Category Archives: 祝日イベント

クリスマス

パリのクリスマス

日本でもよく知られているパリシャンゼリゼ通りのクリスマスイリュミネーション。凱旋門までの2.5km、総計13万5千ものランプが 並木を照らし出します。

また老舗デパートの集まるオペラではクリスマス時期になると通りが買い物客でうめつくされます。カラフルで大きな買い物袋をさげて人々は帰りを急ぎます。そして、ここにあるギャラリーラファイエットのイリュミネーションは「神戸ルミナリエ」の製作でも有名なイタリアのデザイナーが手がけて います。イタリアン・バロックスタイル。ウィンドウは、フランス人アーティストのデザインするアニメの物語スタイル。サンタクロースが東風に吹かれてスカ ンジナビア半島からサントぺテルスブルグまで、プレゼントを抱えて旅をする様子が、飛び出す絵本のように8つのウィンドウを使って描かれています。こう いったクリスマスの仕掛けは約1年かけ念入りに準備され、設置にも3週間はかかるそうです(2004年現在)。

また、こちらでは町に使われるライトの色などに制限があり、外観を損なわないよう常に気を使っているそうで、目に優しく、どこか落ち着く雰囲気が漂い、冷たい空気の中、ぼんやりと浮かび出てくるようなイルミネーションで心がほっと温まります。そしてお祭り気分がどんどん高まっていきます。

christmas in paris
シャンゼリゼ通り

noel

noel

noel

noel
プランタン、ラファイエットのクリスマスデコレーション。

また、こちらの人たちにとって、クリスマスといえば家族で過ごす大事なイベント。日本で言うお正月ですね。みんながそれぞれ家族のためにプレセントを買い、この日を祝います。スーパーではクリスマス用のツリーが売られ(ほとんどがスペインで栽培されてい るそうです)、デパートではツリーのデコレーションの特別セクションが設けられます。日本ではなぜか予約までして用意するのがクリスマスケーキですが、こちらではステーキやフォアグラ、あと13種類のデザートを食べます。

tree shop
街中の通りにもツリーがこんな風に並べられています。いい香りがしてきます。

プロヴァンスのクリスマス

さて、プロバンスではクリスマスツリ-だけでなくサントンという人形を飾る習慣もあります。その起源は1223年にあり、当時プロバンスの教会では3人の使徒を装ってクリスマスを祝っていたところ、1791年に教会が国の管理下に置かれ、一般の者が 教会でクリスマスを祝うのが禁じられてしまいます。そこで人々はまずパンの生地を使ってその使徒の人形を作りそれがやがて紙ででき、粘土ででき、そして現 在のような人形へと発展していきます。当初3人の使徒だけであったのが、時代の流れでいろんな職業の人物が現れます。多くの人物がキリストの生まれた場所 に集いやがて村ができるというお話だそうです。

santon

また南仏の方では、クリスマスのお祭りが11月4日から始まります。この日はカトリックのカレンダーでいうSaint-Barbeの日。人々は小さなお皿に苔をのせ、その中に小麦の種をまきます。20日後そこから緑の芽が出てきます。この芽は繁栄の象徴として、*Creche(ク レシュ)の中に飾られたり、クリスマスの夜のテーブルに置かれたりします。

