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フランスの離婚率

フランスではやはり首都であるパリが一番離婚率が高いのですが、複数の都市がパリの離婚率に接近しようとしています。その中でも、Provence-Alpes-Cote d’Azure プロヴァンス-アルプス-コートダジュール県とRhone-Alpesローヌアルプス県。南仏ではパリと同じくらい離婚率が高いようです。

Inedより

2004年の法の改正により女性が離婚後も経済的に保護されるようになったことが理由の一つに挙げられており、特に南仏の人は訴訟好きで裁判所に行くことをためらわないんだとか。

逆に離婚率の低いのがBretagneブルターニュやCantal、Haute-Loire、Lozere、Aveyron。これらの地域は伝統的カトリックが根を下ろしている場所。

2009年のle ministere de la Justiceのデータによると、離婚したフランス人の平均結婚期間は大体12~13年で、男性平均年齢45歳、女性が約43歳。

しかしこういった統計を見る際に注意しなければならない点は、フランスでは同棲カップルが多く、Pacsという制度もあるということ。

フランスの夫婦の形には3つ:
1、法的手続きに基づいた結婚
2、法的手続きをせず一緒に生活する事実婚
3、結婚より法的制約が少なく、パートナーとして優遇措置が受けられる連帯市民パックス(Pacs)。

フランスでは離婚の手続きがとても難しく、簡単にパートナーが解消できるパックス制度が人気になってきているそうです。テレビなどを見ていても出演者の肩書きがmarié (マリエ/既婚)ではなくen couple(アンクプル/パートナーがいるということでしょうか?)となっていることが多い。最近私の知り合いの中にも、お子さんのいらっしゃるご夫婦(60歳代)が将来を考え結婚することに決められました。役所で手続きをし結婚披露宴も挙げられました。

結婚していなくても、ある程度の権利が認められるパックスですが、その分解消率も上がっているということですから、上にある離婚率というのもこのパックスをどう扱うかで数字が変わってきそうですね。複雑な社会です。

以上参考Le Figaro

フランス人の名前

フランス人の名前については、フランス人の名前のページでご紹介しましたが、このページでは現在(2010年)フランスでよく付けられているファーストネームを見てみます。そこから分かることは、いかにイスラムがフランス文化へと浸透してきているか。

La Provence 2010年1月18日付
2009年マルセイユで生まれた子供につけられたファーストネーム、Mohammed(モハメド)と Adam(アダム)が男の子の名前トップ、 Emma(エマ)、 Lina(リナ)が女の子につけられる名前トップ。

さらに2007年、l’INSEEによって製作された資料によると、93県Seine-Saint-DenisにおいてMohamedという名前が常に一番を占めていることが分かる。実際この名前はYanis、Enzo、Lucas、Thomas、Alexandre、Theo、Kevin、Nicolas、Adamといった名前を抜いてトップに来る。これは数年続いており、2002年にはすでにEnzo、Lucas、Yanis、Rayan、Theo、Thomas、Alexandre、Hugo、Maximeを抑えて首位に立っている。

Telestar 2010年10月2日付
フランスにおける組み合わせになった男の子に付けられるファーストネームのトップがMohamed-Amine。30年近くトップにあったJean-Baptisteが2番手。5番手にはMohamed-Ali。しかしMohamedとその47の組み合わせがPierre、Louis、Paulといった300にわたる組み合わせ可能なファーストネームを今にも押しのけることはない。女の子に付けられる名前の4番手にFatima-Zahra。

また、イタリアのミランやベルギーのブリュッセルにおいても、Mohamedという名前が拡大しているそうです。とても興味深い傾向です。日本でこんな現象が起こったとしたら・・・どうなるんでしょう。

al-Kanzより参考

関連ページ パリの中の文化衝突

Luberon地方の村(プロヴァンス)

9月も下旬、でもまだまだプロヴァンスは元気です。太陽が照り、遅めのヴァカンスに出かける人も多い。

私たちもそんな遅いプチヴァカンスへ南はTGVに乗ってAvignon(アヴィニョン)へ向かいます。そこから車で4、50分、週末を家族みんなで過ごしたLuberon地方にあるMenerbes(メネルブ)という村。厳密にいうとMenerbes(メネルブ)村とお隣Lacoste(ラコスト)村の中間に当たるブドウ畑の真ん中に立つ家を借りました。静かで、何もないのんびりとした場所です。夜は月明かりで、音が何もしません。7、8月のヴァカンスピークには人口が増えるそうなので、意外と時期をはずしたほうが当たりだったのかもしれません。驚いたことは、Anglais(イギリス人)の多いこと!Avignon駅に降り立ったときから英語が耳に入ってくる。それはこのMenerbes村も同じ。こんな小さな村に英字新聞が売られているのを見ればどれくらい多いのか分かるでしょう。話によるとこのあたりはたくさんのイギリス人が別荘を所有しているのだとか。暗いイギリスから太陽を求めてやってくるんだそうです。私も散歩をしていたら、Helloと声をかけられてしまいました(Bonjourと答えましたが・・・)。不思議な環境です。


