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パリ16区アールヌーボー建築巡り III

パリ16区アールヌー ボー建築巡り I パ リ16区アールヌーボー建築巡り IIに続く第3弾ぺージ。今回はメトロ9番線JasminジャズマンをAuteuilオートイーユへ向かって歩 きます(オートイーユからジャズマンでもいいのですが)。第1弾で紹介したエリアとすぐ近くです。

今回の散策エリアは、

(地域:パリ16区 メトロ9番線 Jasminジャズマン ~ Auteuilオートイーユ

メトロでJasminジャズマンへ行き、そこから歩いてほんの10分足らずの地域にアールヌーボー建築がいくつか点在しています。いつ も通ってるのになあ、今回もまたそう思いながら歩いていました。

Hotel Particulier 3 square Jasmin (1922)
静かな通りに隠れるかのように、周りとは明らかに異なる目を引く建物が。細部にまで細かく装飾がされています。

Immeuble Guimard 18, rue Henri-Heine (1926)
こちらもおもしろいデザインです。でも、この3つの窓がワンセットになっているのはギマールの特徴ですね。

Villa Flore 120 Avenue Mozard (1924)
テトリスのようなデザインです。

Hotel Guimard 122, Avenue Mozard (1913)
ギマール邸。左下の写真が正面、そして右下の写真が側面から撮った写真です。この家の中がどうなっているのか、興味をそそられます。

地上階はギマールの設計スタジオ、上の階は画家であったギマール夫人のアトリエ、そしてその間の階が居住空間だったそうです。

迫力のある門構え。なんだか飲み込まれそうな感じがします。

Immeuble de graconnieres 36, rue Greuze (1927)
こちらは、ちょっと離れてしまいますが、メトロJasminから2つ行ったRue de la Pompe(ルー・ドゥ・ラ・ポンプ)にある建物です。

Immeuble de rapport 38, rue Greuze (1928)
そしてそのお隣の建物もつづいています。

3回に分けてお届けしたアールヌーボー散策。16区の静かな街中を散歩してパリの雰囲気を味わってみるのも良いのではないでしょうか。 カフェでお茶して休みながらでも。

パリ16区アールヌーボー建築巡り II

パリ16区アールヌー ボー建築巡り I に続く第2弾ぺージです。今度はエリアを変えて、ギマール建築を追ってみましょう。まだまだ不思議な建物がここ16区には隠れています。目を凝らして歩いてみましょう。

今回の散策エリアは、

(地域:パリ16区 メトロ9番線 Auteuilオートイーユ ~ Chardon Lagacheシャルドン・ラガシュ

この辺りは私も毎日のように通っている地域で、以前から変わった建物だなあと思っていました。歴史を知ってやっとすっきりした気分で す。


Hotel Delfau 1er, rue Molitor (1894)
メトロChardon Lagacheシャルドン・ラガシュを降りてすぐのところにあります。通りから少し奥まったところにあり、知らないと、そのまま通り過ぎてしまいそう。


Villa Jassede 41, rue Chardon Lagache (1893)
こちらが、いつも不思議だなあと思っていた建物です。この窓の並びといい、デザインといい、不思議です。


Projet d’immeuble de rapport 147, avenue de Versailles (1910)
空に突き出すような屋上の屋根が特徴的。でもこの辺り犬の糞がすごいんですよね。悲しいことに。


Atelier Carpeaux 39, Bl Exelmans (1894)
Jean-Baptiste Carpeauxという彫刻家のアトリエ。彼の死後に建物が何人かに手直しされ、その中の一人がギマールでした。


Hotel Rosze(左)  34, rue Boileau(1891)
メインの通りから少し離れ裏通りのような場所にあります。4月頃になると写真のように藤の花で満開。そのお隣にある大使館(写真右)の建物もデザインが凝っています。

パリ16区アールヌーボー建築巡り III へ続く。

パリ16区アールヌーボー建築巡り I

先日ある英字雑誌でパリ16区を特集とする記事を見つけました。なにやら読んでいると、うちの近所に面白い建築物があるという。普段何も周りの建物 のことなど気にせずに歩いているたので、そのことを知ってちょっと興味をそそられました。そんな建物あったかなあと。

