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	<title>遺跡 &#8211; Le vrai Japon. フランス発見 | Nippon.fr</title>
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		<title>グラナム遺跡（プロヴァンス）</title>
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		<pubDate>Sat, 11 Aug 2012 19:18:29 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[Aki]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[フランス観光]]></category>
		<category><![CDATA[ガリア人]]></category>
		<category><![CDATA[プロヴァンス]]></category>
		<category><![CDATA[南仏]]></category>
		<category><![CDATA[遺跡]]></category>

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		<description><![CDATA[夏のヴァカンスでプロヴァンス滞在中、どこかにドライブに行こうということになりました。まだ行ったことのない所に連れて行ってあげようと義理の両親が提案。グラナム遺跡と呼ばれる場所に出かけてきました。 遺跡を見る前にまずは歴史を整理しておきましょう！ &#160; 紀元前のプロヴァンス地方の歴史： 青銅器時代—鉄器時代（紀元前１２００—紀元前５００年） ケルト人が中部ヨーロッパに広まる。ギリシャからの影響などを受け文化が発展。鉄製武器を身に付けヨーロッパ各地で活動。 紀元前６００年頃 植民市マッサリア(マルセイユ)が古代ギリシャ船乗りのボカイア人によって築かれる。 紀元前３００—２００年 さらにマッサリアはポエニ戦争でローマ側につきカルタゴと戦う。 紀元前１００ ゲルマン人に追われたケルト人(ガリア人またはゴール人)は西フランスとスペインに移動。のちローマのカエサルらによって征服される(カエサルのガリア戦記が有名)。地中海沿いの地域はアウグストゥスの時代にはガリア・ナルボネンシスという名前で呼ばれるようになる（もちろんこの地方にはギリシャ人も多く住んでいた)。ちなみにこのガリア人たちは中世にゲルマン系のフランク人に吸収されフランス人に同化していく。 &#160; このように、ヨーロッパは様々な民族が移動することによってそれぞれの国が少しずつ形成されていきます。プロヴァンス地方も同様に、ケルト人の一派ガリア人、ギリシャ人、ローマ人とさまざまな影響を受けているということをまずは理解しなければ、遺跡の面白さがつかめません。 &#160; それではグラナム遺跡に向かってみましょう。 まずは駐車場のすぐそばに立つ大きな遺跡が２つ。まず１つ目は凱旋門。 そしてこちら紀元前２５年に建てられたという霊廟。皇帝アウグストゥスの二人の孫のための記念碑だそうです。 紀元前ですよ！ &#160; 道を渡って反対側に移り少し歩くと遺跡への入り口があります。ここで入場券(大人7,50ユーロ)を買って中に進んでいきます。お土産物も売っているので見学の後にでも見てみるといいですね。入り口も出口も同じ所を通ります。 &#160; この地にケルト人が定住したのは紀元前７または８世紀頃と言われます。 ケルト神Glanとお供の女神が病回復に効果のあるという水源近くに住み始めたことが、このグラナムの起源となっています。この水源の噂は広まり、その水を求めてたくさんの巡礼者がこの集落を訪れました。 写真にある石の台は、身体障害者のために作られたものです。体が不自由で階段を降りられない人はこの台に寝転がり、ありがたい水を体にかけてもらったそうです。 そしてその効果を得られた裕福な者は右の写真のようにお礼の石碑を建てました。さらに裕福な者(この地域を支配する者)は水源のそばに神殿を建てました(左写真)。 集落で何かを決定する際に使われた広場。ここで決めごとの賛成反対を多数決で決めたそうです。手に石の玉をを持って中央にある石つぼの中にそっと入れて取り決めたそうです。 こちら集落に存在した肉屋さん(左)とオリーブ油のお店(右)の跡です。当時は冷蔵庫もなく、お肉の腐敗も早かったそうです(当たり前ですが)。お肉はお祭り事などの際に食されていました。このレ・ボー・ド・プロヴァンスにはオリーブの木が一帯に広がっていますが、昔からオリーブオイルはあったんですね。なるほどーとうなずきながらガイドさんの話に聞き入っていました。 共同浴場跡。左手には水が溜めてあり(プール)、右手には３つの部屋が設けられていました。一つ目は暑い部屋、二つ目は暖かい部屋、次が冷たい部屋。まずは体にオリーブオイルをかけ、建物の前にある広場で体を鍛えるためのトレーニングをします。すると体は砂だらけになりますね。その状態で暖かく保たれている部屋に入り、オイルと砂と一緒にむだ毛の処理をしてもらい、強いマッサージを受けます。次に暑い部屋に入って汗をかき、さらに暖かい部屋で軽いマッサージを受けます。仕上げは再度暑い部屋で汗をかいた後に冷たい部屋に入る。夏の時期などはその代わりにプールに入ったようです。 と、ガイドさんが一般的な共同浴場の利用の仕方を説明してくれました。 さてこちらの壁は三段階構成になっています。一番元になっているのがガリア人作、その上にギリシャ人、ローマ人と手法が変わっているのが分かります。 最後は、比較的裕福な家の 遺跡です。家の中央には水が溜めてあり、太陽の光が反射して家の中が明るくなるように工夫してあったようです。この周りにいくつかの部屋が囲むように並んでいるのが特徴的です。このように水が豊富にあるため、集落の外まで出かけなくても家でトイレができたそうです。家の一角には奴隷たちの部屋もありました。奴隷と行っても、家族の一員のようなものです。昔の人の知恵はすばらしい！ 他にもたくさん興味深い遺跡が保存されています。フランス語ができればガイドさんが詳しく説明してくれます。何人かのガイドさんがいるようでしたが、私たちのあたったガイドさんはなかなか説明がうまく、図などを使って面白く話してくれました。 &#160; 所在地 Site archéologique de Glanum Route des Baux-de-Provence 13210 Saint-Rémy-de-provence &#160; 夏に訪れる際には帽子をお忘れなく。日陰がないため、かなり暑いです！　近くには レ・ボー・ド・プロヴァンスもあるので寄ってみてはどうでしょうか。]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>夏のヴァカンスでプロヴァンス滞在中、どこかにドライブに行こうということになりました。まだ行ったことのない所に連れて行ってあげようと義理の両親が提案。<strong>グラナム遺跡</strong>と呼ばれる場所に出かけてきました。</p>
