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	<title>パリ6区 &#8211; Le vrai Japon. フランス発見 | Nippon.fr</title>
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		<title>フィリップ・オーギュストのパリII（左岸編）</title>
		<link>/ja/archives/2688</link>
		<pubDate>Mon, 09 Aug 2010 10:43:04 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[Aki]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[フランス観光]]></category>
		<category><![CDATA[パリ5区]]></category>
		<category><![CDATA[パリ6区]]></category>
		<category><![CDATA[フィリップ2世]]></category>
		<category><![CDATA[中世]]></category>
		<category><![CDATA[城壁]]></category>

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		<description><![CDATA[さて、前ページフィリップ・オーギュストのパリ（右岸編）に続き、今度は左岸探索です。普段見慣れた景色の中にまたどんな新しい景色が見出せるのかワクワクしながら出発です。 出発地点はパリ6区のHotel des Monnaies（造幣局）です。お隣にはInstitute de France（フランス学士院）という立派な建物が立っています。シテ島のノートルダム観光から人が流れてくるのでしょう、毎日観光客が多いこの通り。大きな観光バスもたくさん通っています。そんな賑やかな通りとは対照的にひっそりと一つ史跡紹介パネルが。 La Tour de Nesle（ネールの塔）。『右岸におけるフィリップ・オーギュストの城壁の出発点。1200年ごろに建造され、もともとはこの建造物に住んでいたプレヴォ（憲兵隊長）の名をとってLa Tour  Filippe Hamelinと呼ばれていたが、1270年ごろL&#8217;Hotel de Nesleにより強化され総合建築物の一部となった。さらに1308年には端麗王フィリップ4世の手に渡る。伝説によるとブルゴーニュの3人のプリンセスMarguerite、 Blanche、Jeanneの受難が残されています。3人は未来の王ルイ10世、フィリップ5世、シャルル4世のお妃だが義理の妹Isabelleにより訴えられます。その内容とは彼女らがGaultierやPhilippe d&#8217;Aulnayらを招き入れ不貞を働いたからだという。そして訴えの後すぐに拷問にかけられ、斬首刑となる。』 あるいは、妃マルグリットと妹ブランシュは捕らえられてガイヤール城へ幽閉され続け、ジャンヌのみ無罪が認められ宮廷に戻れたなど、さまざまな説が残されているようです。 この上に昔は塔が立っていたんですね。今はこのパネルとその建物の一角とみられる部分がひっそりと残るのみ。 周囲にはフランス学士院（左）と造幣局（右）の立派な建物が立っています。 それでは次に、造幣局の前を通過し右折、Rue GuenegaudをまっすぐRue Mazarineに突き当たるまで歩きます。そこで左折して少し歩くと史跡パネルとPのサイン、パーキングが見つかるはず。 まずパネルですがフィリップ・オーギュストの城壁とあります。『13世紀に建造された城壁はシャルル5世の時代まで軍事的に利用はされず、左岸ではこれらの城壁は現状で十分であるとみなされていたため、簡単に補強され、水のない乾いた堀で囲まれました。そしてこのMazarine通りがそれを証明しています。フィリップ・オーギュストの城壁の外につくられたこの通りは17世紀にRue des Fosses de Nesle（ネール堀端通り）と名づけられています。中心都市の発展にともない、中世の要塞がゆっくりと都市構造の中へと吸収されていきます。大きな壁は大邸宅などの境界、家の基壇、砕石場となったり、塔は住まい、アトリエ、あるいはチャペルなどに利用されました。そしてここでは、長い壁面と塔の土台部分が地下駐車場で目にすることができます。このような城壁の連続的再使用が多くの遺跡部分を残し、また極端な破壊から守っているのです。』 では、駐車場の中へ。地下2階と3階にかけて城壁が確認できたと思います。見た瞬間本当に驚きました。フランス人の主人ですらビックリ。知らなかったと。 またこのパネルの左側にはpassage Dauphineパッサージュ・ドーフィヌがあります。この界隈の建物の中には城壁の一部がうまく取り入れられていることでしょう。 マザリヌ通りのお店の中にも城壁らしき壁の一部をウィンドー越しに見ることができました。きっとあれもそうだよと言いながら歩いて行きます。 では今度はRue St Andre des ArtsにあるCour du Commerce St Andreとうパッサージュへ。 左写真が入り口です。中へ入るとでこぼことした石畳が。ちゃんと見て歩かないと躓きます。この抜け道にはカフェやレストランが並び、ここで一服しているギャルソンたちも。右写真は見にくのですが、工事中のお店があり中をのぞいてみたら巨大な城壁の塔が中心に。ちゃんとその部分は保護がされているようで、仕上がりがどうなっているのかまたいつか行ってみようと思います。 有名なカフェ・プロコープもここにあり、表通りと裏通りのパッサージュの写真です。 では、サンジェルマン大通を渡りRue A.Duboisと、さらに進んでお隣5区へ足をのばしRue Malebrancheという小さな通りを見つけます。この2箇所は掘割の上にできた道でその様子がそこにある階段でよくわかります。お堀でできた段差を調整しているんですね。不思議な通りです。 さらにパンテオンを左にRue de L&#8217;estrapadeを進みRue Blainvilleで少し休憩プラスランチ。朝10時に出発してなんだかんだとぶらぶら歩いていたらもう12時！腹ごしらえです。そうこの通りも斜めに坂になっていてお堀の名残だとか。そしてここに私たちがよく通う韓国料理のお店Han Limがあります。この日もいつもの鶏のから揚げとビビンバです！ いつも来るこの通りがそんな歴史の上に建っていたなんて本当に感動です。そしてこれまたよく通っていた通りRue du Cardinal Lemoine。なんだか地図を持った人がちらほら、そのうちグループでなにやらレクチャーしている人が・・・。え、何があるの？と、のぞいてみたら、あるじゃないですか、大きな城壁が！！！今までまったく気がつかずに通り過ぎていました。Rue &#8230; <a href="/ja/archives/2688" class="more-link">Continue reading <span class="screen-reader-text">フィリップ・オーギュストのパリII（左岸編）</span> <span class="meta-nav">&#8594;</span></a>]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>さて、前ページ<a href="/ja/archives/2677">フィリップ・オーギュストのパリ（右岸編）</a>に続き、今度は左岸探索です。普段見慣れた景色の中にまたどんな新しい景色が見出せるのかワクワクしながら出発です。</p>
<p>出発地点はパリ6区のHotel des Monnaies（造幣局）です。お隣にはInstitute de France（フランス学士院）という立派な建物が立っています。シテ島のノートルダム観光から人が流れてくるのでしょう、毎日観光客が多いこの通り。大きな観光バスもたくさん通っています。そんな賑やかな通りとは対照的にひっそりと一つ史跡紹介パネルが。</p>