ちょっとその記事をここで訳してご紹介しながら、私の撮ってきた写真を付け加えていきます。このぺージでご紹介する建物が見られるエリアは、

(地域:パリ16区 メトロ9番線 Auteuilオートイーユ ~ Maison de Radio-France フランス・ラジオ協会)

20世紀初頭の建築

1960-70年代まで、ブルジョワエレガンスがここパリ16区に住む人々の特徴でしたが、今日では少しそのファッションも薄れ、パリで一番お洒落で高級なエリアではなくなってしまいました。しかし、20世紀初頭の建築という視点から言うと一番美しい場所の一つに数えられます。中でも Auteuilオートイーユからラジオフランスにかけブルジョワの町並みのような地域が佇んでいます。

1985年、パリメトロ(地下鉄)エントランスのデザインで有名なHector Guimard ヘクトー・ギマールは、Art Nouveauアールヌーヴォーのファンタジーを 巨大なアパート建築に取り入れました。その代表作が①Castle Beranger(1898年/14, rue La Fontaine)です。さまざまな色の材料(レンガ、セラミック、ステンドグラスの窓、ガラス細工)、いろんな形の窓、そしてとりわけ鉄製細工を使用。 またstyle nouille スパゲッティスタイルen coup de fouet 飛び上がるホイップデザインが特徴的です。


①Castle Beranger
この特徴的なスパッゲティの門(本当はタツノオトシゴ)。ギマール設計の低家賃住宅で、画家ポール・シニャックも住んでいたという。なんて贅沢な住宅なんでしょう。静かな住宅街の中でひときわ目を引きます。


デコレーションも凝っていてそこらじゅうにタツノオトシゴのモチーフがみられます。こんなところにも、あんなところにも。

1902年、新しい法律によりパリの建築家達がより自由にアパートをデザインできるようになりました。活気づくような建物の正面、丸く カーヴのかかった入り江窓、ビル屋上の装飾。建物は女性のファッションとともに贅沢なものとなっていきました。ギマールはそのような中で、②Hotel Mezzara(1911年/ 60, rue La Fontaine)と ③Immeuble Tremoi(1910 年/ 11, rue Francois-Millet)と呼ばれるアパート建築において比較的自分のありのままのスタイルを保ちました。花や植物のモチーフで彫刻の施された正面は、1907年/85, rue La Fontaine と1911年 /9, Rue du Pere-Brottierの建物に現れています。1907年/15, avenue Perrichonにある建物はレンガの上のセラミックにオーガニックモチーフがあしらわれており、美しい鉄製細工(en coup de fouet飛び上がるホイップデザインの始まり)が見受けられます。


②Hotel Mezzara
静かな通りを歩いていると、普通のアパートとアパートの間にこんな奇妙な形の建物が現れてきます。現在は高校の所有物として保存されているそうです。


③Immeuble Tremoi
この辺り一帯はギマール設計でいっぱいです。


1907年/85, rue La Fontaine


花々で飾れた豪華な門。


こちらがホイップデザイン。かわいらしいですよね。


Ensemble Immobilier 17,19,21 rue La Fontaine / rue Agar (1912)
ギマール設計の集合アパート。不思議な一角です。

世界大戦へとつながる1920年が近づくと、美的感覚は変化を迎えます。スパゲッティスタイルはさらに控えめな近代スタイルと移り変 わっていきます。この頃から、まっすぐなライン、平らな平面、そして幾何学模様などが、それまでの丸くスムーズな形に取って代わります。この簡単な装飾を 活気づけるために、建築家達はArt Decoアールデコとして知られる運動とともに新しい建築材料やグラフィック 装飾を加えていきます。⑦モザイクドア(1927年/39, rue Gros)は黒い御影石の上にその模様が映えています。また⑧砂石タイル(1935年/2, rue Degas)がモザイクのように扱われています。


