All posts by Aki

フランスのイースターホリデー

パック  Paques

フランスのイースターホリデーはパック(Paques)と呼ばれます。おそらく日本人には聞きなれない言葉だと思いますが、こちらでは 春を告げるお祭りでもありとても大きなイベントになっています。

英語のイースターもしくはフランス語のパックは、日本語では復活祭と訳され、文字通りキリストが復活するという意味から来ています。キ リスト教の国々では、神の息子イエスキリストが復活した日としてこの日を祝いますが、さまざまな習慣や伝説があり、またそれらは時にキリスト教徒は関係の ない場合もあります。

8世紀の学者によってすでに考えられていたこの祝日のルーツをもとに、学者たちはイースターという名が北欧の”Ostra”、 “Ostern”あるいは “Eastre”から来ていると信じています。これらの単語は全て春分の日の祭りを表す神話の神々を示しています。

一方フランス語のパックPaquesはパッセージpassage(通行、通過、通路)という単語からきています。人々はこのパックの始まる前の日の土曜日に祝いの準備をし始めるのですが、土曜、日曜が一連の祭りとしてつながることからこの名前が付けられました。

このお祭りはさらにユダヤ人のパスオーヴァーPassoverというお祭りとの関係を強調する形でさまざまな伝統を体現しています。このPassoverというお祭りはユダヤ人がエジプトでの奴隷から脱し自由を手に入れたという歴史的な事実を記念し祝うものです。初期キリスト教徒は、多くがユダヤの起源を持ち、ヘブライ文化において育てられため、このパックをパスオーヴァー祭りとみなしました。

パックは春分の日に続く最初の日曜日に西欧諸国の教会によって決められます。そのため毎年その祝日は変化し、早くて3月22日また遅く て4月の25日に行われることになります。しかし古い伝統の強い東の国々では Passover祭の日に従ってパックを祝うことが多いそうです。

またこのパックという祭りはこの日の前日まで続くキリスト教の40日間の断食の終わりにあたり、パック当日は豪華な食事を取ります。

パックのシンボル

繁栄の象徴であるうさぎや、春の太陽の光を象徴するカフルな色で塗られた卵などが使われることで有名です。

まず卵はその繁栄と新しい生命を象徴するのに何世紀もの間パックの日に欠かせないアイテムとなっています。もともとこれらの卵はカラフルに色づけされギフトやゲームの道具などとして使われてきました。その後、きれいに飾られるようになった卵はヴァレンタイン デーのように恋人たちによって交換されるようになり、さらに中世ではこのパックの日に召使などにも与えられたということです。ちなみにドイツでは他のギフトと共に子供たちに送られたそうです。

このように文化によってさまざまな種類の卵が生まれました。赤く塗られた卵はキリストの血を象徴しギリシャで交換され、またド イツ、オアーストリアではホーリーサーズデーHoly Thursdayといって神聖な木曜日に交換されます。オーストリアの卵はある植物を使ってデコレーションンがされるそうです。

starryeggs .coloredeggs

一方ウサギは一番繁殖力がある動物として知られており、春の新しい生命誕生の象徴として使われてきました。もともとの起源のルーツはド イツにあるそうで、1500年の書物に記されています。最初の食べられるウサギの形をしたお菓子は1800年初期につくられました。

bunnycake

フランスでのパックの日

さて実際この日にはどんなことをするのかというと、人々は教会へ行きキリストの復活を祝うセレモニーに出席します。またパックの前後は連休となっているので旅行など遊びに出かける人々も多いです。

一方教会の外に出ると、ケーキ屋さんやスーパーなどで売られている色とりどりの卵やウサギの形をしたチョコレートが目に入ってきます。中にはほぼ等身大ニワトリのチョコレートなど凝ったデザインのものもたくさんあります。

easterchoco

easterchoco

Rameaux (Olivier) オリーヴ

イエスキリストが初めてエルサレムにたどり着いたとき、多くの人々が歓迎するために彼を待っていました。そしてパームツリーの枝を振り かざして彼を迎えたのです。また到着後イエスはこのパームツリーの葉で歩きやすくされた道を進んでいきました。

この出来事を受け継ぐため今でもこのパックのイベントには、パームツリーの代わりにオリ-ヴの枝を使っています。そして教会のイベントに参加した 後、枝を一つずつもらって帰ります。

