.nippon.fr/?p=2751</guid>
		<description><![CDATA[パリの南西郊外セーヴルにあるMusee National de Ceramique（陶器博物館）。 メトロ9番線のターミナルPont de Sevresを出てセーヌを越えるとその建物が見えてきます。 入り口に大きな陶器の長細い壺が立っていて、中へ入る前にそこで立ち止まってしまいます。入ると受付と売店スペースがあり、入場料金は4.5ユーロ。 まずは一階部分。いろんな国の古い時代の陶器が並んでいて、描かれている絵など少しプリミティヴなものもあり興味深い。フランスはもちろん、スペイン、イタリア、オランダ、オアーストリア、中国、イスラムなどの作品が展示。 そして２階へ上がると、まず巨大な陶器の作品に驚かされます。広い空間にそびえるような大きさ。近寄って倒してしまたっらどうしようと心配になってしまったり。そして次の部屋には国別のコレクションが展示してあり、例えば、フランスの中でも、プロヴァンス焼きなど地方別になっているのがおもしろい。プロヴァンス出身の主人が「プロヴァンスは他の地域と違ってハチやチョウがたくさん描かれているね」と。確かに。プロヴァンス陶器に描かれているくらいのかわいらしい虫ならいいのですが、中には結構リアルな虫が描かれているお皿があって、この上に料理？と・・・・（どの国か忘れてしまいましたが）。もちろん高級な銀食器などのコレクションなどもあり、どれもこれも見ていて楽しい。それから日本からの陶器作品も展示されていましたよ。日本の作品は飾ると言うより癒すというか、見ているとふーっと吸い込まれそうな作品が多い（表現が抽象的ですみません）。主人も家にあったらいいなあと思うのは日本の作品だと。 思っていたよりも広いスペースで作品も多く結構楽しめました。 さて、このセーブル陶器博物館の歴史ですが、結構古い（当然ですが）。 まず、ルイ15世の統治時代に王の愛妾であったMadame de Pompadourの影響を受け、1740年に陶器アトリエがヴァンセンヌに設立され、さらに1756年このアトリエがセーヴル（Madame de PompadourのBellevue宮殿近く）に移され1759年に王立窯となります。 博物館の創立はAlexandre Brongniart（1770~1847）という人物と大きく関係があり、彼はGeroges Cuvierと協力してパリの周辺地域の地質学の調査を行なった地質学者であり鉱物学者、あるいは科学者、動物学者という紹介もあります。彼の父は建築家のTheodore Brongniart、また彼の息子Adolphe Theodore Brongniartは植物学者でもありました。 少し話がずれますが、父親のTheodore Brongniartは1804年にナポレオン・ボナパルトにペール・ラシェーズ墓地の設計を任され、さらに1807年にはパリ証券取引所のデザインも任されています。 Alexandre Brongniartは、パリで生まれ、鉱物学校の教師をしていたが、1800年、当時内務大臣であったLucien Bonaparteによってセーヴル陶器工場のディレクターに任命される。セラミックの化学と鉱物学エンジニアのつながりがまさに彼にとって最高のポジションへと導いたのです。彼のすばらしい能力のおかげで彼は政権が変わる中、47年間セーヴルを運営管理しました。 また爬虫類の新しいクラス分けを紹介したり、鉱物学や陶器芸術の論文なども書いています。 Brongniartはセーブル陶器工場のディレクターでありまたセーブル陶器国立博物館の創設でもあります。1823年には、Royal Swedish Academy of Scienceスウェーデン王立科学アカデミーの外国人メンバーに選ばれています。 そして、1876年第3帝政時代にはこの陶器工場と博物館が政府によってサンクルー公園の一角に移されます。現在もこの博物館の裏のアトリエで陶器が作られており、ここで作られたものをセーブル焼きと言います。売店でお土産用に売られていますがかなりのお値段ですので私は見て楽しむだけ・・・。 Musee National de Ceramique　オフィシャルサイトはこちら この博物館の右となりには広大なサン・クルー公園が広がっています。時間のあるときにゆっくり足を運んではどうでしょうか。観光サン・クルー公園のページも参考に。 以上ウィキペデアと博物館パンフレットより訳/要約]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>パリの南西郊外セーヴルにあるMusee National de Ceramique（陶器博物館）。</p>
<p>メトロ9番線のターミナルPont de Sevresを出てセーヌを越えるとその建物が見えてきます。</p>
<p><img class="alignnone size-full wp-image-2752" title="Musee de Ceramique" src="/wp-content/uploads/2010/08/P1020547-320x200.jpg" /></p>
<p><img class="alignnone size-full wp-image-2753" title="Musee de Ceramique" src="/wp-content/uploads/2010/08/P1020546-320x200.jpg" /></p>
<p><img class="alignnone size-full wp-image-2754" title="Musee de Ceramique" src="/wp-content/uploads/2010/08/P1020545-320x200.jpg" /></p>
<p>入り口に大きな陶器の長細い壺が立っていて、中へ入る前にそこで立ち止まってしまいます。入ると受付と売店スペースがあり、入場料金は4.5ユーロ。</p>
<p>まずは一階部分。いろんな国の古い時代の陶器が並んでいて、描かれている絵など少しプリミティヴなものもあり興味深い。フランスはもちろん、スペイン、イタリア、オランダ、オアーストリア、中国、イスラムなどの作品が展示。</p>
<p>そして２階へ上がると、まず巨大な陶器の作品に驚かされます。広い空間にそびえるような大きさ。近寄って倒してしまたっらどうしようと心配になってしまったり。そして次の部屋には国別のコレクションが展示してあり、例えば、フランスの中でも、プロヴァンス焼きなど地方別になっているのがおもしろい。プロヴァンス出身の主人が「プロヴァンスは他の地域と違ってハチやチョウがたくさん描かれているね」と。確かに。プロヴァンス陶器に描かれているくらいのかわいらしい虫ならいいのですが、中には結構リアルな虫が描かれているお皿があって、この上に料理？と・・・・（どの国か忘れてしまいましたが）。もちろん高級な銀食器などのコレクションなどもあり、どれもこれも見ていて楽しい。それから日本からの陶器作品も展示されていましたよ。日本の作品は飾ると言うより癒すというか、見ているとふーっと吸い込まれそうな作品が多い（表現が抽象的ですみません）。主人も家にあったらいいなあと思うのは日本の作品だと。</p>
<p>思っていたよりも広いスペースで作品も多く結構楽しめました。</p>
<p>さて、このセーブル陶器博物館の歴史ですが、結構古い（当然ですが）。</p>
<p>まず、ルイ15世の統治時代に王の愛妾であったMadame de Pompadourの影響を受け、1740年に陶器アトリエがヴァンセンヌに設立され、さらに1756年このアトリエがセーヴル（Madame de PompadourのBellevue宮殿近く）に移され1759年に王立窯となります。</p>
<p>博物館の創立はAlexandre Brongniart（1770~1847）という人物と大きく関係があり、彼はGeroges Cuvierと協力してパリの周辺地域の地質学の調査を行なった地質学者であり鉱物学者、あるいは科学者、動物学者という紹介もあります。彼の父は建築家のTheodore Brongniart、また彼の息子Adolphe Theodore Brongniartは植物学者でもありました。</p>
<p>少し話がずれますが、父親のTheodore Brongniartは1804年にナポレオン・ボナパルトにペール・ラシェーズ墓地の設計を任され、さらに1807年にはパリ証券取引所のデザインも任されています。</p>
<p>Alexandre Brongniartは、パリで生まれ、鉱物学校の教師をしていたが、1800年、当時内務大臣であったLucien Bonaparteによってセーヴル陶器工場のディレクターに任命される。セラミックの化学と鉱物学エンジニアのつながりがまさに彼にとって最高のポジションへと導いたのです。彼のすばらしい能力のおかげで彼は政権が変わる中、47年間セーヴルを運営管理しました。</p>
<p>また爬虫類の新しいクラス分けを紹介したり、鉱物学や陶器芸術の論文なども書いています。</p>
<p>Brongniartはセーブル陶器工場のディレクターでありまたセーブル陶器国立博物館の創設でもあります。1823年には、Royal Swedish Academy of Scienceスウェーデン王立科学アカデミーの外国人メンバーに選ばれています。</p>
<p>そして、1876年第3帝政時代にはこの陶器工場と博物館が政府によってサンクルー公園の一角に移されます。現在もこの博物館の裏のアトリエで陶器が作られており、ここで作られたものをセーブル焼きと言います。売店でお土産用に売られていますがかなりのお値段ですので私は見て楽しむだけ・・・。</p>
<p>Musee National de Ceramique　<a href="http://www.sevresciteceramique.fr/">オフィシャルサイト</a>はこちら</p>
<p>この博物館の右となりには広大なサン・クルー公園が広がっています。時間のあるときにゆっくり足を運んではどうでしょうか。観光<a href="/ja/archives/252">サン・クルー公園</a>のページも参考に。</p>
<p>以上ウィキペデアと博物館パンフレットより訳/要約</p>
]]></content:encoded>
			</item>
		<item>
		<title>ヴェルサイユでハイキング</title>
		<link>/ja/archives/2511</link>
		<pubDate>Sun, 01 Aug 2010 20:53:29 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[Aki]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[フランス観光]]></category>
		<category><![CDATA[ヴェルサイユ]]></category>
		<category><![CDATA[ハイキング]]></category>
		<category><![CDATA[パリ郊外]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://www.nippon.fr/?p=2511</guid>
		<description><![CDATA[ヴェルサイユと言えばヴェルサイユ宮殿。しかし！その宮殿の周りには自然がたくさん存在し、ハイキングコースもたくさんあるんです。 私たちが選んだコースはForet Domaniale de Versailles。ヴェルサイユの駅から宮殿へ向かう人々とは反対に方角的には南へと歩いて行きます。地図上だと線路を超えD91号線を目指します。するとハイキングコースの入り口が見えてきます。 正午12時ハイキングスタート。ここからRoute des Mulets、Route des Chataignirrs、Route du Grand Boitとハイキングの道が続き、このコースの右手には線路、左手にはN286が走っています。ひっそりとしていて、人もまったくいませんでしたが、自然を楽しむにはそれが一番。サイクリングをする人に数回出くわしたくらいです。でも途中電車や車の騒音が聞こえてくる箇所が数箇所。 静かな森の中。花や草や木を観察しながら歩いて行きます。途中森の中でカサカサと動物の歩く音が・・・。 鳥の声もどこからともなく聞こえてきます。いる証拠は見つけたのですが・・・（左写真）。 地面にカブトムシが！（右写真） 2時間くらいでしょうか。するとN286号線にぶつかり、道路を渡って反対側のコースへと移動です。 ここからはRoute Forestiere de la Fontaine Blancheに沿って歩いて行きます。こちらのコースは結構人が歩いていました。パーキングが何箇所かあるようでアクセスがしやすいようです。 さて、再スタートしてからまだ数分も歩かないうちに視界にサッと何か動くものが。「しっぽが見えた！」と主人に指をさして知らせると、そこにはなんとリスが！！！生まれてはじめてみるしまのあるリス。めちゃくちゃかわいいですよ。 おなかがすいたなあと時計を見るとなんと3時。ちょうど湖を背にピクニックできる広場に到着。こんな思いっきり西洋の森で、おはしでご飯と魚をたべました。弁当です・・・。主人はサンドイッチじゃなくて大喜びでしたが、そばを通った人たち不思議だっただろうな・・・。そして食事中にものすごいきれいな鳥がテーブルの下に飛んできました。きっとパンくずをもらえると思ったのでしょう。でも、パンがなかった・・・。代わりにオムレツを投げってやったら拾って飛んで行きました。鳥に料理した卵をあげてよかったのだろうか・・・。 このコースには湖が３つ：Etang du Moulin a Renar、 Etang du Vol d&#8217;Or、 Etang de la Geneste。Etangエタンだから池？　でも、ものすごい大きいので一つ一つぐるっと回っていられません。 歩いても歩いても湖いや池。途中かもの親子に遭遇。足もかなり疲れてきましたが、何が現れるか分からないのでドキドキしながら前へ進んでいきます。 そう、いつ何が現れるか分からない！！！　ハイキングも後半で疲れで会話も途絶えようとしていたその瞬間、野うさぎです！　しずかーに近づいてカメラを構えます。超感動。 パリから30分ほどの場所で、すぐそばにはヴェルサイユ宮殿。そんな場所にこんな自然が。私たちは結局7時間のハイキングでしたが、部分部分に区切って歩いても充分楽しめます。パーキングもあるので車があればさらに近くまでアクセスができると思います。結構森の中に入るといろんなコースが交差しているので地図でしっかり確認して行かれることをお勧めします。 赤い線が私たちの通ったコースで、地図中央部分は軍の管轄地帯になっているようです。その周りをぐるっと囲むような形で歩いて行きます。地図の上のほうがヴェルサイユ宮殿です。]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>ヴェルサイユと言えばヴェルサイユ宮殿。しかし！その宮殿の周りには自然がたくさん存在し、ハイキングコースもたくさんあるんです。</p>
<p>私たちが選んだコースはForet Domaniale de Versailles。ヴェルサイユの駅から宮殿へ向かう人々とは反対に方角的には南へと歩いて行きます。地図上だと線路を超えD91号線を目指します。するとハイキングコースの入り口が見えてきます。</p>
<p><img class="alignnone size-full wp-image-2514" title="ハイキングコース入り口" src="/wp-content/uploads/2010/08/P1010633-320x200.jpg" /></p>
