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	<title>マルモッタン &#8211; Le vrai Japon. フランス発見 | Nippon.fr</title>
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		<title>マルモッタン美術館</title>
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		<pubDate>Wed, 09 May 2007 20:21:22 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[Aki]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[フランス観光]]></category>
		<category><![CDATA[パリ16区]]></category>
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		<description><![CDATA[メトロ9番線La Muetteラミュエットから Jardin du Ranelaghラヌラグ公園（観光/ラヌラグ公園）を通り抜けていくと Musee Marmottan マルモッタン美術館がひっそりと立っています。同じパリ16区に住みながらなかな行くチャンスが現れず、やっと今回主人と訪れることに。オランジュリー美術館とジヴェルニｰを訪問し、なんとなくクロード・モネの足跡を追っている私達です。 マルモッタン美術館の歴史 ではまず、このマルモッタン美術館の名前の由来ともなっている人物、美術史家・収集家のポール・マルモッタン（1856-1932）について。この美術館はもともと1840年にある貴族によって狩猟用に建てられたものを、ポール・マルモッタンの父が1822年に購入し、邸宅用に改造しました。ポールの死後は、彼のコレクションなど含め全てがアカデミー・デ・ボザールに寄贈され、1934年から美術館として公開されるようになりました。 主なコレクションには、新古典主義（ナポレオン時代の絵画様式）などの絵画やアンピール様式と呼ばれる調度品があります。美術館内を 回っているようで、実は彼の邸宅の一つ一つの部屋に並べられた作品を見て回るような感じになっているんですね。 さらに、1957年、モネの医者であったジョルジュ・ド・ベリオの収集品が、彼の娘から寄贈され、この中に「印象･日 の出」の作品が含まれていました。また1966年には、モネの次男ミシェル・モネより、父親モネの作品が多数寄贈されました。このよ うにマルモッタン美術館には、多くの個人収集家からの寄贈を受け、印象派画家達の作品が多く集まっていることで有名になりました。 「印象・日の出」から「睡蓮」まで　/　モネの歴史 1840年にパリのラフィット街に生まれ、その後5歳の時、一家でノルマンディー地方のセーヌ河口の街Le Havreル・アーヴルに引っ越します。少年の頃から絵の得意だったモネは、絵の勉強をし続けます。そして彼の絵がル・アーヴルで活動していた風景画家ウジェーヌ・ブーダンの目にとまり、彼らは知り合うことに。そしてモネは画家になる決心をしました。ブーダンはキャンバスを戸外に持ち出し、陽光の下で海や空の風景を描いていた画家でした。ブーダンと出会ったことが、後の「光の画家」モネの生涯の方向を決定づけたとも言われています。 Le Havre:　ル・アーヴル（Havre）はフランス語で港を意味します。 トルーヴィルの浜（1867）：ブータンの作品。 ノルマンディー地方のオンフルーレで水夫の子として生まれる。 1857年にモネと出会い、モネに屋外で絵を描くことを教える。 1860年：（1859年とも）、パリに出て、アカデミー・シュイスに学び、ここでCamille Pissarroカミーユ・ピサロらと知り合う。 「ポントワーズの庭」（1877）：ピサロの作品。 1860年代にはパリ近郊のルーヴシエンヌ、ポントワーズなどで、 モネ、ルノワールらとともに戸外にキャンバスを持ち出して制作した。 1870年：普仏戦争を避けてロンドンへ赴きますが、ここではイギリス風景画の第一人者Joseph Mallord William Turnerジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナーを研究しました。 「戦艦テメレール号」：ターナーの作品。 大気と光の効果を追求した画家。 1873年：彼が32歳の時、ノルマンディｰへと向かいます。そしてそこで「印象・日の出」が作成 されました。その翌年にはルノワール(観光/ルノワールの風 景)、シスレー(観光/モレ･シュール　ロワン) らと「画家･彫刻家･版画家･無名芸術家協会｣を結成。 「印象・日の出」：印象派という流派名の由来となったモネの代表作です。 1875年：日本の衣装をまとったモネの妻カミーユをモデルにした「ラ・ジャポネーズ」が作成。風景画家モネによる人物画の大作として有名です。 1877年：「サン・ラザール駅」 1885年：「日傘の女」作成。