<p><strong>La Tour de Nesle（ネールの塔）</strong>。『右岸におけるフィリップ・オーギュストの城壁の出発点。1200年ごろに建造され、もともとはこの建造物に住んでいたプレヴォ（憲兵隊長）の名をとってLa Tour  Filippe Hamelinと呼ばれていたが、1270年ごろL&#8217;Hotel de Nesleにより強化され総合建築物の一部となった。さらに1308年には端麗王フィリップ4世の手に渡る。伝説によるとブルゴーニュの3人のプリンセスMarguerite、 Blanche、Jeanneの受難が残されています。3人は未来の王ルイ10世、フィリップ5世、シャルル4世のお妃だが義理の妹Isabelleにより訴えられます。その内容とは彼女らがGaultierやPhilippe d&#8217;Aulnayらを招き入れ不貞を働いたからだという。そして訴えの後すぐに拷問にかけられ、斬首刑となる。』</p>
<p>あるいは、妃マルグリットと妹ブランシュは捕らえられてガイヤール城へ幽閉され続け、ジャンヌのみ無罪が認められ宮廷に戻れたなど、さまざまな説が残されているようです。</p>
<p><img class="alignnone size-full wp-image-2689" title="tour de nesle" src="/wp-content/uploads/2010/08/P1020645-320x200.jpg" /></p>
<p><img class="alignnone size-full wp-image-2690" title="tour de nesle" src="/wp-content/uploads/2010/08/P1020647-320x200.jpg" /></p>
<p>この上に昔は塔が立っていたんですね。今はこのパネルとその建物の一角とみられる部分がひっそりと残るのみ。</p>
<p><img class="alignnone size-full wp-image-2694" title="institute de france" src="/wp-content/uploads/2010/08/P1020644-320x200.jpg" /></p>
<p><img class="alignnone size-full wp-image-2692" title="hotel des monnaies" src="/wp-content/uploads/2010/08/P1020649-320x200.jpg" /></p>
<p>周囲にはフランス学士院（左）と造幣局（右）の立派な建物が立っています。</p>
<p>それでは次に、造幣局の前を通過し右折、Rue GuenegaudをまっすぐRue Mazarineに突き当たるまで歩きます。そこで左折して少し歩くと史跡パネルとPのサイン、パーキングが見つかるはず。</p>
<p><img class="alignnone size-full wp-image-2695" title="フィリップ・オーギュストの城壁" src="/wp-content/uploads/2010/08/P1020650-320x200.jpg" /><br />
まずパネルですが<strong>フィリップ・オーギュストの城壁</strong>とあります。『13世紀に建造された城壁はシャルル5世の時代まで軍事的に利用はされず、左岸ではこれらの城壁は現状で十分であるとみなされていたため、簡単に補強され、水のない乾いた堀で囲まれました。そしてこのMazarine通りがそれを証明しています。フィリップ・オーギュストの城壁の外につくられたこの通りは17世紀にRue des Fosses de Nesle（ネール堀端通り）と名づけられています。中心都市の発展にともない、中世の要塞がゆっくりと都市構造の中へと吸収されていきます。大きな壁は大邸宅などの境界、家の基壇、砕石場となったり、塔は住まい、アトリエ、あるいはチャペルなどに利用されました。そしてここでは、長い壁面と塔の土台部分が地下駐車場で目にすることができます。このような城壁の連続的再使用が多くの遺跡部分を残し、また極端な破壊から守っているのです。』</p>
<p>では、駐車場の中へ。地下2階と3階にかけて城壁が確認できたと思います。見た瞬間本当に驚きました。フランス人の主人ですらビックリ。知らなかったと。</p>
<p><img class="alignnone size-full wp-image-2696" title="駐車場内の城壁" src="/wp-content/uploads/2010/08/P1020651-320x200.jpg" /></p>
<p><img class="alignnone size-full wp-image-2697" title="駐車場内の城壁" src="/wp-content/uploads/2010/08/P1020654-320x200.jpg" /></p>
<p><img class="alignnone size-full wp-image-2700" title="駐車場内の城壁" src="/wp-content/uploads/2010/08/P1020657-320x200.jpg" /></p>
<p><img class="alignnone size-full wp-image-2701" title="駐車場内の城壁" src="/wp-content/uploads/2010/08/P1020659-320x200.jpg" /></p>
<p>またこのパネルの左側にはpassage Dauphineパッサージュ・ドーフィヌがあります。この界隈の建物の中には城壁の一部がうまく取り入れられていることでしょう。</p>
<p><img class="alignnone size-full  wp-image-2702" title="passage Dauphine" src="/wp-content/uploads/2010/08/P1020661-320x200.jpg" /></p>
<p>マザリヌ通りのお店の中にも城壁らしき壁の一部をウィンドー越しに見ることができました。きっとあれもそうだよと言いながら歩いて行きます。</p>
<p>では今度はRue St Andre des Artsにある<strong>Cour du Commerce St Andre</strong>とうパッサージュへ。</p>
<p><img class="alignnone size-full wp-image-2704" title="cour du commerce st andre" src="/wp-content/uploads/2010/08/P1020662-320x200.jpg" /></p>
<p><img class="alignnone size-full wp-image-2705" title="cour du commerce st andre" src="/wp-content/uploads/2010/08/P1020664-320x200.jpg" /></p>
<p><img class="alignnone size-full  wp-image-2707" title="cour du commerce st andre" src="/wp-content/uploads/2010/08/P1020667-320x200.jpg" /><br />
左写真が入り口です。中へ入るとでこぼことした石畳が。ちゃんと見て歩かないと躓きます。この抜け道にはカフェやレストランが並び、ここで一服しているギャルソンたちも。右写真は見にくのですが、工事中のお店があり中をのぞいてみたら巨大な城壁の塔が中心に。ちゃんとその部分は保護がされているようで、仕上がりがどうなっているのかまたいつか行ってみようと思います。</p>