<p>正午12時ハイキングスタート。ここからRoute des Mulets、Route des Chataignirrs、Route du Grand Boitとハイキングの道が続き、このコースの右手には線路、左手にはN286が走っています。ひっそりとしていて、人もまったくいませんでしたが、自然を楽しむにはそれが一番。サイクリングをする人に数回出くわしたくらいです。でも途中電車や車の騒音が聞こえてくる箇所が数箇所。</p>
<p><img class="alignnone size-full wp-image-2516" src="/wp-content/uploads/2010/08/P1010634-320x200.jpg" /></p>
<p><img class="alignnone size-full wp-image-2517" src="/wp-content/uploads/2010/08/P1010635-320x200.jpg" /></p>
<p><img class="alignnone size-full wp-image-2519" src="/wp-content/uploads/2010/08/P1010638-320x2001.jpg" /><br />
静かな森の中。花や草や木を観察しながら歩いて行きます。途中森の中でカサカサと動物の歩く音が・・・。</p>
<p><img class="alignnone size-full wp-image-2520" src="/wp-content/uploads/2010/08/P1010641-320x200.jpg" /></p>
<p><img class="alignnone size-full wp-image-2521" src="/wp-content/uploads/2010/08/P1010643-320x200.jpg" /></p>
<p><img class="alignnone size-full wp-image-2522" src="/wp-content/uploads/2010/08/P1010651-320x200.jpg" /><br />
鳥の声もどこからともなく聞こえてきます。いる証拠は見つけたのですが・・・（左写真）。</p>
<p><img class="alignnone size-full wp-image-2524" src="/wp-content/uploads/2010/08/P1010656-320x200.jpg" /></p>
<p><img class="alignnone size-full wp-image-2525" src="/wp-content/uploads/2010/08/P1010659-320x200.jpg" /></p>
<p><img class="alignnone size-full wp-image-2526" src="/wp-content/uploads/2010/08/P1010661-320x200.jpg" /><br />
地面にカブトムシが！（右写真）</p>
<p>2時間くらいでしょうか。するとN286号線にぶつかり、道路を渡って反対側のコースへと移動です。</p>
<p><img class="alignnone size-full wp-image-2528" src="/wp-content/uploads/2010/08/P1010672-320x200.jpg" /></p>
<p>ここからはRoute Forestiere de la Fontaine Blancheに沿って歩いて行きます。こちらのコースは結構人が歩いていました。パーキングが何箇所かあるようでアクセスがしやすいようです。</p>
<p><img class="alignnone size-full wp-image-2529" src="/wp-content/uploads/2010/08/P1010667-320x200.jpg" /></p>
<p><img class="alignnone size-full wp-image-2530" src="/wp-content/uploads/2010/08/P1010671-320x200.jpg" /></p>
<p><img class="alignnone size-full wp-image-2531" src="/wp-content/uploads/2010/08/P1010675-320x200.jpg" /><br />
さて、再スタートしてからまだ数分も歩かないうちに視界にサッと何か動くものが。「しっぽが見えた！」と主人に指をさして知らせると、そこにはなんとリスが！！！生まれてはじめてみるしまのあるリス。めちゃくちゃかわいいですよ。</p>
<p><img class="alignnone size-full wp-image-2532" src="/wp-content/uploads/2010/08/P1010678-320x200.jpg" /></p>
<p><img class="alignnone size-full wp-image-2533" src="/wp-content/uploads/2010/08/P1010681-320x200.jpg" /><br />
おなかがすいたなあと時計を見るとなんと3時。ちょうど湖を背にピクニックできる広場に到着。こんな思いっきり西洋の森で、おはしでご飯と魚をたべました。弁当です・・・。主人はサンドイッチじゃなくて大喜びでしたが、そばを通った人たち不思議だっただろうな・・・。そして食事中にものすごいきれいな鳥がテーブルの下に飛んできました。きっとパンくずをもらえると思ったのでしょう。でも、パンがなかった・・・。代わりにオムレツを投げってやったら拾って飛んで行きました。鳥に料理した卵をあげてよかったのだろうか・・・。</p>
<p><img class="alignnone size-full wp-image-2536" src="/wp-content/uploads/2010/08/P1010689-320x200.jpg" /></p>
<p><img class="alignnone size-full wp-image-2535" src="/wp-content/uploads/2010/08/P1010688-320x200.jpg" /><br />
このコースには湖が３つ：Etang du Moulin a Renar、 Etang du Vol d&#8217;Or、 Etang de la Geneste。Etangエタンだから池？　でも、ものすごい大きいので一つ一つぐるっと回っていられません。</p>
<p><img class="alignnone size-full wp-image-2537" src="/wp-content/uploads/2010/08/P1010695-320x200.jpg" /></p>
<p><img class="alignnone size-full wp-image-2538" src="/wp-content/uploads/2010/08/P1010694-320x200.jpg" /><br />
歩いても歩いても湖いや池。途中かもの親子に遭遇。足もかなり疲れてきましたが、何が現れるか分からないのでドキドキしながら前へ進んでいきます。</p>
<p><img class="alignnone size-full wp-image-2539" title="P1010698 [320x200]" src="/wp-content/uploads/2010/08/P1010698-320x200.jpg" /><br />
そう、いつ何が現れるか分からない！！！　ハイキングも後半で疲れで会話も途絶えようとしていたその瞬間、野うさぎです！　しずかーに近づいてカメラを構えます。超感動。</p>
<p>パリから30分ほどの場所で、すぐそばにはヴェルサイユ宮殿。そんな場所にこんな自然が。私たちは結局7時間のハイキングでしたが、部分部分に区切って歩いても充分楽しめます。パーキングもあるので車があればさらに近くまでアクセスができると思います。結構森の中に入るといろんなコースが交差しているので地図でしっかり確認して行かれることをお勧めします。</p>
<p><img class="alignnone size-full wp-image-2545" src="/wp-content/uploads/2010/08/IMAGE0328-320x200.jpg" /><br />
赤い線が私たちの通ったコースで、地図中央部分は軍の管轄地帯になっているようです。その周りをぐるっと囲むような形で歩いて行きます。地図の上のほうがヴェルサイユ宮殿です。</p>
]]></content:encoded>
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		<item>
		<title>サン・クルー公園</title>
		<link>/ja/archives/252</link>
		<pubDate>Sat, 11 Apr 2009 20:13:44 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[Aki]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[フランス観光]]></category>
		<category><![CDATA[パリ郊外]]></category>
		<category><![CDATA[ブローニュ]]></category>
		<category><![CDATA[マリーアントワネット]]></category>
		<category><![CDATA[ルイ16世]]></category>
		<category><![CDATA[公園]]></category>

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		<description><![CDATA[パリの南西郊外に位置する大きな公園、Parc de Saint-Cloud（サン・クルー公園）。都会から少し離れて、自然の中で息抜きするのもいいですね。ピクニックやジョギング、サイクリング、私たちはウォーキングに。 行き方： パリ市内からだとメトロ9番線のターミナルPont de Sevres、そこからセーヌ川を渡ったすぐ。入り口にはMusee National de Ceramique（陶芸博物館）があります。またトラム２のMusee de Sevres駅も目の前にあります。 Pont de Sevresの駅からバス停を通り越し、橋を渡ります。橋からのセーヌの眺めも結構きれいですよ（左の写真クリック拡大）。川釣りを楽しんだり、ヨットで遊んだりしている人を発見。 こちらが、公園入り口に隣接するMusee National de Ceramique（陶芸博物館）です。観光セーヴル陶器博物館のページを参考に。 お天気がいいと人が集まってピクニックやスポーツを楽しんでいます。かなり広い公園なので、パリ市内の公園みたいに人が密集するようなことがないのでは。 夏には木陰で休むのが気持ちがいい。二匹の犬がじっと池を眺めています。。。 公園は460ヘクターを占め、1923年から自然特別保護地域として存在しています。ヨーロッパでも一番美しい公園の一つとしてみなさ れ、2005年にはRemarkable Gardens of Franceの地位を受賞しています。1999年に 起きた嵐により公園の森林はひどく被害を受けましたが、その後回復作業がなされてきました。 公園はLe Notre（ル・ノートル）によるフランス式庭園、イギリス式庭園、Marie Antoinetteマリー・アントワネット公園を含んでいます。 Parc de Saint-Cloudの歴史 サン・クルー城の模型 公園はChâteau de Saint-Cloud（サン・クルー城）の跡地に作られました。サン・クルー城は16世紀の王室、皇室の住居として利用されていました。1785年に は、マリー・アントワネットのためにルイ16世がこの城を購入。サンクルの空気が彼女の子どもたちに良いからだと思っていたそうです。さらに、ナポレオン3世がプロシアに戦争を宣告した後、この地域はプロシア軍に占領され、そこからパリ攻撃が始まります。1870年の10月13日、フランス軍の反撃により 城は焼かれてしまい、1892年には完全に破壊されることになります。そしていくつかの離れ屋敷だけが元のまま残るだけになってしまいました。 ではさらに奥へ進んでいきましょう。結構いい運動になりますよ。 どちらを向いても広大なスペースが続き、開放感が感じられます。空がとても広い！！！ さあ、一度試してみたかったレストランにようやく行って来ました。公園の中にあるレストランです。Restaurant la Pergola（位置はLe Fer a chevalと呼ばれるエリア）私はニソワーズサラダ（16ユーロ）、主人はシェーヴルサラダ（15ユーロ）。外で、それも公園の中で食べるのはやっぱり気持ちがいい。結構ボリュームのあるサラダで、ロケーション込みで16ユーロはお手ごろかと（どうでしょうか？）。他の人が頼んでいたピザもおいしそうだったので次はピザにすると主人・・・。私たちは早く行ったので簡単に席が見つかりましたが、お昼を過ぎると（特にヴァカンス期）かなり込んでいるのでご注意を。 さらにここから上に森を進んでいくともう一軒レストランがあります。Restaurant Xylo お腹がいっぱいになったらウォーキングへ出発。ちょうどレストランの目の前がこの展望台の入り口になっています。パリのパノラマが楽しめることでも有名。右の写真では遠くにエッフェル塔が見えます。 4月に訪れると、チューリップが満開でした。手入れがいつも行き届いていて訪れる人を楽しませてくれます。 7月はひまわりが（左写真）。そしてそのひまわりの間に、なんだかかわいらしいボールのような。。。 花壇の花だけではありません。地面に横たわるとそこにもいろんな草花が。広いスペースに森が広がっていて、本当に気持ちが良かったですよ。近くでお惣菜を買ってピクニックをし、本を読んで、雲を眺めながらボーっとし、ちょっとお昼寝。少し体を休めたらウォーキングに立ち上がり、植物観察をしに出発。広大な敷地なので、まだほんの一部しか歩いていないのですが、また、遊びに行こうと思います。 普段ビルばかりの景色から、ちょっと自然にもどってみるとほっとしますね。それも砂埃の立つ街中の公園ではなく、人もまばらな森を歩くのは最高！ Parc &#8230; <a href="/ja/archives/252" class="more-link">Continue reading <span class="screen-reader-text">サン・クルー公園</span> <span class="meta-nav">&#8594;</span></a>]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>パリの南西郊外に位置する大きな公園、<strong>Parc de Saint-Cloud</strong>（サン・クルー公園）。都会から少し離れて、自然の中で息抜きするのもいいですね。ピクニックやジョギング、サイクリング、私たちはウォーキングに。</p>
<p>行き方：</p>
<p>パリ市内からだとメトロ9番線のターミナルPont de Sevres、そこからセーヌ川を渡ったすぐ。入り口にはMusee National de Ceramique（陶芸博物館）があります。またトラム２のMusee de Sevres駅も目の前にあります。</p>