⑥モザイクドア


⑦砂石タイル

1935年以降の控えめでエレガントな建物(22, rue Nungesser-et-Coli)は白いコンクリート、幾何学模様の入り江窓でシンプルに飾られています。その一年後に建てられた隣の建物(24, rue Nungesser-et-Coli)とのコントラスも面白い。こちらは、全体の正面がガラスでできています。Le Corbusierの作品です。彼は建築スタイルにさらに新たな変化を生み出し、それはModernismモダニズムと して後発展していきます。 (参考文献 The Paris Times : 訳Aki )

パリ16区アールヌーボー建築巡り II へ続く。

ラヌラグ公園

パリ16区、メトロ9番線La Muetteラミュエットから歩いてすぐのところに Jardin du Ranelaghラヌラグ公園があります。たまにここで私はランチをしたりするのですが、ちょっと休憩するのに便利ですよ。駅近くにパンのヤマザキがあるのも便利。そして、この公園をを通り抜けていくと Musee Marmottan マルモッタン美術館(観 光/マルモッタン美術館)があります。モネの絵を鑑賞し終わった後に、公園でのんびりしてみてはどうでしょうか。

天気のいい日には、子ども達が集まって遊んでいます。ベビーシッターの人も多いですね。私はそんな様子をベンチから眺めながら読書をするのが好きです。公園の周りはジョギングやサイクリング用の道が最近整備されたそうです。運動にもいいですね。

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マロニエの木に囲まれた歩道を散歩するのもいいですよ。


そしてこの公園には、17世紀フランスの寓話作家Jean de la Fontaineジャ ン・ド・ラ・フォンテーヌの像が。
(一部ヴォルヴィコント城のぺージでも紹介しています。)
この公園にあるシーンは「カラスとキツネ」の話がモチーフになっていますね。

「カラスとキツネ」

散歩していたキツネが木に止まっているカラスを見つけました。
そのカラスは盗んだチーズのかけらを口にくわえ満足そうにしていました。

キツネはそのチーズを自分のものにしたいと考えました。
そして、木の下まで行って、そのカラスに「なんて愛らしいカラスなんだ」と、ほめ始めたのです。

カラスはその言葉を信じ、「私って結構きれい」と、心の中で思いました。

さらにキツネは「君は美しい声も持っているに違いない」と続けました。

すると、カラスは自分の声を自慢したいと思いながら、「もちろんよ」と心の中で思いました。

そして次の瞬間、カラスは口ばしを広げ、大きく「カー」と鳴きました。
すると、くわえていたチーズがまっすぐキツネの口へと落っこちてしまいました。

教訓

お世辞にだまされるな!

公園で今度イソップ童話を読んでみるのもいいですね。たくさん教訓があっておもしろいです。

マルモッタン美術館

メトロ9番線La Muetteラミュエットから Jardin du Ranelaghラヌラグ公園(観光/ラヌラグ公園)を通り抜けていくと Musee Marmottan マルモッタン美術館がひっそりと立っています。同じパリ16区に住みながらなかな行くチャンスが現れず、やっと今回主人と訪れることに。オランジュリー美術館とジヴェルニーを訪問し、なんとなくクロード・モネの足跡を追っている私達です。

マルモッタン美術館の歴史

ではまず、このマルモッタン美術館の名前の由来ともなっている人物、美術史家・収集家のポール・マルモッタン(1856-1932)について。この美術館はもともと1840年にある貴族によって狩猟用に建てられたものを、ポール・マルモッタンの父が1822年に購入し、邸宅用に改造しました。ポールの死後は、彼のコレクションなど含め全てがアカデミー・デ・ボザールに寄贈され、1934年から美術館として公開されるようになりました。

主なコレクションには、新古典主義(ナポレオン時代の絵画様式)などの絵画やアンピール様式と呼ばれる調度品があります。美術館内を 回っているようで、実は彼の邸宅の一つ一つの部屋に並べられた作品を見て回るような感じになっているんですね。

さらに、1957年、モネの医者であったジョルジュ・ド・ベリオの収集品が、彼の娘から寄贈され、この中に「印象・日 の出」の作品が含まれていました。また1966年には、モネの次男ミシェル・モネより、父親モネの作品が多数寄贈されました。このよ うにマルモッタン美術館には、多くの個人収集家からの寄贈を受け、印象派画家達の作品が多く集まっていることで有名になりました。