上記に書いたイエスの話と重ねて、このオリーヴの葉は一年中緑を保つことから、永遠の生命を象徴するとされ、家において魔よけに使われます。

plant
今年も家にちゃんと置いてあります。

フランスの祝日

日付け 祝日名 説明
1月1日 Jour de l’an 新年 この日凱旋門、シャンゼリゼ通り、エッフェル塔あたりではカウントダウンイベントが行われます。
4月の第2日曜とそれに続く月曜日 Lundi de Paques 復活祭 復活祭は春の最初の満月の後の最初の日曜日に行われます。チョコレートがたくさんでまわります。(詳しくは「パック」のぺージを ご覧下さい。)
5月1日 Fete du travail メーデー フランスの労働者たちの日。デモンストレーションの行進などが行われます。
5月8日 Commémoration de la capitulation allemande en 1945 戦勝記念日 第2次世界大戦の終わりを記念する祝日。
復活祭から数えて 40日後 Ascension 昇天祭 イエスキリストが昇天する日。
復活祭から数えて 7番目の月曜日 Pentecote 聖霊降臨祭 使徒に聖霊が降りてくる日。
7月14日 Fete nationale 国家記念日 1789年7月14日、フランス革命のシンボルであるバスティーユの占拠を記念する日。軍隊行進や花火など。
8月15日 Assomption 聖母被昇天祭 聖母マリアが昇天する日。
11月1日 Toussaint 万聖節 全聖徒を祝う日。
11月11日 Commémoration de l’armistice de 1918 休戦記念日 第1次世界大戦の終わりを祝う日。
12月25日 Noel クリスマス イエスキリストの誕生を祝う日。

 

その他

【1月4日  Epiphanie 公現祭】 イエスキリストが公現する日。この日人々は教会に行きローリエをもらってかえります。

【2月1日 Chandeleur クレープの日】 (詳しくは「クレープの日」のぺージをご覧下さ い。)

【2月14日 St.Valentin ヴァレンタインデー】 (詳しくは「ヴァレンタインデー」の ぺージをご覧下さい。)

【2月24日 Mardi-Gras 謝肉祭】 謝肉祭から復活祭の期間をCaréme (キャレム)といい人々は断食をしていました。その始まりの日にたくさんの食事をとり、子供たちはいろんなコスチュームや仮面をかぶって祝います。

【3月の最後の日曜日】 夏時間に変更。午前2時に1時間早める。

【5月9日 Féte de Jeanne d’Arc ジャンヌダルクの日】 【6月第1日曜 Féte des Mères  母の日】

【6月第3日曜 Féte des Pères 父の日】

【6月21日 Féte de la Musique 音楽の日】 音楽の日公式ホームページ

【10月最後の日曜日】 冬時間に変更。午前2時に1時間遅らせる。 学校休暇 【クリスマス休み】 だいたいクリスマスをはさんで2週間の休暇。日本でいう冬休みです。

【冬休み(スキー休み)】 2月から3月にかけてだいたい2週間の休暇。

【春休み】 4月にある2週間くらいの休暇。

【夏休み】 だいたい6月30日から9月2日ごろ。

【万聖祭】 万聖祭をはさんで2週間。ハローウィンはカトリックでいう万聖祭の前夜のこと。この万聖 祭というのは、All Saint’s Dayといって聖人たちを称えるために11月1日に行なうお祭りのことです。その前夜は亡くなった人たちが生前の身体をさがして夜の道をうろうろする という・・・それがはじまりだと言われています。

パリと江戸の環境問題

フランスの歴史

16世紀: ヨーロッパでは宗教改革が起こっていたころ。フランスでもユグノー戦争で新教徒と旧教徒の戦争が起こった。

17世紀: ルイ13世の時代王政は安定し、次のルイ14世で王権神授説を唱える。絶対王政主義全盛期。

18世紀: ルイ15世の時代から財政が悪化し始め、ルイ16世で行きづまってしまう。王妃マリー アントワネットが処刑されたのがちょうどこのころ。

19世紀: ナポレオンが活躍。

17~19世紀のパリの環境

17世紀・18世紀、ちょうど日本では江戸幕府が政権をとっていたころ、パリではベルサイユ宮殿を中心に王政主義の時代が続いていました。

さてその時代がどのようであったかというと、まず豪華で贅沢な生活を思い浮かべられるかもしれません。しかし環境の上から見るとあまり清潔感は感じられません。パリのヴェルサイユ宮殿にはトイレがなかったというのは有名な話で、広大な庭園の美しい植え込みも、実はトイレ代わりになっていたという。もちろん建物の中でも用を足しざるを得ない場合もあったことでしょう。召使たちがその後始末をしていたそうです。