<p><img class="alignnone size-full wp-image-2708" title="cour du commerce st andre" src="/wp-content/uploads/2010/08/P1020638-320x200.jpg" /></p>
<p><img class="alignnone size-full wp-image-2706" title="cour du commerce st andre" src="/wp-content/uploads/2010/08/P1020665-320x200.jpg" /><br />
有名なカフェ・プロコープもここにあり、表通りと裏通りのパッサージュの写真です。</p>
<p>では、サンジェルマン大通を渡り<strong>Rue A.Dubois</strong>と、さらに進んでお隣5区へ足をのばし<strong>Rue Malebranche</strong>という小さな通りを見つけます。この2箇所は掘割の上にできた道でその様子がそこにある階段でよくわかります。お堀でできた段差を調整しているんですね。不思議な通りです。</p>
<p><img class="alignnone size-full wp-image-2709" title="rue a dubois" src="/wp-content/uploads/2010/08/P1020668-320x200.jpg" /></p>
<p><img class="alignnone size-full wp-image-2710" title="rue malebranche" src="/wp-content/uploads/2010/08/P1020671-320x200.jpg" /></p>
<p>さらにパンテオンを左にRue de L&#8217;estrapadeを進みRue Blainvilleで少し休憩プラスランチ。朝10時に出発してなんだかんだとぶらぶら歩いていたらもう12時！腹ごしらえです。そうこの通りも斜めに坂になっていてお堀の名残だとか。そしてここに私たちがよく通う韓国料理のお店Han Limがあります。この日もいつもの鶏のから揚げとビビンバです！</p>
<p><img class="alignnone size-full wp-image-2711" title="rue blainville" src="/wp-content/uploads/2010/08/P1020676-320x200.jpg" /></p>
<p><img class="alignnone size-full wp-image-2712" title="韓国料理レストラン　Han Lim" src="/wp-content/uploads/2010/08/P1020677-320x200.jpg" /></p>
<p>いつも来るこの通りがそんな歴史の上に建っていたなんて本当に感動です。そしてこれまたよく通っていた通りRue du Cardinal Lemoine。なんだか地図を持った人がちらほら、そのうちグループでなにやらレクチャーしている人が・・・。え、何があるの？と、のぞいてみたら、あるじゃないですか、大きな城壁が！！！今までまったく気がつかずに通り過ぎていました。Rue du Cardinal Lemoineから少し入ったRue Clovisにアパートの壁にぴったりとくっついて城壁が保存されています。</p>
<p><img class="alignnone size-full wp-image-2713" title="フィリップ・オーギュストの城壁" src="/wp-content/uploads/2010/08/P1020681-320x200.jpg" /></p>
<p><img class="alignnone size-full wp-image-2714" title="フィリップ・オーギュストの城壁" src="/wp-content/uploads/2010/08/P1020682-320x200.jpg" /></p>
<p>城壁にはちゃんとフィリップ・オーギュストの名前が。それにしてもうまい具合にアパートが建てれたものです。この城壁の右となりのアパートの中庭にも壁の一部が城壁でできているのを確認。</p>
<p><img class="alignnone size-full wp-image-2717" title="フィリップ・オーギュストの城壁" src="/wp-content/uploads/2010/08/P1020686-320x200.jpg" /></p>
<p><img class="alignnone size-full wp-image-3910" src="/wp-content/uploads/2010/08/09012011016-320x200.jpg" /></p>
<p>横から見ると、壁の部分が少し通りにはみ出した状態です。そして奥行きはと言うと、右の写真で見えるでしょうか。Rue du Cardinal Lemoineにあるアパートの正門があいていたのでのぞいてみると、中庭の奥に、あるじゃないですか！城壁の続きが！</p>
<p>さあ、これでフィリップ・オーギュストの城壁跡をぐるっとまわったことになります。足もクタクタです。でも何よりもパリを違った視点から見ることができたことは価値が大きいです。こんな風にして歴史が町の空間の中に生かされていることは非常にすばらしいことだと思います。すごい国ですよね。すべてが自然に町の中に溶け込んでいるんです。</p>
<p>皆さんもちょっと違ったパリの探索をされて見ませんか。とってもおもしろいですよ。</p>
]]></content:encoded>
			</item>
		<item>
		<title>リュクサンブール宮殿と公園</title>
		<link>/ja/archives/256</link>
		<pubDate>Mon, 16 Jul 2007 20:17:09 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[Aki]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[フランス観光]]></category>
		<category><![CDATA[アンリ4世]]></category>
		<category><![CDATA[パリ6区]]></category>
		<category><![CDATA[マリー・ド・メディシス]]></category>
		<category><![CDATA[リュクサンブール公園]]></category>
		<category><![CDATA[宮殿]]></category>