<p><a href="../../imgs/parc_de_saint_cloud/additional_photos/P1010122%20%5B800x600%5D.JPG"><img src="../../imgs/parc_de_saint_cloud/additional_photos/P1010122%20%5B320x200%5D.JPG" alt="" width="267" height="200" /></a></p>
<p><img src="../../imgs/parc_de_saint_cloud/additional_photos/P1010121%20%5B320x200%5D.JPG" alt="" width="267" height="200" /></p>
<p><img src="../../imgs/parc_de_saint_cloud/additional_photos/P1010146%20%5B320x200%5D.JPG" alt="" width="267" height="200" /><br />
Pont de Sevresの駅からバス停を通り越し、橋を渡ります。橋からのセーヌの眺めも結構きれいですよ（左の写真クリック拡大）。川釣りを楽しんだり、ヨットで遊んだりしている人を発見。</p>
<p><img class="alignnone size-full wp-image-2748" src="/wp-content/uploads/2009/04/P1020546-320x200.jpg" /></p>
<p><img class="alignnone size-full wp-image-2749" src="/wp-content/uploads/2009/04/P1020547-320x200.jpg" /><br />
こちらが、公園入り口に隣接するMusee National de Ceramique（陶芸博物館）です。観光<a href="/ja/archives/2751">セーヴル陶器博物館</a>のページを参考に。</p>
<p><img src="../../imgs/parc_de_saint_cloud/P1000853%20%5B320x200%5D.JPG" alt="" width="267" height="200" /></p>
<p><img src="../../imgs/parc_de_saint_cloud/P1000857%20%5B320x200%5D.JPG" alt="" width="267" height="200" /></p>
<p><img src="../../imgs/parc_de_saint_cloud/P1000858%20%5B320x200%5D.JPG" alt="" width="267" height="200" /></p>
<p><img src="../../imgs/parc_de_saint_cloud/additional2%202010/P1020267%20%5B320x200%5D.JPG" alt="" width="267" height="200" /></p>
<p><img src="../../imgs/parc_de_saint_cloud/additional2%202010/P1020268%20%5B320x200%5D.JPG" alt="" width="267" height="200" /><br />
お天気がいいと人が集まってピクニックやスポーツを楽しんでいます。かなり広い公園なので、パリ市内の公園みたいに人が密集するようなことがないのでは。</p>
<p><img src="../../imgs/parc_de_saint_cloud/additional_photos/P1010133%20%5B320x200%5D.JPG" alt="" width="267" height="200" /></p>
<p><img src="../../imgs/parc_de_saint_cloud/additional_photos/P1010134%20%5B320x200%5D.JPG" alt="" width="267" height="200" /><br />
夏には木陰で休むのが気持ちがいい。二匹の犬がじっと池を眺めています。。。</p>
<p>公園は460ヘクターを占め、1923年から自然特別保護地域として存在しています。ヨーロッパでも一番美しい公園の一つとしてみなさ れ、2005年には<strong>Remarkable Gardens of France</strong>の地位を受賞しています。1999年に 起きた嵐により公園の森林はひどく被害を受けましたが、その後回復作業がなされてきました。</p>
<p>公園はLe Notre（ル・ノートル）によるフランス式庭園、イギリス式庭園、Marie Antoinetteマリー・アントワネット公園を含んでいます。</p>
<p><strong>Parc de Saint-Cloud</strong>の歴史</p>
<p><img src="../../imgs/parc_de_saint_cloud/800px-Maquette_chateausaint-cloud%20%5B320x200%5D.js" /><br />
サン・クルー城の模型</p>
<p>公園はChâteau de Saint-Cloud（サン・クルー城）の跡地に作られました。サン・クルー城は16世紀の王室、皇室の住居として利用されていました。1785年に は、マリー・アントワネットのためにルイ16世がこの城を購入。サンクルの空気が彼女の子どもたちに良いからだと思っていたそうです。さらに、ナポレオン3世がプロシアに戦争を宣告した後、この地域はプロシア軍に占領され、そこからパリ攻撃が始まります。1870年の10月13日、フランス軍の反撃により 城は焼かれてしまい、1892年には完全に破壊されることになります。そしていくつかの離れ屋敷だけが元のまま残るだけになってしまいました。</p>
<p>ではさらに奥へ進んでいきましょう。結構いい運動になりますよ。</p>
<p><img src="../../imgs/parc_de_saint_cloud/additional_photos/P1010125%20%5B320x200%5D.JPG" alt="" width="267" height="200" /></p>
<p><img src="../../imgs/parc_de_saint_cloud/additional_photos/P1010126%20%5B320x200%5D.JPG" alt="" width="267" height="200" /></p>
<p><img src="../../imgs/parc_de_saint_cloud/additional_photos/P1010128%20%5B320x200%5D.JPG" alt="" width="267" height="200" /><br />
どちらを向いても広大なスペースが続き、開放感が感じられます。空がとても広い！！！</p>
<p><img src="../../imgs/parc_de_saint_cloud/additional2%202010/P1020256%20%5B320x200%5D.JPG" alt="" width="267" height="200" /></p>
<p><img src="../../imgs/parc_de_saint_cloud/additional2%202010/P1020266%20%5B320x200%5D.JPG" alt="" width="267" height="200" /></p>
<p><img src="../../imgs/parc_de_saint_cloud/additional2%202010/P1020216%20%5B320x200%5D.JPG" alt="" width="267" height="200" /></p>
<p><img src="../../imgs/parc_de_saint_cloud/additional2%202010/P1020218%20%5B320x200%5D.JPG" alt="" width="267" height="200" /></p>
<p><img src="../../imgs/parc_de_saint_cloud/additional2%202010/P1020219%20%5B320x200%5D.JPG" alt="" width="267" height="200" /><br />
さあ、一度試してみたかったレストランにようやく行って来ました。公園の中にあるレストランです。<strong>Restaurant la Pergola</strong>（位置はLe Fer a chevalと呼ばれるエリア）私はニソワーズサラダ（16ユーロ）、主人はシェーヴルサラダ（15ユーロ）。外で、それも公園の中で食べるのはやっぱり気持ちがいい。結構ボリュームのあるサラダで、ロケーション込みで16ユーロはお手ごろかと（どうでしょうか？）。他の人が頼んでいたピザもおいしそうだったので次はピザにすると主人・・・。私たちは早く行ったので簡単に席が見つかりましたが、お昼を過ぎると（特にヴァカンス期）かなり込んでいるのでご注意を。</p>
<p>さらにここから上に森を進んでいくともう一軒レストランがあります。<strong>Restaurant Xylo</strong></p>
<p><img src="../../imgs/parc_de_saint_cloud/P1000861%20%5B320x200%5D.JPG" alt="" width="267" height="200" /></p>
<p><img src="../../imgs/parc_de_saint_cloud/P1000863%20%5B320x200%5D.JPG" alt="" width="267" height="200" /></p>
<p><img src="../../imgs/parc_de_saint_cloud/P1000862%20%5B320x200%5D.JPG" alt="" width="267" height="200" /><br />
お腹がいっぱいになったらウォーキングへ出発。ちょうどレストランの目の前がこの展望台の入り口になっています。パリのパノラマが楽しめることでも有名。右の写真では遠くにエッフェル塔が見えます。</p>
<p><img src="../../imgs/parc_de_saint_cloud/P1000866%20%5B320x200%5D.JPG" alt="" width="267" height="200" /></p>
<p><img src="../../imgs/parc_de_saint_cloud/P1000867%20%5B320x200%5D.JPG" alt="" width="267" height="200" /></p>
<p><img src="../../imgs/parc_de_saint_cloud/P1000872%20%5B320x200%5D.JPG" alt="" width="267" height="200" /></p>
<p><img src="../../imgs/parc_de_saint_cloud/additional2%202010/P1020237%20%5B320x200%5D.JPG" alt="" width="267" height="200" /></p>
<p><img src="../../imgs/parc_de_saint_cloud/additional2%202010/P1020236%20%5B320x200%5D.JPG" alt="" width="267" height="200" /></p>
<p><img src="../../imgs/parc_de_saint_cloud/additional2%202010/P1020233%20%5B320x200%5D.JPG" alt="" width="267" height="200" /><br />
4月に訪れると、チューリップが満開でした。手入れがいつも行き届いていて訪れる人を楽しませてくれます。</p>
<p><img src="../../imgs/parc_de_saint_cloud/additional_photos/P1010130%20%5B320x200%5D.JPG" alt="" width="150" height="200" /> <img src="../../imgs/parc_de_saint_cloud/additional_photos/P1010131%20%5B320x200%5D.JPG" alt="" width="267" height="200" /></p>
<p><img src="../../imgs/parc_de_saint_cloud/additional_photos/P1010132%20%5B320x200%5D.JPG" alt="" width="267" height="200" /><br />
7月はひまわりが（左写真）。そしてそのひまわりの間に、なんだかかわいらしいボールのような。。。</p>
<p><img src="../../imgs/parc_de_saint_cloud/additional2%202010/P1020248%20%5B320x200%5D.JPG" alt="" width="267" height="200" /></p>
<p><img src="../../imgs/parc_de_saint_cloud/additional2%202010/P1020255%20%5B320x200%5D.JPG" alt="" width="267" height="200" /></p>
<p><img src="../../imgs/parc_de_saint_cloud/additional2%202010/P1020259%20%5B320x200%5D.JPG" alt="" width="267" height="200" /></p>
<p><img src="../../imgs/parc_de_saint_cloud/additional2%202010/P1020232%20%5B320x200%5D.JPG" alt="" width="267" height="200" /><br />
花壇の花だけではありません。地面に横たわるとそこにもいろんな草花が。広いスペースに森が広がっていて、本当に気持ちが良かったですよ。近くでお惣菜を買ってピクニックをし、本を読んで、雲を眺めながらボーっとし、ちょっとお昼寝。少し体を休めたらウォーキングに立ち上がり、植物観察をしに出発。広大な敷地なので、まだほんの一部しか歩いていないのですが、また、遊びに行こうと思います。</p>
<p>普段ビルばかりの景色から、ちょっと自然にもどってみるとほっとしますね。それも砂埃の立つ街中の公園ではなく、人もまばらな森を歩くのは最高！</p>
<p><a href="http://parc.de.saintcloud.free.fr/index.html">Parc de Saint-Cloud</a> 公園の地図などが載っています。</p>
<p>参考：ウィキペディアENGLISHより</p>
