ロダン美術館

Musee Rodin
メトロ Varenne
77, rue de Varenne
75007 Paris
Tél. 00 33 (0) 1 44 18 61 10
Fax. 00 33 (0) 1 44 18 61 30
開館 9:30 ~ 17:45 (冬季16:45)
休館 月曜日 5/1, 12/25, 1/1
入場料 5€ (25歳以下は3€)
Website Musee Rodin

museum

ロダンの彫刻やデッサンを集めた美術館。アンバリドのすぐ横にひっそりと緑に囲まれる一角があり、ゲ-トをくぐると庭中いたるところに像が立っている。き れいに整理された庭とロダンの作品の調和が素晴らしい。建物はロダンが亡くなるまでの9年間を過ごしたロアンの館。代表作の「考える人」「カレ-の市民」 は庭園に、ロダンが収集した絵画や家具、古代美術品は旧礼拝堂内に展示されている。

statue  people

statue  people

まずはそのロアン館の前にある庭園を奥へ歩いていき、振り返ってもう一度その館を眺めてみる。西洋らしい庭 園の構造の写真が撮れますよ〈ちょうど一番上の写真のように)。とても美しい風景です。西洋人が日本庭園を異国情緒を感じる風景と考えるように、日本人も 西洋の庭園を見れば、異国情緒を感じるものでしょう。そしてその庭園の横になんともフランスらしくカフェがある。そこでゆっくりくつろいでさらにその情緒 を味わうのもいいかもしれません。

代表作品は、このロアン館を挟んで庭園の反対側にある(入り口側)。花々で飾られた小さな一角の真ん中にあの「考える人」がいまだ長い時間を越えて考え込んでいる。彫刻というと厳かなイメ-ジをもっていたのですが、花に囲まれたその彫刻を見たとき何かいい意味で裏切られたような気がしました。そこで私が考えることは彼が今この時代に何を考えているんだろうということ。いつの時代もきっと考えない時は一秒もな いんだろうなと。本当に狭い一角に彼に会うためたくさんの人が集まっていました。

thinker thinker

さて、話は変りますが、この「考える人」世界にいくつあると思いますか。私が以前静岡県立美術館へ訪れたとき確かにあの「考える人」が考えているのを目撃しました。この美術館によると世界に「考える人」は21体あるそうです。 そして何を考えているのかというと、1880年、彼の有名な作品の一つ「地獄の門」の注文を受けてから、門の上に立って、足下に広がるダンテの『神曲』に記された地獄の悲劇を見つめる「ダンテ像」を門に組み込むことを考えていたということです。そう、初め「考える人」は「地獄の門」に座って地獄に落ちた人々の運命を考えていたのです。そしてそこから切り離され、「詩人」という名によって1888年、コペンハーゲンで初公開されことになります。

原型は高さ63cm。「考える人」は人気を博したため、ロダンは高さ38cmのより小さい像を作っている。また、静岡県立美術館のものは、高さ183cm の拡大像だそうです。パリの「考える人」、静岡の「考える人」世界中に「考える人」はいたんですね。

Website 静岡県立美術館

オーギュスト・ロダン (1840-1917)
パリ警視庁下級吏員の子として生まれ、14才で学業放棄する。22才で修道士を志すものの翌年還俗。カリエ・ベルーズのもとで修行した後、イタリアを旅行 し、ドナテルロやミケランジェロを研究して自己の道を見出し、以後、世紀の転換期に力強い表現力と大胆な造形性を発揮した近代彫刻の祖。

white  statue statue  painter

ロダンの作品。右端がパリにある「地獄の門」。静岡県立美術館には巨大な「地獄の門」がありました。

カミ-ユ・クローデル ( 1864-1943 )
ここでロダンにまつわるもう一人の彫刻家を紹介。
カミユ・クローデルは幼少の頃から彫刻家になるのが夢だったが、当時女の子が芸術家になろうと考えることは奇想天外なことだった。1881年パリの美術学 校で学び始め、翌年サロン(政府主催の官展)に送った石膏胸像「老いたヘレナ」が入選。アトリエにはロダンが新しい指南役として現れる。オ-ギュスト・ロ ダンはこのとき42歳。あまりに正確なため石膏で型をとったのではないかと陰口をたたかれた彫像(1877)が出世作となり、量感あふれる作風で他を圧倒 する新進気鋭の彫刻家だった。

16年連れ添う愛人ロ-ズのいた彼はカミーユの才能に衝撃を受け、また二人は愛し合い反発しあった。この時 期にロダンがカミーユの手を借りて作った男女の像に、当時の二人の関係の難しさがあらわれている。

ロダンの代表作「カレーの市民」でもカミーユは百年戦争史を読みあさってアイデアを出したが、発表の場では協力者として紹介されない。一方彼女の自作「インドの悲恋伝説」「ワルツ」には、〈みだら〉〈ロダンの物まね〉と批評が出る。29歳のカミーユは失意に沈 み、ロダンとの関係をたつことにした。

たちまち生活苦に陥ったが、後に彼女の代表作となる胸像「館の小さな女主人」が有名な銀行家に売れ、ロダン を痛烈に皮肉った作品「分別ある年輩」は、良心の呵責を感じるロダン本人の推薦で、国に売れる。

もちろんこのことは彼女に知らされなかったが、折りあるごとに「ロダンの生徒」と囁く声は嫌でも耳に入って くる。彼女は徐々にロダンを憎むようになり、精神のバランスを失い始めた。1905年、カミーユの弟ポールが訪ねてきたとき、カミーユは自分で破壊した作 品の中に座り、ロダンがアイデアを盗みにくると呟いていたという。

父親が志望した1913年、ポールは、全身垢にまみれてアトリエにこもる48歳の姉をパリから連れ出し、ア ビニョン郊外の精神病院に入れた。患者を犯罪者のように扱う当時の精神病棟で、カミーユの精神状態はよくならなかった。1917年にロダンが亡くなり、カ ミーユも30年間病院から出ることなく、1943年に悲しい一生を終える。

戦後カミーユの作品はパリのロダン美術館に展示された。それは、カミーユ入院の知らせに心を痛めた晩年のロ ダンが、建設を予定する美術館の一室をかつて共に生き、共に闘った比類なき天才女性彫刻家、カミーユ・クローデルに捧げることを強く望んだからという。

Website Camille Claudel
彼女の彫刻作品などが見れます。

こんな話を知ってから美術館に行けば、また違った思いがわくかもしれません。歴史の断片だけでなく、その時代に生きた人物を見て作品を鑑賞をしてみるのもいいですね。