Category Archives: フランス文化社会

クレープの日

Chandeleur(シャンドゥルール)

2月といえば、世界中でヴァレンタインという言葉が飛び交うことでしょう。フランスでも例外ではありません。しかし、ここではもう一つユニークなイベントをご紹介します。2月2日に行われるChandeleurという日をご存知でしょうか。この言葉はChandelle(シャンデル)、 英語で言うcandle(キャンドル)からきています。もともと光を祝う行事で、それを通して繁栄や豊作などを祈る慣わしがあるそうです。

この習慣の起源はローマ時代にあり、当時は2月15日頃、ちょうど鳥たちの繁殖期にあたる季節にちなんで、繁栄を祝ったそうです。このお祝いをLupercalia(ルペルカリア)と言います。

さらに、ケルト人は冬の寒い暗黒の世界を恐れ2月1日に清めた水で繁栄豊作を祈りました。

また、カトリックの世界ではこんなお話があります。12月25日にイエスが誕生してから40日後にあたる2月2日に、聖母マリアは教会 にてお清めを受けます。これはユダヤ教における慣わしで、この日を大いに祝ったそうです。

さて、ローマ時代が終わり、教皇はそれまで祝っていたLupercaliaの祭りをさらに神聖なものにし、キリスト教の繁栄を図りまし た。民衆とともに祝えるイベントを作るため、聖母マリアの話でよく知られていた2月2日に祝うようになり、そこで人々はこの日、松明(光)をかかげて教会 に集まってきたということです。そしてその松明がキャンドルに代わり教会の中におかれ始めました。またそのキャンドルの光は死や悪魔をはねつける力があると信じられるようになり、シンボルとして使われるようになります。人々はそれをうちに持ち帰り魔よけとしても使ったそうです。

現在では、どこの教会でもキャンドルを目にしますが、キリストは世界の光、太陽のような存在であると信仰されているからだそうです。

そこでクレープの話につながります。なぜこの日がクレープの日なのか、そこにはさまざまな説があります。まず最初に春を待ち望むケルト人が太陽の形をしたクレープを祭りに使ったという説。次に、教皇がローマにやってきたピルグリムにクレープを食べさせてあげたという説。さらには、ブル ターニュ地方でこの時期に、ちょうど余った穀物を処分するためクレープを作るようになったとか。

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また面白い迷信があり、この日クレープを焼くとき、左手にコインを握り、右手で高くクレープを放り投げうまくフライパンで受け止められれば幸運が訪れるということです。

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こぼれ話

かの有名なナポレオンは、このクレープ占いにはまっていたらしい。そ して、1812 年2月2日、このクレープ占いに挑戦し、5枚目に失敗してしまったそうだ。その年、彼はモスクワ遠征に失敗し、退却する際「余の5枚目のクレープだ」と呟 いたそうである。(Wikipediaより)

フランスのエイプリルフール

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フランス語でエイプリールフールは、ポワッソンダヴリール(Poisson d’avril)といいます。ポワッソン(poisson )とは「魚」という意味で、アヴリル(avril)とは「4月」という意味です。ですから「4月の魚」と訳されます。この日(4月1日)には子供たちは紙に魚の絵をかき、その絵を切り取ったものを人の背中にこっそりと貼り付けます。そしてその人がその絵にきずくとみんなで笑ってからかいます。

この起源は明らかにはされていませんが、いくつかの仮説があります。

まず一つ目は新年に関する話から。1564年以前フランスでは5月24日あるいは4月1日日に新年を祝っていました。人々はこの日には贈り物をしたりしてすごしてきました。しかしながら当時のフランス王シャルル9世は新年を1月1日することを法律で決めると、人々は今までなれ親しんでき た習慣が変わってしまってどうしていいかわからなくなってしまいました。そこでその古い習慣を残すため4月1日にも何かギフトを渡し続けようという考えが 生まれてきたのではないかという案です。

二つ目は、魚そのものに関することから。この4月の時期というのは魚の産卵期になり魚を取ることが禁止されていたそうです。それをジョー クにして人々は取れないはずの魚を絵に描いてこの習慣が始まったのではないかという仮定。