ビクトル・ユーゴーの名作「レ・ミゼラブル」でも、延々とパリにおける糞尿問題を取り上げた章があるくらいです。主人公ジャン・バルザックがパリの下水道の中へ逃げ込むというシーン。あらゆるゴミ、糞尿、動物の死骸もこの下水道に押し流され、何の処理もされることなくセーヌ川に流れ込んでいたことがわかります。 そのため、パリの中心を流れるこの川は悪臭を漂わせ、とても不潔なものだったそうです。

また同じ頃、お隣ロンドンでも汚水や汚物が道路にあふれ、テムズ川 などは工場汚水で真っ黒だったそうです。そして19世紀になりコレラが流行し始めます。

versaille
ヴェルサイユ宮殿

versaille
ヴェルサイユ宮殿の庭園

日本の歴史

16世紀: 戦国時代から織田信長、豊臣秀吉などが活躍。

17世紀: 徳川家康が天下を最終的に取り、徳川政権が始まる。17世紀後期には徳川5代将軍綱吉 が「生類憐みの令」を出す。

18世紀: 鎖国政策の中、幕府の政権を強めていく。赤穂浪士討ち入り。富士山噴火。

19世紀: ぺリー来航。江戸幕府が倒れる。

江戸時代の環境

パリやロンドンとは違い江戸時代の日本の都市では、人間の排泄物などは農業用の肥料として使われ、貴重な資源としてあつかわれました。 そのため人々は値段をつけ立派な商品として取引さえしていました。また日本の都市には家畜が少なかったこともヨーロッパと違い町を清潔に保てられた理由にあげられます。また日常から出るゴミや汚水が、道を防ぎ川を汚すことも当然あったことでしょう。幕府はこれを厳しく取り締まり、掃除や川浚いが町人の免税特権と引き換えに課されたことも汚水を食い止める上で効果があったということです。

セーヌ川に汚水、工場からの排水が流れ込み、悪臭を放っていた頃、 江戸の隅田川河口では白魚漁(しらうおりょう)が行われ、将軍家に献上されていたそうです。また品川、大森の海岸で作られる浅草海苔も江戸名産として諸国に送られていました。さらに川へゴミを捨てることを禁じる触書から始まりゴミをどこで処理するかなどこまごまとした令がたくさん出されました。人々はその ためなるべくゴミを出さないようリサイクルなどをして生活していたようです。

しかし一方、当時の資源であった森林は次から次へと切り倒され、今の日本よりも緑が少なかったということです。山々は荒れ放題になり、土砂崩れなどの災害が頻繁に起こりました。また火災の後失われた江戸城の天守閣は資源保護のため再建されることはありませんでした。

castle japan
江戸城

hikeshi japan
江戸時代の様子(火消し)

《以上、参考/絵 : PHP出版 「環境先進国江戸」より》

 

関連ページ

フランスの落書き問題

フランスの環境問題(地下鉄編)

フランス人は犬がお好き

一番長いフランス語

フランス語で一番長い単語は anticonstitutionnellement (アンティコンスティテューショネルマン)といい、 「非立憲的に」という意味です。全部で25文字になります。これは副詞で、形容詞はanticonstitutionnelで「憲法違反の」という意味に なります。接頭辞のantiが「反-」、 constitutionは英語でも同じで「憲法」、その形容詞が constitutionnel「憲法の」「立憲的な」、さらに接尾辞の mentがその単語を副詞に変える働きをしています。

フランス語の歴史

フランス語は英語や他の言語に大きな影響を与えたと同時に、また他の言語からも大きな影響を受けてきた言語です。

もともとフランスの全土とその周辺地域はガリアと呼ばれていましたが、B.C.50年にロ-マに併合されることになります。そのためローマ人の言語であったラテン語がローマ文明と一緒にやってきます。ラテン語は統治のための公用語であり、さらには文明の言語であったため、短期間でガリア語に取って代わりました。その後ガリア語は地名や語彙などにいくらか跡を残し5世紀にはほぼ消滅してしまいます。

3世紀にはいるとゲルマン民族の大移動とともにこの地域の安定も崩されます。481年にはクロヴィスがフラ ンク族を統合してメロヴィング朝を建てます。フランク族は長い間自分たちの言語を保ってきたので、これもまたラテン語の語彙に深く関わっていることがわかり ます。こうした中5世紀ごろからは文化が廃退し始めメロヴィング朝時代には学校がなくなってしまい修道院などが学問の場となって行きました。

