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フィリップ・オーギュストのパリI(右岸編)

ある日、ふと書店で見つけた一冊の本。面白そうなタイトルだったので夏のヴァカンス中に読んでみようと購入。すると実に興味深いお話がたくさん。パリに住んでいて、今までなんとなく気になっていたことをスパッと解決してくれました。それはパリの中に潜む中世の姿。そう、パリの街中で見かけた奇妙な場所が実はものすごい歴史のある遺跡だった!

その時代はフィリップ・オーギュストと呼ばれる王がフランスを支配していた中世にさかのぼります。

まず旅を楽しむためには歴史から。

カペー朝(dynastie des Capétiens 987年~1328年)
世界史を勉強された方なら懐かしい名前かもしれませんね。もともと西フランク王国が存在し、987年に西フランク王ロベール1世の孫に当たるパリ伯ユー グ・カペーがフランス王になりカペー朝が始まります。その領土はパリ周辺の小さな地域で王の権力はまだ弱く、12世紀前半のルイ6世から王権の強化が開始されます。1180年には、ルイ7世の子、フィリップ2世がフランス・カペー朝第7代王となり、さまざまな活躍を見せます。一番大きな功績 としてはイギリスの大陸領土をフランス領土へと回復したこと。当時イギリスのノルマンディー地方からの侵略が脅威として懸念されており、その防御策として築かれたのがパリを囲む城壁。そうこれが旅の目的となるテーマです。

またフィリップ2世はパリの整備をはじめ、パリ大学の創立への協力、ノートルダム建設の継続など内政にも力を注ぎフランス王国の礎を築いていきます。そしてこれらの業績を評価され、初代ローマ皇帝アウグストゥスにちなんで尊厳王(Augusute)と呼ばれるようになりました。

ちなみに、この初代ローマ皇帝アウグストゥスの名前から8月の英語名Augustがつくられました。それまで8月は30日までだったのが彼によって31日に増やされたんだそうです。今の子供たちの夏休みは彼のおかげで1日分長くなったということですね(偉大な業績です!)。

1223年7月14日にフィリップ2世は亡くなり、歴代王の眠るサン・ドニ大聖堂に埋葬。その後、ルイ8世(獅子王)、ルイ9世(Saint-Louisサン・ ルイと呼ばれアメリカのセイントルイスの名前の由来に)、フィリップ3世(大胆王)、フィリップ4世(端麗王)、ルイ10世、フィリップ5世、シャルル4 世と続きカペー朝が終わります。 (以上参考ウィキペディアより)

では、ここからこのフィリップ2世尊厳王のパリ城壁探検へ(右岸編)。

まず、パリ4区にあるHotel de Ville(パリ市庁舎)へ。そうこの辺りはよく訪れる地域で(BHVへのお買い物)、前からずっと気になっていた通りがありました。ちょうどこの市庁舎 の裏手に教会(St,Gervais-St,Protais)があり、この教会の裏道がなんだか他の景色と比べてちょっと違うんです。Rue des Barres(柵通り/柵で囲まれていた地域)と呼ばれ、通り自体短くて人もまばらなのですが、そこだけ石畳で古い時代を感じさせます。 カペー朝の王たちがここから市壁を築いたと伝えられているそうです。春になると小さな植え込みにある花々がとてもきれいで、途中にある少し広いスペースに は小さなお店が何件か。「フランスお土産スイーツ」のページでも紹介 している教会が作ったBIO食品のお店もここにあります。その名もProduits des Monasteres。セーヌ川沿いにはおしゃれなカフェやレストランが数件軒を並べいます。

Rue des Barresを抜けたら、左に曲がり世界各国からの芸術家が集まるCite International Des Arts(国際芸術都市/パリで見つけた芸術のページで紹介しています)を過ぎます。すると目の前にまた歴史のありそうな建物が現れます。城壁とは関係ないのですが、ちょっと立ち寄ってみました。

この建物はHotel de Sensサンスの館と呼ばれ、当時パリはサンス大司教区に属しており、Sens(サンス/パリ南東に位 置する町)の大司教によって所有されていました(1475年~1570年に建設)。建物自体は後期ゴシックと初期のルネッサンススタイルの間に当たり、現在はForney art library(芸術・産業技術の専門図書館)となっています。パリに残る3つの中世私宅の一つだそうです。


