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クリュニー中世美術館

ずっと以前から訪ねてみたいと思っていた美術館。いつもこの近くまで来ていたのですが、入り口が見つけられなかったのです・・・。

大きな通りbd Saint Michelにはショッピングやカフェなどたくさんの人でいつも込み合っていますが、そこでちょっと角を曲がるとひっそりと美術館の入り口がみつかります。ここにあったのかーと、少し感動。

もともとこの場所には1世紀頃ローマ時代の公共浴場があったそうで、その後ブルゴーニュ修道士の邸宅が建てられ、今の美術館へと変移していきます(1843年)。建物の外観がすでに中世の雰囲気を醸し出しています。

美術館は日曜日でしたがそれほど込んでいることもなくガラガラでもなく、スムーズに鑑賞できました。思ったより大きな美術館で見所もたくさんあります。

中世と言えばまず中世の騎士。鉄のヘルメットや剣が展示してあります。こんな重いものを持って振り回していたんですね。マルタ島に行った時にもいろんな形のヘルメットを見ることができましたが、奇妙な形のものはどんな機能があるんだろうといつも不思議に感じてしまいます。観察してみてください。

さて次に私の目にとまったものは、櫛(くし)です。なかなか可愛らしいデザインで現代でも通用しそうな一品です。どんな人が使ってたんでしょうね。想像が広がります。

そして、おしゃれなカップ(左)。足がついています。右の写真はよーく見てもらうと分かると思うのですが、樽の栓がついています。ワインが入っていたのでしょう。これもまたかなりおしゃれなアイディア品です。

中世というと古いイメージですが、とてもカラフルで凝ったものを作っていたんですね。

実用的なものも、現代と通じるものがあり感心しました。水筒やベルト。今とほとんど同じですよね。

こちらは子供用のおもちゃ。ままごとセットと言ったところでしょうか。とてもリアルに作られています。

中世の家のドアにはこんな豪華な鍵がついていたのでしょうか(左)?右は女性の手に注目。キャンドルがのせられるようになっており、これも素敵だと思いませんか。かなり感動したのですが。

書物などもたくさん展示してありますが、その中で見つけた、これは楽譜でしょうか。音符が見られます。とてもカラフルですよね。
見るもの見るもの興味深いものばかりです。

さあ、ここでこの中世美術館での必見作品をご紹介しましょう。

 

Christ des Rameaux

15世紀終わりに菩提樹で作られたキリストがエルサレムに入ろうとしている場面を表す作品です。新約聖書によると、イエスは若い雄のロバに乗りエルサレムに入り、群衆が歓呼して迎えたということです。このキリストの移動祝日を正教会では聖枝祭、カトリックでは枝の主日、プロテスタントでは棕櫚の主日と呼び、この祝い事は4世紀頃から行われていたそうです。ちなみにフランス語では le dimanche des Rameauxと呼ばれます。

最初はこのロバに乗ったキリストを山車の上にのせていただけでしたが、12世紀になりドイツ南部、スイス、あるいはアルザス地方で人々が車輪のついた板に固定する考えを得ます。そうすることによって町の中を引っ張って行進できるようになったのです。特に聖遺物でもなく奇跡的なパワーを持っているわけではないけれど、この新しい発想のおかげでこの彫刻が大変人々の間で人気を博したそうです。

しかしプロテスタントの宗教改革が起こり、カトリックの偶像崇拝を廃止しようとします。そしてたくさんの偶像が焼かれ破壊されてしまったのです。幸運にも難を逃れたものは納屋にしまい込まれ、長い年月をかけ、2005年にこのクリュニー美術館によって獲得されました。今でもドイツのいくつかの町ではこの車輪のついたキリスト像を引っ張って行進しているそうです。

 

La Dame à La Licorne- A Mon Seul Désir

さあ、こちらは有名な貴婦人と一角獣です。6枚のタペストリーから構成され、それぞれにテーマが備わっていいます。味覚、聴覚、視覚、嗅覚、触覚とよーく観察してみると人間の五感が現れてきます。15世紀終わりから16世紀始めに制作され、1841年に発見さました。1882年にこの中世博物館に収められることになりましたが、6枚のうち5枚が5感を表しているのだと気づかれたのは1921年になってからだそうです(イギリス人中世研究家による)。

では最後の6番目のタペストリーは何を表しているのか?

