Category Archives: フランス観光

サントロペ(プロヴァンス)

地中海に面したマルセイユとニースのちょうど中間に位置する小さな町サントロペ。うちの主人が生まれた町でもあります。

Saint-Tropez : サントロペの歴史

この町の歴史は、ある伝説から始まります。皇帝ネロの時代にTropez(トロペ)という人物が存在し、彼は皇帝に逆らい打ち首となってしまいます。その遺体は船に乗せられ、海へと投げ捨てられ、この岸に漂流してたどり着いたという話です。

9世紀には、ポワティエの戦いに破れ、サラセン人がこの地に稜塞を築きます。15世紀から17世紀にかけては自治共和国として発展 し、ちょうどこの頃、要塞 が建てられます。

さらに時は過ぎて19世紀、港での貿易が盛んになり、主にロゼワインやコルク用の樫の木や栗の木などが扱われたそうです。またナポレオン3世の公使が現在のMoutte Castle(ムットゥ城)を購入し、その後アーティストたちがこの城を発見し、モーパッサンやシニャックさらに はマティスなどがこの町の虜となってし まったそうです。

そして20世紀に入り、さらに多くの芸術家や作家などがこの町に集まってきます。その中でも特に銀幕の女王Brigitte Bardotブリジット・バルドーが世界にこの街の名を広めました(映画「素直な悪女」の撮影地)。そして今でも多くの芸能人がここに集まり、また別荘などの数も多いんだそうです。

サントロペのおすすめポイント

mapクリックすると拡大します。

old port

Nouveau Port:新港

町の大きな駐車場から町の中心へと向かう途中、この港を歩いてみてください。ここには数え切れないほどたく さん、また計算できないほ ど高級なヨットが停泊しています。

ここサントロペは上にも述べたように世界からリッチな人々が集まり、フランス一プライドの高い町としても有名なんです。それ故、ヨットも格別超豪華 で、ついつい見とれてしまいます。どんな人が所有しているんだろう・・・なんて。船の中に高級な家具やソファーを置き、壁には美しい絵が飾られ、ほとんど 家の中と変わらない様子。そして、そのまた奥にも部屋があってという感じで、いつの間にか覗き込んでしまいました。

そして港から離れて遠くには、まさに今そのヨットで 地中海クルーズを楽しんでいる景色が眺められます。青い海に白いヨットは本当に絵の中の世界です。

Vieux Port:旧港

新港を過ぎると少し開けた空間に出ます。ここが旧港で、カフェやレストラン、絵描きさん、またお土産やさんなどが集まっています。

この港のすぐそばにあるフィッシャーマーケットには、とてもきれいなデザインの壁があります。このデザインは、なんと私の主人のお父さんがデザインしたもので、もしサントロペにいかれたらのぞいて見てください。

fish  market
旧港の少し裏手にあるフィッシュマーケット。
この日は午後訪れましたが午前中には実際に魚を売っています。

旧港辺りで少しお茶をした後、ぐるっとこの港をお店沿いに歩いて海岸方面に進んでいってください。 そこから海岸線沿いに散歩道のような小道ができており、地中海を左手に、ゆっくりと景色が楽しめます。少し古いサントロペの建物もこの風景の中に溶け込み、なんともいえない落ち着いた雰囲気に浸れます。

では、ここから少し海岸沿いを 散策してみましょう。

the sea

the sea
地中海の青、空の青。なんともいえない青です。

the sea

the  beach
入り江がたくさんあ り、小さな砂浜のビーチが現れます。
そこで人々は、泳いだ り、ビーチバレーをしたり、あるいは絵を描いたりして楽しんでいます。

the sea

the sea
しばらく歩いたら、後ろを振り返ってみてください。きれいな景色が背後にもあります。

Citadelle:要塞

海外線の小道を歩ききると丘にぶつかります。そしてここからサントロペの町を眺めると、まず中心にあるカ ラフルな教会が、目に入ってきます。

citadelle

forest

そしてさらに、ここから頂上を目指して上っていくと要塞への入り口が見えてきます。ここで入場券を購入しさらに中へ進んでいきます。結構いい運動になる距離です。建物の中にはいくつかの部屋があり歴史や当時の様子を表す絵や展示品などが置かれています。さら に、階段を上って屋上へ出ると、サントロペの町そして地中海が一望できます。ここからの眺めは特にお勧めです。本当に絵の中の世界です。