「印象・日の出」から「睡蓮」まで / モネの歴史

1840年にパリのラフィット街に生まれ、その後5歳の時、一家でノルマンディー地方のセーヌ河口の街Le Havreル・アーヴルに引っ越します。少年の頃から絵の得意だったモネは、絵の勉強をし続けます。そして彼の絵がル・アーヴルで活動していた風景画家ウジェーヌ・ブーダンの目にとまり、彼らは知り合うことに。そしてモネは画家になる決心をしました。ブーダンはキャンバスを戸外に持ち出し、陽光の下で海や空の風景を描いていた画家でした。ブーダンと出会ったことが、後の「光の画家」モネの生涯の方向を決定づけたとも言われています。

le  havre
Le Havre: ル・アーヴル(Havre)はフランス語で港を意味します。

Trouville
トルーヴィルの浜(1867):ブータンの作品。
ノルマンディー地方のオンフルーレで水夫の子として生まれる。
1857年にモネと出会い、モネに屋外で絵を描くことを教える。

1860年:(1859年とも)、パリに出て、アカデミー・シュイスに学び、ここでCamille Pissarroカミーユ・ピサロらと知り合う。

pissarro
「ポントワーズの庭」(1877):ピサロの作品。
1860年代にはパリ近郊のルーヴシエンヌ、ポントワーズなどで、
モネ、ルノワールらとともに戸外にキャンバスを持ち出して制作した。

1870年:普仏戦争を避けてロンドンへ赴きますが、ここではイギリス風景画の第一人者Joseph Mallord William Turnerジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナーを研究しました。

Turner
「戦艦テメレール号」:ターナーの作品。
大気と光の効果を追求した画家。

1873年:彼が32歳の時、ノルマンディーへと向かいます。そしてそこで「印象・日の出」が作成 されました。その翌年にはルノワール(観光/ルノワールの風 景)、シスレー(観光/モレ・シュール ロワン) らと「画家・彫刻家・版画家・無名芸術家協会」を結成。

impression sunrise
「印象・日の出」:印象派という流派名の由来となったモネの代表作です。

1875年:日本の衣装をまとったモネの妻カミーユをモデルにした「ラ・ジャポネーズ」が作成。風景画家モネによる人物画の大作として有名です。
1877年:「サン・ラザール駅」
1885年:「日傘の女」作成。第7回印象派展開幕。
1890年:モネ49歳の時、 ジヴェルニー(観光/モネの家ジヴェルニー)の土地と家を買 う。そしてその後少しづつ土地を拡大していき、睡蓮の池を中心とした「水の庭」、さまざまな色彩の花を植えた「花の庭」を造りました。画家自身この庭自体が自分の「最高傑作」だと言っていたという。
1892年:「ルーアン大聖堂」の連作を始める。
1894年:デュラン=リュエル画廊での歌麿と広重の版画展を見に行く。
1898年:モネ57歳、 「睡蓮」を多量に描き始める。
1926年:モネ86歳、 12月5日 ジヴェルニーで死去。
1927年:オランジュリー美術館(観光/オランジュリー美術館)に「睡蓮」の大連作が展示される。

ここマルモッタン美術館では、「印象・日の出」が見られる他、ジヴェルニーで描かれた多くの作品が鑑賞できます。地上階がポール・マル モッタンのコレクション展示で、地下にモネの部屋が用意されています。また階段を上って2階に上がると、シスレーなど他の印象派画家たちの作品を目にする こともできます。

水面下の植物や霧がかった景色がぼんやり浮かび上がってくる、そんな効果のある彼の作品の数々をぜひ見に行ってみてください。

参考文献・写真 ウィキペディア

マルモッタン美術館
2, rue Louis-Boilly 75016 Paris
Tel: 01 44 96 50 33

オープン: 10:00~18:00
クローズ: 月曜日、5/1、12/25、1/1
入場料: 8ユーロ

オフィシャルサイト