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		<description><![CDATA[[リュクサンブール宮殿] 美しい庭園に囲まれたリュクサンブール宮殿は、パリ6区、ショッピングで人気のサン・ジェルマン・デ・プレ地区の近くにあります。 もともとは、リュクサンブール公爵のために設計された邸宅でしたが、イタリアからフランス王室に嫁いできた王妃マリー・ド・メディシスのために、彼女の生まれ故郷であるフィレンツェのピッテイ宮殿を模して居城として改築されました。またニコラ・プッサンとフィリップ・ド・シャンパーニュにより内装が手がけられました。 マリー・ド・メディシスがフランスを追放された後は、彼女の孫モンパシエ公爵夫人、プロヴァンス伯爵（後のルイ18世）などが住み、そ して、ナポレオン・ボナパルトが権力を掴んだ歴史的な舞台ともなりました。 また庭園内には、自由の女神像の原型が設置されてます。ちなみに、フランスがアメリカに自由の女神を送ったお礼に、パリに住むアメリカ 人達がフランス革命100年を記念してセーヌ川のグルネル橋に自由の女神を建てました（セーヌ川参考）。 マリー・ド・メディシスの生涯とは イタリアはフィレンツェの名門メディチ家に生まれ、1600年、27歳の時に、マルグリット・ド・ヴァロワと離婚したばかりのフランス王アンリ4世への元へと嫁いでいきます。この結婚はフランスの財政建て直しのための政略結婚で、アンリ4世はマリーの結婚持参金を目当てにしていました。アンリ4世は女好きでも有名で、生涯で50人もの愛人がいたとも言われています。結婚当初フランス語の話せなかったマリーにとって王宮の暮らしは孤独であり、またそれを紛らすかのように彼女は毎日のように宝石などを購入し浪費に明け暮れていました。 1601年、王太子ルイ13世を出産。彼女の立場が一気に注目を浴びます。アンリ4世もこれを機に放蕩を自重し、マリーを手厚く扱うようになります。しかし、1610年5月14日アンリ4世はパリでフランソワ・ラバイヤックという精神異常者に刺し殺されてしまいます。そしてマリーは後を継いだ息子ルイ13世の摂政としてフランスの重要な責任を負うことになっていきます。 彼女の政策は、アンリ4世時代の宰相を罷免し、イタリアのアンクル元帥という人物を補佐官として重用。フランス国民を思いやったアンリ4世の方針を破棄し、次第に有力貴族達（息子ルイ13世も含め）の不満が高まっていきます。 「マリーのマルセイユ到着」 ルーヴェンス作 （ルーヴル美術館） 不利な立場へと徐々に追い込まれていったマリーは、有能なリシュリュー枢機卿を登用して何とか形勢を立て直そうとします。しかし息子ルイ13世は、母マリーをブロワ城に幽閉し、リシュリューを自分の補佐官として見方につけてしまいます。1619年、マリーはブロワ城を脱出し、ルイ13世 の弟オルレアン公ガストンと共に反乱軍を起こしますが、これもすぐに鎮圧されてしまい、その後リシュリューの仲介でマリーとルイ13世は和解し、1621 年まで王立議会の一員として政治に関わっていくことになります。 リシュリューがルイ13世の宰相となり政治の実権をつかむと、マリーはリシュリューの失脚を目論見ます。しかしこの時もリシュリューのほうが上で、1613年マリーはフランスを追放、そしてブリュッセルへと亡命します。 アンリ4世とは ブルボン朝初代のフランス王で、在位中から現在に至るまでフランス国民の間で人気のある王の一人で大アンリ良王アンリと呼ばれます。 プロテスタント派のアンリ4世は、1572年のパリで起きた「サン・バルテルミの虐殺」（カトリック派によるプロテスタント派虐殺事件）の後、宮廷に幽閉されカトリックに強制的に改宗させられてしまいます。宮廷から逃走するとプロテスタントに一時また戻りますが、王位を継承した後にさ らにカトリックへと改宗を発表。これによりカトリックが優勢なフランス国民の広い支持を受けることになります。1594年にシャルトル大聖堂で正式に戴冠 式が行なわれ（シャルトル大聖堂参考）、1598年ナント勅令ではカトリックをフランスの国家的宗教であると宣言しつつも、プロテスタントにカトリックと同等の権利を与えることを認めてい ます。 一方、アンリ4世と妻マルグリット・ド・ヴァロワとは長く別居状態で、子どももいませんでした。そして迎えられたのがメディチ家のマ リー・ド・メディシスでした。2人の間には6人の子どもが生まれています。 大きな業績としては、セーヌ川のポンヌフ橋を中心とした首都パリの再開発計画や、パレ・ロワイヤルやルーブル宮殿の大ギャラリーを建造しました。また北アメリカにサミュエル・ド・シャンプランを探検に派遣させ、これがのちにカナダにフランス植民地が置かれる基礎となっていきます。 そして1610年パリで暗殺された後、遺体はサン・ドニ大聖堂に埋葬されました。その後フランスはルイ13世、14世と絶対王政時代へと進んでいくことになります。 参考：ウィキペディア [リュクサンブール庭園] 宮殿に付属する広大なルネサンス様式の庭には、90近い彫刻や噴水、花壇などが配置されています。ジョギングする人、本を読む人、日光 浴をする人、人それぞれに公園で過ごしています。 メディシスの噴水。マリー・ド・メディシスの命令により作られました。ここで故郷のイタリアを思ったのでしょうか。 広大な敷地内には花壇が置かれ、花に混ざって野菜が植えられていたり&#8230; 木陰で横になったりランチをしたり。宮殿の正面ではミニチュアヨット遊び。 また敷地内にはたくさんの彫刻も。ライオンの彫刻と宮殿（左）。そして右の写真は肩の凝りそうな彫刻作品。 そしてこちらモンパルナスタワーをバックにポーズ。 また、今回訪れた時には、庭園内に変わったオブジェがあちこちに置かれていて興味をそそられました。こうした企画はよく行なわれているそうなので運がいいとちょっとした美術館めぐりができますね。 作品を一つ一つ見て歩いてみましょう。 こちらは作品に取り組む男性。木の中に女性が埋め込まれたような作品に仕上がっています。 大粒の雨粒？そして今にも歩き出しそうなオブジェ。 こちらは庭園内にある彫刻をアレンジした作品。庭園内が不思議な空間に。 そしてこちらおもしろいものを発見。コインを入れると体重が計れます。 なぜこんなものが&#8230;。ジョギング後にでも計るのかな。 公園を歩いていると、その美しい景色に目がとらわれてしまいますが、ちょっとベンチに座って400年前に起 こっていた出来事を思い出してみましょう。違った景色が見えてくるかもしれませんよ。いろんな人々が歴史上にいて、現在の姿があるんですよね。そして現代 に生きる私達が未来の人々にどんなものを残してあげられるのでしょうか。]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>[<strong>リュクサンブール宮殿</strong>]<br />
美しい庭園に囲まれたリュクサンブール宮殿は、パリ6区、ショッピングで人気のサン・ジェルマン・デ・プレ地区の近くにあります。</p>
<p><img src="../../imgs/luxembourg/P7150010%20%5B320x200%5D.JPG" alt="palace" width="320" height="240" /></p>
<p><img src="../../imgs/luxembourg/P7150038%20%5B320x200%5D.JPG" alt="palace" width="320" height="240" /></p>
<p>もともとは、リュクサンブール公爵のために設計された邸宅でしたが、イタリアからフランス王室に嫁いできた王妃マリー・ド・メディシスのために、彼女の生まれ故郷であるフィレンツェのピッテイ宮殿を模して居城として改築されました。またニコラ・プッサンとフィリップ・ド・シャンパーニュにより内装が手がけられました。</p>
<p>マリー・ド・メディシスがフランスを追放された後は、彼女の孫モンパシエ公爵夫人、プロヴァンス伯爵（後のルイ18世）などが住み、そ して、ナポレオン・ボナパルトが権力を掴んだ歴史的な舞台ともなりました。</p>
<p>また庭園内には、自由の女神像の原型が設置されてます。ちなみに、フランスがアメリカに自由の女神を送ったお礼に、パリに住むアメリカ 人達がフランス革命100年を記念してセーヌ川のグルネル橋に自由の女神を建てました（<a href="/ja/archives/306">セーヌ川</a>参考）。</p>
<p><strong>マリー・ド・メディシスの生涯とは</strong><br />
イタリアはフィレンツェの名門メディチ家に生まれ、1600年、27歳の時に、マルグリット・ド・ヴァロワと離婚したばかりのフランス王アンリ4世への元へと嫁いでいきます。この結婚はフランスの財政建て直しのための政略結婚で、アンリ4世はマリーの結婚持参金を目当てにしていました。アンリ4世は女好きでも有名で、生涯で50人もの愛人がいたとも言われています。結婚当初フランス語の話せなかったマリーにとって王宮の暮らしは孤独であり、またそれを紛らすかのように彼女は毎日のように宝石などを購入し浪費に明け暮れていました。</p>