the sea
要塞の屋上からの眺め。はるか向こうまで白いヨットが浮かんで見えます。

Musée de l’Annonciade:アノンシアドゥ美術館

旧港へ戻り、一息ついたら、ちょうど港の角に位置する、一見美術館には見えないような建物があります。以前は教会だったそうで、知らないと通り過ぎてしまうかもしれませんが、中にはシニャックなど見逃せない画家の作品が多く 展示してあります。私の好きなスーラの作品を見つけたときには、とてもびっくりしました。パリのオルセー美術館にある彼の作品「サーカス」が有名ですね。 このサントロペにある彼の絵は小さなものですが、探してみてください。

Place des Lices:リス公園

park

港から今度は、ブティックが立ち並ぶ町の中心を歩いていくと、大きな広場に出ます。ここにはカフェが何件か並び、木陰で人々がくつろ いでいます。またペタンクを観戦することもできます。ペタンクは【プロヴァンスの町マルセイユ】で 説明しています。とても落ち着いていてくつろげる広場で す。また少し高級なイメージから離れ、庶民的な感じのする場所です。

サントロペは5千人ほどの小さな町ですが、高級ブティックなどが数多く並ぶ活気のある町でもあります。しか し少しエリアを変えると、静かで落ち着く風 景が現れ、散策の楽しみにもなるでしょう。石畳の狭い路地に入っていくと小さなア-トギャラリーやかわいらしいお店が発見できます。少し迷路のような町で すね。そして一度行くと芸術家たちのようにこの町の虜になってしまうかもしれません。もちろんこのサントロペ周辺にはさらにたくさんこのような小さな町が点在しています。海岸線沿いにドラ イヴしてみるのもいいでしょう。

サングラスと帽子を忘れずに。

サントロペ公式サイト

ゴッホの旅

アルル ARLES

紀元前6世紀ケルト系リグリア人の土地を植民地化してマッサリア(マルセイユ)を建設したフォカイア人は、 アルルの丘に商業出張地を置いたらしく、こうしてアルルの町が生まれました。アルルは地理的にスペインとイタリアを結ぶ初夏移動の十字路にあたり、また水 路を利用して河川および海の港を有していたため、ローマ時代には輝かしい運命をたどることになります。町には円形闘技場、古代劇場、フォーラムなどの立派な建造物が立ち並んでいます。

colosseum

1853年オランダ生まれのゴッホとここアルルの町との関係は切っても切れない関係にあります。まず彼が才能を開花させたのはプロヴァ ンスに移ってその自然に触れてからのことです。南仏にあるアルルという町は彼が2年間滞在した場所で、今に残る名作をたくさん誕生させました。中でも有名なのが「ひまわり」ですね。プロヴァンス地方は豊かな気候に恵まれ自然がたくさん残っており、ひまわりや、あるいはラヴェンダーなど色とりどりの景色を楽しむことができます。またアルルのフォーラム広場には「夜空の星」(オルセイユ美術館)のヒントになったカフェ・フォーラムがあり、アルル病院はゴッホが 耳を切り落としたとき治療を受けたところで、彼は「アルル病院の庭」を描きました。そして「アルルの跳ね橋は」彼のお気に入りのテーマでもありました。