三つ目は、この時期に見られる月の位置がうお座になることからきているという説。

そして最後に、キリスト教ではこの時期が断食の期間に当たって、人々は魚くらいしか食べられなかったことから、魚を送りあうことがいい ことだと考えられていたそうです。

このような習慣はヨーロッパの国々において呼び名は異なっていても存在しています。いずれにせよこの日にはジョークを言って人をから かってもOKという習慣は世界中に伝わっていそうです。

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フランスのイースターホリデー

パック  Paques

フランスのイースターホリデーはパック(Paques)と呼ばれます。おそらく日本人には聞きなれない言葉だと思いますが、こちらでは 春を告げるお祭りでもありとても大きなイベントになっています。

英語のイースターもしくはフランス語のパックは、日本語では復活祭と訳され、文字通りキリストが復活するという意味から来ています。キ リスト教の国々では、神の息子イエスキリストが復活した日としてこの日を祝いますが、さまざまな習慣や伝説があり、またそれらは時にキリスト教徒は関係の ない場合もあります。

8世紀の学者によってすでに考えられていたこの祝日のルーツをもとに、学者たちはイースターという名が北欧の”Ostra”、 “Ostern”あるいは “Eastre”から来ていると信じています。これらの単語は全て春分の日の祭りを表す神話の神々を示しています。

一方フランス語のパックPaquesはパッセージpassage(通行、通過、通路)という単語からきています。人々はこのパックの始まる前の日の土曜日に祝いの準備をし始めるのですが、土曜、日曜が一連の祭りとしてつながることからこの名前が付けられました。

このお祭りはさらにユダヤ人のパスオーヴァーPassoverというお祭りとの関係を強調する形でさまざまな伝統を体現しています。このPassoverというお祭りはユダヤ人がエジプトでの奴隷から脱し自由を手に入れたという歴史的な事実を記念し祝うものです。初期キリスト教徒は、多くがユダヤの起源を持ち、ヘブライ文化において育てられため、このパックをパスオーヴァー祭りとみなしました。

パックは春分の日に続く最初の日曜日に西欧諸国の教会によって決められます。そのため毎年その祝日は変化し、早くて3月22日また遅く て4月の25日に行われることになります。しかし古い伝統の強い東の国々では Passover祭の日に従ってパックを祝うことが多いそうです。

またこのパックという祭りはこの日の前日まで続くキリスト教の40日間の断食の終わりにあたり、パック当日は豪華な食事を取ります。

パックのシンボル

繁栄の象徴であるうさぎや、春の太陽の光を象徴するカフルな色で塗られた卵などが使われることで有名です。

まず卵はその繁栄と新しい生命を象徴するのに何世紀もの間パックの日に欠かせないアイテムとなっています。もともとこれらの卵はカラフルに色づけされギフトやゲームの道具などとして使われてきました。その後、きれいに飾られるようになった卵はヴァレンタイン デーのように恋人たちによって交換されるようになり、さらに中世ではこのパックの日に召使などにも与えられたということです。ちなみにドイツでは他のギフトと共に子供たちに送られたそうです。

このように文化によってさまざまな種類の卵が生まれました。赤く塗られた卵はキリストの血を象徴しギリシャで交換され、またド イツ、オアーストリアではホーリーサーズデーHoly Thursdayといって神聖な木曜日に交換されます。オーストリアの卵はある植物を使ってデコレーションンがされるそうです。

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一方ウサギは一番繁殖力がある動物として知られており、春の新しい生命誕生の象徴として使われてきました。もともとの起源のルーツはド イツにあるそうで、1500年の書物に記されています。最初の食べられるウサギの形をしたお菓子は1800年初期につくられました。

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フランスでのパックの日

さて実際この日にはどんなことをするのかというと、人々は教会へ行きキリストの復活を祝うセレモニーに出席します。またパックの前後は連休となっているので旅行など遊びに出かける人々も多いです。