<p>1601年、王太子ルイ13世を出産。彼女の立場が一気に注目を浴びます。アンリ4世もこれを機に放蕩を自重し、マリーを手厚く扱うようになります。しかし、1610年5月14日アンリ4世はパリでフランソワ・ラバイヤックという精神異常者に刺し殺されてしまいます。そしてマリーは後を継いだ息子ルイ13世の摂政としてフランスの重要な責任を負うことになっていきます。</p>
<p>彼女の政策は、アンリ4世時代の宰相を罷免し、イタリアのアンクル元帥という人物を補佐官として重用。フランス国民を思いやったアンリ4世の方針を破棄し、次第に有力貴族達（息子ルイ13世も含め）の不満が高まっていきます。</p>
<p><img src="../../imgs/luxembourg/180px-Peter_Paul_Rubens_035.js" /><br />
「マリーのマルセイユ到着」<br />
ルーヴェンス作<br />
（ルーヴル美術館）</p>
<p>不利な立場へと徐々に追い込まれていったマリーは、有能なリシュリュー枢機卿を登用して何とか形勢を立て直そうとします。しかし息子ルイ13世は、母マリーをブロワ城に幽閉し、リシュリューを自分の補佐官として見方につけてしまいます。1619年、マリーはブロワ城を脱出し、ルイ13世 の弟オルレアン公ガストンと共に反乱軍を起こしますが、これもすぐに鎮圧されてしまい、その後リシュリューの仲介でマリーとルイ13世は和解し、1621 年まで王立議会の一員として政治に関わっていくことになります。</p>
<p>リシュリューがルイ13世の宰相となり政治の実権をつかむと、マリーはリシュリューの失脚を目論見ます。しかしこの時もリシュリューのほうが上で、1613年マリーはフランスを追放、そしてブリュッセルへと亡命します。</p>
<p><strong>アンリ4世とは</strong><br />
ブルボン朝初代のフランス王で、在位中から現在に至るまでフランス国民の間で人気のある王の一人で大アンリ良王アンリと呼ばれます。</p>
<p>プロテスタント派のアンリ4世は、1572年のパリで起きた「サン・バルテルミの虐殺」（カトリック派によるプロテスタント派虐殺事件）の後、宮廷に幽閉されカトリックに強制的に改宗させられてしまいます。宮廷から逃走するとプロテスタントに一時また戻りますが、王位を継承した後にさ らにカトリックへと改宗を発表。これによりカトリックが優勢なフランス国民の広い支持を受けることになります。1594年にシャルトル大聖堂で正式に戴冠 式が行なわれ（<a href="/ja/archives/288">シャルトル大聖堂</a>参考）、1598年ナント勅令ではカトリックをフランスの国家的宗教であると宣言しつつも、プロテスタントにカトリックと同等の権利を与えることを認めてい ます。</p>
<p>一方、アンリ4世と妻マルグリット・ド・ヴァロワとは長く別居状態で、子どももいませんでした。そして迎えられたのがメディチ家のマ リー・ド・メディシスでした。2人の間には6人の子どもが生まれています。</p>
<p>大きな業績としては、セーヌ川のポンヌフ橋を中心とした首都パリの再開発計画や、パレ・ロワイヤルやルーブル宮殿の大ギャラリーを建造しました。また北アメリカにサミュエル・ド・シャンプランを探検に派遣させ、これがのちにカナダにフランス植民地が置かれる基礎となっていきます。</p>
<p>そして1610年パリで暗殺された後、遺体はサン・ドニ大聖堂に埋葬されました。その後フランスはルイ13世、14世と絶対王政時代へと進んでいくことになります。</p>
<p>参考：ウィキペディア</p>
<p>[<strong>リュクサンブール庭園</strong>]</p>
<p>宮殿に付属する広大なルネサンス様式の庭には、90近い彫刻や噴水、花壇などが配置されています。ジョギングする人、本を読む人、日光 浴をする人、人それぞれに公園で過ごしています。</p>
<p><img src="../../imgs/luxembourg/P7150003%20%5B640x480%5D.JPG" alt="fountain" width="277" height="353" /></p>
<p><img src="../../imgs/luxembourg/P7150040%20%5B640x480%5D.JPG" alt="fountain" width="270" height="355" /><br />
メディシスの噴水。マリー・ド・メディシスの命令により作られました。ここで故郷のイタリアを思ったのでしょうか。</p>
<p><img src="../../imgs/luxembourg/P7150011%20%5B320x200%5D.JPG" alt="garden" width="320" height="240" /></p>
<p><img src="../../imgs/luxembourg/P7150032%20%5B320x200%5D.JPG" alt="garden" width="320" height="240" /><br />
広大な敷地内には花壇が置かれ、花に混ざって野菜が植えられていたり&#8230;</p>
<p><img src="../../imgs/luxembourg/P7150025%20%5B320x200%5D.JPG" alt="garden" width="320" height="240" /></p>
<p><img src="../../imgs/luxembourg/P7150037%20%5B320x200%5D.JPG" alt="pond" width="320" height="240" /><br />
木陰で横になったりランチをしたり。宮殿の正面ではミニチュアヨット遊び。</p>
<p><img src="../../imgs/luxembourg/P7150026%20%5B320x200%5D.JPG" alt="art" width="320" height="240" /></p>
<p><img src="../../imgs/luxembourg/photo%20165%20%28WinCE%29%20%5B320x200%5D.js" /><br />
また敷地内にはたくさんの彫刻も。ライオンの彫刻と宮殿（左）。そして右の写真は肩の凝りそうな彫刻作品。</p>
<p><img src="../../imgs/luxembourg/P7150008%20%5B640x480%5D.JPG" alt="art" width="274" height="352" /><br />
そしてこちらモンパルナスタワーをバックにポーズ。</p>
<p>また、今回訪れた時には、庭園内に変わったオブジェがあちこちに置かれていて興味をそそられました。こうした企画はよく行なわれているそうなので運がいいとちょっとした美術館めぐりができますね。</p>
<p><img src="../../imgs/luxembourg/P7150012%20%5B320x200%5D.JPG" alt="art" width="320" height="240" /></p>
<p><img src="../../imgs/luxembourg/P7150014%20%5B320x200%5D.JPG" alt="art" width="320" height="240" /><br />
作品を一つ一つ見て歩いてみましょう。</p>
<p><img src="../../imgs/luxembourg/P7150016%20%5B320x200%5D.JPG" alt="art" width="320" height="240" /></p>
<p><img src="../../imgs/luxembourg/P7150018%20%5B640x480%5D.JPG" alt="art" width="270" height="348" /><br />
こちらは作品に取り組む男性。木の中に女性が埋め込まれたような作品に仕上がっています。</p>