santon

santon in metro

*Creche:幼児イエスが入れられた秣桶。あるいはクリスマスに飾られるキリスト誕生の馬小屋 の模型

santon in church

santon in metro
左は教会の中に飾られたサントン、右はマルセイユの地下鉄の中に飾られていた13種類の食べ物。

またプロヴァンスでは、人々はクリスマスの食後のデザートに思い思いのものを用意しますが、大切な伝統習慣があります。クリスマ スの夜、そこには13種類のデザートがなくてはなりません。それはキリストと彼の12人の使徒を表わしています。まず、4種類のデザートとして、干しブ ドウ、アーモンド、ヘーゼルナッツ、そして乾燥させたイチジクの実が用意されます。さらにそれに付け加えて、ナツメヤシの実、胡桃の実、黒と白のヌガーと呼ばれるお菓子が準備されます。また果物は、オレンジや、日本でいうみかん、りんご、なし、そしてマスカットがテーブルに並び、また忘れてはならないのが、フルーツジャム、マルメロの実のお菓子、そしてCalissons(カリソン)と呼ばれるアーモンドでできたお菓子など。さらにさらに、La pomp(ラ ポンプ)というオリーヴオイルを使ったパンがテーブルの上にボーンと置かれます。

la pompe
La pomp(ラ・ポンプ)

nougar
ヌガー

noisette pomp
くるみ、栗、アーモンドなどなど。次から次へとテーブルに並べられます。

クリスマス前後の様子としては、クリスマスイヴの朝にはサントンを売る出店が通りに並び、人々は毎年その人形のコレクションを増やしにやってきます。いろんなサイズのものがあり見て歩くだけでもクリスマス気分が高まります。夜になると教会へ向かう人の姿があちこちで見られ、子供たちがイエスへ宛てた手紙を読んだり、また近くに座っている人と握手をして「平和をまずは近隣から」と祈ったり、さ らには儀式の最後に神父からパンの一片をもらいそれを食べます。パンはイエスの肉体を象徴し、彼が人々にそれを分け与えるということを意味しています。

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サントン人形を売るお店、

nougar shop

nougar shop
ヌガー屋さん。白ヌガーはやわらかく食べやすいのですが、黒ヌガーは歯のいい人向け・・・。かなり甘いですよ。

church marseille

inside church
そしてこちらが、クリスマスの教会の中の様子。子ども達が衣装に着替えて登場します。

inside church

inside church
牧師さんの説教を聴き、クリスマスが何のためにあり、何をすべきなのかを教わります。クリスマスとは、お互いに分かち合い助け合うことをもう一度確認する日。だから、この日にはみんなでプレゼントを持ち寄り、交換し、分け合うことを感謝するのです。日本とクリスマスと違って、本当に神聖です。本来はこうあるべきなんだなあと。

神聖な空気のあとには、うちに戻りクリスマスの豪華な食事をとります。そして深夜12時が来るのを上で紹介したような13種類のデザー トを食べながら待ち、その時間が来るとイエスの人形をクレシュ(馬小屋)の中心に置いて祝います。そして待ちに待ったプレゼントの交換をしてクリスマスの一 日が終わります。

cuisine with peach
メインディッシュの「桃と子羊の肉」。

fois gras
フォワグラ。おいしいー。毎年、おなかが破裂しそうなくらい食べます。

canape


カナッペ。今年も私のリクエストで。

cake
クリスマスケーキとは呼ばず、デザートのケーキです。

fire

present
暖炉の前で12時が来るのを今か今かと待ちます。そして12時。家族からこんなにたくさんのギフトをもらいました。そしてまた来年はどんなギフトにしようかと迷うのです。
(以上写真:2005/2006)

ボージョレ・ヌーボー

ボージョレ・ヌーボーとは

Beaujolaisボージョレ=リヨン北に位置する地域の名前。 Nouveau ヌーボー=新しい。その年ボージョレで作られた新しいワインという意味です。

beaujolais nouveau

フランスではボージョレ・ヌーボーといえば、あくまでその年の新ワイン。日本のような大騒ぎはしません。その辺のスーパーで3~5ユー ロです。今年も近くのモノプリというスーパーで買ってきました。これが日本に行くと数千円するんだなあなんて考えながら主人にそのことを話すと、「日本は 宣伝広告におどらされすぎだ!」と。確かに。みんなお祭り騒ぎは好きですからね。楽しむことはいいことで しょう。