唯一この6枚目のみ題字が記してあります。

“A Mon Seul Désir”  私の唯一の願望へ

手にはネックレスを持っているが、それを箱に片付けているのか、身につけようとしているのか???

その答えは未だにはっきりとはしていないのですが、19世紀の初めに二人の歴史家BoudetとGlaezerがある仮定を提示しました。

彼らによると、これらの作品は五感による中世階級に沿っているのだと。つまり、物質的なもの/触覚、味覚からより精神的なもの/嗅覚、聴覚、視覚へと変化していく様だという。そして、その階級の行き着く先とは、もちろんl’esprit精神である。

貴婦人の手はおそらくネックレス(物質)をまさに放棄しようとしているところなのでしょう。精神という卓越した域に達するために。五感を超えた域です。

しかしながらあくまでも仮定に過ぎません。様々な研究家か様々な仮定をしています。例えば、ある者はそれは愛を示しているのだとか、ある者は精神とは全く逆の肉体的な欲望を表しているのではないかと。

貴婦人のそばに描かれている一角獣つまりユニコーンとは純潔さのシンボルであり、またその角は性的な暗示の働きをしているのだとか。

ちなみにこの美術館にはCorne de Licorneユニコーンの角という作品というかそのままの角が展示してあります。14世紀のフランス王国では一番貴重な宝として収められていたようです。しかし、ユニコーンとは・・・想像の生き物。実際はこの角はNarval(その名も日本名、一角 イッカク)の角だそうです。

 

Musée de Cluny-National Museum of the Middle Ages

6 place Paul-Painlevé 75005 Pairs
Métro 10番線 Cluny-la Sorbonne
Open: 9:00am-5:45pm 火曜休館

公式サイト

中世の歴史の好きな人にはかなり面白いミステリーがたくさん詰まった美術館です。

ここに載せた情報はd’Art d’Artといういろんな美術作品をまとめた本から翻訳してみました。フランス語のできる方、おすすめの一冊です!

フィリップ・オーギュストのパリII(左岸編)

さて、前ページフィリップ・オーギュストのパリ(右岸編)に続き、今度は左岸探索です。普段見慣れた景色の中にまたどんな新しい景色が見出せるのかワクワクしながら出発です。

出発地点はパリ6区のHotel des Monnaies(造幣局)です。お隣にはInstitute de France(フランス学士院)という立派な建物が立っています。シテ島のノートルダム観光から人が流れてくるのでしょう、毎日観光客が多いこの通り。大きな観光バスもたくさん通っています。そんな賑やかな通りとは対照的にひっそりと一つ史跡紹介パネルが。

La Tour de Nesle(ネールの塔)。『右岸におけるフィリップ・オーギュストの城壁の出発点。1200年ごろに建造され、もともとはこの建造物に住んでいたプレヴォ(憲兵隊長)の名をとってLa Tour  Filippe Hamelinと呼ばれていたが、1270年ごろL’Hotel de Nesleにより強化され総合建築物の一部となった。さらに1308年には端麗王フィリップ4世の手に渡る。伝説によるとブルゴーニュの3人のプリンセスMarguerite、 Blanche、Jeanneの受難が残されています。3人は未来の王ルイ10世、フィリップ5世、シャルル4世のお妃だが義理の妹Isabelleにより訴えられます。その内容とは彼女らがGaultierやPhilippe d’Aulnayらを招き入れ不貞を働いたからだという。そして訴えの後すぐに拷問にかけられ、斬首刑となる。』

あるいは、妃マルグリットと妹ブランシュは捕らえられてガイヤール城へ幽閉され続け、ジャンヌのみ無罪が認められ宮廷に戻れたなど、さまざまな説が残されているようです。

この上に昔は塔が立っていたんですね。今はこのパネルとその建物の一角とみられる部分がひっそりと残るのみ。

周囲にはフランス学士院(左)と造幣局(右)の立派な建物が立っています。

それでは次に、造幣局の前を通過し右折、Rue GuenegaudをまっすぐRue Mazarineに突き当たるまで歩きます。そこで左折して少し歩くと史跡パネルとPのサイン、パーキングが見つかるはず。