<p><img src="../../imgs/luxembourg/P7150021%20%5B320x200%5D.JPG" alt="art" width="320" height="240" /></p>
<p><img src="../../imgs/luxembourg/P7150022%20%5B320x200%5D.JPG" alt="art" width="320" height="240" /><br />
大粒の雨粒？そして今にも歩き出しそうなオブジェ。</p>
<p><img src="../../imgs/luxembourg/P7150027%20%5B640x480%5D.JPG" alt="art" width="268" height="347" /></p>
<p><img src="../../imgs/luxembourg/P7150029%20%5B640x480%5D.JPG" alt="art" width="276" height="346" /><br />
こちらは庭園内にある彫刻をアレンジした作品。庭園内が不思議な空間に。</p>
<p><img src="../../imgs/luxembourg/P7150023%20%5B640x480%5D.JPG" alt="art" width="264" height="350" /><br />
そしてこちらおもしろいものを発見。コインを入れると体重が計れます。<br />
なぜこんなものが&#8230;。ジョギング後にでも計るのかな。</p>
<p>公園を歩いていると、その美しい景色に目がとらわれてしまいますが、ちょっとベンチに座って400年前に起 こっていた出来事を思い出してみましょう。違った景色が見えてくるかもしれませんよ。いろんな人々が歴史上にいて、現在の姿があるんですよね。そして現代 に生きる私達が未来の人々にどんなものを残してあげられるのでしょうか。</p>
]]></content:encoded>
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		<title>サン・ジェルマン・デ・プレ</title>
		<link>/ja/archives/284</link>
		<pubDate>Thu, 12 Jan 2006 20:40:51 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[Aki]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[フランス観光]]></category>
		<category><![CDATA[アポリネール礼賛]]></category>
		<category><![CDATA[サンジェルマンデプレ]]></category>
		<category><![CDATA[サンシュピルス教会]]></category>
		<category><![CDATA[セーヴル焼き]]></category>
		<category><![CDATA[パリ6区]]></category>
		<category><![CDATA[レ・ドゥ・マゴ]]></category>

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		<description><![CDATA[サンジェルマン大通りは1870年に開通したパリのメインストリートの一本。左岸で最もショッピングが楽しめる場所。さまざまなお店が並んでいます。もちろんブランドショップも次々と進出しています。遠くにはモンパルナスタワーも見えます。 サンジェルマン大通り さあ、この大きな交差点で一番にぎわっているのが有名なカフェ、レ・ドゥ・マゴ。第2次世界大戦後、サルトルやボーボワールなどの文人達が集まり議論が交わされてきたという 、創業19世紀のカフェです。マゴとは中国の陶器の人形のことで、ここにカフェができるまでは中国絹のお店だったとか。店内に飾られていた人形がお店の名前に。またそのお隣のカ フェ・ドゥ・フォロール(172, Bd. St-Germain, Paris6)も有名。ピカソもやってきたそうですよ（おすすめはホットショコラ！）。カフェだけでなくサラダやサンドイッチも楽しめます。どちらも無休。 レ・ドゥ・マゴ6, Place St-Germain des Pres, Paris6 さて、レ・ドゥ・マゴの正面に立つ教会、サン・ジェルマン・デ・プレ教会は、 6世紀にキリスト磔刑の聖十字架の断片とスペインの殉教者、聖バンサンの助祭の上衣を納めるために建立されました。その後何度か破壊されはしたものの修復 され、1163年に現在の建物は完成されました。辺りにはショップが立ち並び買い物で走り回っている人と、この教会の中で涙を流しながら一心にお祈りをしている人を見ると、大きなギャップを感じます。基本は初期ロマネスク建築で、半円アーチ。内部はゴシック建築等複数のスタイルが見られます。イギリスとの100年戦争の際に周囲にお堀を作らせたそうで、要塞のような造りにも見えます。 中には聖フランシスコ・ザビエルの聖室（18世紀　クストウ作）があります。 サン・ジェルマン・デ・プレ教会 教会を出たら、入り口の左手に小さな公園があります。そこにある像をごらんください。何気なくそこにあるのですが、実はこれピカソ作アポリネール礼賛と題された作品なのです。ギヨーム・アポリネール（1880~1918）とはイタリア出身のポーランド人、詩人であり美術評論家でもありました。名画『モナ・リザ』の盗難事件の犯人として逮捕されますが一週間で釈放されるというエピソードも残っています。彼はモンマルトルにあるLe Bateau-Lavoirアトリエ洗濯船（芸術家のたまり場）で多くの芸術家たちと交流。当時ピカソの確立したキュビズムが世間では否定されていたところ、このアポリネールが擁護。作品名はこのアポリネールの名前がついていますが、モデルとなっているのはピカソの恋人、ドラ・マールという人物。うーん、ちょっとややこしい。 アポリネール礼賛 さらに教会の裏手に向かいます。ちょうどサンジェルマン大通り沿いに入り口があるのですがここにも小さな公園があります。そしてお隣の建物の壁に大きなオブジェが!　建物の外面を表す張間の一つです。セーヴル焼きの作品で、1900年に開催されたパリ万博のために用意されました。アールヌーヴォー調のさまざまなモチーフで飾られ、釉薬（うわぐすり）がかけられた陶土でできた『ドア』部分は若い女性を表したメダイヨンで飾られています。公園にある『羊飼いの水汲み場』は1925年Flelix-Alexandre Desruelles作。Louis Barriasの彫刻作品は、陶工、セラミスト、学者でもあるBernard Palissyに敬意を示して造られたもの。Bernard Palissyは1536年から20年かけて釉薬のからくり発見に貢献した人物です。セーヴル陶器博物館も参考に。 では大通りを離れてサン・ジェルマン・デ・プレ教会から少し歩くとサン・ シュルピス教会にたどり着きます。サン・シュルピス教会はフランスで最大規模のパイプオルガンとドラクロワによって描かれた壁画で知られてい ます。ドラクロワ美術館（オフィシャルサイト）は上記サン・ジェルマン・デ・プレ教会の近くにあります。ドラクロワが死ぬまでの7年間（1857~1863年）を過ごしたアパートアトリエ。セザンヌ、ルノアール、マネ、ピカソなどが彼の絵から学び影響を得たそうです。またショパンもこのアトリエで作曲したとか。 サン・シュルピス教会（左）の前には広場があります（右）。 パイプオルガン またこの界隈にはちょっと変わったオブジェが隠れているので探してみてく ださい。こんな所にと思うような場所に突如として出現します。芸術の町です。 ブロンズの噴水池。GindreとDaudelinによって構想され、1984年ケベック政府により贈られました。沸き立つ様子は地球の奥底から抜け出したいように見え、ブロンズのうねりをシンボル化したもの。 Le Centaure de Cesarセザールのケンタウロス、1985年に設置。