arles

arles
アルルの跳ね橋

arles

arles
夜空の星

オーヴェールシュールオワーズ Auvers-sur-Oise

ホ-ムペ-ジ

パリから約電車で1時間半ほどオーヴェールシュールオワーズという小さな町に着きます。ここはゴッホが晩年 を過ごした町で、とても静かで平和な雰囲気が漂い、どこか懐かしいような感じにとらわれてしまう場所です。まずここに訪れたならばRavoux Inn(ラヴー イン)というゴッホが住んでいた宿屋を見学してみてはどうでしょうか。ここは美術館ではありませんがゴッホの当時の生活を垣間見ることができます。彼の実際使っていた部屋もそのまま保存してあり、いくつかの彼の代表作はこの部屋のベッドの下に積み重ねてあったそうです。「オーヴェルの教 会」(オルセイユ美術館)もその中のひとつです。壁には彼が絵画を乾かすために打った釘の穴が残っていたりします。そして彼の最後の夢をかなえるべく、一 世紀後ゴッホの作品の展示会が彼の部屋で行われました。彼が彼の弟に宛てた手紙の中で、彼は 「いつかカフェで自分自身の展示会をひらける日が来ると信じている。」と書き残している。また通りを散策していると多くの彼の作品のモチーフを見つけるこ とができます。そして通りを歩ききると「カラスと小麦畑」の景色を背景に彼の眠る墓地に到着します。ひっそりと佇む彼のお墓は、アルルでの生活とはまた違った、穏やでゆっくりとした彼の晩年の様子を想像させてくれます。

church in auvers sur oise church in  auvers sur oise

上の写真は「オーヴェルの教会」で、ちょうどこの裏側にゴッホが眠る墓地があります。とても静かなところで す。オルセー美術館へ行く前、行った後に訪れてみてはどうでしょうか。

パリからの行き方;
サン・ラザール駅(Gare St Lazare)からポントワーズ(Pontoise)行きに乗車、ポントワーズでペルサン・ボーモン(Persan Beaumont)またはクレイユ(Creil)行きに乗り換え、オーべール・シュール・オワーズ下車。約1時間。

ラヴー亭;
10:00~18:00 5€
月曜、11月10日~3月8日休館、さらに例外的に休館あり

パリ19区ジュルデン

Jourdain

パリの東19区にメトロJourdain(ジュルデン)という駅があります。パリの西と比べると東側は華や かさがなく社会階級層も低いのですが、このジュルデンのあたりは、家賃が安かったことから人気が高くなったそうです。ビュトゥショーモント公園も ここにあります。しかしながら、人気が高まるにつれて家賃が逆に高騰してきているという話は皮肉ですね。

church

Chatletシャトレーからメトロ11番線に乗って8番目の駅Jourdainで降りると、まず正面に大きな教会、Baptiste(バティスト)教会が視界に入ってきます。その右手にはPatisserie de l’eglise(パティスリ ドゥ レグリス)というケーキ屋さんがあり、ここのケーキはお薦めです。地元の フランス人にも人気で、どれを食べてもおいしい。ぜひ一度お試しを。さらにそのお店の立っている通りを教会を向いて右に曲がると、フランス大統領シラク御用立つのパン屋さんがあります。2003年度のベストブランジェリーに選ばれたパン屋さんだそうです。こちらもお試しを。

cake shop


Patisserie de l’eglise
Caradouは絶品!

教会をはさんで今度は左側には、まず中川さんという日本レストランが あります。メニューは、てんぷら、お刺身、焼き鳥など。ランチ、ディナーともいつもたくさんの人で混んでいます。日本食が恋しくなった時はお世話になって います。本物の日本食を試したいと思っているフランス人の友達を連れていっても気に入ってもらえると思いますよ。

nakagawa

また毎日曜にはPlace des Fetes(プラス  デ フェットゥ)という広場でマルシェをやっています。結構大きなマルシェで新鮮な野菜、肉、魚から、日用品雑貨 までたくさんの商品が並びます。もちろんいろんな種類のチーズも見つけることができます。

marche

marche

marche

新鮮なお肉がいっぱい。 お惣菜などもありいい匂いが。新鮮な野菜もいっぱい。安い。 マットレスまで売ってました。他にも古着や、アクセサリー、子供向けの絵本、カーペット、靴、下着など、売ってました。ちなみに私はフラ イパンを15ユーロで購入。最近では日本人もよく見かけるようになりました。



この界隈には隠れたアトリエがたくさんあります。おもしろいアートも探してみてください!