]]></content:encoded>
			</item>
		<item>
		<title>ヴァンセンヌ城</title>
		<link>/ja/archives/257</link>
		<pubDate>Thu, 10 May 2007 20:18:03 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[Aki]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[フランス観光]]></category>
		<category><![CDATA[ヴァンセンヌ城]]></category>
		<category><![CDATA[パリ郊外]]></category>
		<category><![CDATA[城塞]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://www.nippon.fr/test/?p=257</guid>
		<description><![CDATA[ヴァンセンヌ城への行き方 パリの南東に位置し、ヴァンセンヌの森のちょうど入り口に当たります。パリ、メトロ1番線の東のターミナル、Chateau de Vincennes（シャトー　ドゥ　ヴァンセンヌ）。城内見学7.50ユーロ。 ヴァンセンヌ城の歴史 ヴァンセンヌ城は14世紀から17世紀にわたるフランス王の城。 他の多くの有名な城と同じく、もとは狩猟用に使うロッジとして1150年ルイ7世のために建てられました。13世紀にはフィリップ・オ ウギュストとルイ9世がさらに実質的な荘園へと築き上げていきます。またルイ9世はここヴァンセンヌから十字軍遠征に向かい、二度と戻ってこなかったとされます。そしてさらに、この土地を強化するために、天守閣がフィリップ6世によって足され、その塔は52ｍで中世で一番高くて頑丈な構造でした。天守 閣工事は1337年に開始。そして、天守閣を囲む長方形の城壁がヴァロワ一族によって約2世代後にようやく完成されました（1410）。 またヴァンセンヌ城はたんなる砦としてだけでなく、フィリップ3世(1274)、フィリップ4世(1322)のようにこのお城で結婚式を 挙げた王もいました。そして14世紀の王たちは皆ここヴァンセンヌ城で生まれています。ルイ10世 (1316)、フィリップ5世 (1322) 、シャルル4世(1328)。 17世紀には、ヴェルサイユ宮殿が注目を集めはじめ、ヴァンセンヌ城は多くの重要人物などが収容される牢獄の役割も果たして行きます。 18世紀この城は放棄されますが、その後まずはヴァンセンヌの陶器製造の地として（セーブル陶器博物館参考）、次に公式の収容所として、1796年には軍事品製造所として機能していきます。そして現在はthe French Armed Servicesの歴史的セクションとしての役割を果たしています。 また19世紀に英国様式の公園が作られます。そして1860年にナポレオン3世がヴァンセンヌの森と城を公共の公園として開放することになります。 ヴァンセンヌ城は1940年ドイツ軍侵略に対し、フランスが軍の本部を置いた場所でもあります。 Chateau de Vincennes ヴァンセンヌ城 12年の修復期間を終えて今年（2007年）オープンしたヴァンセンヌ城。6年前に訪れたときはまだ当然のことながら工事中で、いつかもう一度訪れたいなと思っていました。 高くそびえ立つ塔の中は意外に狭く、昔の様子が伺えます。 塔の地上階は倉庫、1階（橋のつながっている階）が出迎えの階、2階が王のプライベートの間、そして最上階には兵士たちが集まっていたそうです。 右の写真はクリックすると拡大します。 本丸を囲む塔の回廊。右の階段状にデザインされている部分は王の間。他の部分と違って、わざわざ手が加えてあります。 部屋の中は一本の柱を中心に、これが全階で一直線をなしています。 天井に使われている木材はかなり古く、時代を感じます。800年前に作られたというオリジナルです。 左は暖炉。右の写真は見にくいですが、トイレだったそうです。 実際はいろんな装飾が壁や柱に施されていたということです。 Ground Floor 中世時代には、この地上階は一階の小さな階段を使ってのみアクセスが可能でした。中庭に通じるドアのための開き口は18世紀に作られたものです。それ故に当時はこの地上階を台所として使うことはとても困難であり、代わりに貯蔵庫や召使達の部屋として使われました。 またこの階には、井戸や暖炉の跡が残っています。 また、上の階同様、この部屋も一本の柱を中心とした部屋となる予定でした。柱を隠してしまっている内側の壁は中世後期に作られたものです。19世紀に作られた窓の柵や独房の扉は、この部屋がかつて牢獄として使用されていたことを物語っています。1784年、この城の本丸は牢獄としての使用に終止符を打ち、囚人達はみなバスティｰユに移されました。1785年から1790年の間は、ヴァンセンヌ村にパンを供給していたパン屋と東パリ地区が この地上階と本丸の中庭を占拠しました。 The Marquis de Sade&#8217;s cell 快楽主義哲学者、無神論者、スキャンダラスで挑発的な作家、Donatien Alphonse Francois de Sadeは好色な作品内容で悪名高かった。彼は2度、このヴァンセンヌに収容されている。一回目は15日間、売春宿での乱暴な行為に対して。二回目は、 1777年、売春婦毒殺で終身刑を宣告されました。ヴァンセンヌで7年を過ごした後、1784年にバスティｰユへ移され、1790年自由を得ることになり ます。この本丸に収容されている間、彼の妻とは活発に連絡を取り合っていました。 ヴァンセンヌの牢獄 中世の頃から、フランスの王達は司法高官としての役割をも果たすために、それぞれの居住区に囚人を投獄する場所を持っていました。15世紀後半、ルイ11 世はこの本丸を囚人、時に重大な罪を犯した者などを収容するための牢獄として使い始めます。16世紀からは、公式にこの本丸が牢獄として機能していきます。その対象となったのは、プロテスタントなどの宗教異端者や政治敵対者などでした。 &#8230; <a href="/ja/archives/257" class="more-link">Continue reading <span class="screen-reader-text">ヴァンセンヌ城</span> <span class="meta-nav">&#8594;</span></a>]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p><strong>ヴァンセンヌ城への行き方</strong><br />
パリの南東に位置し、ヴァンセンヌの森のちょうど入り口に当たります。パリ、メトロ1番線の東のターミナル、Chateau de Vincennes（シャトー　ドゥ　ヴァンセンヌ）。城内見学7.50ユーロ。</p>
<p><img src="../../imgs/vincennes/P7080002%20%5B320x200%5D.JPG" alt="v" width="187" height="242" /></p>
<p><strong>ヴァンセンヌ城の歴史<br />
</strong>ヴァンセンヌ城は14世紀から17世紀にわたるフランス王の城。</p>
<p>他の多くの有名な城と同じく、もとは狩猟用に使うロッジとして1150年ルイ7世のために建てられました。13世紀にはフィリップ・オ ウギュストとルイ9世がさらに実質的な荘園へと築き上げていきます。またルイ9世はここヴァンセンヌから十字軍遠征に向かい、二度と戻ってこなかったとされます。そしてさらに、この土地を強化するために、天守閣がフィリップ6世によって足され、その塔は52ｍで中世で一番高くて頑丈な構造でした。天守 閣工事は1337年に開始。そして、天守閣を囲む長方形の城壁がヴァロワ一族によって約2世代後にようやく完成されました（1410）。</p>
<p>またヴァンセンヌ城はたんなる砦としてだけでなく、フィリップ3世(1274)、フィリップ4世(1322)のようにこのお城で結婚式を 挙げた王もいました。そして14世紀の王たちは皆ここヴァンセンヌ城で生まれています。ルイ10世 (1316)、フィリップ5世 (1322) 、シャルル4世(1328)。</p>
<p>17世紀には、ヴェルサイユ宮殿が注目を集めはじめ、ヴァンセンヌ城は多くの重要人物などが収容される牢獄の役割も果たして行きます。</p>
<p>18世紀この城は放棄されますが、その後まずはヴァンセンヌの陶器製造の地として（<a href="/ja/archives/2751">セーブル陶器博物館</a>参考）、次に公式の収容所として、1796年には軍事品製造所として機能していきます。そして現在はthe French Armed Servicesの歴史的セクションとしての役割を果たしています。</p>
<p>また19世紀に英国様式の公園が作られます。そして1860年にナポレオン3世がヴァンセンヌの森と城を公共の公園として開放することになります。</p>
<p>ヴァンセンヌ城は1940年ドイツ軍侵略に対し、フランスが軍の本部を置いた場所でもあります。</p>
<p><strong>Chateau de Vincennes ヴァンセンヌ城 </strong><br />
12年の修復期間を終えて今年（2007年）オープンしたヴァンセンヌ城。6年前に訪れたときはまだ当然のことながら工事中で、いつかもう一度訪れたいなと思っていました。</p>
<p><img src="../../imgs/vincennes/P7080011%20%5B320x200%5D.JPG" alt="v" width="320" height="240" /></p>
<p><img src="../../imgs/vincennes/P7080005%20%5B320x200%5D.JPG" alt="v" width="320" height="240" /><br />
高くそびえ立つ塔の中は意外に狭く、昔の様子が伺えます。</p>
<p><img src="../../imgs/vincennes/P7080010%20%5B320x200%5D.JPG" alt="v" width="320" height="240" /></p>
<p><img src="../../imgs/vincennes/P7080063%20%5B320x200%5D.JPG" alt="v" width="320" height="240" /><br />
塔の地上階は倉庫、1階（橋のつながっている階）が出迎えの階、2階が王のプライベートの間、そして最上階には兵士たちが集まっていたそうです。</p>
<p><img src="../../imgs/vincennes/P7080055%20%5B320x200%5D.JPG" alt="v" width="320" height="240" /></p>
<p><a href="../../imgs/vincennes/P7080009%20%5B1024x768%5D.JPG"><img src="../../imgs/vincennes/P7080009%20%5B320x200%5D.JPG" alt="v" width="198" height="239" /></a><br />
右の写真はクリックすると拡大します。</p>
<p><img src="../../imgs/vincennes/P7080048%20%5B320x200%5D.JPG" alt="v" width="320" height="240" /></p>
<p><img src="../../imgs/vincennes/P7080050%20%5B320x200%5D.JPG" alt="v" width="320" height="240" /><br />
本丸を囲む塔の回廊。右の階段状にデザインされている部分は王の間。他の部分と違って、わざわざ手が加えてあります。</p>
<p><img src="../../imgs/vincennes/P7080013%20%5B320x200%5D.JPG" alt="v" width="320" height="240" /></p>
<p><img src="../../imgs/vincennes/P7080022%20%5B320x200%5D.JPG" alt="v" width="320" height="240" /><br />
部屋の中は一本の柱を中心に、これが全階で一直線をなしています。</p>
<p><img src="../../imgs/vincennes/P7080030%20%5B320x200%5D.JPG" alt="v" width="320" height="240" /><br />
天井に使われている木材はかなり古く、時代を感じます。800年前に作られたというオリジナルです。</p>
<p><img src="../../imgs/vincennes/P7080025%20%5B320x200%5D.JPG" alt="v" width="320" height="240" /> <img src="../../imgs/vincennes/P7080024%20%5B320x200%5D.JPG" alt="v" width="150" height="200" /><br />
左は暖炉。右の写真は見にくいですが、トイレだったそうです。</p>
<p><img src="../../imgs/vincennes/P7080026%20%5B320x200%5D.JPG" alt="v" width="320" height="240" /><br />
実際はいろんな装飾が壁や柱に施されていたということです。</p>
<p><strong>Ground Floor</strong><br />
中世時代には、この地上階は一階の小さな階段を使ってのみアクセスが可能でした。中庭に通じるドアのための開き口は18世紀に作られたものです。それ故に当時はこの地上階を台所として使うことはとても困難であり、代わりに貯蔵庫や召使達の部屋として使われました。 またこの階には、井戸や暖炉の跡が残っています。</p>
<p>また、上の階同様、この部屋も一本の柱を中心とした部屋となる予定でした。柱を隠してしまっている内側の壁は中世後期に作られたものです。19世紀に作られた窓の柵や独房の扉は、この部屋がかつて牢獄として使用されていたことを物語っています。1784年、この城の本丸は牢獄としての使用に終止符を打ち、囚人達はみなバスティｰユに移されました。1785年から1790年の間は、ヴァンセンヌ村にパンを供給していたパン屋と東パリ地区が この地上階と本丸の中庭を占拠しました。</p>
<p><img src="../../imgs/vincennes/P7080035%20%5B320x200%5D.JPG" alt="v" width="320" height="240" /></p>
<p><strong>The Marquis de Sade&#8217;s cell</strong><br />
快楽主義哲学者、無神論者、スキャンダラスで挑発的な作家、Donatien Alphonse Francois de Sadeは好色な作品内容で悪名高かった。彼は2度、このヴァンセンヌに収容されている。一回目は15日間、売春宿での乱暴な行為に対して。二回目は、 1777年、売春婦毒殺で終身刑を宣告されました。ヴァンセンヌで7年を過ごした後、1784年にバスティｰユへ移され、1790年自由を得ることになり ます。この本丸に収容されている間、彼の妻とは活発に連絡を取り合っていました。</p>