建物の裏は小さな公園になっており、ここでちょっと休憩をとってもよさそう。

さらにHotel de Sensの前の通りを渡り、お隣Lycee Charlemagneリセ・シャルマーニュへ。


この城壁の姿が視界に現れたときには、主人も私も感動!こんなところにこんな遺跡が残っていたなんて・・・と。壁の向こうがリセで、城壁をはさんでこちら側はグラウンドになっていました。二つの塔も確認できますね。


奥の方の塔に近づいてみると、その向こうは普通の道路。昔はここにそびえたつ塔があったんだなあと思いながら空を仰いでみます。

パネルには、『十字軍遠征中パリの防衛が手薄になるのを心配し1190年にフィリップ・オーギュストが右岸に城壁の建設を開始させた。1200年からは続いて右岸の工事も開始。』とあります。

さらに進み、この通りのすぐそばにあるRue Francois Miron(フランソワ・ミロン通り)へ向かいます。すると11 番、13番地にこれまた雰囲気の違う建物が現れてきます(城壁には関係ありませんが)。15世紀の建物だそうです。


こんな歴史のある館ですが、一つの部屋がVendu(売却)とありました。そしてその下の部屋を見るとLouer(賃貸)とサインが上がっていました。 うーん、どんな人が住んでいるんだろう・・・。

Hotel de ville へ戻り今度はここから北上しArchivies Nationales(国立古文書館)を目指します。通りでいうとRue des Francs Bourgeois。古文書館の入り口正面に着いたら後ろを振り返ってみましょう。そうすると通りの向こうに立つ建物の隙間からひょっこりものすごい建築物が目に入ってきます(かなり感動)。フィリップ2世時代の塔の一部です。


振り返った瞬間、私も主人も大感動!!!

そしてずっと気になっていた場所がもう一つ。Rue des Francs BourgeoisをChatelet Les Halles方向にまっすぐ歩いて行きます。途中から通りの名前がRue Rambuteauとなり、その通りがRue du Louvreにぶつかったら左折します。Rue du Louvre 13番地には城壁の痕跡が!


右の写真、PHILIPPE AUGUSTEフィリップ・オーギュストの文字が見えるでしょうか。平凡な通りの上に古い建物がいくつか並び、その中央に位置するえぐりとられたような形をしている建物。ここに塔が昔あったということを示しています。


ここに塔がそびえ立っていたんでしょうね。今は柵に囲まれて保護されています。お隣の建物の壁には古い広告の跡が残っており、こちらは主人が興味を示していました(右写真/余談)。

そして最後に、ルーブル美術館。訪れた方ならご存知だと思いますが、シュリー翼入り口をまっすぐ進むと中世の要塞が現れます。こちら もフィリップ2世時代の城壁の一部です。中世時代のルーブルはパリを守る要塞の一部としてつくられ、建物の中は武器や兵士の宿舎、あるいは牢獄として機能 していたそうです。結局イギリスからの攻撃は受けなかったそうですが。


(こちらのイメージはウィキペディアより)

さて最後になりましたが、私が参考にしたお薦めの一冊をご紹介しましょう。


パリ歴史探偵術 著/宮下史朗 講談社現代新書

歴史好きな方はもちろん、パリをちょっと違った角度から見てみたいという方におススメ。とても興味深いお話がたくさん詰まっています。パリを訪れる前に読 んでみてはいかがでしょうか。きっと旅のヒントが生まれますよ。

普段何にも知らずに通り過ぎていた場所が、今はとても貴重な空間に思えてきます。「知る」ということはこんなにも生活を豊かにしてくれるんだなあと改めて感じました。そう、パリはエッフェル塔や凱旋門だけではないのです。町の隅々にまで歴史が詰まっているのです!

続きはセーヌ左岸に渡り歴史探索です。フィリップ・オーギュストのパリ(左岸編)

パリ4区関連ページ:パリ4区マレ地区のおススメ

パリで見つけた芸術

フランスに来るまで、私にとって美術鑑賞や美術館めぐりなどは特別な活動であって、日常生活の一部ではりませんでした。しかしここフランスでは、芸 術というものが生活の一部になっており、町のいたるところに芸術が隠れているんです。町の風景、あるいは数多くある美術館、ルーヴル美術館、オルセー美術 館をはじめ、さまざまな美術館が観光客の目を楽しませてくれますが、ここパリでのもう一つの楽しみは、世界から集まってくる芸術家達の「今進行形の芸術」 が楽しめるところです。