ここがヴァカンス用に借りた家。石造りでひんやりした部屋。一階はキッチンと大きなリビングルーム、二階は3つのベッドルームとシャワー室、トイレ。周りはなーんにもありません。ブドウ畑が広がっているのみ。裏庭(右写真)にはバーベキュースペースが設けてあり、夜はそこでディナーを。少し間をあけてお隣さんもいるのですが、その方たちもイギリス人でした。


家の周りを少し散歩。ブドウがたくさんなっていましたよ。


家の庭にもブドウの実が。とても甘い!中央写真はホウズキにていますが、中は空っぽだそうです。家の中にもデコレーションでたくさん飾ってありました。右はドングリ?


全体的に乾燥していて、草にたくさん白い小さなエスカルゴがくっついているのが見えます。たぶん空気中の水分を吸収しようとじっと待っているのでしょう。歩くとバリバリと音がします。歩く場所のないくらいそこらじゅうに広がっているんです(白い花のようでよく見ないとそれがエスカルゴとは分かりません)。そんな中見つけたカラフルな花の写真です。


家の壁にカマキリも発見! と、こんな感じでぶらぶら歩き回って楽しんでいました。落ち着きます。

さて、プロヴァンス、おいしいものも忘れてはなりません。たくさん素敵なレストランが隠れています!私たちが訪れたのはMenerbesから北へ向かったJoucas-Gordesという村にある4つ星ホテルHotel Le PhebusのXavier MATHIEUというレストラン。一番乗りでレストランに着いたためスタッフの方々が挨拶に出てこられました。シェフのXavier MATHIEUさんまでも!ガイドブックに載ってた人だー、と感動。白髪交じりの長い髪に黒い眉毛が印象的。まだ若そうな方です。オリジナル商品や、自画像の絵もレストラン内に飾ってありましたよ!


さあ、彼のスペシャリテは、ピストゥスープ(左)、ピエパケ(中央)など全て伝統的なプロヴァンス料理。このピエパケ、ぜひ味わってみてください。ピエパケには特にうるさい主人がおいしいと言ってもくもくと食べていました。とてもユニークです。臭みがまったくなく、でも伝統的なピエパケの味はしっかりと。上にのっている細長いもの、結局なんだったのかよく分からなかったのですが、香ばしくておいしかったです。ピストゥスープはあっさり系で、デコレーションがとてもきれいでした。デザートは3回に分けて。メインデザート(右)はゆずを使ったムース。最近フランスではゆずブームなのでしょうか。いろんなレストランでゆずが使われています。コーヒーについてくるデザートは、カートの上にいろんなデザートがのっていてそこから好きなものが選べるようになっています(絶対全部は味わえません!)。いろんなクッキー、キャラメル、シャーベット、オリーブオイルを使ったマシュマロとかありましたよ。メニューは50、80、110ユーロ。

Restaurant XAVIER MATHIEU
Route de Murs 84220 Joucas-Gordes
TEL: 04 90 05 78 83   WEBSITE www.lephebus.com

さあ、おいしいものをたくさん食べ、ぐっすり眠った次の日はMenerbes村中心へ。


週末だったからでしょうか、ほとんど人にあいませんでした。天気もよく気持ちのいい朝の散歩です。


中心に広場があり、そこの小さなトンネルを抜けると下の写真のパノラマ風景が現れます。


一面ブドウ畑。9月末のプロヴァンスの様子です。


小さな集落には古そうな建物がたくさん。通りの名前は『Rue du Portail Neuf』つまり新正面扉ですが、どうみても年季が入っている(左写真)。

またMenerbesはアーティストも集まっています。こちら村の一角にあった公園。Joe DOWNING(1925-2007)に捧げるとあります。彼はフレンチアメリカンの画家であり、詩人でもある人物。1950年からフランスに住み、プロヴァンスMenerbesで活躍されていたそうです。


左の写真の壁にうっすら見えるでしょうか、ものすごい古い郵便局のサイン。この建物今はアパートですが昔は郵便局だったということ?右は、マルセイユのこちらも古い新聞のサイン『Marseille Matin』。今は存在しないそうです。


そしてこちらの写真はこの村が城砦だったことを示しています。

この地域の経済は徐々に低下し、1945年の後は安いHoliday Homes(休暇用貸家)の経営が始まります。しかし1960年までにMenerbesの人口は半減。ピカソのモデル一人であったDora Maarや芸術家Nicholas de Staelの未亡人が住んでいたこもあり、有名芸術家たちが多く訪れました。また、1990年、Menerbesに暮らしたイギリス人作家Peter Mayleの本によりこの村は英語圏で知られるようになりました。彼の作品のひとつは映画化された、Ridley Scott監督、Russell Crowe主役のA Good Year(2006年)です。実際撮影が行われたのは近くの村Bonnieux。