さらにこうした状況の中、話し言葉と書き言葉にはそれほど違いは見られませんでしたが(古典ラテン語)、6世紀以降になると伝統が失われ、古典ラテン語は退化していきます。シャルルマーニュ(在位768~816)の時代に当時かなり乱れていたラテン語を古典期に近い状態に戻せたものの、これが逆に書き言葉と話し言葉の差を大きくしてしまいました。そしてこの話し言葉が古典ラテン語に対し俗ラテン語と呼ばれ、これが徐々に変化してフランス語へと発展していきます。

11世紀から13世紀にかけてこのフランス語は形を確かなものへと築き上げていきます(古フランス語時代)。ラテン語と比べ、表現が豊かで、またその表現自由度が高いため混乱を防ぐため、身振りなどがとても大きかったそうです。また方言なども各地に発生 し、東部方言(フランコ・プロヴァンス)、北部方言(オイル語)、南部方言(オック語)に分けられます。リヨン、ジュネーブ周辺はフランス領になったのが遅いため、その方言もまた明確に区別することができます。また南部での言語変化は比較的小さかったのですが、北部はゲルマンの影響が強かったためオイル語内部はさらに多くの方言が存在しました。ブルゴーニュ、シャンパーニュ、ロレーヌ、ヴァロニー、ピカルディー、ノルマンディーなどは、それぞれ特徴的な方言を持っていますが、イル・ド・フランスの方言、フランシア語に勝てるものはありませんでした。
13世紀後半にもなるとこれらの方言は衰退していき、フランシア語が「フランス語」として標準語となっていきます。そしてフランス語は諸外国に浸透してい き、特にイギリスへの影響は大きく 現在でも多くの英語がフランス語起源を持っています。フランス語が初めて海外進出したのは、 1066年の英国征服により、 英国の支配階級の言語がフランス語となった時でした。 この後、 数世紀に渡って英国の公用語であり続け、 近代になると、 強力な王権を背景として世界の外交語として使用され、 プロシアやロシアの宮廷知識人の間でも話されていたということです。

17世紀初めまでは今見てきたようにフランス語は自然的に発生発展を進めてきました。しかし17世紀後半に なると、言語の統制が厳しくなり、18世紀に入ると、文法家たちによって言語を統制するための法などがつくられました。そして彼らにより今日のフランス語が完成します。しかしながらフランス革命後の言語調査によると、フランス総人口2800万人のうちフランス語を正しく話せるのは300万人に満たなかったそうで、その後革命政府はフランス語普及に努めました。また徴兵制度や交通手段の発達、新聞の普及なども手伝って、フランス語はフランス全土に広がりまし た。一方20世紀には少数言語を振興する方策をとるようになり、今日のフランスで大きな課題となっています。

また先にあげたようフランス語は国外にも大きな影響を与えました。今日フランス語を母国語とする人は7千万 人、28カ国で公用語となっており、国連の公用語でもあります。さらに諸外国の分布を見てみると、ベルギー、スイス、ルクセンブルク、イタリア、モナコ、 カナダ、ルイジアナ、ハイチ、グアドループ、マルチニーク、フランス領ギアナ、アフリカ、オセアニア、とあり、なかでも、ヨーロッパ・アフリカ・カナダが重要な位置を占めています。特にスイス、ベルギー、カナダではフランス語が第一言語として使用されており、それらの国はまた多言語併用の国でもあってフラ ンス語を話すコミュニテイは多言語のコミュニテイと共存しています。例えばカナダのケベックでは、フランス語が公用語であるが、教育ビジネスの場では英語が使用されています。

アフリカではフランス語は第二言語として使われており、特にアルジェリアやチュニジア、モロッコではフラン ス語は行政や教育の場では公用語となっています。またカリブ海地方では、17世紀にクレオールが文化や言語において特徴的な形を与えています。

また最後に、ここヨーロッパでは、母国語としている人はフランス本国で約5800万人、 カナダケベック州で500万人、 ベルギー南部で約400万人、 スイスの一部地域で約100万人、 イタリアのアオスタ渓谷で約10万人モナコで約2万人。 公用語とする国は5カ国、また、EUの公用語でもあり、実際、英語とフランス語が使用されています。

language

language

language

(以上 参考:ウィキぺディア)