一方教会の外に出ると、ケーキ屋さんやスーパーなどで売られている色とりどりの卵やウサギの形をしたチョコレートが目に入ってきます。中にはほぼ等身大ニワトリのチョコレートなど凝ったデザインのものもたくさんあります。

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Rameaux (Olivier) オリーヴ

イエスキリストが初めてエルサレムにたどり着いたとき、多くの人々が歓迎するために彼を待っていました。そしてパームツリーの枝を振り かざして彼を迎えたのです。また到着後イエスはこのパームツリーの葉で歩きやすくされた道を進んでいきました。

この出来事を受け継ぐため今でもこのパックのイベントには、パームツリーの代わりにオリ-ヴの枝を使っています。そして教会のイベントに参加した 後、枝を一つずつもらって帰ります。

上記に書いたイエスの話と重ねて、このオリーヴの葉は一年中緑を保つことから、永遠の生命を象徴するとされ、家において魔よけに使われます。

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今年も家にちゃんと置いてあります。

フランスの祝日

日付け 祝日名 説明
1月1日 Jour de l’an 新年 この日凱旋門、シャンゼリゼ通り、エッフェル塔あたりではカウントダウンイベントが行われます。
4月の第2日曜とそれに続く月曜日 Lundi de Paques 復活祭 復活祭は春の最初の満月の後の最初の日曜日に行われます。チョコレートがたくさんでまわります。(詳しくは「パック」のぺージを ご覧下さい。)
5月1日 Fete du travail メーデー フランスの労働者たちの日。デモンストレーションの行進などが行われます。
5月8日 Commémoration de la capitulation allemande en 1945 戦勝記念日 第2次世界大戦の終わりを記念する祝日。
復活祭から数えて 40日後 Ascension 昇天祭 イエスキリストが昇天する日。
復活祭から数えて 7番目の月曜日 Pentecote 聖霊降臨祭 使徒に聖霊が降りてくる日。
7月14日 Fete nationale 国家記念日 1789年7月14日、フランス革命のシンボルであるバスティーユの占拠を記念する日。軍隊行進や花火など。
8月15日 Assomption 聖母被昇天祭 聖母マリアが昇天する日。
11月1日 Toussaint 万聖節 全聖徒を祝う日。
11月11日 Commémoration de l’armistice de 1918 休戦記念日 第1次世界大戦の終わりを祝う日。
12月25日 Noel クリスマス イエスキリストの誕生を祝う日。

 

その他

【1月4日  Epiphanie 公現祭】 イエスキリストが公現する日。この日人々は教会に行きローリエをもらってかえります。

【2月1日 Chandeleur クレープの日】 (詳しくは「クレープの日」のぺージをご覧下さ い。)

【2月14日 St.Valentin ヴァレンタインデー】 (詳しくは「ヴァレンタインデー」の ぺージをご覧下さい。)

【2月24日 Mardi-Gras 謝肉祭】 謝肉祭から復活祭の期間をCaréme (キャレム)といい人々は断食をしていました。その始まりの日にたくさんの食事をとり、子供たちはいろんなコスチュームや仮面をかぶって祝います。

【3月の最後の日曜日】 夏時間に変更。午前2時に1時間早める。

【5月9日 Féte de Jeanne d’Arc ジャンヌダルクの日】 【6月第1日曜 Féte des Mères  母の日】

【6月第3日曜 Féte des Pères 父の日】

【6月21日 Féte de la Musique 音楽の日】 音楽の日公式ホームページ

【10月最後の日曜日】 冬時間に変更。午前2時に1時間遅らせる。 学校休暇 【クリスマス休み】 だいたいクリスマスをはさんで2週間の休暇。日本でいう冬休みです。

【冬休み(スキー休み)】 2月から3月にかけてだいたい2週間の休暇。

【春休み】 4月にある2週間くらいの休暇。

【夏休み】 だいたい6月30日から9月2日ごろ。

【万聖祭】 万聖祭をはさんで2週間。ハローウィンはカトリックでいう万聖祭の前夜のこと。この万聖 祭というのは、All Saint’s Dayといって聖人たちを称えるために11月1日に行なうお祭りのことです。その前夜は亡くなった人たちが生前の身体をさがして夜の道をうろうろする という・・・それがはじまりだと言われています。