でもフランス人から見ると日本人のボージョレ・ヌーボーに関連する数々のイベントは不思議に見えるそうです。またワインに本当に詳しくてうるさい人は、ボージョレ・ヌーボーがおいしいとは言えないんだそうです。主人のお父さんも家にワインセラーを持ち、昼晩ワインという人物なのですが、 ボージョレ・ヌーボーはあまりおいしくないと言って買いません。

でもテレビなどで「おいしい」「年に一度」「フランスから」「今日が解禁日」などと言われると、買いたくなってしまいますよね。消費者の心理をよくついています。

wine cave wine cave

ボージョレはいまいちといって買うことのない義父。これがお父さんのワインセラー。数百本常時保存してあるらしい。もちろん工場直売で。宣伝に流されることなく自分の本当に好きなものを貫く。さすがフランス人。日本人は流されすぎ!!!。

普通の初ワインから特別なボージョレ・ヌーボーへ

その年の初ワイン

その年の最初に生産されたワインを飲むことは昔ながらの習慣でした。ラテン語では奴隷のためのワイン《serva potic》 と言われ、ブドウが摘み取られた後すぐに与えられたそうです。

中世では、この習慣が次のようなおもしろい理由で受け継がれました。

・土地の所有者である地主、司教、修道長などが待ちに待ったワインを高い値段で売ることができたから。

・またその頃はワインを保存することがまだ困難であったため。悪い質の樽にワインが入っていたため空気中の酸素と触れ、お酢に変ってしまい飲めなくなってしまうことがありました。

ワインの保存法問題は19世紀まで続きます。この期間ワインは高級品として扱われ、貯蔵品を保つために市場は厳しく規制されコントロールされていました。もしワインのストックが切れてしまうと人々の怒りが怖いですからね。

このように毎年初ワインの到来を多くの人々が待ち望み、収穫期の最後にはお祭りをして労をねぎらいました。

そしてこれらのお祭りの一つがSt-Martin(11月11日)の日に取って代わり、第一次世界大戦後まで重要なものとして存在して いました。ワイン生産者は試飲用のワインサンプルを振舞っていたようです。

ではなぜBeaujolais(ボージョレ) なのか

ボージョレはフランスはリヨンの北に位置する地域を指します。

20世紀前半、収穫後のボージョレのワインはLyon(リヨン)にあるパブや食料品店の間で引っ張りだこでした。はやく一番良いワイン を手に入れよう、そして客の需要に応えようと激しい競争が繰り広げられました。

1940年代の終わりまで、そういった競争に関する特別なルールなどありませんでした。そしてボージョレにあるワイン生産者側もこの競争に勝つために必死でした。

またボージョレ・ヌーボーが他のワインと異なる理由、それは特別なブドウ、ガメイ« gamay »からできていること。この地ではほとんどガメイしか栽培されていないそうです。この品種は1935年the king Philippe le Hardiによって選定されました。現在では、世界で36,000ヘクタールのgamayが栽培されています。そのうち22,500ヘクタールがリヨンの 北、ボージョレにあります。

Gamayはワインに強い味を与えます。それも作られて早いうちに。ですから早く消費されなくてはなりません。

ボージョレ・ヌーボーの市場化

ボージョレ・ヌーボーの市場化は50年代初期に事実上始まります。

1951年9月8日:
ワイン生産者がこのボージョレの名前を使いたい場合ワインを樽から出すのを12月15日まで待たなければならないというルールが作られます。

同年10月:
生産者が組合を作り、彼らのワインが品質上いち早く販売できるように請願をします。

同年11月13日:
12月前に売られるために従わなければならないルールが決められます。これがボージョレ・ヌーボーの公式的な誕生です。売上高15,000 hl。

その後15年間、ボージョレ・ヌーボーの解禁日はさまざまに変化します。それが11月15日の真夜中と決められたのは、1967年11 月15日でした。売上高220,000 hl。