まずパネルですがフィリップ・オーギュストの城壁とあります。『13世紀に建造された城壁はシャルル5世の時代まで軍事的に利用はされず、左岸ではこれらの城壁は現状で十分であるとみなされていたため、簡単に補強され、水のない乾いた堀で囲まれました。そしてこのMazarine通りがそれを証明しています。フィリップ・オーギュストの城壁の外につくられたこの通りは17世紀にRue des Fosses de Nesle(ネール堀端通り)と名づけられています。中心都市の発展にともない、中世の要塞がゆっくりと都市構造の中へと吸収されていきます。大きな壁は大邸宅などの境界、家の基壇、砕石場となったり、塔は住まい、アトリエ、あるいはチャペルなどに利用されました。そしてここでは、長い壁面と塔の土台部分が地下駐車場で目にすることができます。このような城壁の連続的再使用が多くの遺跡部分を残し、また極端な破壊から守っているのです。』

では、駐車場の中へ。地下2階と3階にかけて城壁が確認できたと思います。見た瞬間本当に驚きました。フランス人の主人ですらビックリ。知らなかったと。

またこのパネルの左側にはpassage Dauphineパッサージュ・ドーフィヌがあります。この界隈の建物の中には城壁の一部がうまく取り入れられていることでしょう。

マザリヌ通りのお店の中にも城壁らしき壁の一部をウィンドー越しに見ることができました。きっとあれもそうだよと言いながら歩いて行きます。

では今度はRue St Andre des ArtsにあるCour du Commerce St Andreとうパッサージュへ。


左写真が入り口です。中へ入るとでこぼことした石畳が。ちゃんと見て歩かないと躓きます。この抜け道にはカフェやレストランが並び、ここで一服しているギャルソンたちも。右写真は見にくのですが、工事中のお店があり中をのぞいてみたら巨大な城壁の塔が中心に。ちゃんとその部分は保護がされているようで、仕上がりがどうなっているのかまたいつか行ってみようと思います。


有名なカフェ・プロコープもここにあり、表通りと裏通りのパッサージュの写真です。

では、サンジェルマン大通を渡りRue A.Duboisと、さらに進んでお隣5区へ足をのばしRue Malebrancheという小さな通りを見つけます。この2箇所は掘割の上にできた道でその様子がそこにある階段でよくわかります。お堀でできた段差を調整しているんですね。不思議な通りです。

さらにパンテオンを左にRue de L’estrapadeを進みRue Blainvilleで少し休憩プラスランチ。朝10時に出発してなんだかんだとぶらぶら歩いていたらもう12時!腹ごしらえです。そうこの通りも斜めに坂になっていてお堀の名残だとか。そしてここに私たちがよく通う韓国料理のお店Han Limがあります。この日もいつもの鶏のから揚げとビビンバです!

いつも来るこの通りがそんな歴史の上に建っていたなんて本当に感動です。そしてこれまたよく通っていた通りRue du Cardinal Lemoine。なんだか地図を持った人がちらほら、そのうちグループでなにやらレクチャーしている人が・・・。え、何があるの?と、のぞいてみたら、あるじゃないですか、大きな城壁が!!!今までまったく気がつかずに通り過ぎていました。Rue du Cardinal Lemoineから少し入ったRue Clovisにアパートの壁にぴったりとくっついて城壁が保存されています。

城壁にはちゃんとフィリップ・オーギュストの名前が。それにしてもうまい具合にアパートが建てれたものです。この城壁の右となりのアパートの中庭にも壁の一部が城壁でできているのを確認。

横から見ると、壁の部分が少し通りにはみ出した状態です。そして奥行きはと言うと、右の写真で見えるでしょうか。Rue du Cardinal Lemoineにあるアパートの正門があいていたのでのぞいてみると、中庭の奥に、あるじゃないですか!城壁の続きが!