第7回印象派展開幕。 1890年：モネ49歳の時、　ジヴェルニー（観光/モネの家ジヴェルニー）の土地と家を買 う。そしてその後少しづつ土地を拡大していき、睡蓮の池を中心とした「水の庭」、さまざまな色彩の花を植えた「花の庭」を造りました。画家自身この庭自体が自分の「最高傑作」だと言っていたという。 1892年：「ルーアン大聖堂」の連作を始める。 1894年：デュラン＝リュエル画廊での歌麿と広重の版画展を見に行く。 1898年：モネ57歳、　「睡蓮」を多量に描き始める。 1926年：モネ86歳、　１２月５日　ジヴェルニーで死去。 1927年：オランジュリー美術館（観光/オランジュリー美術館）に｢睡蓮」の大連作が展示される。 ここマルモッタン美術館では、「印象・日の出」が見られる他、ジヴェルニーで描かれた多くの作品が鑑賞できます。地上階がポール・マル モッタンのコレクション展示で、地下にモネの部屋が用意されています。また階段を上って2階に上がると、シスレーなど他の印象派画家たちの作品を目にする こともできます。 水面下の植物や霧がかった景色がぼんやり浮かび上がってくる、そんな効果のある彼の作品の数々をぜひ見に行ってみてください。 参考文献・写真　ウィキペディア マルモッタン美術館 &#8230; <a href="/ja/archives/262" class="more-link">Continue reading <span class="screen-reader-text">マルモッタン美術館</span> <span class="meta-nav">&#8594;</span></a>]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>メトロ9番線La Muetteラミュエットから Jardin du Ranelaghラヌラグ公園（観光/<a href="../../sight_jp/ranelagh.html">ラヌラグ公園</a>）を通り抜けていくと  Musee Marmottan  マルモッタン美術館がひっそりと立っています。同じパリ16区に住みながらなかな行くチャンスが現れず、やっと今回主人と訪れることに。オランジュリー美術館とジヴェルニｰを訪問し、なんとなくクロード・モネの足跡を追っている私達です。</p>
<p><img src="../../imgs/marmottan/P5080007%20%5B320x200%5D%20%5BiPod%20Photo%5D.JPG" alt="marmottan" width="220" height="165" /></p>
<p><strong>マルモッタン美術館の歴史</strong></p>
<p>ではまず、このマルモッタン美術館の名前の由来ともなっている人物、美術史家・収集家のポール・マルモッタン（1856-1932）について。この美術館はもともと1840年にある貴族によって狩猟用に建てられたものを、ポール・マルモッタンの父が1822年に購入し、邸宅用に改造しました。ポールの死後は、彼のコレクションなど含め全てがアカデミー・デ・ボザールに寄贈され、1934年から美術館として公開されるようになりました。</p>
<p>主なコレクションには、新古典主義（ナポレオン時代の絵画様式）などの絵画やアンピール様式と呼ばれる調度品があります。美術館内を 回っているようで、実は彼の邸宅の一つ一つの部屋に並べられた作品を見て回るような感じになっているんですね。</p>
<p>さらに、1957年、モネの医者であったジョルジュ・ド・ベリオの収集品が、彼の娘から寄贈され、この中に<strong>「印象･日 の出」</strong>の作品が含まれていました。また1966年には、モネの次男ミシェル・モネより、父親モネの作品が多数寄贈されました。このよ うにマルモッタン美術館には、多くの個人収集家からの寄贈を受け、印象派画家達の作品が多く集まっていることで有名になりました。</p>
<p><strong>「印象・日の出」から「睡蓮」まで　/　モネの歴史</strong></p>
<p>1840年にパリのラフィット街に生まれ、その後5歳の時、一家でノルマンディー地方のセーヌ河口の街Le  Havreル・アーヴルに引っ越します。少年の頃から絵の得意だったモネは、絵の勉強をし続けます。そして彼の絵がル・アーヴルで活動していた風景画家ウジェーヌ・ブーダンの目にとまり、彼らは知り合うことに。そしてモネは画家になる決心をしました。ブーダンはキャンバスを戸外に持ち出し、陽光の下で海や空の風景を描いていた画家でした。ブーダンと出会ったことが、後の<strong>「光の画家」</strong>モネの生涯の方向を決定づけたとも言われています。</p>
<p><img src="../../imgs/marmottan/300px-LHplaisance.js" /><br />
Le Havre:　ル・アーヴル（Havre）はフランス語で港を意味します。</p>
<p><img src="../../imgs/marmottan/200px-Boudin_Beach_of_Trouville.js" /><br />