1985年 :
500,000 hl分の生産販売を容易にするため、解禁日が毎年11月の第3木曜日にと決められます。 15日と決めてしまうとその年によって土曜日、日曜日に当たってしまい、ワイン解禁日に配達が間に合わなくなってしまいますからね。

また広告宣伝のおかげで、ボージョレ・ヌーボーはただ単にリヨンの名産でとどまることなく、70年代にパリへ、そしてフランス全国へと広まっていきます。さらには、60年代後半に国際市場進出にも成功。ヨーロッパから始まり、北アメリカ、1982年にオーストラリア、そして1985年には日本とイタリア、90年代には東南アジアなどへと市場を拡大してきました。

現在のボージョレ・ヌーボーは、450,000 hl、ボトルにして6千万本、50 %が輸出、その目的地となるのが150カ国。

さらに詳しくは公式サイトにて BEAUJOLAIS

サロン・ド・ショコラ

1995年から、ここフランスはパリで毎年開かれているチョコレ-トの祭典「サロン・ド・ショコラ」。いつも大体10月の終わりにやってきます。この時期になると通りにあるお菓子屋さんのドアにポスターが貼られたり、地下鉄の中はもちろん、テレビでも一斉に宣伝が始まり、「あー、今年もそんな時期かあ」と感じてしまいます。そう、パリではチョコレートの秋がやってくるのです。

場所はメトロ12番線のPorte de Versailles。初日の会場は、土曜日ということもありものすごい数の人々でチケットを購入するまでが大変。入場料は12€。

salon de chocolat

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choco choco
会場内は人の熱気と、チョコレートの甘い香りでいっぱい。そして試食用のチョコレートに手を伸ばすだけで一苦労。

また、チョコレート作りのデモンストレーションも見ることができます。パティシエたちの芸術の技です。

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スプーンですくって一口食べたくなってしまいました。

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簡単そうに見えるんですけどね。ものすごく繊細な作業なのでしょう。

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そんな芸術の技を観察しにお客さんたちが集まってきます。右は、小さなチョコレートのピースに一つ一つデザインをつけているところ。細かい。手が震えてしまいそうですね。

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こちらは、チョコレートの彫刻です。

そしてここからはその芸術作品をご覧下さい。全てチョコレートでできていることをお忘れなく。

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チョコレートの噴水。写真なので分かりにくいかもしれませんが、チョコレートが噴水のように湧いていて流れているんです。

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本物そっくりチョコレートのチューリップ。食べるのがもったいない。

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チョコレートきのこ。うーん、最終的にはどんな人が食べてしまうんだろう、とそんなことを考えてしまいました。

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ここまでくると、見てるだけでおなかがいっぱいになってきます。

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他にもさまざまなイベントが行われ、こちらはチョコレ-トのファッションショー。チョコレートに身を包まれたモデルさんがステージでポーズ。チョコレート にこんな情熱が注げられるなんて、さすがフランス。

いえいえ、ここにはフランスだけではありません。各国の有名なチョコレートが集まってくるのです。お隣 ベルギー、イタリア、ロシアなど、そして日本のチョコレートもこちらでは高い評価を受けているんですよ。

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私たちが購入したチョコレート。

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MICHEL CLUIZEL 201 rue Saint-Honore 75001 Paris FRANCE
1948年から続くフランスの有名なチョコレートブランド。とてもリッチなチョコレートです。
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Bramardi 1948年からのイタリアのチョコレートブランド。

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DE NEUVILLE 17, rue des Campanules 77185 LOGNES
1883年から続くフランスの老舗チョコレートブランド。フランス各地に130件のお店を持つ。お店のアドレスはホームページに記載されています。例えば、パリ5区だと 〔70, Bd St-Germain Hervé LAURENT 〕
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MADAME Setsuko こちらが日本を代表するチョコレート。とても繊細な味とデザインで、うちの主人もとても気に入ってしまいました。中でもこのGanache au the vert(抹茶のガナッシュチョコレート)がお気に入り。お茶と合う、日本のチョコレートです。日本も負けていません。
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オフィシャルサイト サ ロン・ド・ショコラ