パリの中心、セーヌ川のほとりに建つ建物、国際芸術都市。ここには世界中から集まった300人の芸術家達が一堂に暮らし芸術を磨いてい ます。

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そして先日、この建物の一角で毎年行われるという展覧会を見に行ってきました。ここで暮らす芸術家達の作品110点です。では、今進行形の芸術を少しご紹介します。

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11個の脳の中をのぞくと、こんな感じ(右)。空っぽなのもありました…。

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左の絵は、日本人画家さん。とても神秘的な感じがします。

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左の絵、よ-く見て下さい。 右の絵は色がとてもやさしくてきれいでした。

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左の作品、下の台に植物の絵が刻まれていて、そこから鋤が生えています。

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左の作品、紙で頭の形が作ってあるのですが、下の写真同様全てがあいまいなで、おもしろい作品でした。

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左は南アフリカの芸術家さんだったかな。浮き出してきそうな絵でした。

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左は「オープンハート」と言うタイトルの作品。

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左は、色使いがとても気に入った作品。優しい感じがします。

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日本画家 Takafumi KIJIMA 神秘的な作品。サイトでさらに作品をチェックしてみてください。
HP  Takafumi KIJIMA   リンクサイトへジャンプ

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なんとなく気になってしまった作品です。

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こちらは写真作品。

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こちらはパリで知り合った日本人芸術家さんたちの作品。現在は日本で活躍中。

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彫刻家 Shigeto YOSHIOKA  現在東京で活動中。
HP  ベース吉岡のフランス生活  リンクサイトへジャンプ

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彫刻家 Hironari KUBOTA 作品一つプレゼントしてもらいました。うちのリビングに展示中。
HP Hironari KUBOTA  リンクサイトへジャンプ

これだけの作品を日常で触れることができるのはフランスにいるからでしょうか。ちょっと日曜時間が空いたからと、展示会に足を運べる、 こんな気軽な芸術がパリには存在します。またここ国際芸術都市ではここに住む芸術家さん達の個展を常時開いているそうなので、興味のある方は覗いてみてはいかがでしょうか。

国際芸術都市 Cite International des Arts
18, rue de l’Hotel de Ville – 75004 Paris

シテ島散策

パリは4区、セーヌに浮かぶ2つの島、シテ島とサン・ルイ島。ここはパリ発祥の地でもあり歴史的な見所が多い。

ユリウス・カエサルの『ガリア戦記』には、すでに紀元前1世紀に住民(パリーシー族 en:Parisii)がいたことが述べられている。また、この島はとても狭いので、ここの住民たちは夜も一定の時間を過ぎるとトイレの水は流さない等、 互いに気配りしつつ一緒に住んでいくことの不便さを味わってきた。ここから市民(シテ島に住むもの、変じてシティズン、citizen)という言葉が発生 したという。 (ウィキペディアより)

と、歴史の深さを感じた上で散策をしてみると、また違った感動が味わえるかもしれませんね。

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ノートルダム寺院
ノートルダム寺院は「我らの貴婦人」、聖母マリアに捧げられた大寺院。現在の建物は1163年に起工し、1345年頃に完成。大聖堂ではナポレオンの戴冠 式をはじめ歴史的行事が行われてきました。その豪華な式典の模様はルーブル美術館にある「ナポレオン1世の戴冠式」にも描かれています。院内には宝仏殿 がある他、13世紀に造られた直径10メートル程の壮麗なバラ窓をはじめ、美術史上貴重な作品が並んでいます。また螺旋階段で南塔屋上に登るとパリ市全体 が見渡せます。

notre dame
セ-ヌ左岸から見たノートルダム寺院 。

charlemagne
ノートルダム前広場の隅に立つシャルマーニュの像。フランスで初めて学校制度を成立させた偉人。

notre dame park
寺院裏手には公園があり憩いの場となっています。

最高裁判所
島の西側を占める巨大な最高裁判所の建物は、かつてメロビング朝、14世紀にフィリップ4世により王宮として建てられた。パレ通りに面した角には、 1370年から市民に時を告げているパリで最初にできた公共の時計がある。門番の意味を持つこの建物は、数多くの悲劇パリの歴史とともに残してきた。14 世紀から監獄として使われたが、18世紀のフランス革命後に大部分が改築され、恐怖政治時代と呼ばれた当時は多くの王侯貴族や政治家、文化人が収容され た。現在では、警備の間、衛兵の間、厨房、パリ通り、囚人の廊下、ジロンド党員の礼拝堂、女囚の庭などが公開されている。また1793年8月から10月の 間、マリー・アントワネットが処刑されるまでの76日間を過ごした独房も再現されている。