<p><img src="../../imgs/vincennes/P7080039%20%5B320x200%5D.JPG" alt="v" width="320" height="240" /> <img src="../../imgs/vincennes/P7080040%20%5B320x200%5D.JPG" alt="v" width="150" height="200" /></p>
<p><strong>ヴァンセンヌの牢獄</strong><br />
中世の頃から、フランスの王達は司法高官としての役割をも果たすために、それぞれの居住区に囚人を投獄する場所を持っていました。15世紀後半、ルイ11 世はこの本丸を囚人、時に重大な罪を犯した者などを収容するための牢獄として使い始めます。16世紀からは、公式にこの本丸が牢獄として機能していきます。その対象となったのは、プロテスタントなどの宗教異端者や政治敵対者などでした。</p>
<p>Pierre Ernst I of Mansfeld(1517~1604) は、the Emperor Charles Quintとルクセンブルグ総督の任務に服した戦争捕虜としてヴァンセンヌに投獄されました。しかし彼は、この本丸内で、料理などの家事をしたり、野うさ ぎやオオムなどのペットを飼うことを許されていました。そして身代金が出された後すぐに解放されることになります。</p>
<p>17世紀からは、フーケ（1615~1682)のように囚人は独房に入れられるようになります。1661年、彼はルイ14世によって投 獄されました（詳しくは<a href="/ja/archives/264">ヴォルヴィコント城</a>参考）。</p>
<p>18世紀後半からは、バスティｰユとともに王宮の牢獄としてシンボル化していきます。ある囚人達は裁判もなくここに連れてこられました。1749年のDiderotは、彼の作品が破壊分子的だとされ牢獄されてしまいました。</p>
<p>19世紀、1830年と1848年の改革後、免職となった高官たちがヴァンセンヌに収容されました。そして世界第2次世界大戦の終わりまで牢獄として使用されていきいます。</p>
<p><img src="../../imgs/vincennes/P7080043%20%5B320x200%5D.JPG" alt="v" width="320" height="240" /></p>
<p><strong>彫刻装飾</strong><br />
彫刻は窓の基盤に集中して用いられており、音楽を奏でる天使やファンタジー溢れる姿や予言者を描いています。これらの彫刻は修復時にコピーされたものです が、オリジナルのいくつかは中に展示してあります。音楽を奏でる天使というのは中世ヨーロッパの彫刻、ステンドグラス、絵画などによく見られ、14世紀中ごろから天のシンボルとして使われるようになりました。</p>
<p><img src="../../imgs/vincennes/P7080061%20%5B320x200%5D.JPG" alt="v" width="320" height="240" /></p>
<p><img src="../../imgs/vincennes/P7080064%20%5B320x200%5D.JPG" alt="v" width="320" height="240" /></p>
<p><img src="../../imgs/vincennes/P7080032%20%5B320x200%5D.JPG" alt="v" width="320" height="240" /></p>
<p><img src="../../imgs/vincennes/P7080033%20%5B320x200%5D.JPG" alt="v" width="320" height="240" /><br />
音楽を奏でる天使たち</p>
<p><strong>ベル塔と時計</strong><br />
1369年に作られたベル塔は、フランスで最初の公共時計。ここに現在たっている塔は2000年に復元されたもの。オリジナルのベルはサント・シャペルにある（<a href="../../sight_jp/sainte_chapelle.html">サント・シャペル</a>の ぺージも参考に）。シャルル5世によってパリ居住区に取り付けられた時計のうち、唯一現存する時計。王の書斎の上に設置され、また本丸にある王の寝室と同 じ階にあり毎日規則正しい時間を告げていた。</p>
<p><img src="../../imgs/vincennes/P7080066%20%5B320x200%5D.JPG" alt="v" width="320" height="240" /></p>
<p><img src="../../imgs/vincennes/P7080068%20%5B320x200%5D.JPG" alt="v" width="320" height="240" /><br />
門の向こうに広がるのがヴァンセンヌの森（写真右）。</p>
<p><img src="../../imgs/vincennes/P7080003%20%5B320x200%5D.JPG" alt="v" width="320" height="240" /></p>
<p><img src="../../imgs/vincennes/P7080067%20%5B320x200%5D.JPG" alt="v" width="320" height="240" /><br />
塔からの眺めも美しい（天気がいいともっとよかったんですが）。</p>
<p>参考：ウィキペディア　English<br />
ヴァンセンヌ城内の説明記事より<br />
訳　aki</p>
<p>パリのメトロですぐに行けてしまうという便利さ。見学の後ヴァンセヌの森を散歩しながら一日を過ごすのもいいですね。パリはショッピングもいいですが、やっぱり歴史もおもしろいですよね。日本史と比べながら見学したりするとさらにおもしろい。ここでどんな人がどんな事を思っていたんだろ うと考えるとぞくぞくしてしまう。</p>
<p><a href="http://www.chateau-vincennes.fr/"><strong>ヴァンセンヌ城　オフィ シャルサイト</strong></a></p>
]]></content:encoded>
			</item>
		<item>
		<title>ヴォルヴィコント城</title>
		<link>/ja/archives/264</link>
		<pubDate>Thu, 03 May 2007 20:23:09 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[Aki]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[フランス観光]]></category>
		<category><![CDATA[ヴォルビコント城]]></category>
		<category><![CDATA[ニコラ・フーケ]]></category>
		<category><![CDATA[パリ郊外]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://www.nippon.fr/test/?p=264</guid>
		<description><![CDATA[Chateau de Vaux-Le-Vicomte ヴォルヴィコント城 ヴォルヴィコントとはルイ14世に仕える財務長官Nicolas Fouguet二コラ・フーケの地所です。財宝の数々で埋め尽くされた彼の城は、17世紀中頃、他のどんな貴族も真似できないほど近代的でエレガントな傑作と称されていました。 ところが、このような華やかさが太陽王ルイ14世の嫉妬を招き、フーケは牢獄され、のちにヴェルサイユ宮殿がフーケの築いたヴォルヴィ コント城を元に建てられることになります。 ヴォルヴィコント城への行き方 Metroメトロ・シャトレーもしくはリヨン駅でRER D（パリ市内近郊を走る電車）に乗り、一時間ほどすると終点Melun ムランに着きます。そしてそこからは駅前から出ている専用シャトルバスを利用します（往復7ユーロ/4月から10月までの週末と祝日運 行/時刻表など詳細はホームページにて）。ちょっとそのバス停を探すのに手間取ってしまいましたが、カフェの並ぶ通りに立っています。出発時間の20分前 にはバスが到着し、それまでどこにいたのか不思議なくらいたくさんの人々がやって来ました。そして出発。街中を抜け、木々に囲まれた細道を進み20分ほどするとヴォルヴィコント城に着きます。 クリックす ると拡大します。 ヴォルヴィコント城内 Les Charmilles バスを降り、城構内へ進んでいくと、まずお土産やさんとレストランがあります。お天気も良かったのでたくさんの人々がランチを楽しんでいました。5月から 10月の間の平日オープン。 The carriage museum（馬車博物館） さらに奥へ進むと、馬車のコレクションが展示してある建物があります。左下の黄色い馬車は猟をした後に獲物を入れておくためのものだそうです。そんな馬車があるなんて知りませんでした。他にも子供用のポニー馬車など、たくさんの馬車が保存してあり、どれだけ裕福であったかが実感できます。 Chateau de Vaux-Le-Vicomte ヴォルヴィコント城 そして少し歩いて、お城へと到着。水に囲まれたお城はどこか訪問客を潤してくれます。 城内は見所がたくさん。これもあれもと説明を読みながら見学していきます。絵画などには当時の古いフランス語で説明がされていたりする ので、その言語にも興味津々となりながら見て回りました。昔のフランス語はラテン語に近かったので余分な部分が省略されて、現在のフランス語のアクサンが 生まれたんだそうです（フランス語アクサン記号の謎参照）。 下の絵は二コラ･フーケが裁判にかけられている様子です。ただの嫉妬で刑にかけられるなんて当時の絶対王政の力がうかがえます。 またにニコラ･フーケと親交のあった人物には寓話作家ラ・フォンテーヌの名前も。フランスではイソップ童話の紹介や他にも数々の寓話を 残し人々に親しまれています。絶対王政の中、王に向かって直接批判をすることはできなかったので、彼は彼の作品の中で、王をライオンと例え非難を表していたそうです。（関連ぺージ：観光/ラヌ ラグ公園） そしてこちら（左下）は当時のバスルーム。中央のちょっと長めの椅子のような形のものがお風呂です。そこに手前にある入れ物でお湯を入れたそうです。また右端の穴の開いた椅子が【トイレ】です。うーん、こんな普通の部屋の中でバスタイムは落ち着かない。右下の写真は寝室。昔の人は小さかったんですね。こんなスペースに私はおさまりません。 こちらはニコラ･フーケの書斎、方形の大部屋と王家の控えの間。ここでどんな本を読んでどんなことを考えていたのでしょうか。 ブッフェ広間はフーケの旧食堂。それ以前の時代では、主人や客のいる部屋に料理が運ばれていたので史上最初の食堂と言われています。右はワインセラー。 そして鉄仮面伝説。当時の王政下で牢獄された人物の中に鉄の仮面をかぶった囚人がいたそうです。仮面には鍵がかけられており、一言も口を聞かなかったそうです。そして彼の顔を見たものは全て処刑されてしまったという。ある説によるとルイ14世の双子の兄弟だったのではないかとも言われてます。それも本当かどうかは闇の中。いまだに誰だったのか、その話自体本当にあったことなのかも分からないままです。そしてニコラ･フーケはこの人物のことを知っていたのかどうか。 見所はまだまだ他にもたくさん。ヴェルサイユ宮殿のモデルにもなっただけあって、造りも良く似ているところがあります。比較しながら見 学してみるとおもしろいかもしれませんね。 途中にはDome visit（展望台見学／別料金）があり、美しい庭園を一望もできます。 ヴォルヴィコント庭園 では次はヴォルヴィコント庭園へ。この庭園を設計したのは、後ヴェルサイユ宮殿も手がけることになる造園家ル・ノートルです。彼の功績を称え、彼に与えられたシンボルがこちらキャベツとカタツムリ（右下）。城内にLe Notre exhibitoinが 設けられているので、そこで彼の作品について知ることができます。 この庭園は土地の傾斜など緻密に計算がされており、数学の知識が至るところに張り巡らされています。広大な敷地の中に置かれた大きな噴水のおかげで、城は実際よりも近くに見えるという目の錯覚が起こります。そう、近そうでものすごく遠いんです。川を挟んだ向こう側の丘に像が立っており、そこまで行くのにそんなかからないだろうと思って歩いて行くのですが、結構時間がかかる。そしてそこから城を見返すとそんな遠くにあるような気がしない（不思議）。それどころか手前にある大きな噴水の水に城が映っているのまで見えてしまう。 写真では伝えきれませんが、城から徐々に離れていきます。 ちょっとここで休憩。川の手前まで着ました。 夏には噴水ショーや花火もあります。きれいでしょうね。 城を川を挟んで反対の丘から見た眺めです。 &#8230; <a href="/ja/archives/264" class="more-link">Continue reading <span class="screen-reader-text">ヴォルヴィコント城</span> <span class="meta-nav">&#8594;</span></a>]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p><strong>Chateau de Vaux-Le-Vicomte</strong> <strong>ヴォルヴィコント城</strong><br />
ヴォルヴィコントとは<strong>ルイ14世</strong>に仕える財務長官<strong>Nicolas Fouguet二コラ・フーケ</strong>の地所です。財宝の数々で埋め尽くされた彼の城は、17世紀中頃、他のどんな貴族も真似できないほど近代的でエレガントな傑作と称されていました。</p>
<p>ところが、このような華やかさが太陽王ルイ14世の嫉妬を招き、フーケは牢獄され、のちにヴェルサイユ宮殿がフーケの築いたヴォルヴィ コント城を元に建てられることになります。</p>
<p><strong>ヴォルヴィコント城への行き方</strong><br />
Metroメトロ・シャトレーもしくはリヨン駅でRER D（パリ市内近郊を走る電車）に乗り、一時間ほどすると終点<strong>Melun ムラン</strong>に着きます。そしてそこからは駅前から出ている専用シャトルバスを利用します（往復7ユーロ/4月から10月までの週末と祝日運 行/時刻表など詳細はホームページにて）。ちょっとそのバス停を探すのに手間取ってしまいましたが、カフェの並ぶ通りに立っています。出発時間の20分前 にはバスが到着し、それまでどこにいたのか不思議なくらいたくさんの人々がやって来ました。そして出発。街中を抜け、木々に囲まれた細道を進み20分ほどするとヴォルヴィコント城に着きます。</p>
<p><a href="../../imgs/vaux_le_vicomte/IMAGE0020.JPG"><img src="../../imgs/vaux_le_vicomte/IMAGE0020%20%5BiPod%20Photo%5D.JPG" alt="map" width="220" height="164" /></a><br />
<a href="../../imgs/vaux_le_vicomte/IMAGE0020.JPG">クリック</a>す ると拡大します。</p>