フランス革命記念日

7月14日はフランス革命記念日。フランスでは人々は早くもヴァカンス気分に、この祝日をお祝いします。

7月13日には前夜祭としてパリ郊外の各地で花火が上がり、パリ市内(16区)8階にある私たちのアパートからは、合計8箇所の方向で花火が見えます。西側のベランダからは、近くにあるスタジアム(ポルトサンクルー辺り)で花火が上がり、また東側のベランダからはサクレクルー方面、ヴァ ンセンヌ方面など計5箇所の花火が楽しめます。遮るものがないので、少し遠くても、きれいに見えます。

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そして7月14日は、いよいよ本番。朝は、10時からシャンゼリゼ通りでパレードが行われます。正確に言うと、10時からは大 統領のスピーチや国歌の演奏などがコンコルド広場で行われ、その後10時半くらいから、空軍の飛行機がフランス国旗の三色の模様を空に描き、パレードがス タートします。

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シャンゼリゼ通りの真上をものすごい速さで飛んでいきます。最初のシャっターは速さの感覚がつかめずタイミングよく押せませんでした。 残念ながら飛行機が写っていません。自分の目ではしっかり見えていたのですが・・・。頭上をものすごい音を立てて飛んでいきます。

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ちょうどシャンゼリゼ通りは、ルイヴィトン近くで見ていました。

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そしてパレードのスタートです。パレードにはいろんな部隊が参加しており、シャンゼリゼ通りにつながる各通りからコンコルド広場へ向 かって出発するため、凱旋門近くにいると、見れない部隊があるので注意。私たちのいたルイヴィトン辺りも見れない部分が結構ありました。

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また、この日の場所取りも一苦労です。昔は10時のイベントに朝5時から場所取りをしたものだと話しているフランス人女性もいました。 現在はそこまではいかなくとも、10時にはもう通りは人の山です。みんな後ろの方にいる人たちは爪先立ち状態で見ています。ラッキーな人々というのは、シャ ンゼリゼ通りにオフィスなどがある人たち。ビルの屋上に集まって最高の場所を確保。また、この日メトロはシャンゼリゼ通り辺りは止まりません。シャンゼリゼ通りにつながるいくつかの通りも通行がブロックされるので気をつけてください。

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毎年、戦車やタンカーなどの重い乗り物がパレードで走るので、道路へのダメージが結構あるそうです。すごい振動で走っていきます。

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そして14日夜10時半。パリ市内で花火が上がります。2005年はエッフェルタワーそのものが花火の一部になっていてものすごい迫力でしたが、2006年のものはエッフェル塔から少し離れたところで行われました。ちょっと寂しかったかな。毎年花火の位置が微妙に違ったり演出も違います。エッフェル塔近辺、トロカデロ辺りは人だかりでかなり混雑するので注意。

またこの革命記念日の日、大統領から数人の囚人に恩赦が与えられることでも知られています。この慣習は政府内外から非難を受けており、 おそらく2006年度で最後になるだろうと言われています。

【フランス革命とは】
1789年7月14日パリ市民がバスチーユの牢獄を攻撃し中にいた囚人を解放。市民階級の国民議会が実験を握り、国王ルイ16世とマリー・アントワネット が処刑されます。ロベスピエールの恐怖政治が開始されますが、テルミドールの反動で倒れ、ナポレオンが登場。そのナポレオンもやがてロシア遠征に失敗してから失脚。ルイ18世が王政復古をして革命に終止符がうたれます。また特出すべき項目として、フランス革命ではメートル法が生み出され、またこの時期ロゼッタ石が発見されエジプト古代史が注目し始めます。