さらには、 裁判所の一角に立つサント・シャペルは1248年に完成したゴシック様式の教会がみどころ。2層式の珍しい建築用法が用いられ、パリ最古の美しいステンドグラスを見ようと多くの人々が訪れる。13世紀「聖王」と呼ばれたルイ9世が、十字軍遠征の際に持ち帰ったキリストの「茨の冠」を納めるために建立したと言われています。

サント・シャペルのぺージへ

palaes de justice
最高裁判所。この左手にはパリ警視庁、右手にはメトロCITE、そのお隣には花市(毎日)小鳥市(日曜)があります。

flower market
花市は花だけでなく園芸に関するものがたくさん売られています。かわいい鳥の巣箱などおもしろいものがたくさんあります。

サン・ルイ島
サン・ルイ島は中世のパリを偲ばせる歴史ある場所。17世紀以来の高級住宅も多く、サン・ルイ・アン・リール通りでは、個性的なショップやレストランが見 つかります。

st loui en l'il
サン・ルイ・アン・リール通リ。細い通りにかわいいお店やレストランが並んでいます。

bethillon
ベルティヨンと呼ばれるアイスはフランス人にも観光客にも人気。この界隈では食べ歩きしている人をたくさん見かけます。

epicerie
たくさんの香辛料やジャムを売っています。ウィンドウにはクリントン元大統領の写真が。

la petite scierie
La Peitit Scierie ちょっと写真が悪いでのですが、フォアグラの専門店。日本人の口にあうフォアグラを扱っているといういことで、店内にはいろんな雑誌の切抜きが。フォアグ ラ2瓶買ったらワイン1本つけてくれました(ラッキー)!

pylones
Pylones:ユニークなデザインの雑貨屋さん。マレ地区でも紹介しました。詳しくはそちらを。

accessary shop
小物やアクセサリー屋さんなどもおすすめです。お手ごろな値段でかわいいものがそろっています。

セーヌ川のほとり
サン・ルイ島からトゥルネル橋を渡ってセーヌ川左岸へ。階段があるのでそこから川岸へ降りていきます。そしてここからまた ノートルダム寺院へ向かって歩くととてもいい写真が撮れます。

notre dame
時間があればゆっくりとサンドイッチなんか食べながら眺めるといいですね。

small shop
階段を上がり上の道へとでると、古本屋さんや絵描きさんたちが集まっています。

パリ4区マレ地区のオススメ

パリ4区にあるマレ地区一帯にはオススメがたくさん。カフェ、レストラン、雑貨屋さんだけでなく、そこにはたくさんの歴史的建造物が点在しています。

map
マレ地区の地図/クリックすると拡大します。

まずメトロ1番もしくは11番線などでl’Hotel de Ville(パリ市役所)で降りると移動がしやすい。市役所の中には郵便局も入ってい るので覚えておくと便利。では、まずはこの市役所の前にあるお店を紹介しましょう。日本でも有名なパン屋さんPaulが ちょうど角に立っています〈フランスでも人気)。結構いろんなところに店舗があるので見かけたらお試しを。さらに目の前にあるRue de Rivoliを東に向かって歩いていくと、BHV(べーアッシュヴェー)と いうデパートが現れます。化粧品、アクセサリ-から日用雑貨品などを多く扱っているお店です。他のデパートとは少し違って庶民のデパートと言ったところでしょうか。