<p><strong>ヴォルヴィコント城内</strong></p>
<p><strong>Les Charmilles </strong><br />
バスを降り、城構内へ進んでいくと、まずお土産やさんとレストランがあります。お天気も良かったのでたくさんの人々がランチを楽しんでいました。5月から 10月の間の平日オープン。</p>
<p><strong>The carriage museum（馬車博物館）</strong><br />
さらに奥へ進むと、馬車のコレクションが展示してある建物があります。左下の黄色い馬車は猟をした後に獲物を入れておくためのものだそうです。そんな馬車があるなんて知りませんでした。他にも子供用のポニー馬車など、たくさんの馬車が保存してあり、どれだけ裕福であったかが実感できます。</p>
<p><img src="../../imgs/vaux_le_vicomte/P5010018%20%5B320x200%5D.JPG" alt="cart" width="320" height="240" /></p>
<p><img src="../../imgs/vaux_le_vicomte/P5010024%20%5B320x200%5D.JPG" alt="cart" width="320" height="240" /></p>
<p><strong>Chateau de Vaux-Le-Vicomte</strong> <strong>ヴォルヴィコント城</strong><br />
そして少し歩いて、お城へと到着。水に囲まれたお城はどこか訪問客を潤してくれます。</p>
<p><img src="../../imgs/vaux_le_vicomte/P5010118%20%5B320x200%5D.JPG" alt="castle" width="320" height="240" /></p>
<p>城内は見所がたくさん。これもあれもと説明を読みながら見学していきます。絵画などには当時の古いフランス語で説明がされていたりする ので、その言語にも興味津々となりながら見て回りました。昔のフランス語はラテン語に近かったので余分な部分が省略されて、現在のフランス語のアクサンが 生まれたんだそうです（フランス語<a href="/ja/archives/443">アクサン記号の謎</a>参照）。</p>
<p>下の絵は二コラ･フーケが裁判にかけられている様子です。ただの嫉妬で刑にかけられるなんて当時の絶対王政の力がうかがえます。</p>
<p><img src="../../imgs/vaux_le_vicomte/P5010032%20%5B320x200%5D.JPG" alt="trial" width="320" height="240" /></p>
<p>またにニコラ･フーケと親交のあった人物には寓話作家ラ・フォンテーヌの名前も。フランスではイソップ童話の紹介や他にも数々の寓話を 残し人々に親しまれています。絶対王政の中、王に向かって直接批判をすることはできなかったので、彼は彼の作品の中で、王をライオンと例え非難を表していたそうです。（関連ぺージ：観光/<a href="/ja/archives/263">ラヌ ラグ公園</a>）</p>
<p><img src="../../imgs/vaux_le_vicomte/P5010027%20%5B320x200%5D.JPG" alt="writer" width="320" height="240" /></p>
<p><img src="../../imgs/vaux_le_vicomte/P5010028%20%5B320x200%5D.JPG" alt="book" width="320" height="240" /></p>
<p>そしてこちら（左下）は当時のバスルーム。中央のちょっと長めの椅子のような形のものがお風呂です。そこに手前にある入れ物でお湯を入れたそうです。また右端の穴の開いた椅子が【トイレ】です。うーん、こんな普通の部屋の中でバスタイムは落ち着かない。右下の写真は寝室。昔の人は小さかったんですね。こんなスペースに私はおさまりません。</p>
<p><img src="../../imgs/vaux_le_vicomte/P5010036%20%5B320x200%5D.JPG" alt="bathroom" width="320" height="240" /></p>
<p><img src="../../imgs/vaux_le_vicomte/P5010037%20%5B320x200%5D.JPG" alt="bedroom" width="320" height="240" /></p>
<p>こちらはニコラ･フーケの書斎、方形の大部屋と王家の控えの間。ここでどんな本を読んでどんなことを考えていたのでしょうか。</p>
<p><img src="../../imgs/vaux_le_vicomte/P5010040%20%5B320x200%5D.JPG" alt="den" width="320" height="240" /></p>
<p><img src="../../imgs/vaux_le_vicomte/P5010055%20%5B320x200%5D.JPG" alt="den" width="320" height="240" /></p>
<p>ブッフェ広間はフーケの旧食堂。それ以前の時代では、主人や客のいる部屋に料理が運ばれていたので史上最初の食堂と言われています。右はワインセラー。</p>
<p><img src="../../imgs/vaux_le_vicomte/P5010062%20%5B320x200%5D.JPG" alt="buffet" width="320" height="240" /></p>
<p><img src="../../imgs/vaux_le_vicomte/P5010069%20%5B320x200%5D.JPG" alt="wine" width="320" height="240" /></p>
<p>そして鉄仮面伝説。当時の王政下で牢獄された人物の中に鉄の仮面をかぶった囚人がいたそうです。仮面には鍵がかけられており、一言も口を聞かなかったそうです。そして彼の顔を見たものは全て処刑されてしまったという。ある説によるとルイ14世の双子の兄弟だったのではないかとも言われてます。それも本当かどうかは闇の中。いまだに誰だったのか、その話自体本当にあったことなのかも分からないままです。そしてニコラ･フーケはこの人物のことを知っていたのかどうか。</p>
<p><img src="../../imgs/vaux_le_vicomte/P5010066%20%5B320x200%5D.JPG" alt="mask legend" width="265" height="196" /> <img src="../../imgs/vaux_le_vicomte/P5010068%20%5B320x200%5D.JPG" alt="mask" width="150" height="200" /></p>
<p>見所はまだまだ他にもたくさん。ヴェルサイユ宮殿のモデルにもなっただけあって、造りも良く似ているところがあります。比較しながら見 学してみるとおもしろいかもしれませんね。</p>
<p>途中にはDome visit（展望台見学／別料金）があり、美しい庭園を一望もできます。</p>
<p><strong>ヴォルヴィコント庭園</strong><br />
では次はヴォルヴィコント庭園へ。この庭園を設計したのは、後ヴェルサイユ宮殿も手がけることになる<strong>造園家ル・ノートル</strong>です。彼の功績を称え、彼に与えられたシンボルがこちらキャベツとカタツムリ（右下）。城内に<strong>Le Notre exhibitoin</strong>が 設けられているので、そこで彼の作品について知ることができます。</p>
<p><img src="../../imgs/vaux_le_vicomte/P5010080%20%5B320x200%5D.JPG" alt="le notre" width="320" height="240" /></p>
<p><img src="../../imgs/vaux_le_vicomte/P5010082%20%5B320x200%5D.JPG" alt="le notre" width="320" height="240" /></p>
<p>この庭園は土地の傾斜など緻密に計算がされており、数学の知識が至るところに張り巡らされています。広大な敷地の中に置かれた大きな噴水のおかげで、城は実際よりも近くに見えるという目の錯覚が起こります。そう、近そうでものすごく遠いんです。川を挟んだ向こう側の丘に像が立っており、そこまで行くのにそんなかからないだろうと思って歩いて行くのですが、結構時間がかかる。そしてそこから城を見返すとそんな遠くにあるような気がしない（不思議）。それどころか手前にある大きな噴水の水に城が映っているのまで見えてしまう。</p>
<p>写真では伝えきれませんが、城から徐々に離れていきます。</p>
<p><img src="../../imgs/vaux_le_vicomte/P5010085%20%5B320x200%5D.JPG" alt="garden" width="320" height="240" /></p>
<p><img src="../../imgs/vaux_le_vicomte/P5010086%20%5B320x200%5D.JPG" alt="garden" width="320" height="240" /></p>
<p>ちょっとここで休憩。川の手前まで着ました。<br />
夏には噴水ショーや花火もあります。きれいでしょうね。</p>
<p><img src="../../imgs/vaux_le_vicomte/P5010091%20%5B320x200%5D.JPG" alt="garden" width="320" height="240" /></p>
<p><img src="../../imgs/vaux_le_vicomte/P5010092%20%5B320x200%5D.JPG" alt="garden" width="320" height="240" /></p>
<p>城を川を挟んで反対の丘から見た眺めです。</p>
<p><img src="../../imgs/vaux_le_vicomte/P5010096%20%5B320x200%5D.JPG" alt="garden" width="320" height="240" /></p>
<p><img src="../../imgs/vaux_le_vicomte/P5010111%20%5B320x200%5D.JPG" alt="garden" width="320" height="240" /></p>
<p>丘の上では歩いて来た人々がそれぞれに休息をとっています。私たちも草の上に寝転がってちょっと休憩。<br />
緑に包まれ、のーんびりとできました。</p>
<p><img src="../../imgs/vaux_le_vicomte/P5010100%20%5B320x200%5D.JPG" alt="garden" width="320" height="240" /></p>
<p>ヴェルサイユ宮殿もいいですが、その元になったお城を訪ねてみる価値があります。</p>
<p><strong>Chateau de Vauxt-le-Vicomte<br />
77950 MAINCY</strong></p>
<p>TEL: 01 64 14 41 90<br />
FAX: 01 60 69 90 85<br />
<a href="http://www.vaux-le-vicomte.com/">オフィシャルサイト</a></p>
<p><strong>オープン</strong><br />
3月24日~11月11日の毎日（2007年度）　*7月6日、7日を除く<br />
10：00am~5:30pm 　*平日　1:00pm~2:00pm 　お城は閉まっています。</p>
<p>12月22日（2007）~1月6日（2008）　*12月25日、1月1日を除く<br />
10：00am~6:30pm</p>
<p>詳細は上のオフィシャルサイトにて確認してください。</p>
<p><strong>イベント</strong><br />
またここヴォルヴィコントでは年間を通していろんなイベントが企画されています。サイトで詳しくチェックしてみてください。</p>
<p>（2007年度のイベント情報）</p>
<p>・17世紀のコスチューム／ランチパーティ　6月17日（2007）<br />
<img src="../../imgs/vaux_le_vicomte/IMAGE0017%20%5B320x200%5D%20%5BiPod%20Photo%5D.JPG" alt="event" width="220" height="151" /></p>
<p>・ヴォルヴィコント夏のパーティ　8月14日（2007）　野外劇、音楽、花火</p>
<p>・屋外オペラ　[Le Barbier de Seville]　9月6日~9月9日（2007）</p>
<p>・バロック音楽コンサート　10月20日（2007）</p>
<p>・ヴォルヴィコントクリスマス　城内庭園がクリスマスデコレーションされます。　12月22日（2007）~1月6日（2008）</p>
<p>・キャンドルライト　8:00pm~11:00pm　7月、8月の毎金曜日（7月6日を除く）。5月5日~10月6日の毎週土曜日（7 月7日と9月8日を除く）。<br />
<img src="../../imgs/vaux_le_vicomte/IMAGE0019%20%5B320x200%5D%20%5BiPod%20Photo%5D.JPG" alt="event" width="220" height="143" /></p>
<p>・噴水ショー　3月24日~10月27日　3:00pm~6:00pm　毎月第２と最終土曜日。<br />
<img src="../../imgs/vaux_le_vicomte/IMAGE0018%20%5B320x200%5D%20%5BiPod%20Photo%5D.JPG" alt="event" width="220" height="153" /></p>
<p><strong>パリからのツアー<br />
</strong>Paris Vision: 01 42 60 30 01<br />
Euroscope: 01 49 46 24 50<br />
Paris Trip: 01 42 12 86 76</p>
]]></content:encoded>
			</item>
		<item>
		<title>ジベルニー</title>
		<link>/ja/archives/266</link>
		<pubDate>Tue, 10 Apr 2007 20:24:05 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[Aki]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[フランス観光]]></category>
		<category><![CDATA[サイクリング]]></category>
		<category><![CDATA[ジベルニー]]></category>