パリと江戸の環境問題

フランスの歴史

16世紀: ヨーロッパでは宗教改革が起こっていたころ。フランスでもユグノー戦争で新教徒と旧教徒の戦争が起こった。

17世紀: ルイ13世の時代王政は安定し、次のルイ14世で王権神授説を唱える。絶対王政主義全盛期。

18世紀: ルイ15世の時代から財政が悪化し始め、ルイ16世で行きづまってしまう。王妃マリー アントワネットが処刑されたのがちょうどこのころ。

19世紀: ナポレオンが活躍。

17~19世紀のパリの環境

17世紀・18世紀、ちょうど日本では江戸幕府が政権をとっていたころ、パリではベルサイユ宮殿を中心に王政主義の時代が続いていました。

さてその時代がどのようであったかというと、まず豪華で贅沢な生活を思い浮かべられるかもしれません。しかし環境の上から見るとあまり清潔感は感じられません。パリのヴェルサイユ宮殿にはトイレがなかったというのは有名な話で、広大な庭園の美しい植え込みも、実はトイレ代わりになっていたという。もちろん建物の中でも用を足しざるを得ない場合もあったことでしょう。召使たちがその後始末をしていたそうです。

ビクトル・ユーゴーの名作「レ・ミゼラブル」でも、延々とパリにおける糞尿問題を取り上げた章があるくらいです。主人公ジャン・バルザックがパリの下水道の中へ逃げ込むというシーン。あらゆるゴミ、糞尿、動物の死骸もこの下水道に押し流され、何の処理もされることなくセーヌ川に流れ込んでいたことがわかります。 そのため、パリの中心を流れるこの川は悪臭を漂わせ、とても不潔なものだったそうです。

また同じ頃、お隣ロンドンでも汚水や汚物が道路にあふれ、テムズ川 などは工場汚水で真っ黒だったそうです。そして19世紀になりコレラが流行し始めます。

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ヴェルサイユ宮殿

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ヴェルサイユ宮殿の庭園

日本の歴史

16世紀: 戦国時代から織田信長、豊臣秀吉などが活躍。

17世紀: 徳川家康が天下を最終的に取り、徳川政権が始まる。17世紀後期には徳川5代将軍綱吉 が「生類憐みの令」を出す。

18世紀: 鎖国政策の中、幕府の政権を強めていく。赤穂浪士討ち入り。富士山噴火。

19世紀: ぺリー来航。江戸幕府が倒れる。

江戸時代の環境

パリやロンドンとは違い江戸時代の日本の都市では、人間の排泄物などは農業用の肥料として使われ、貴重な資源としてあつかわれました。 そのため人々は値段をつけ立派な商品として取引さえしていました。また日本の都市には家畜が少なかったこともヨーロッパと違い町を清潔に保てられた理由にあげられます。また日常から出るゴミや汚水が、道を防ぎ川を汚すことも当然あったことでしょう。幕府はこれを厳しく取り締まり、掃除や川浚いが町人の免税特権と引き換えに課されたことも汚水を食い止める上で効果があったということです。

セーヌ川に汚水、工場からの排水が流れ込み、悪臭を放っていた頃、 江戸の隅田川河口では白魚漁(しらうおりょう)が行われ、将軍家に献上されていたそうです。また品川、大森の海岸で作られる浅草海苔も江戸名産として諸国に送られていました。さらに川へゴミを捨てることを禁じる触書から始まりゴミをどこで処理するかなどこまごまとした令がたくさん出されました。人々はその ためなるべくゴミを出さないようリサイクルなどをして生活していたようです。

しかし一方、当時の資源であった森林は次から次へと切り倒され、今の日本よりも緑が少なかったということです。山々は荒れ放題になり、土砂崩れなどの災害が頻繁に起こりました。また火災の後失われた江戸城の天守閣は資源保護のため再建されることはありませんでした。

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江戸城

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江戸時代の様子(火消し)

《以上、参考/絵 : PHP出版 「環境先進国江戸」より》

 

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