ヴァレンタインデー

ヴァレンタインデーの歴史

3世紀のローマ時代、皇帝Claudius(クローディアス)は、強力な軍隊をつくるため、多くの男性が入隊してくることを期待してい ました。しかしその思いとは逆に、男たちは戦争で戦うことを拒み、また彼らの妻や家族を後に残したくないと願っていました。そこで皇帝は、もし男たちが結婚をしなければ、家族のことを心配する必要がなくなり軍隊に参加するであろうと考えました。そして全ての結婚を禁じてしまいました。

しかし、当時、ローマで司祭をしていたValentine(ヴァレンタイン)は、この新しい法律に反対で、それ以降も多くのカップルを 教会で結婚させていました。

ある日のこと、結婚式を行っている最中、ヴァレンタインは軍隊に見つかり捕らえられてしまいます。彼は牢獄に入れられ、死刑を宣告されます。

そんな中、思ってもみないことが起こりました。多くの人々がヴァレンタインを励ますためにこの牢獄を訪れたのです。人々は花や励ましのメッセージを窓に向かってなげ、彼らが、ヴァレンタインのように愛を信じているということを伝えたのです。

その訪問者の中の一人に、ある少女がいました。彼女は牢獄看守の娘で、ヴァレンタインのいる部屋まで行くことを許されていました。彼女 はヴァレンタインを励まし、またヴァレンタインが皇帝を無視し結婚行事をとり進めたことを正しいことだったと賛成してくれました。そして死刑が実行される その日に、ヴァレンタインはその少女に感謝のメッセージを残しました。そして、そこには、”Love from your Valentine” とサインがしてあったのです。

これがヴァレンタインの日に愛の告白をするようになった習慣の始まりだったのです。このメッセージは、紀元前269年2月4日に書かれ ています。

priest valentine
司祭ヴァレンタイン

church
ヴァレンタイン教会

日本のヴァレンタインデー

昭和11年頃、戦前にモロゾフというお菓子屋さんが最初に日本でヴァレンタインデーの広告を出したそうです。しかし、その後戦争をむかえ、その定着にはいたりませんでした。

昭和30年には、デパートで、単に恋人が贈り物をする日として宣伝を開始しましたが、それでもまだに日本の習慣にまではなりませんでした。そして、昭和33年になり、あるチョコレート会社の営業主任がヨーロッパの知人からヴァレンタインの話を聞き,新宿伊勢丹でキャン ペーンを試みました。しかし、これも最初の年はたったチョコレート5個、170円分の売り上げにしかならなかったそうです。

結局、このヴァレンタインデー という習慣が日本に定着するのは、昭和50年まで待たなけらばなりませんでした。そして現在義理チョコから本命チョコまで、なんと8割の女性が3人以上の男性にチョコレートを贈っているそうです。そして20代独身女性の6割が、6人以上に贈り、全世代では平均4~5人に贈っている計算になるそうです。

heartshaped choco

フランスのヴァレンタインデー

一方フランスでは、どちらかというと日本の逆で、男性が女性に花やメッセージカードなどの贈り物をするそうです。また、その代表的な花 といえば、バラが一番好まれるようです。また、最近では、携帯でヴァレンタインデーのメッ セージや写真を送るサービスなどが新しくその文化に取り込まれています。一枚の紙切れがここまで進歩したなんて、きっとヴァレンタインもビックリしていることでしょう。

そして、ヴァレンタインデーの日には、カップルはデートをして、男性が雰囲気のいいレストランに女性を招待するというのが一般的だそうで す。ですから、日本とは男女の立場が全く異なります。こちらの人にはまず、日本ではどうして女性が贈り物をするのかが不思議に感じられるそうです。そし て、日本のように告白の日というよりは、カップルの日であり、本命や、義理チョコという存在が不思議に感じられるのも当然です。もちろんフランスにも、日本人と同じようにこの日を告白の日として利用する人もいるそうですが、なぜチョコレートが必要なのかということも不思議でしょうね。

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