さあ、これでフィリップ・オーギュストの城壁跡をぐるっとまわったことになります。足もクタクタです。でも何よりもパリを違った視点から見ることができたことは価値が大きいです。こんな風にして歴史が町の空間の中に生かされていることは非常にすばらしいことだと思います。すごい国ですよね。すべてが自然に町の中に溶け込んでいるんです。

皆さんもちょっと違ったパリの探索をされて見ませんか。とってもおもしろいですよ。

フィリップ・オーギュストのパリI(右岸編)

ある日、ふと書店で見つけた一冊の本。面白そうなタイトルだったので夏のヴァカンス中に読んでみようと購入。すると実に興味深いお話がたくさん。パリに住んでいて、今までなんとなく気になっていたことをスパッと解決してくれました。それはパリの中に潜む中世の姿。そう、パリの街中で見かけた奇妙な場所が実はものすごい歴史のある遺跡だった!

その時代はフィリップ・オーギュストと呼ばれる王がフランスを支配していた中世にさかのぼります。

まず旅を楽しむためには歴史から。

カペー朝(dynastie des Capétiens 987年~1328年)
世界史を勉強された方なら懐かしい名前かもしれませんね。もともと西フランク王国が存在し、987年に西フランク王ロベール1世の孫に当たるパリ伯ユー グ・カペーがフランス王になりカペー朝が始まります。その領土はパリ周辺の小さな地域で王の権力はまだ弱く、12世紀前半のルイ6世から王権の強化が開始されます。1180年には、ルイ7世の子、フィリップ2世がフランス・カペー朝第7代王となり、さまざまな活躍を見せます。一番大きな功績 としてはイギリスの大陸領土をフランス領土へと回復したこと。当時イギリスのノルマンディー地方からの侵略が脅威として懸念されており、その防御策として築かれたのがパリを囲む城壁。そうこれが旅の目的となるテーマです。

またフィリップ2世はパリの整備をはじめ、パリ大学の創立への協力、ノートルダム建設の継続など内政にも力を注ぎフランス王国の礎を築いていきます。そしてこれらの業績を評価され、初代ローマ皇帝アウグストゥスにちなんで尊厳王(Augusute)と呼ばれるようになりました。

ちなみに、この初代ローマ皇帝アウグストゥスの名前から8月の英語名Augustがつくられました。それまで8月は30日までだったのが彼によって31日に増やされたんだそうです。今の子供たちの夏休みは彼のおかげで1日分長くなったということですね(偉大な業績です!)。

1223年7月14日にフィリップ2世は亡くなり、歴代王の眠るサン・ドニ大聖堂に埋葬。その後、ルイ8世(獅子王)、ルイ9世(Saint-Louisサン・ ルイと呼ばれアメリカのセイントルイスの名前の由来に)、フィリップ3世(大胆王)、フィリップ4世(端麗王)、ルイ10世、フィリップ5世、シャルル4 世と続きカペー朝が終わります。 (以上参考ウィキペディアより)

では、ここからこのフィリップ2世尊厳王のパリ城壁探検へ(右岸編)。

まず、パリ4区にあるHotel de Ville(パリ市庁舎)へ。そうこの辺りはよく訪れる地域で(BHVへのお買い物)、前からずっと気になっていた通りがありました。ちょうどこの市庁舎 の裏手に教会(St,Gervais-St,Protais)があり、この教会の裏道がなんだか他の景色と比べてちょっと違うんです。Rue des Barres(柵通り/柵で囲まれていた地域)と呼ばれ、通り自体短くて人もまばらなのですが、そこだけ石畳で古い時代を感じさせます。 カペー朝の王たちがここから市壁を築いたと伝えられているそうです。春になると小さな植え込みにある花々がとてもきれいで、途中にある少し広いスペースに は小さなお店が何件か。「フランスお土産スイーツ」のページでも紹介 している教会が作ったBIO食品のお店もここにあります。その名もProduits des Monasteres。セーヌ川沿いにはおしゃれなカフェやレストランが数件軒を並べいます。

Rue des Barresを抜けたら、左に曲がり世界各国からの芸術家が集まるCite International Des Arts(国際芸術都市/パリで見つけた芸術のページで紹介しています)を過ぎます。すると目の前にまた歴史のありそうな建物が現れます。城壁とは関係ないのですが、ちょっと立ち寄ってみました。

