テロ事件とメディア

今回のテロ事件で様々な問題を目にしましたが、その中の一つにメディアの力というものも付け足したいと思います。

テロが発生し、各局が”LIVE”報道に必死・・・なのは分かるのですが、”我先に”という気持ちが一杯で危険極まりない。

Figaroの記事からですが、人質に取られていた男性の家族がBFM(フランスのニュースチャンネルの一つ)に対しこんな訴えをしていました。

『BFMは店内にいる人質と連絡をとり、階下に他に6人と赤ん坊が1人存在することを知り(犯人は知らない)、その2分後には、«Cinq personnes en bas et un bébé»とその情報をテレビで流してしまった。もちろんテロリストはテレビの報道をチェックしており、幸いにも画面の下に流れたテロップを見逃し気づくことはなかったが、どんなに危険なことか。みんな殺されていたかもしれない。』

それに対してBFMは、『我々は人質とは一切コンタクトを取っていない。警察から彼らの存在を知った。また彼らが危険から脱した際にその情報を流すに至った。』・・・と。

BFMだけではなく、他のメディアも大きく批判されています。

またこの日曜日に行われたテロに対する抗議デモ行進。これに関しても賛否両論の意見が聞こえてきます。

まずメディアはもちろん、『団結しよう!』『テロに屈するな』と国民の感情を沸きたてています。

でも冷静な判断をするフランス人もちゃんといらっしゃいます。こちらも Figaroから見つけた記事です。

『パリでの行進で人々の感情も最高潮になった・・・が、そのあとは? 批判を受けるのを承知で言うが、みんなで行進したって何にもならない。早急になにか強力な対策が採用されない限りは。』

『よく考えてみれば、日曜日のパリデモ行進に参加したフランス、あるいはヨーロッパを代表する政治家たちは、このテロに対して皆責任がある。大量の移民を受け入れ不安定な社会情勢を生み出し、それに対して対策を取ってこなかった。デモ行進はそんな政府やメディアによって作られた。』

学校では生徒たちの対応に困る教師たちも。生徒の中にはよく考えている子供たちがおり、宗教や、言論の自由について、また被害にあった出版社の風刺につてい、あるいはなぜ学校で黙祷しなければいけないのかなど、子供なりにテレビなどの報道に疑問を持つ子もいるようです。毎日どこかで起こっている殺人事件。その人たちのためには黙祷しないのに、なぜこの日は黙祷しなさいと言われるのか。

このような小さな記事はきっと日本へは伝わらない部分だと思い、大々的に報道されているニュースと敢えて反対のニュースをまとめてみました。記事や報道を見ていると一方通行に感じるのですが(みんながcharlieと叫んでいるかのよう)、コメントなどを読んでいるとさまざまな意見が見つかります。『テロに屈しない、団結しよう』はいいのだけれど、で、どうするの? ということになる。なぜテロが起こるのか、起こったのかという深い部分をもっと取り上げるべきだと思うのですが。