<p>遺跡を見る前にまずは歴史を整理しておきましょう！</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><strong>紀元前のプロヴァンス地方の歴史</strong>：</p>
<p>青銅器時代—鉄器時代（紀元前１２００—紀元前５００年）<br />
ケルト人が中部ヨーロッパに広まる。ギリシャからの影響などを受け文化が発展。鉄製武器を身に付けヨーロッパ各地で活動。</p>
<p>紀元前６００年頃<br />
植民市マッサリア(マルセイユ)が古代ギリシャ船乗りのボカイア人によって築かれる。</p>
<p>紀元前３００—２００年<br />
さらにマッサリアはポエニ戦争でローマ側につきカルタゴと戦う。</p>
<p>紀元前１００<br />
ゲルマン人に追われたケルト人(ガリア人またはゴール人)は西フランスとスペインに移動。のちローマのカエサルらによって征服される(カエサルのガリア戦記が有名)。地中海沿いの地域はアウグストゥスの時代にはガリア・ナルボネンシスという名前で呼ばれるようになる（もちろんこの地方にはギリシャ人も多く住んでいた)。ちなみにこのガリア人たちは中世にゲルマン系のフランク人に吸収されフランス人に同化していく。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このように、ヨーロッパは様々な民族が移動することによってそれぞれの国が少しずつ形成されていきます。プロヴァンス地方も同様に、ケルト人の一派ガリア人、ギリシャ人、ローマ人とさまざまな影響を受けているということをまずは理解しなければ、遺跡の面白さがつかめません。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>それではグラナム遺跡に向かってみましょう。</p>
<p><img class="alignnone size-medium wp-image-5162" title="" src="/wp-content/uploads/2012/08/P1030180-300x225.jpg" /></p>
<p><img class="alignnone size-medium wp-image-5165" title="" src="/wp-content/uploads/2012/08/P1040377-300x225.jpg" /><br />
まずは駐車場のすぐそばに立つ大きな遺跡が２つ。まず１つ目は凱旋門。</p>
<p><img class="alignnone size-medium wp-image-5164" title="" src="/wp-content/uploads/2012/08/P1040372-300x225.jpg" /></p>
<p><img class="alignnone size-medium wp-image-5163" title="" src="/wp-content/uploads/2012/08/P1030187-300x225.jpg" /><br />
そしてこちら紀元前２５年に建てられたという霊廟。皇帝アウグストゥスの二人の孫のための記念碑だそうです。<br />
紀元前ですよ！</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>道を渡って反対側に移り少し歩くと遺跡への入り口があります。ここで入場券(大人7,50ユーロ)を買って中に進んでいきます。お土産物も売っているので見学の後にでも見てみるといいですね。入り口も出口も同じ所を通ります。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><img class="alignnone size-medium wp-image-5167" title="" src="/wp-content/uploads/2012/08/P1030191-300x225.jpg" /></p>
<p><img class="alignnone size-medium wp-image-5168" title="" src="/wp-content/uploads/2012/08/P1030192-300x225.jpg" /><br />
この地にケルト人が定住したのは紀元前７または８世紀頃と言われます。</p>
<p><img class="alignnone size-medium wp-image-5172" title="" src="/wp-content/uploads/2012/08/P1030199-225x300.jpg" /></p>
<p><img class="alignnone size-medium wp-image-5180" title="" src="/wp-content/uploads/2012/08/P1040386-300x225.jpg" /><br />
ケルト神Glanとお供の女神が病回復に効果のあるという水源近くに住み始めたことが、このグラナムの起源となっています。この水源の噂は広まり、その水を求めてたくさんの巡礼者がこの集落を訪れました。</p>
<p><img class="alignnone size-medium wp-image-5173" title="" src="/wp-content/uploads/2012/08/P1030203-300x225.jpg" /><br />