小さな村なのであまり詳しくは分かりませんが、なぜイギリス人が多いのか理解できたような気がします。

またMenerbesの名前ですが、おそらくラテン語のMinerva(ミネルヴァ)から来ているだろうと考えられています。ミネルヴァとは詩、医学、知恵、商業、製職、工芸、魔術を司るローマ神話の女神。

ではお隣の村Lacosteラコストについて

1038年に最初の『Castrum de Costae』という名前が挙げられており、その名前はcosta 、ラテン語でcote(oにアクサン付)から来ています。日本語でいう「坂道、(丘)斜面」。この城砦を建てさせた領主はRobertとFarald Varacon、そして彼らのいとこたちLes Agoult-Simianeが11世紀の終わりにこの城を手中にします。St.Trophimeに捧げられた教会が1123年に建てられ、1325年ま でSaint-Eusebe de Saignon修道院の修道士たちによって祭務が代行されました。

またLacosteと言えば Donatien Alphonse Francois de Sade(マルキ・ド・サド)という悪名高い住人がいたことでも有名です(サディズムと言う言葉は彼の名前に由来します)。彼は18世紀にこの城に住み、 地元の女性や警察を巻き込んだ一連の事件のあと逃走し牢獄に入れらました。1779年の暴動の際に城は一部破壊されましたが、その後、地元の人々によって 略奪されます。現在はファッションデザイナーPierre Cardin氏によって所有されており、彼が城を復元し、文化的イベントをそこで開催したりもしているそうです。

しかし! 「Lacosteを文化的 St.TROPEZに』という彼のプロジェクトが地元の反対に。地元の人の主張としては、「静かな村の家々を買占めアーティストメッカに変えようとしてお り、彼自身やパリジャン友達のための遊び場としての偽の田園風景を作りあげようとしている」ということです。The Independent紙に記事が載っていたので参考に。


これはちょっと失敗ですよね。せっかくののどかな風景が・・・。パリジャンの間違ったプロヴァンスのイメージ?パリジャンの遊び場にならないことをただただ願うばかりです。

そして、最後にお土産です!まずはオリーブオイル。この地域で一番と評判のオリーブオイル工場Moulin Saint Augustin。ほかにもプロヴァンス名物タップナードや、オリーブの木でできた小物品(パリだと値段が倍します)。


大きなお屋敷の一角が販売スペースに。呼び鈴を鳴らすとおじさんが出てきてお店を開けてくれます。オリーブオイルの試飲ももちろんできます。私たちの選んだのはアーテチョークの風味がするオリーブオイル(おススメ)。


タップナードはパンにのせてアペタイザーなどによく食べます。オリーブの実をつぶしたもので、ノワール(黒)とヴェール(緑)があり、私はヴェールが大好きです。

Moulin Saint Augustin
2800 Route d’Apt D900
84580 Coustellet Oppede
TEL 04 90 72 43 66   WEBSITE  www.moulin-saintaugustin.com


そして、Menerbes、Lacosteを含めたLuberon(リュベロン)地域は果物栽培で有名。ブドウ畑のほか、リンゴの木などがそこら中に。いろんなフルーツのパテはどうでしょうか。ジャムとゼリーの間くらいの感覚かな。甘いですがお茶にあいそうです。主人の大好物!

近辺には観光スポットもたくさんあります。私たちの訪れたのはほかにルシヨンとゴルドという村です。
関連ページ
Roussillonルシヨン
Gordesゴルド

関連サイト
Menerbes Tourism プロヴァンスリュベロンニュース
Lacoste TourismLacoste84.com

まだまだおもしろい場所がここLuberonにはあるので何度も訪れたいと思います。週末バカンスという短い時間でしたが大いに楽しめました。またパリでの生活を頑張らなければ・・・。

Roussillonルシヨン(プロヴァンス)

パリからTGVでAvignonまで行き、そこから東へ向かうとRoussillonという町があります。アクセスの仕方はRoussillon en Provenceのサイトより参考にされてみてください。

ルシヨンの町

オークルと呼ばれる黄土がこの地域には広がっており、赤や黄色の色をした家があちこちに並んでいます。本当にお化粧したような壁の仕上がりですね!ルシヨンの土で焼いた陶器も赤い!