トルーヴィルの浜（1867）：ブータンの作品。<br />
ノルマンディー地方のオンフルーレで水夫の子として生まれる。<br />
1857年にモネと出会い、モネに屋外で絵を描くことを教える。</p>
<p>1860年：（1859年とも）、パリに出て、アカデミー・シュイスに学び、ここで<strong>Camille  Pissarroカミーユ・ピサロ</strong>らと知り合う。</p>
<p><img src="../../imgs/marmottan/250px-Pissarro.gardenatpont.750pix.js" /><br />
「ポントワーズの庭」（1877）：ピサロの作品。<br />
1860年代にはパリ近郊のルーヴシエンヌ、ポントワーズなどで、<br />
モネ、ルノワールらとともに戸外にキャンバスを持ち出して制作した。</p>
<p>1870年：普仏戦争を避けてロンドンへ赴きますが、ここではイギリス風景画の第一人者<strong>Joseph Mallord  William Turner</strong><strong>ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー</strong>を研究しました。</p>
<p><img src="../../imgs/marmottan/200px-Joseph_Mallord_William_Turner_022.js" /><br />
「戦艦テメレール号」：ターナーの作品。<br />
大気と光の効果を追求した画家。</p>
<p>1873年：彼が32歳の時、ノルマンディｰへと向かいます。そしてそこで<strong>「印象・日の出」</strong>が作成 されました。その翌年にはルノワール(観光/<a href="../../sight_jp/ile_de_impressionistes.html">ルノワールの風 景</a>)、シスレー(観光/<a href="../../sight_jp/moret_sur_loing.html">モレ･シュール　ロワン</a>) らと「画家･彫刻家･版画家･無名芸術家協会｣を結成。</p>
<p><img src="../../imgs/marmottan/300px-Claude_Monet,_Impression,_soleil_levant,_1872.js" /><br />
<strong>「印象・日の出」</strong>：印象派という流派名の由来となったモネの代表作です。</p>
<p>1875年：日本の衣装をまとったモネの妻カミーユをモデルにした<strong>「ラ・ジャポネーズ」</strong>が作成。風景画家モネによる人物画の大作として有名です。<br />
1877年：<strong>「サン・ラザール駅」<br />
</strong>1885年：<strong>「日傘の女」</strong>作成。第7回印象派展開幕。<br />
1890年：モネ49歳の時、　ジヴェルニー（観光/<a href="../../sight_jp/giverny.html">モネの家ジヴェルニー</a>）の土地と家を買 う。そしてその後少しづつ土地を拡大していき、睡蓮の池を中心とした「水の庭」、さまざまな色彩の花を植えた「花の庭」を造りました。画家自身この庭自体が自分の「最高傑作」だと言っていたという。<br />
1892年：「ルーアン大聖堂」の連作を始める。<br />
1894年：デュラン＝リュエル画廊での歌麿と広重の版画展を見に行く。<br />
1898年：モネ57歳、　「睡蓮」を多量に描き始める。<br />
1926年：モネ86歳、　１２月５日　ジヴェルニーで死去。<br />
1927年：オランジュリー美術館（観光/<a href="../../sight_jp/orangerie.html">オランジュリー美術館</a>）に｢睡蓮」の大連作が展示される。</p>
<p>ここマルモッタン美術館では、「印象・日の出」が見られる他、ジヴェルニーで描かれた多くの作品が鑑賞できます。地上階がポール・マル モッタンのコレクション展示で、地下にモネの部屋が用意されています。また階段を上って2階に上がると、シスレーなど他の印象派画家たちの作品を目にする こともできます。</p>
<p>水面下の植物や霧がかった景色がぼんやり浮かび上がってくる、そんな効果のある彼の作品の数々をぜひ見に行ってみてください。</p>
<p>参考文献・写真　ウィキペディア</p>
<p><strong>マルモッタン美術館</strong><br />
2, rue Louis-Boilly 75016 Paris<br />
Tel: 01 44 96 50 33</p>
<p>オープン：　10：00~18:00<br />
クローズ：　月曜日、5/1、12/25、1/1<br />
入場料：　8ユーロ</p>
<p><a href="http://www.marmottan.com/">オフィシャルサイト</a></p>
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