写真にある石の台は、身体障害者のために作られたものです。体が不自由で階段を降りられない人はこの台に寝転がり、ありがたい水を体にかけてもらったそうです。</p>
<p><img class="alignnone size-medium wp-image-5174" title="" src="/wp-content/uploads/2012/08/P1030204-300x225.jpg" /></p>
<p><img class="alignnone size-medium wp-image-5178" title="" src="/wp-content/uploads/2012/08/P1040392-300x225.jpg" /><br />
そしてその効果を得られた裕福な者は右の写真のようにお礼の石碑を建てました。さらに裕福な者(この地域を支配する者)は水源のそばに神殿を建てました(左写真)。</p>
<p><img class="alignnone size-medium wp-image-5175" title="" src="/wp-content/uploads/2012/08/P1030209-300x225.jpg" /></p>
<p><img class="alignnone size-medium wp-image-5179" title="" src="/wp-content/uploads/2012/08/P1040394-300x225.jpg" /><br />
集落で何かを決定する際に使われた広場。ここで決めごとの賛成反対を多数決で決めたそうです。手に石の玉をを持って中央にある石つぼの中にそっと入れて取り決めたそうです。</p>
<p><img class="alignnone size-medium wp-image-5181" title="" src="/wp-content/uploads/2012/08/P1040399-300x225.jpg" /></p>
<p><img class="alignnone size-medium wp-image-5182" title="" src="/wp-content/uploads/2012/08/P1040400-300x225.jpg" /><br />
こちら集落に存在した肉屋さん(左)とオリーブ油のお店(右)の跡です。当時は冷蔵庫もなく、お肉の腐敗も早かったそうです(当たり前ですが)。お肉はお祭り事などの際に食されていました。このレ・ボー・ド・プロヴァンスにはオリーブの木が一帯に広がっていますが、昔からオリーブオイルはあったんですね。なるほどーとうなずきながらガイドさんの話に聞き入っていました。</p>
<p><img class="alignnone size-medium wp-image-5176" title="" src="/wp-content/uploads/2012/08/P1030216-300x225.jpg" /></p>
<p><img class="alignnone size-medium wp-image-5177" title="" src="/wp-content/uploads/2012/08/P1030217-300x225.jpg" /><br />
共同浴場跡。左手には水が溜めてあり(プール)、右手には３つの部屋が設けられていました。一つ目は暑い部屋、二つ目は暖かい部屋、次が冷たい部屋。まずは体にオリーブオイルをかけ、建物の前にある広場で体を鍛えるためのトレーニングをします。すると体は砂だらけになりますね。その状態で暖かく保たれている部屋に入り、オイルと砂と一緒にむだ毛の処理をしてもらい、強いマッサージを受けます。次に暑い部屋に入って汗をかき、さらに暖かい部屋で軽いマッサージを受けます。仕上げは再度暑い部屋で汗をかいた後に冷たい部屋に入る。夏の時期などはその代わりにプールに入ったようです。</p>
<p>と、ガイドさんが一般的な共同浴場の利用の仕方を説明してくれました。</p>
<p><img class="alignnone size-medium wp-image-5189" title="" src="/wp-content/uploads/2012/08/P1040397-300x225.jpg" /><br />
さてこちらの壁は三段階構成になっています。一番元になっているのがガリア人作、その上にギリシャ人、ローマ人と手法が変わっているのが分かります。</p>
<p><img class="alignnone size-medium wp-image-5190" title="" src="/wp-content/uploads/2012/08/P1040405-300x225.jpg" /><br />
最後は、比較的裕福な家の 遺跡です。家の中央には水が溜めてあり、太陽の光が反射して家の中が明るくなるように工夫してあったようです。この周りにいくつかの部屋が囲むように並んでいるのが特徴的です。このように水が豊富にあるため、集落の外まで出かけなくても家でトイレができたそうです。家の一角には奴隷たちの部屋もありました。奴隷と行っても、家族の一員のようなものです。昔の人の知恵はすばらしい！</p>
<p>他にもたくさん興味深い遺跡が保存されています。フランス語ができればガイドさんが詳しく説明してくれます。何人かのガイドさんがいるようでしたが、私たちのあたったガイドさんはなかなか説明がうまく、図などを使って面白く話してくれました。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>所在地</p>
<p><strong>Site archéologique de Glanum</strong><br />
Route des Baux-de-Provence<br />
13210 Saint-Rémy-de-provence</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>夏に訪れる際には帽子をお忘れなく。日陰がないため、かなり暑いです！　近くには <a href="/ja/archives/303">レ・ボー・ド・プロヴァンス</a>もあるので寄ってみてはどうでしょうか。</p>
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