		<category><![CDATA[パリ郊外]]></category>
		<category><![CDATA[モネ]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://www.nippon.fr/test/?p=266</guid>
		<description><![CDATA[モネが暮らしたことで有名な村、ジヴェルニー。パリから北西へ約88キロのところに位置します。 行き方 パリからはサン・ラザール駅でルーアン（Rouen）行きなどに乗り、ヴェルノン（Vernon）で降ります。電車によって停車駅数が異なるので1時間半かかる場合もあるし、私たちの場合は45分ほどで着く電車を利用しました。ＳＮＣＦのサイトで運賃料金を比較すると料金の差も分かりやすいですよ。私たちは一番安かったチケット片道11.60€。 ヴェルノン駅に着いたら、ジヴェルニーへアクセスする方法は3つ。まずは駅前にあるバス停からバスで。私たちは駅前のカフェで自転車を 借りました（一台一日10€）。お天気も良かったのでサイクリングがてら、のんびりとジベルニーまで楽しむことができたし、多分バスからは見えないまたは 味わえない雰囲気が味わえてとてもよかったです。そしてその途中には歩いてジヴェルニーへ向かう人も何人かいました。のんびりぶらぶらとするのもいいかも しれません。 セーヌ側沿いに車道が走っているのですが、そこから少し奥の山側に自転車と歩行者用の道が設けてあります。上の写真のようにまっすぐと自転車をこいでいきます。この日は朝早かったので人はまだ見かけませんでしたが、帰りには地元の子供たちが三輪車に乗って遊んでいたり、ベンチで本を読んだりおしゃべりしている人、さらに散歩をしている人などたくさん見かけました。 そして専用道を抜けると、Rue Claude MONET　クロード モネ通り。モネの家が近づいてきます。 こちらは同じ通りに立っている教会。この右隣に色とりどりの花々でいっぱいにされたモネのお墓がありました。 モネの家 そしてようやくモネの家へと到着。そこには朝10時に着きましたが祝日ともあってもうすでに結構人が並んでいました。小さな入り口でチ ケットを買い（5.50€）、階段を下りて行くとまずそこはお土産売り場。そして花々がちりばめられた庭へと続きます。 花々に埋め尽くされた庭を歩いていると、甘い香りに心も癒されるような気がします。今回の写真は4月のもの。チューリップやパンジーが たくさん咲いていました。これから夏にかけていろんな花を咲かせるんでしょうね。 そしてこちらがモネの家。淡いピンクとグリーンが庭ととてもマッチしています。こんなところで毎日花々を眺めながら暮らせるなんていいなあと。 内部に入ると、まずモネが収集した日本の浮世絵版画が所狭しと飾られているのに驚きました。いきなりタイムスリップしてしまったような 気分に。「日本の浮世絵には動きがある」といってモネは賞賛していたそうです。その中には当時の日本人が見たアメリカ人、イギリス人、オランダ人、ポルトガル人、ロシア人などの絵があり、それを興味津々となって西洋人たちが眺めていました。うちの主人もとても興味深いと見入っていました。そして一階の奥に はモネのアトリエや目がちかちかしそうなくらい青いキッチン、黄色いダイニングルームとあり、二階へあがるとベッドルームなどがありました。二階から見る庭の景色も素晴らしかったですよ。 そしてさらにモネの代表作「睡蓮の池」のモデルとなった日本式庭園と向かいます。連絡路を通って車道の下をくぐり反対側へと移動。大きな柳と蓮が特徴的なあの池へとやってきました。 この池を囲むように散策路が作られておりぐるっと一周することができます。本当に絵の中を歩いているかのような気分。幻 想的な雰囲気です。睡蓮は時期としては4月は早すぎましたが、それでも充分満足。水面に映った木々や草花とのコントラストがとても美しかったです。ここで あの大作が描かれたのだなあと。 そんな興奮感に浸りながらしばらく庭に用意されたベンチで一休み。自然の美しさをゆっくりと鑑賞させてもらいました。 モネと睡蓮 睡蓮はモネが1890年代から描き始めた連作です。1899年から1926年に彼が亡くなるまで、ここジヴェルニーの睡蓮の池で200 点以上の作品を描きあげました。1890年代の作品には岸に生える柳や木、池に架かる日本風の橋などがモチーフとされていましたが、1900年代になる と、画面が全て水面で埋め尽くされ、水面に浮かぶ睡蓮や水草、水面に映る空や樹木などが描かれるようになりました。晩年は白内障を患い、失明寸前状態とな り、彼の作品は徐々に抽象的になっていきました。 ここモネの家では彼の作品ではなくほとんどが日本の浮世絵版画で覆われています。彼の作品をうかがうためにはパリにあるオランジュリー美術館そしてマルモッタン美術館に足を運びま しょう。モネを追ってフランスの旅もいいですね。 そして私たちは、帰るまでにまだ時間に余裕があったので、しばらくサイクリングを楽しみ、サンドイッチを買って草むらの上でピクニッ ク。日光浴がてらにそこでしばらくうたた寝をしてから駅へと向かいました。ひっそりとたたずんだ村の中には、たくさんのＢ&#38;Ｂや農家自家製サイ ダーなどのサインをみつけました。暑かったけれど新鮮な空気がたくさん吸えた一日でした。 Fondation Claude Monet 86, rue Claude Monet &#8211; 27620 Giverny TEL : 02 32 51 28 21 ホームぺージ &#8230; <a href="/ja/archives/266" class="more-link">Continue reading <span class="screen-reader-text">ジベルニー</span> <span class="meta-nav">&#8594;</span></a>]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>モネが暮らしたことで有名な村、ジヴェルニー。パリから北西へ約88キロのところに位置します。</p>
<p><strong>行き方</strong></p>
<p>パリからはサン・ラザール駅でルーアン（Rouen）行きなどに乗り、ヴェルノン（Vernon）で降ります。電車によって停車駅数が異なるので1時間半かかる場合もあるし、私たちの場合は45分ほどで着く電車を利用しました。ＳＮＣＦのサイトで運賃料金を比較すると料金の差も分かりやすいですよ。私たちは一番安かったチケット片道11.60€。</p>
<p>ヴェルノン駅に着いたら、ジヴェルニーへアクセスする方法は3つ。まずは駅前にあるバス停からバスで。私たちは駅前のカフェで自転車を 借りました（一台一日10€）。お天気も良かったのでサイクリングがてら、のんびりとジベルニーまで楽しむことができたし、多分バスからは見えないまたは 味わえない雰囲気が味わえてとてもよかったです。そしてその途中には歩いてジヴェルニーへ向かう人も何人かいました。のんびりぶらぶらとするのもいいかも しれません。</p>
<p><img src="../../imgs/giverny/P4090001%20%5B320x200%5D.JPG" alt="giverny" width="247" height="179" /></p>
<p><img src="../../imgs/giverny/P4090067%20%5B320x200%5D.JPG" alt="giverny" width="244" height="177" /></p>
<p>セーヌ側沿いに車道が走っているのですが、そこから少し奥の山側に自転車と歩行者用の道が設けてあります。上の写真のようにまっすぐと自転車をこいでいきます。この日は朝早かったので人はまだ見かけませんでしたが、帰りには地元の子供たちが三輪車に乗って遊んでいたり、ベンチで本を読んだりおしゃべりしている人、さらに散歩をしている人などたくさん見かけました。</p>
<p>そして専用道を抜けると、Rue Claude MONET　クロード モネ通り。モネの家が近づいてきます。</p>
<p><img src="../../imgs/giverny/P4090068%20%5B320x200%5D.JPG" alt="giverny" width="320" height="240" /></p>
<p>こちらは同じ通りに立っている教会。この右隣に色とりどりの花々でいっぱいにされたモネのお墓がありました。</p>
<p><strong>モネの家</strong></p>
<p>そしてようやくモネの家へと到着。そこには朝10時に着きましたが祝日ともあってもうすでに結構人が並んでいました。小さな入り口でチ ケットを買い（5.50€）、階段を下りて行くとまずそこはお土産売り場。そして花々がちりばめられた庭へと続きます。</p>
<p><img src="../../imgs/giverny/P4090020%20%5B320x200%5D.JPG" alt="giverny" width="246" height="184" /></p>
<p><img src="../../imgs/giverny/P4090028%20%5B320x200%5D.JPG" alt="giverny" width="243" height="182" /></p>
<p><img src="../../imgs/giverny/P4090029%20%5B320x200%5D.JPG" alt="giverny" width="246" height="180" /></p>
<p><img src="../../imgs/giverny/P4090030%20%5B320x200%5D.JPG" alt="giverny" width="246" height="179" /></p>
<p><img src="../../imgs/giverny/P4090009%20%5B320x200%5D.JPG" alt="giverny" width="236" height="176" /></p>
<p><img src="../../imgs/giverny/P4090022%20%5B320x200%5D.JPG" alt="giverny" width="247" height="177" /></p>
<p>花々に埋め尽くされた庭を歩いていると、甘い香りに心も癒されるような気がします。今回の写真は4月のもの。チューリップやパンジーが たくさん咲いていました。これから夏にかけていろんな花を咲かせるんでしょうね。</p>
<p><img src="../../imgs/giverny/P4090008%20%5B320x200%5D.JPG" alt="giverny" width="320" height="240" /></p>
<p><img src="../../imgs/giverny/P4090059%20%5B320x200%5D.JPG" alt="giverny" width="320" height="240" /></p>
<p>そしてこちらがモネの家。淡いピンクとグリーンが庭ととてもマッチしています。こんなところで毎日花々を眺めながら暮らせるなんていいなあと。</p>
<p><img src="../../imgs/giverny/P4090010%20%5B320x200%5D.JPG" alt="giverny" width="320" height="240" /></p>
<p>内部に入ると、まずモネが収集した日本の浮世絵版画が所狭しと飾られているのに驚きました。いきなりタイムスリップしてしまったような 気分に。「日本の浮世絵には動きがある」といってモネは賞賛していたそうです。その中には当時の日本人が見たアメリカ人、イギリス人、オランダ人、ポルトガル人、ロシア人などの絵があり、それを興味津々となって西洋人たちが眺めていました。うちの主人もとても興味深いと見入っていました。そして一階の奥に はモネのアトリエや目がちかちかしそうなくらい青いキッチン、黄色いダイニングルームとあり、二階へあがるとベッドルームなどがありました。二階から見る庭の景色も素晴らしかったですよ。</p>
<p>そしてさらにモネの代表作「睡蓮の池」のモデルとなった日本式庭園と向かいます。連絡路を通って車道の下をくぐり反対側へと移動。大きな柳と蓮が特徴的なあの池へとやってきました。</p>
<p><img src="../../imgs/giverny/P4090034%20%5B320x200%5D.JPG" alt="giverny" width="320" height="240" /></p>
<p><img src="../../imgs/giverny/P4090035%20%5B320x200%5D.JPG" alt="giverny" width="320" height="240" /></p>
<p><img src="../../imgs/giverny/P4090044%20%5B320x200%5D.JPG" alt="giverny" width="320" height="240" /></p>
<p><img src="../../imgs/giverny/P4090048%20%5B320x200%5D.JPG" alt="giverny" width="320" height="240" /></p>
<p><img src="../../imgs/giverny/P4090049%20%5B320x200%5D.JPG" alt="giverny" width="320" height="240" /></p>
<p><img src="../../imgs/giverny/P4090036%20%5B320x200%5D.JPG" alt="giverny" width="320" height="240" /></p>
<p>この池を囲むように散策路が作られておりぐるっと一周することができます。本当に絵の中を歩いているかのような気分。幻 想的な雰囲気です。睡蓮は時期としては4月は早すぎましたが、それでも充分満足。水面に映った木々や草花とのコントラストがとても美しかったです。ここで あの大作が描かれたのだなあと。</p>
<p><img src="../../imgs/giverny/P4090057%20%5B320x200%5D.JPG" alt="giverny" width="150" height="200" /></p>
<p>そんな興奮感に浸りながらしばらく庭に用意されたベンチで一休み。自然の美しさをゆっくりと鑑賞させてもらいました。</p>
<p><strong>モネと睡蓮</strong></p>
<p>睡蓮はモネが1890年代から描き始めた連作です。1899年から1926年に彼が亡くなるまで、ここジヴェルニーの睡蓮の池で200 点以上の作品を描きあげました。1890年代の作品には岸に生える柳や木、池に架かる日本風の橋などがモチーフとされていましたが、1900年代になる と、画面が全て水面で埋め尽くされ、水面に浮かぶ睡蓮や水草、水面に映る空や樹木などが描かれるようになりました。晩年は白内障を患い、失明寸前状態とな り、彼の作品は徐々に抽象的になっていきました。</p>
<p>ここモネの家では彼の作品ではなくほとんどが日本の浮世絵版画で覆われています。彼の作品をうかがうためにはパリにある<a href="/ja/archives/280">オランジュリー美術館</a>そして<a href="/ja/archives/262">マルモッタン美術館</a>に足を運びま しょう。モネを追ってフランスの旅もいいですね。</p>
