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仏人とノルマンディ上陸作戦

2014年夏、フランス、ノルマンディでは戦後70年を迎え大々的なセレモニーが行われました。でも日本人には教科書に書いてあることくらいしかヨーロッパで起きたことはあまり詳しく分からない(日本のことでもよくわからないことが多いですし)。さっと要点をまとめると、

ヨーロッパには第二次世界大戦中、ドイツを挟んで東西に2つの戦線が置かれていました。

・西部戦線=ナチス・ドイツ(枢軸国) vs 英/仏/米(西側諸国)
・東部戦線=ナチス・ドイツ(枢軸国) vs ソビエト連邦

ドイツのポーランド侵攻が開始され、英仏の戦線布告により戦争が開始。1940年にはドイツ軍によるフランス侵攻が始まり、フランス北部は占領下に置かれます。

1941年、ドイツはソ連侵攻。ドイツ陸軍の大半がこの戦線に従事し、苦戦を強いられたソ連のリーダー、スターリンは米英に西部戦線の再構築を要求。

英はヨーロッパの周囲から攻撃することを提案。米は英の勢力拡大を恐れドーバー海峡を渡って上陸作戦を行うよう英を説得。

1943年、テヘラン会議において、米大統領フランクリン・ルーズヴェルト、英首相ウィンストン・チャーチル、そしてスターリンが討議し、第二戦線を開くことが正式に合意。

戦場となるフランスといえば・・・蚊帳の外。

米大統領フランクリン・ルーズヴェルトはフランスの当時のカリスマ的指導者シャルル・ド・ゴールを作戦に参加させたくなかったが、英ウィンストン・チャーチルの説得で直前に知らせることに。ド・ゴールは『フランスでの戦闘はフランス人が行うべきであって、指揮をとるのは私でなくてはならない』と激しく詰め寄ったという。

そしてノルマンディ上陸作戦が決行。それまで比較的戦争の影響を受けなかったノルマンディが戦火の中へと引き込まれ、連合軍の爆撃による多くの一般市民犠牲者も出ました(犠牲者の6割に当たる)。

(以上Wikipediaより)

また米ウィスコンシン大学の歴史学教授メアリ・ルイーズ・ロバーツ氏によると、当時米軍による不法行為、組織的な人種差別などもあり、『ドイツ人を見て隠れるのは男たちだったが、米兵の場合は女たちを隠さねばならなかった』とう話がノルマンディの地元では伝わっているという。(AFBPP News)

そして戦後フランス人が犠牲者追悼式を行っていたのですが、50年代に入るとその主役は徐々にアメリカへと移っていきます。そして2014年、すっかりアメリカ人はヒーローになっていた・・・。

この事実に関する面白いアンケート調査を見つけたのでご紹介。IFOPが行った1945年、1994年、2004年のアンケート結果です。

Sondage en France: “Quelle est, selon vous, la nation qui a le plus contribué à la défaite de l’Allemagne en 1945?”

(Source: sondages IFOP 1945,1994,2004)

フランスでの調査:”どの国が1945年ナチスドイツの敗退に一番貢献したと思いますか?” 

1945年のアンケートではフランス人の57%がソビエトだと回答。実際70%のドイツ軍は東部戦線で亡くなっています。またアメリカの貢献を讃えるフランス人は全体の20%。しかし、それが2004年になるとその数字がなんと逆転!

このチャートのツイート主曰く、『ハリウッドの力はすごい』と。こんなにも人は簡単に洗脳されてしまうのでしょうか・・・。

“He who controls the past controls the future. He who controls the present controls the past.” — George Orwell

”過去を制するものは未来を制する。今を制するものは過去を制する” ジョージ オーウェル

しっかり歴史は勉強しなければいけないなと感じました。本を買ってもっと勉強したいと思います。