ヨーロッパの中の少数民族
まずはヨーロッパ全体から少数民族についての問題をご紹介していきます。
ヨーロッパ内では、EUの拡大過程において、その国境というものが形を消そうとしています。そのためそこで影を失くしそうになっている大陸固有の少数民族たちは彼らの伝統的文化やアイデンティティを保護するよう訴え始めてきたのです。
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イギリスは西南部に位置する町Corwall(コーンウォール)は、10世紀ごろAthelstanという独裁王によって何世紀もの苦痛ののちイギリスの一部とされました。しかしながら地元歴史展覧会では、この歴史を“Athelstan”という恩人的君主が土着の民族Cornishの人々をイギリスの一部になるようにと好意的な態度を持って説得にあたったと伝えていま す。そこで、Cornish文化の保護と権利を訴える一人Angarrackさんは活動グル-プを結成。イギリス内に存在する少数民族としてCornishを認めてもらい、またその文化や言語保護のための資金を国から援助してもらおうとキャンペーンをすすめています。「イギリスの国家カリキュ ラムはケルト人の歴史(Cornishはその一部)を組み込もうとしない。なぜなら、イギリス人が新しい民族だという概念を国民に埋め込みたくないから だ。」と彼は言う。
ロンドンのテロ事件後、他国からの移民問題が取り沙汰され、国家アイデンティティを問うマルチカルチャーリズムが大陸で叫ばれるように なった一方、今回はヨーロッパ国内にもともと定着していた古い少数民族たちの文化継承概念とそれを支配する大きな国家概念との間で闘争が発生したことに注 目がおかれます。
ヨーロッパ中部、東部では共産主義が倒れ、それまで圧迫されいた少数民族がEU拡大にのってその失われつつあったプライドやルーツを再確認しようとしています。
さらに、主流から遠ざけられていた少数民族は彼らの多様性を国家の中で強調し、祝いまた商業化していこうと前進しています。The Sami(サミ民族)はノルディック地域に住むトナカイ使いの民族で、フィンランド、ノルウェイ、スウェーデンにおいて言葉や文化的問題を独自に解決でき るという権利を与えられた議会を持っています。またドイツのSchleswig-Holstein州では、自らをNorth Frisians(北フリジアン)だとみなしている50,000人のうち20%が2,000年前にこの地域に定住した移民民族の子孫で、いまだ西ドイツ言 語の方言を使っています。
こうした民族が歴史の表へと進出してきた背景には文化的なものだけでなく経済的利益も考えられます。例えば旅行客は自分の国では味わえ ない、民族ダンスやクラフト製品、また新しい味の発見などを経験してみたいものです。特に地方特産物は将来の経済効果が高く望まれます。
こういった民族の再認識の到来は異分子として踏み潰されるどころか、さまざまな方法でEUから奨励されています。例えば先に挙げたCorwallでは、その文化遺産、芸術、あるいはさらなる発展を追求するための手助けとして援助手当が国から支給されています。
しかしながら全ての少数民族グループが彼らのアイデンティティを顕著にし、政治的に権力を得ることに成功しているわけではありません。 スロバキアの350,000人のRoma(ロマ民族)のうち150,000人は差別隔離された地方の少数民族居住地区や都心のスラム街に住まわされています。2003年の国連報告では、中欧・東欧に暮らすRomaの生活状況について、ヨーロッパというよりもむしろサハラアフリカに次ぐようなものであると発表しました。この状況はゆっくりとしか変化しようとしていません。2004年ようやくハンガリーのLivia Haroka(30)さんがはじめてRoma民族からEU議会に選ばれたところです。それとは対照的に、The Basques(バスク)は彼らの文化を持続的に生き生きと保ってきました。スペインバスク族は独自の地方政府を持ち、2003年にはその地域で出版される書物の45%がバスク語によるものでした。
ではどうしてこのような少数民族を重要視しなければならないのでしょうか。それは文化的多様性それ自体はとてもよいことであるからで す。少数民族はヨーロッパの文化遺産の部分を成しており、もし文化の多様性が生き残れなければ全てを失うことになってしまう。さらには、疎外感を感じている少数民族の若者達はしばし自らのルーツを求める際に過激に走る傾向がある。コーカサスから、バルカン、バスク地方にわたる複数の民族が暮らす地域では暴力と不安定という歴史を続けてきました。文化の多様性を押しつぶすのではなく認識することで彼らのアイデンティティを過激な運動から遠ざけることができる のです。
フランス、ブルトン民族