頭はセザールをモデル。なんとなく？ サン・ジェルマン界隈は多くの通りが交差していて、どちらに向かっている かわからなくなってしまうこともあります。まっすぐ歩いていたつもりでも、地図でみるとかなりイメージが違っていたりと。こちらはメトロ Mabillon(マビロン)近くにある通りRue Guisarde。ちょっとしたレストラン通りです。プロヴァンスレストランからリオネーズレストランまで。その通りの突き当りがマルシェ・サン・ジェルマ ン 。 Rue Guisarde（左）。 その通りにあるリオン料理レストラン Le Machon d&#8217;Henri（右） 8 rue Guisarde 01 &#8230; <a href="/ja/archives/284" class="more-link">Continue reading <span class="screen-reader-text">サン・ジェルマン・デ・プレ</span> <span class="meta-nav">&#8594;</span></a>]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p><strong>サンジェルマン大通り</strong>は1870年に開通したパリのメインストリートの一本。左岸で最もショッピングが楽しめる場所。さまざまなお店が並んでいます。もちろんブランドショップも次々と進出しています。遠くにはモンパルナスタワーも見えます。</p>
<p><img src="../../imgs/St.Germain/DSCN1809%20%28WinCE%29.JPG" alt="monument" width="240" height="180" /></p>
<p><img class="alignnone size-full wp-image-2767" src="/wp-content/uploads/2006/01/P1020709-320x200.jpg" /><br />
<strong>サンジェルマン大通り</strong></p>
<p>さあ、この大きな交差点で一番にぎわっているのが有名なカフェ、<strong>レ・ドゥ・マゴ</strong>。第2次世界大戦後、サルトルやボーボワールなどの文人達が集まり議論が交わされてきたという 、創業19世紀のカフェです。マゴとは中国の陶器の人形のことで、ここにカフェができるまでは中国絹のお店だったとか。店内に飾られていた人形がお店の名前に。またそのお隣の<strong>カ フェ・ドゥ・フォロール</strong>(172, Bd. St-Germain, Paris6)も有名。ピカソもやってきたそうですよ（おすすめはホットショコラ！）。カフェだけでなくサラダやサンドイッチも楽しめます。どちらも無休。</p>
<p><img src="../../imgs/St.Germain/DSCN1806%20%28WinCE%29.JPG" alt="cafe" width="240" height="180" /><br />
<strong>レ・ドゥ・マゴ</strong>6, Place St-Germain des Pres, Paris6</p>
<p>さて、レ・ドゥ・マゴの正面に立つ教会、<strong>サン・ジェルマン・デ・プレ教会</strong>は、 6世紀にキリスト磔刑の聖十字架の断片とスペインの殉教者、聖バンサンの助祭の上衣を納めるために建立されました。その後何度か破壊されはしたものの修復 され、1163年に現在の建物は完成されました。辺りにはショップが立ち並び買い物で走り回っている人と、この教会の中で涙を流しながら一心にお祈りをしている人を見ると、大きなギャップを感じます。基本は初期ロマネスク建築で、半円アーチ。内部はゴシック建築等複数のスタイルが見られます。イギリスとの100年戦争の際に周囲にお堀を作らせたそうで、要塞のような造りにも見えます。</p>
<p>中には聖フランシスコ・ザビエルの聖室（18世紀　クストウ作）があります。</p>
<p><img src="../../imgs/St.Germain/DSCN1804%20%28WinCE%29.JPG" alt="church" width="197" height="255" /></p>
<p><img class="alignnone size-full wp-image-2768" src="/wp-content/uploads/2006/01/P1020707-320x200.jpg" /></p>
<p><img class="alignnone size-full wp-image-2769" src="/wp-content/uploads/2006/01/P1020708-320x200.jpg" /><br />
<strong>サン・ジェルマン・デ・プレ教会</strong></p>
<p>教会を出たら、入り口の左手に小さな公園があります。そこにある像をごらんください。何気なくそこにあるのですが、実はこれ<strong>ピカソ作アポリネール礼賛</strong>と題された作品なのです。ギヨーム・アポリネール（1880~1918）とはイタリア出身のポーランド人、詩人であり美術評論家でもありました。名画『モナ・リザ』の盗難事件の犯人として逮捕されますが一週間で釈放されるというエピソードも残っています。彼はモンマルトルにあるLe Bateau-Lavoirアトリエ洗濯船（芸術家のたまり場）で多くの芸術家たちと交流。当時ピカソの確立したキュビズムが世間では否定されていたところ、このアポリネールが擁護。作品名はこのアポリネールの名前がついていますが、モデルとなっているのはピカソの恋人、ドラ・マールという人物。うーん、ちょっとややこしい。</p>
<p><img class="alignnone size-full wp-image-2770" src="/wp-content/uploads/2006/01/P1020706-320x200.jpg" /><br />
<strong>アポリネール礼賛</strong></p>
<p>さらに教会の裏手に向かいます。ちょうどサンジェルマン大通り沿いに入り口があるのですがここにも小さな公園があります。そしてお隣の建物の壁に大きなオブジェが!　建物の外面を表す張間の一つです。セーヴル焼きの作品で、1900年に開催されたパリ万博のために用意されました。アールヌーヴォー調のさまざまなモチーフで飾られ、釉薬（うわぐすり）がかけられた陶土でできた『ドア』部分は若い女性を表したメダイヨンで飾られています。公園にある『羊飼いの水汲み場』は1925年Flelix-Alexandre Desruelles作。Louis Barriasの彫刻作品は、陶工、セラミスト、学者でもあるBernard Palissyに敬意を示して造られたもの。Bernard Palissyは1536年から20年かけて釉薬のからくり発見に貢献した人物です。<strong><a href="/ja/archives/2751">セーヴル陶器博物館</a></strong>も参考に。</p>
<p><img class="alignnone size-full wp-image-2772" src="/wp-content/uploads/2006/01/P1020702-320x200.jpg" /></p>
<p><img class="alignnone size-full wp-image-3765" src="/wp-content/uploads/2006/01/P1030221-320x200.jpg" /></p>
<p><img class="alignnone size-full wp-image-3767" src="/wp-content/uploads/2006/01/P1030222-320x2001.jpg" /></p>
<p><img class="alignnone size-full wp-image-3768" src="/wp-content/uploads/2006/01/P1030223-320x200.jpg" /></p>