この建物はHotel de Sensサンスの館と呼ばれ、当時パリはサンス大司教区に属しており、Sens(サンス/パリ南東に位 置する町)の大司教によって所有されていました(1475年~1570年に建設)。建物自体は後期ゴシックと初期のルネッサンススタイルの間に当たり、現在はForney art library(芸術・産業技術の専門図書館)となっています。パリに残る3つの中世私宅の一つだそうです。


建物の裏は小さな公園になっており、ここでちょっと休憩をとってもよさそう。

さらにHotel de Sensの前の通りを渡り、お隣Lycee Charlemagneリセ・シャルマーニュへ。


この城壁の姿が視界に現れたときには、主人も私も感動!こんなところにこんな遺跡が残っていたなんて・・・と。壁の向こうがリセで、城壁をはさんでこちら側はグラウンドになっていました。二つの塔も確認できますね。


奥の方の塔に近づいてみると、その向こうは普通の道路。昔はここにそびえたつ塔があったんだなあと思いながら空を仰いでみます。

パネルには、『十字軍遠征中パリの防衛が手薄になるのを心配し1190年にフィリップ・オーギュストが右岸に城壁の建設を開始させた。1200年からは続いて右岸の工事も開始。』とあります。

さらに進み、この通りのすぐそばにあるRue Francois Miron(フランソワ・ミロン通り)へ向かいます。すると11 番、13番地にこれまた雰囲気の違う建物が現れてきます(城壁には関係ありませんが)。15世紀の建物だそうです。


こんな歴史のある館ですが、一つの部屋がVendu(売却)とありました。そしてその下の部屋を見るとLouer(賃貸)とサインが上がっていました。 うーん、どんな人が住んでいるんだろう・・・。

Hotel de ville へ戻り今度はここから北上しArchivies Nationales(国立古文書館)を目指します。通りでいうとRue des Francs Bourgeois。古文書館の入り口正面に着いたら後ろを振り返ってみましょう。そうすると通りの向こうに立つ建物の隙間からひょっこりものすごい建築物が目に入ってきます(かなり感動)。フィリップ2世時代の塔の一部です。


振り返った瞬間、私も主人も大感動!!!

そしてずっと気になっていた場所がもう一つ。Rue des Francs BourgeoisをChatelet Les Halles方向にまっすぐ歩いて行きます。途中から通りの名前がRue Rambuteauとなり、その通りがRue du Louvreにぶつかったら左折します。Rue du Louvre 13番地には城壁の痕跡が!


右の写真、PHILIPPE AUGUSTEフィリップ・オーギュストの文字が見えるでしょうか。平凡な通りの上に古い建物がいくつか並び、その中央に位置するえぐりとられたような形をしている建物。ここに塔が昔あったということを示しています。


ここに塔がそびえ立っていたんでしょうね。今は柵に囲まれて保護されています。お隣の建物の壁には古い広告の跡が残っており、こちらは主人が興味を示していました(右写真/余談)。

そして最後に、ルーブル美術館。訪れた方ならご存知だと思いますが、シュリー翼入り口をまっすぐ進むと中世の要塞が現れます。こちら もフィリップ2世時代の城壁の一部です。中世時代のルーブルはパリを守る要塞の一部としてつくられ、建物の中は武器や兵士の宿舎、あるいは牢獄として機能 していたそうです。結局イギリスからの攻撃は受けなかったそうですが。


(こちらのイメージはウィキペディアより)

さて最後になりましたが、私が参考にしたお薦めの一冊をご紹介しましょう。


パリ歴史探偵術 著/宮下史朗 講談社現代新書

歴史好きな方はもちろん、パリをちょっと違った角度から見てみたいという方におススメ。とても興味深いお話がたくさん詰まっています。パリを訪れる前に読 んでみてはいかがでしょうか。きっと旅のヒントが生まれますよ。

普段何にも知らずに通り過ぎていた場所が、今はとても貴重な空間に思えてきます。「知る」ということはこんなにも生活を豊かにしてくれるんだなあと改めて感じました。そう、パリはエッフェル塔や凱旋門だけではないのです。町の隅々にまで歴史が詰まっているのです!

続きはセーヌ左岸に渡り歴史探索です。フィリップ・オーギュストのパリ(左岸編)

パリ4区関連ページ:パリ4区マレ地区のおススメ