大西洋に突き出た西フランスの半島、Brittany(ブリタニー)にあるLorien(ローリ エン)という小さな港町で毎年恒例のInterceltic Festival(ケルト祭り)が行われます。この祭りは1971年に始まり、ケルト文化(特にBrittany ケルトやThe Bretonsに関する全てのもの)を祝いに集まってくれる人々に音楽、芸術、クラフト、料理などを振舞うのです。祭りに現われた人々は、まず伝統工芸品 などを販売するバザ-をいろいろ見て回ります。Kouignamannと呼ばれるバターケーキ、Chouchenと いうハチミツがベースとなったアルコール飲料など本物のケルト料理が楽しめます。そしてケルト調で近代音楽を演奏するSoldat Louisというバンドや、ケルトの伝統民族音楽を演奏するTropheeというバンドの演奏が聴けます。このイベントは10日間におよび、ただ楽しむための祭りではなく、参加した人にとってはさらに文化的独立宣言という大きな意味を持っています。あるBrittany出身の若者は、「フランスでは何かと調和を掲げるが、すべての人々がそれを望んでいるわけではない。私は自分をフランス人だと思うがその前にBreton民族であるとまず考えている。」と言う。
La Republique Fransaise(フランス共和制)における強調はしばし国の原住民文化の圧縮を意味してきたフランスにおいて、これは過激な発言である。しかし移民の連続的な波が押し寄せてきたのです。まずはヨ-ロッパの他の地域から、そして最近においては旧北アフリカ植民地やアジアの国々から。そしてこの波は単一文化や言語、信条を全ての人々に課すことができないのだということをフランス国民に気付かせるのです。
The Bretonは時に激しく彼らの言語を保護しようとし、彼らの古代伝統を完全に近代的に変化させていきました。Tri YannのようなBretonバンドは過去30年においてフランスにおけるケルト音楽を人気化させ、作曲家Yann Tiersenは映画アメリのサウンドトラックを作り、その年フランス中で大ブレイクしました。
Brittanyは5世紀以来重要なケルト文化を継承し、1532年にその地域がフランスの州となってからはパリによる支配に抵抗してきました。何年もの間、Bretonsは田舎者としてばかにされ何かと活動の制限をかけられました。1970年には、独立を求め暴動になることもありました。
Breton人はその言語を、The Diwanというスクールシステムの設立によって伝え続けています。年に2,500人以上の生徒がこのThe Diwan学校で、フランス語と並んでBreton語を学びます。また他の公立学校においても学生は第2言語としてBreton語を学んでいます。こう いった教育方針のおかげで現在フランスでは257,000人の人々がBreton語を話します。この数字は50年代の100万人よりかなり少ないのですが言語を維持させていくのには十分な数だと考えられています。
2004年、パリ市内に初めてThe Diwan学校が建てられました。しかし彼らの文化が人気になるにつれて、Breton人自体がその成功の犠牲者になってしまうかもしれないという懸念が発生しつつあります。もし誰もが、Bretonの服を着て、Bretonの音楽を聞くだけで、Breton人になれたら、このBretonという言葉が本当に本来の意味を成すのかどうか。こういった不安は残るものの、Bretonアイデンティティは時代とともに変化し続け、豊かになっていくでしょう。そして他の少数民族を抱えるヨーロッパ諸国と同様、フランスもまた変化し続けることだろうと願います。
2005.8.29 ヨーロッパTIMEより
訳:AKI
まだ私が日本にいる頃は、フランスに少数民族が存在するなんて全く知りませんでした。長い西洋の歴史においても多くの人々がさまざまな道を歩んできたのだなあと思う一方、グローバル化の一途をたどる世の中でこういった小さな民族の声がなかなか届かないというの は、文化の面から悲しいことだなあとも感じます。
フランスではとくにバスク地方のニュースを耳にします。スペインとフランスの国境辺りに位置するこの地域で 独立を訴えて争いが起こっているのです。一見平和そうなこの地方で、銃などの武器が隠されていたのが発見されたなどというニュースを聞くと驚いてしま います。また同じく独立を訴えているコルシカ島やサヴォワ地方など、問題は尽きません。サヴォワ地方をドライブ中には、フランス国旗ではなくサヴォワ国旗を見かけたり、「サヴォワ独立」という落書きなどもありました。
一まとめにフランスと見てしまいますが、中をよくのぞいてみるとこのように独立を望んでいる地域があるということを知ると、またこの国の見方が変わってくるのではないでしょうか。日本がそうであるように、フランスにもいろんな地方の特色があり、その違いが特出 して独立心にまで至っているのでしょう。
またこういった問題はフランスだけには限りません。ヨーロッパの国々をはじめ、世界中で見られる問題ではな いでしょうか。なかなか届かない声に耳を傾けてみると、見えなかった世界が見えてくるようです。