ナポレオンの惨敗

1769年、コルシカ島アジャクシオに生まれたナポレンオン・ボナパルト。フランス第一帝政の皇帝となり、「余の辞書に不可能の文字は無い」と名言を残しました。

数々の戦いに勝利し、国民の英雄となっていったナポレオンは、またクレープ占いにはまっていたそうです。フランスで2月2日はChandeleurと呼ばれ、この日クレープを焼くとき、左手にコインを握り、右手で高くクレープを放り投げうまくフライパンで受け止められれば幸運が訪れるということです。

1812 年2月2日、ナポレオンはこのクレープ占いに挑戦。しかし5枚目に失敗してしまったそうです。そしてその年、彼はロシア遠征に失敗し、退却する際「余の5 枚目のクレープだ」と呟いたそうです。

歴史の背景は次のような感じです。フランスが大陸封鎖令を出し、大陸とイギリスの貿易を断絶させようとしたのですが、当時「世界の工 場」と言われていたイギリスからの物産が受け取れなくなったことでかえって大陸の経済は困窮してしまいました。そのためロシアが封鎖令を破ってイギリスと の貿易を再開します。そこで行なわれたのがナポレオンのロシア遠征。

フランスは同盟国から60万という数の軍隊を徴兵で集めロシアに侵入していきましたが、飢えと寒さで次々と兵士が脱落。最初の案ではBerezina(ベ レジーナ)という川が、その時期凍っているはずなので、その上を渡って帰路につく予定でしたが、実際はそうはいきませんでした。

そして数十万のフランス兵士がロシアで亡くなり、無事に帰ってこられた者はたったの5千人だったそうです。

そこから生まれたフランス語が、その川の名前Berezina(ベレジーナ)。意味は「完全な失敗、惨敗」だそうです。ナポレオンが残したもう一つの遺産ですね。

C’est la berezina!
(セ ラ ベレジーナ)

あんまりいい意味じゃなけれど。

*アクサンは省略してあります。