<p>そして私たちは、帰るまでにまだ時間に余裕があったので、しばらくサイクリングを楽しみ、サンドイッチを買って草むらの上でピクニッ ク。日光浴がてらにそこでしばらくうたた寝をしてから駅へと向かいました。ひっそりとたたずんだ村の中には、たくさんのＢ&amp;Ｂや農家自家製サイ ダーなどのサインをみつけました。暑かったけれど新鮮な空気がたくさん吸えた一日でした。</p>
<p><strong>Fondation Claude Monet</strong></p>
<p>86, rue Claude Monet &#8211; 27620 Giverny<br />
TEL : 02 32 51 28 21</p>
<p><a href="http://www.fondation-monet.com/">ホームぺージ</a></p>
<p>オープン<br />
9：30~18：00<br />
休み：月曜、11月~3月　月曜日でも祝日に当たると開いているそうです。サイトで確認を。<br />
入園料：　5.50€（大人）</p>
]]></content:encoded>
			</item>
		<item>
		<title>シャンティイー</title>
		<link>/ja/archives/301</link>
		<pubDate>Thu, 26 May 2005 00:55:00 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[Aki]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[フランス観光]]></category>
		<category><![CDATA[シャンティイー城]]></category>
		<category><![CDATA[パリ郊外]]></category>

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		<description><![CDATA[パリの北に位置する小さな町シャンティイーは、パリからほんの30分ほどの距離なのですが、静かで落ち着い た雰囲気のある場所です。ここにあるシャンティイー城は水に囲まれたとても美しい城で、14世紀から１９世紀にかけて、オランジ・ュモン家、モンモランシー家、ブルボン・コンデ家、そしてオルレアン家によって建てられた壮大な建造物です。ヴェルサイユ宮殿を見てからここにくるとその規模では劣りますが、 水に移る城の美しさは負けません。人も少なくなんとなく落ち着きます。 まずは橋を渡ってその右手にあるオフィスでチケットを購入します。チケットは何種類かありますが庭園と美術館のセットで大人が７ユーロでした。そこから庭園を見学すのもよし城内美術館へ入って見学すのもいいでしょう。庭園は城の裏側に広がっており湖に白鳥やかもなどがくつろいでいます。私たちが行ったのは寒い季節で湖に氷がはっていて鳥たちが泳いでいるのではなく氷の上を歩いていました。また美術館に入るに は、スタッフのお昼休みがあるのでその時間帯は入館できないので気をつけてください。（冬期間） 水に囲まれるシャンティイー城 氷の上を歩く鳥たち シャンティイー城庭園 プチシャトーは、１５６０年ごろ、アンヌ・ド・モンモランシーのためにジャン・ビュランによって建てられた城で、２階には１７、１８世紀の装飾が施されたコンデ公のための大きな居室、そして地下階には１９世紀の装飾になるオマール公の小居室があります。 グランシャトーにはフランス革命のときに破壊されましたが、ルイ・フィリップの息子、アンリ・ドルレアン、 オマール公（１８２２~１８９７）の絵画コレクションを収容する目的で、オノレ・ドーメによってオルジュモンの建物（１４世紀）の跡に、１８７５年から１８５５年にかけて再建されました。シャンティイ－は１８８６年そのルイ・フィリップの息子によってフランス学士院に寄贈されましたが、コンデ美術館の展示には手を加ないようにという希望によって、ギャラリーは１９世紀の様相をそのまま残しています。そのため絵画は時代の流派に関係なく、いく段かに分けて掛けられています。ここではガイド付き無料見学になっていて時間が合えば展示品に関する説明を聞くこともできます。 狩猟がさかんだった 幾つか気になったものといえば、まず「大猿の間」といって中国風装飾の部屋なのですが、猿が読み書きの練習 をしている絵があり、少し人間をこっけいに捉えた絵が壁一面に描かれているというものでした。また各部屋にはたくさんの寄木細工や彫刻などの装飾品が置かれていてとても興味深いです。中でもパリの昔の様子を描いた絵は必見です。その絵の中には隠された間違いがあって今のパリの様子と一致しない部分が含まれているのです。さらにシャンゼリゼ通りにあたる地域は当時何もない場所で、その名前にあるようにChamps「シャン」（野原）であった ことがわかります。またおススメめは絵画ギャラリー。上にも書いたように流派に関係なく展示されているのでどこから先に見ていいのかわからないくらい部屋中に絵が飾られています。ずっとその絵画の部屋を奥に進むとまたそこから２本通路が延びておりさらに絵画の部屋が続きます。一番奥の部屋にたどりつくと多くの肖像が掛けられていてます。当時の人の顔立ちなどなんとなく滑稽なものもあったりして、面白かったです。またそこで気がついたのは今でも変わらぬペットと しての犬です。肖像画の中まで犬が描かれていて、やはりフランス人の先祖だなと感じました。当時このあたりでは狩猟が盛んだったこともあり３００匹あまり の犬が飼われていたということです。またもう一方の通路を進むとたくさんの装飾品が展示されているガラスケースのある部屋にたどり着きます。ここで見つけ たのは日本の装飾品でした。ちょうど江戸後期に当たる時代なので、見てそれとすぐにわかります。こんなところで日本のものを発見するなんて期待をしていなかったのでなんとなくうれしいような、またどんな背景でここにたどり着いたのかも知ってみたいよう な気になりました。 さてその他の情報として、シャンティイーというとフランス語では「ホイップクリーム」というのをご存知でしょうか。ここでホイップクリームが生まれたという話なのですが、特にそれを宣伝する様子はなく、幾つか見つけた中では、このお城内敷地にあるレストラン で扱っているということ。でもだからといってそれがメインになっている様子ではなく、しかもお高めのレストラン。私がお茶をしにいったのは、このお城を出て右手（駅のある方向）に向かっていくとある（少し歩きます）、La Belle Bio　（22,rue du Connetable 60500 / 03 44 57 02 25) というレストランでした。唯一シャンティイ－を使ったメニューがあり、シャンティイーがカップに入ってでてく るものからクレープなどとの組み合わせたメニューなどがありました。すごく雰囲気もよくかわいらしい感じのレストランで、他にもＢＩＯレストランというだけあって無農薬食品を使った伝統料理が売りだそうです。また食品類なども店内で販売しています。この日も有名なフランス人作家のマダムがお茶をしにきていまし た（私にはよくわかりませんでしたが）。 あと、オーナーの話によるとここのレストランの休みが不定で、あいている時にであったらラッキーだということです。 La Belle Bio アクセス 列車　ＳＮＣＦ Chantilly-Gouvieux駅下車 Gare du Nord（長距離線）から30分 Chatelet-les-Halles （ＲＥＲ　Ｄ線）から45分 オープン時間 3月から10月31日　10時から18時 11月から2月28日　10時30分から12時45分、14時から17時 閉館日　火曜日 公園は毎日開園 ホー ムページ 城の近くには馬の博物館も。]]></description>
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<p>パリの北に位置する小さな町シャンティイーは、パリからほんの30分ほどの距離なのですが、静かで落ち着い た雰囲気のある場所です。ここにあるシャンティイー城は水に囲まれたとても美しい城で、14世紀から１９世紀にかけて、オランジ・ュモン家、モンモランシー家、ブルボン・コンデ家、そしてオルレアン家によって建てられた壮大な建造物です。ヴェルサイユ宮殿を見てからここにくるとその規模では劣りますが、 水に移る城の美しさは負けません。人も少なくなんとなく落ち着きます。</p>
<p>まずは橋を渡ってその右手にあるオフィスでチケットを購入します。チケットは何種類かありますが庭園と美術館のセットで大人が７ユーロでした。そこから庭園を見学すのもよし城内美術館へ入って見学すのもいいでしょう。庭園は城の裏側に広がっており湖に白鳥やかもなどがくつろいでいます。私たちが行ったのは寒い季節で湖に氷がはっていて鳥たちが泳いでいるのではなく氷の上を歩いていました。また美術館に入るに は、スタッフのお昼休みがあるのでその時間帯は入館できないので気をつけてください。（冬期間）</p>
<table border="0" width="100%" cellspacing="0" cellpadding="0">
<tbody>
<tr>
<td width="33%">
<div><img src="../../imgs/chantilly/Scan10014.js" /><br />
水に囲まれるシャンティイー城</div>
</td>
<td width="34%">
<div><img src="../../imgs/chantilly/Scan10019.js" /><br />
氷の上を歩く鳥たち</div>
</td>
<td width="33%">
<div><img src="../../imgs/chantilly/Scan10020.js" /><br />
シャンティイー城庭園</div>
</td>
</tr>
</tbody>
</table>
<p>プチシャトーは、１５６０年ごろ、アンヌ・ド・モンモランシーのためにジャン・ビュランによって建てられた城で、２階には１７、１８世紀の装飾が施されたコンデ公のための大きな居室、そして地下階には１９世紀の装飾になるオマール公の小居室があります。</p>
<p>グランシャトーにはフランス革命のときに破壊されましたが、ルイ・フィリップの息子、アンリ・ドルレアン、 オマール公（１８２２~１８９７）の絵画コレクションを収容する目的で、オノレ・ドーメによってオルジュモンの建物（１４世紀）の跡に、１８７５年から１８５５年にかけて再建されました。シャンティイ－は１８８６年そのルイ・フィリップの息子によってフランス学士院に寄贈されましたが、コンデ美術館の展示には手を加ないようにという希望によって、ギャラリーは１９世紀の様相をそのまま残しています。そのため絵画は時代の流派に関係なく、いく段かに分けて掛けられています。ここではガイド付き無料見学になっていて時間が合えば展示品に関する説明を聞くこともできます。</p>
<p><img src="../../imgs/chantilly/Scan10024.js" /></p>
<p><img src="../../imgs/chantilly/Scan10025.js" /></p>
<p><img src="../../imgs/chantilly/Scan10026.js" /><br />
狩猟がさかんだった</p>
<p>幾つか気になったものといえば、まず「大猿の間」といって中国風装飾の部屋なのですが、猿が読み書きの練習 をしている絵があり、少し人間をこっけいに捉えた絵が壁一面に描かれているというものでした。また各部屋にはたくさんの寄木細工や彫刻などの装飾品が置かれていてとても興味深いです。中でもパリの昔の様子を描いた絵は必見です。その絵の中には隠された間違いがあって今のパリの様子と一致しない部分が含まれているのです。さらに<em>シャン</em>ゼリゼ通りにあたる地域は当時何もない場所で、その名前にあるようにChamps「シャン」（野原）であった ことがわかります。またおススメめは絵画ギャラリー。上にも書いたように流派に関係なく展示されているのでどこから先に見ていいのかわからないくらい部屋中に絵が飾られています。ずっとその絵画の部屋を奥に進むとまたそこから２本通路が延びておりさらに絵画の部屋が続きます。一番奥の部屋にたどりつくと多くの肖像が掛けられていてます。当時の人の顔立ちなどなんとなく滑稽なものもあったりして、面白かったです。またそこで気がついたのは今でも変わらぬペットと しての犬です。肖像画の中まで犬が描かれていて、やはりフランス人の先祖だなと感じました。当時このあたりでは狩猟が盛んだったこともあり３００匹あまり の犬が飼われていたということです。またもう一方の通路を進むとたくさんの装飾品が展示されているガラスケースのある部屋にたどり着きます。ここで見つけ たのは日本の装飾品でした。ちょうど江戸後期に当たる時代なので、見てそれとすぐにわかります。こんなところで日本のものを発見するなんて期待をしていなかったのでなんとなくうれしいような、またどんな背景でここにたどり着いたのかも知ってみたいよう な気になりました。</p>
<p>さてその他の情報として、シャンティイーというとフランス語では「ホイップクリーム」というのをご存知でしょうか。ここでホイップクリームが生まれたという話なのですが、特にそれを宣伝する様子はなく、幾つか見つけた中では、このお城内敷地にあるレストラン で扱っているということ。でもだからといってそれがメインになっている様子ではなく、しかもお高めのレストラン。私がお茶をしにいったのは、このお城を出て右手（駅のある方向）に向かっていくとある（少し歩きます）、<strong>La Belle Bio　（22,rue du Connetable 60500 / 03 44 57 02 25) </strong>というレストランでした。唯一シャンティイ－を使ったメニューがあり、シャンティイーがカップに入ってでてく るものからクレープなどとの組み合わせたメニューなどがありました。すごく雰囲気もよくかわいらしい感じのレストランで、他にもＢＩＯレストランというだけあって無農薬食品を使った伝統料理が売りだそうです。また食品類なども店内で販売しています。この日も有名なフランス人作家のマダムがお茶をしにきていまし た（私にはよくわかりませんでしたが）。 あと、オーナーの話によるとここのレストランの休みが不定で、あいている時にであったらラッキーだということです。</p>
<p><img src="../../imgs/chantilly/Scan10028.js" /><strong> La Belle Bio</strong></p>
<p><strong>アクセス</strong><br />
列車　ＳＮＣＦ Chantilly-Gouvieux駅下車<br />
Gare du Nord（長距離線）から30分<br />
Chatelet-les-Halles （ＲＥＲ　Ｄ線）から45分</p>
<p><strong>オープン時間</strong><br />
3月から10月31日　10時から18時<br />
11月から2月28日　10時30分から12時45分、14時から17時<br />
閉館日　火曜日<br />
公園は毎日開園</p>
<p><strong><a href="http://chateaudechantilly.com/">ホー ムページ</a> </strong></p>
<p><img src="../../imgs/chantilly/Scan10027.js" /><br />
城の近くには馬の博物館も。</p>
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