ルシヨンに見られる黄土(オークル)とは

顕微鏡でこの砂を観察してみると高陵土の6角形プレートが見られます。純粋なままであれば白色をしていますが、鉄酸化物が増えると薄い黄色から赤紫色に変化します。黄土(オークル)とは高陵土と鉄、それにクウォーツ(石英)が混ざったもので、中でも高陵土の割合が高い。南フランス特産で、顔料、タイルや素焼きの材料などに使われることで有名です。


とてもきめの細い土と言うか砂で、触るとサラサラしていて気持ちがいい。緑の森の中、黄土色の山がそびえ立ちます。


赤茶色、黄、黄土色、自然にできた色の変化。昔はここに採掘場がたくさんあったそうです。


時代とともに採掘場は姿を消し、その後観光がルシヨンを支える産業に。


ゆっくり歩いて30分ほどでコースを回ることができます。歩いているだけで、きもちいい。地面がやわらかい!白い靴は避けたほうがいいですね。

写真だけ見ていると、ここはどこだろうと思ってしまいますが、正真正銘フランスです!プロヴァンスって本当見所が多い。行く所行く所、発見ばかりです。ぜひいろんな場所をドライブしてみたいものです。

Gordesゴルドゥ(プロヴァンス)

Avignonといえばアヴィニョン橋や教皇捕囚などで有名ですが、私たちはそこから東へとさらに進み、のどかなプロヴァンス風景が広がる小さな町Gordesを訪ねてみました。

Gordesへの行き方
パリからTGVでAvignonまで向かい、そこから車で約40分くらいでしょうか、1時間もかからなかったと思います。
詳しい地図はAvignon-et-Provenceのサイトにて。

Gordesの歴史

ローマ時代、ゴルドゥはoppidum(主要居住地)として存在しており、そこに住んでいたのはVulgientes あるいはVordensesと呼ばれる民族。そこからこの町の名前が来ています。ケルト語であるVordensesはGordensesと発音され、それからGordae、Gordneとなり、最終的にGordaフランス語のGordesと形を変えて現在に至ります。 the Gallo-Romanガロ・ローマン時代においてだいたい「V」は「G」に取って代わったそうです。

1031年、城が築き上げられ、ラテン語のCastrumが付け足され『Castrum Gordone』となります。このことから古代ローマ人たちが軍事防衛のためにこの城を建てことが分かります。さらに1123年に強化工事がなされます。

ほかの町についても言えますが、防衛のために丘の上に町を築き、常に周りの敵から身を守ってきました。そのためGordesの村は丈夫で厳格な雰囲気を今でも保っているようです。

宗教戦争、疫病、二度の地震、第二次世界大戦時の爆撃、さまざまな困難に耐えて生き延びてきました。

またGordesはフランスで一番美しい村のひとつとして認定されています。


村へアクセスする前に、フォトポイント発見。たくさんの人が車から降りて写真を撮っていました。でも高所恐怖症の方は気をつけて。下は深い谷間です・・・。近くに立っていた家のバルコニーは最高の眺めですが、かなり怖い・・・(右写真)。


写真ではなかなか伝わりませんが、パノラマ風景です。


そしてGordesの街中へ。迷路のように入り組んだ通りにお店やカフェが並んでいます。中央に広場がありそこに駐車場があります。右の写真がゴルドゥ城。


ゴルドゥの町はすべてが石でできています。電話線やケーブルなどはすべて地下に。


もちろん石畳の道です。とても雰囲気があっていいですよ。

Le village des BORIES ボリー村

さあ、そこから車ですぐのところにある村、ボリー村。村と言っても人はもう住んでいません。

その歴史はLiguriansと呼ばれるこの地域に住んでいた民族にさかのぼると信じられています(3000年以上の歴史を持っているそうです)。Boriesとはまた『Gallic huts』としてよく知られており、mortar(しっくい)を使わず乾燥した石のみで建てられています。1969年から1976年の間にこの村が復元され、最後の住人が19世紀のはじめにここを去った時の状態のままここに残されています。すごいですよね、1800年代まで人が住んでいたなんて・・・。


この村に着くまでの通りにもたくさん石造りの家が並んでいました。そちらはもちろん人も住んでいます。同じく石が積み重ねられて作られた通りの壁も見ごたえがありますよ。


全て石のみで建てられています。うまく積み重ねられていますよね。


中はと言うと、こんな感じです。当然ながらとても質素で狭い。ここで実際人が生活していたと思うと、当時の生活の厳しさを感じます。


左写真は石造りのOVEN(オーブン)!どんなものを焼いていたのでしょう?右写真は豚を飼っていた場所!


そしておもしろいのは、壁の一番上には石板が横ではなく縦に積んであること。よーく見てみてください。

Village des Bories
毎日朝9時から日が暮れるまでオープン

Gordes (英仏語)

周りは豊かなブドウ畑やりんご畑が広がる中、この一帯は石石石。不思議な景色です。これもまたプロヴァンスの風景なのでしょう。