hotel de ville パリ市庁舎

さらに進んでいくと、Rue du Bourg-Tibourgという通りがあります。ここを左手に入っていってみてください。ガイドブックなどでも有名なMariage Freres(マリア-ジュ フレ-ル)というお茶専門のお店があります。店内には数多く世界中からのお茶が売られていて、 お土産に買っていく人をよく見ます。もちろん店内でそのお茶を味わうこともできます。少しお高めですが。私的には、一つ向こうの 通りにあるEtoile Manquante(エトワ-ル マンカントゥ)というカフェがおもしろくてオススメ。私も知り合いに教えて もらったカフェなのですが、ある有名なデザイナ-が設計したらしく、そのおトイレのデザインがすごい。一度入ってみてください。さらに、その通りとぶつっかている通りが、Rue ste-Croix-de-la-Bretonnerie。この通りにあるPylones(ピロヌ)と いう雑貨店には、たくさん変わったものが…見てるだけども楽しい(パリ市内にいくつか店舗があります)。デザインなども面白かわいく、ついつい買ってしまいます。ちょっと変わったお土産にオ ススメ。そしてこの通りをまた東の方へ進んでいくと今度はRue Vieille du Templeという通りに出ます。ここからMusee Carnavalet(カルヴァナレ美術館)までの 一帯には他にもたくさん小さなお店があるのでチェックを。歩いているだけで楽しいですよ。

mariage frere Mariage Freres

pylone Pylones

さてそのMusee Carnavalet(カルナヴァナレ美術館)とはルネサンス様式の館で、1677~1696年には書簡文学で名高いセ ビニェ婦人が住んでいました。カルナヴァナレ館とプルチエ・ドゥ・サン・ファルジョー館からなり、共にパリ市歴史博物館として資料を年代別に展示しています。豪華な調度品などから当時の生活ぶりがうかがえます。たくさんの部屋があり、見た目よりまわるのに結構時間がかかります。さらになんといってもこの美術館いつも無料なんです。朝10時から18時まで。月曜・祝日が休館です。ぜひ時間があれば訪れてみてください。

carnavalet


Musee Carnavalet

さらに、Rue des Francs Bourgeoisを東へまた進んでいくと、Rue du Pas-de-la-Muleにかわり、Place des Vosges (ヴォ-ジュ広場)に着きます。 この広場は芝生で美しく飾られおり、中央にはルイ13世の騎馬像が立っています。とても落ち着く広場です。そしてその広場をぐるっととリ囲むように、たく さんのア-トギャラリ-が並んでいます。広場がちょうど正方形の形をしているので、とてもユニ-クな一帯となっています。

ヴォージュ広場はもともとあったTournellesの館(王の住居)とその公園の上に築かれました。1559年、Tournellesの馬上槍試合においてアンリ2世が怪我をし死去すると、王妃Catherine de Medicis〈カトリーヌ・ド・メディシス)はそのゴシックの館を崩し、ルーヴル宮へと引っ越して行ってしまったのです。1605年から1612年にかけてアンリ4世によって再び広場が再構築され、1612年にはルイ8世とオーストリアのアンとの結婚を祝うための騎馬パレードがここで開催されました。ヨーロッパに見られる居住区広場としての原型をなしていきます。またこの時から家の正面が同じデザインに統一されます。南北に一際高く伸びる2つのパヴィリオンはthe Pavilion of the King〈王の館) と the Pavilion of the Queen〈王妃の館)と名付けられていますが一度も王室の人物が住むことはありませんでした。フランス革命前まではこのようにこの場所はthe Place Royale 「王の広場」と呼ばれていました。

place  des vosges


今では人々が集う美しい公園。四方を建物に囲まれ全体がきれいにまとまって見えます。


建物の下はこんな風に歩けるようになっており、カフェ、レストラン、アトリエなどが並んでいます。

place  des vosges


ちょっと狭い場所でカフェは・・・落ち着きがなさそう・・・人が思いっきりテーブルの間を通りますから。お店は見ていておもしろいですよ。アートギャラリーをウィンドー越しに見ながら歩いて行きます。


そしてthe Pavilion of the King と the Pavilion of the Queenですが、特に何かがあるわけではなくその部分が少し高い建物になっています。

Hotel de Sullyシュリー館:ヴォージュ広場の南西の位置に小さな入り口があり、そこを入って行くとシュリー館の敷地です。Rue St Antoineに通り抜けができますが正式には62 rue Saint-Antoineと住所になっており入り口はこちらから入ったほうがいいかもしれません。

1624年、宰相Mesme GalletはPlace Royale〈現在のヴォージュ広場)に通じるような形で館を建てさせます。その後1634年、アンリ4世の宰相シュリー公Maximilien de Bethune〈マクシミリアン ドゥ ベテュヌ)がこれを買い取り、内装を完成させ晩年をここで迎えます。さらに1660年、彼の孫Maximilien、2番目のシュリー公が新しい棟を追加。シュリー家は18世紀までこの館を所有していました。その後ざまざまな持ち主の手に渡り、1862年に歴史的建造物として登録され、2000年にはCentre des monuments nationauxとなり歴史的建造物の保護管理を運営する公共機関として機能しています。。