<p><img class="alignnone size-full wp-image-3769" src="/wp-content/uploads/2006/01/P1030219-320x200.jpg" /></p>
<p><img class="alignnone size-full wp-image-3770" src="/wp-content/uploads/2006/01/P1030220-320x200.jpg" /></p>
<p>では大通りを離れてサン・ジェルマン・デ・プレ教会から少し歩くと<strong>サン・ シュルピス教会</strong>にたどり着きます。サン・シュルピス教会はフランスで最大規模のパイプオルガンとドラクロワによって描かれた壁画で知られてい ます。<strong>ドラクロワ美術館</strong>（<a href="http://www.musee-delacroix.fr/">オフィシャルサイト</a>）は上記サン・ジェルマン・デ・プレ教会の近くにあります。ドラクロワが死ぬまでの7年間（1857~1863年）を過ごしたアパートアトリエ。セザンヌ、ルノアール、マネ、ピカソなどが彼の絵から学び影響を得たそうです。またショパンもこのアトリエで作曲したとか。</p>
<p><img src="../../imgs/St.Germain/st%20sulpice%201.JPG" alt="st sulpice" width="240" height="180" /></p>
<p><img src="../../imgs/St.Germain/st%20sulpice%203.JPG" alt="st sulpice" width="240" height="180" /><br />
<strong>サン・シュルピス教会</strong>（左）の前には広場があります（右）。</p>
<p><img src="../../imgs/St.Germain/st%20sulpice%202.JPG" alt="st sulpice" width="240" height="320" /><br />
<strong>パイプオルガン</strong></p>
<p>またこの界隈にはちょっと変わったオブジェが隠れているので探してみてく ださい。こんな所にと思うような場所に突如として出現します。芸術の町です。</p>
<p><strong>ブロンズの噴水池</strong>。GindreとDaudelinによって構想され、1984年ケベック政府により贈られました。沸き立つ様子は地球の奥底から抜け出したいように見え、ブロンズのうねりをシンボル化したもの。</p>
<p><img src="../../imgs/St.Germain/DSCN1808%20%28WinCE%29.JPG" alt="street" width="240" height="180" /></p>
<p><strong>Le Centaure de Cesarセザールのケンタウロス</strong>、1985年に設置。頭はセザールをモデル。なんとなく？</p>
<p><img src="../../imgs/St.Germain/DSCN1803%20%28WinCE%29.JPG" alt="statue" width="240" height="180" /></p>
<p>サン・ジェルマン界隈は多くの通りが交差していて、どちらに向かっている かわからなくなってしまうこともあります。まっすぐ歩いていたつもりでも、地図でみるとかなりイメージが違っていたりと。こちらはメトロ Mabillon(マビロン)近くにある通り<strong>Rue Guisarde</strong>。ちょっとしたレストラン通りです。プロヴァンスレストランからリオネーズレストランまで。その通りの突き当りがマルシェ・サン・ジェルマ ン 。</p>
<p><img src="../../imgs/St.Germain/rue%20guisarde.JPG" alt="guisarde" width="240" height="180" /></p>
<p><img src="../../imgs/St.Germain/resto%20le%20machon.JPG" alt="guisarde" width="240" height="180" /><br />
Rue Guisarde（左）。<br />
その通りにあるリオン料理レストラン Le Machon d&#8217;Henri（右）<br />
8 rue Guisarde 01 43 29 08 70<br />
リヨンの家庭料理が味わえます。地元の人に人気のお店（<a href="/ja/archives/548">レストランページ</a>にて紹介）。</p>
<p>その他サンジェルマンデプレ界隈にはたくさん有名なお店が並んでいます。</p>
<p>・日本人にも人気のラ・デュレ　Laduree Bonaparte店（21 rue Ponaparte）：他の店舗と比べて雑貨などがたくさんおいてあるのでお土産にいいですね。<br />
・Fragonard　フラゴナール　191 bd Saint-Germain　こちら私のお気に入りのお店。香水で有名ですが雑貨もそろっていてかわいいですよ（<a href="/ja/archives/572">お土産ページ</a>にて紹介）。<br />
・Culinarion/GENEVIEVE LETHU/La Vaissellerie/Plastiques/Eva Baz&#8217;Art/Moeti など雑貨店など他のしいお店も（<a href="/ja/archives/570">お土産雑貨編ページ</a>にて紹介）。<br />
・Pierre Herme　72 rue Bonaparte<br />
・Brasserie LIPP ブラッスリーLIPP 　151 bd Saint-Germain</p>
<p>そしてサン・シュルピス教会の向こう、さらに南へ足を運ぶと<a href="/ja/archives/256"><strong>リュ クサンブール公園</strong></a>が広がっています。17世紀の初め、アンリ4世の後、王妃マリー・ド・メディシスが自分の故郷フィレンツェのピッテイ宮殿を模して建てました。現在はフランス議会の上院が置かれています。美しいルネサンス様式の大庭園には約90もの彫刻や噴水が配置されています。</p>
<p><img src="../../imgs/St.Germain/photo%20149%20%28WinCE%29.js" /></p>
<p><img src="../../imgs/St.Germain/photo%20148%20%28WinCE%29.js" /></p>
<p>またパリで一番古いデパートの<strong>ル・ボンマルシェ</strong>(22-24,Rue de Sevre, Paris7) はセーブル通りにあり、その横に隣接する<strong>ラ・グランドゥエピセリ</strong>はいろんな食 材が手に入るオススメのお店です。新鮮な魚肉、チーズ、野菜、ワイン、べーカリー、ケーキ、あるいは各国の特産品などがおかれています。瓶詰めになったバ スク料理やホワグラなどお土産にも便利です。お菓子類も豊富でいつも日本帰国時にはため買いをして帰ります。</p>
<p><img src="../../imgs/St.Germain/DSCN1802%20%28WinCE%29.JPG" alt="bon marche" width="240" height="180" /></p>
<p>お買い物もいいけれど、いろんな歴史も感じながら歩くのもいいですよ。疲れたらカフェで一休み。</p>
]]></content:encoded>
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