ヴォージュ広場の南東隅にはヴィクトル・ユーゴ記念館

この建物はもともとIsaac Arnauld〈1566年~1617年)と言うCorbevilleの領主に由来します。シュリーによりフランス王国の経理担当者とされ、ヘンリ4世に財務監督職に推されるという経歴を持ち、Hotel de Guemene〈ゲムネ館)を現ヴォージュ広場に建てます。さらにde Rohans familyにより実質的に改善がなされ、Hotel de Rohan-Guemenee〈ロアン‐ゲメネ館)と名づけました〈アクサンは省略)。そして1832年になり、ヴィクトル・ユーゴが30歳のときに妻Adeleと伴にこの家に引っ越してきます。

ヴィクトル・ユーゴの友達として知られる小説家で脚本家のPaul Meurice〈1818年~1905年)により多額の寄付がなされこの館が記念館として姿を変えることになります。


Musee de Victor Hugo ホームページ

中央写真はヴィクトル・ユーゴの寝室。ここでユーゴは1885年に亡くなります。また、手前にあるのは小説を書くための机。立って書いていたことがこの部屋にある写真を見てわかります。

さてヴォージュ広場を離れてRue St Antoineへと出ます。ちょうどRue de Rivoliと名前が変わるあたりに大きな少し黒ずんだ教会が見えてきます。

St Paul St Louis教会:1627年にルイ13世が第一番目の石を置いたところからこのイエズス団体のための教会の建設が開始されました。パリでも最も古いドームの一つ、そのスタイルは典型的なイエズススタイルで建築においてもとても興味深く、また多くの芸術作品が使われています。


おしゃれなお店が立つ通りで一際目立つ教会。目の前に立つと威圧感を感じます。

さあRue de Rivoliをまた進み、市庁舎へ戻って今度は北上して行きます。するとCentre G.Pompidou(ポンピドゥーセンター)が見えてきます。役立ち情報・観光名所でも紹介したように、ここには近代美術作品 がたくさん展示してあります。またこの建物には図書館や、本屋さんも入っており、ア-トの好きな人にはもちろん、またそうでない人にもきっと楽しめる場所 だと思います。例えば、私のオススメは入り口左のエスカレ-タ-を登った所にある最新デザインの売店。かなりユニ-クなものがみつかります。変わったデザインの家具、台所用品、文房具類など、他にもたくさん、ちょっとした小物なんかはお土産にいいかもしれませんん。さらに、ここからのパリの眺めもオススメ します。遠くにサクレク-ル寺院などが眺められ、作品を見ながらくつろぐのもいいでしょう。

pompidou

pompidou
ポンピドゥーセンターの5階からの眺めです。この向こう側にサクレク-ルが。みんな写真を撮っている様子。

pompidou

pompidou

pompidou
現代美術作品。いろんないすがテ-ブルにくっついている。ゴミだらけの部屋。高島屋の紙袋が…

Centre G.Pompidou  ホー ムページ

またパリ市役所の向かいにSt Gervais St Protaisという教会があります。この教会の裏側に細い路地Rue des Barresがあります。ここもとても雰囲気のある通りで、通りの最後に教会のハチミツやさんがあります。その名もProduits des monasteres(プロデュイ デ モナステル)、小さなお店ですが店内には数多くの種類のハチミツ やジャムがそろっていてオススメ。どれも無添加。ブル-ヴェリ-ジャムが好きな私ですが、ブルーヴェリ-ってこんな味なんだと初めて知ったような気がしまし た。もともと教会の僧侶は人里から離れたところにすんでいてこのような蜂蜜やジャム作りをして昔は町に売りに来ていたということです。

jam shop
Produits des monasteres 住所:10 rue des Barres 75004

jam shop
この看板が目印。

ちなみに、このマレ地区という一帯はゲイの方がたくさんいらっしゃる地域です。カフェなどでも少し違った光 景を目にするかもしれませんが、それも文化の違いと思って!!!

パリ4区関連ページ:フィリップ・オーギュストの城壁 こちらのページでもパリ4区の歴史的な見所を紹介しています。
パリ4区関連ページ:パリで見つけた芸術 パリ4区にある国際芸術都市