パリ4区マレ地区のオススメ

パリ4区にあるマレ地区一帯にはオススメがたくさん。カフェ、レストラン、雑貨屋さんだけでなく、そこにはたくさんの歴史的建造物が点在しています。

map
マレ地区の地図/クリックすると拡大します。

まずメトロ1番もしくは11番線などでl’Hotel de Ville(パリ市役所)で降りると移動がしやすい。市役所の中には郵便局も入ってい るので覚えておくと便利。では、まずはこの市役所の前にあるお店を紹介しましょう。日本でも有名なパン屋さんPaulが ちょうど角に立っています〈フランスでも人気)。結構いろんなところに店舗があるので見かけたらお試しを。さらに目の前にあるRue de Rivoliを東に向かって歩いていくと、BHV(べーアッシュヴェー)と いうデパートが現れます。化粧品、アクセサリ-から日用雑貨品などを多く扱っているお店です。他のデパートとは少し違って庶民のデパートと言ったところでしょうか。

hotel de ville パリ市庁舎

さらに進んでいくと、Rue du Bourg-Tibourgという通りがあります。ここを左手に入っていってみてください。ガイドブックなどでも有名なMariage Freres(マリア-ジュ フレ-ル)というお茶専門のお店があります。店内には数多く世界中からのお茶が売られていて、 お土産に買っていく人をよく見ます。もちろん店内でそのお茶を味わうこともできます。少しお高めですが。私的には、一つ向こうの 通りにあるEtoile Manquante(エトワ-ル マンカントゥ)というカフェがおもしろくてオススメ。私も知り合いに教えて もらったカフェなのですが、ある有名なデザイナ-が設計したらしく、そのおトイレのデザインがすごい。一度入ってみてください。さらに、その通りとぶつっかている通りが、Rue ste-Croix-de-la-Bretonnerie。この通りにあるPylones(ピロヌ)と いう雑貨店には、たくさん変わったものが…見てるだけども楽しい(パリ市内にいくつか店舗があります)。デザインなども面白かわいく、ついつい買ってしまいます。ちょっと変わったお土産にオ ススメ。そしてこの通りをまた東の方へ進んでいくと今度はRue Vieille du Templeという通りに出ます。ここからMusee Carnavalet(カルヴァナレ美術館)までの 一帯には他にもたくさん小さなお店があるのでチェックを。歩いているだけで楽しいですよ。

mariage frere Mariage Freres

pylone Pylones

さてそのMusee Carnavalet(カルナヴァナレ美術館)とはルネサンス様式の館で、1677~1696年には書簡文学で名高いセ ビニェ婦人が住んでいました。カルナヴァナレ館とプルチエ・ドゥ・サン・ファルジョー館からなり、共にパリ市歴史博物館として資料を年代別に展示しています。豪華な調度品などから当時の生活ぶりがうかがえます。たくさんの部屋があり、見た目よりまわるのに結構時間がかかります。さらになんといってもこの美術館いつも無料なんです。朝10時から18時まで。月曜・祝日が休館です。ぜひ時間があれば訪れてみてください。

carnavalet


Musee Carnavalet

さらに、Rue des Francs Bourgeoisを東へまた進んでいくと、Rue du Pas-de-la-Muleにかわり、Place des Vosges (ヴォ-ジュ広場)に着きます。 この広場は芝生で美しく飾られおり、中央にはルイ13世の騎馬像が立っています。とても落ち着く広場です。そしてその広場をぐるっととリ囲むように、たく さんのア-トギャラリ-が並んでいます。広場がちょうど正方形の形をしているので、とてもユニ-クな一帯となっています。

ヴォージュ広場はもともとあったTournellesの館(王の住居)とその公園の上に築かれました。1559年、Tournellesの馬上槍試合においてアンリ2世が怪我をし死去すると、王妃Catherine de Medicis〈カトリーヌ・ド・メディシス)はそのゴシックの館を崩し、ルーヴル宮へと引っ越して行ってしまったのです。1605年から1612年にかけてアンリ4世によって再び広場が再構築され、1612年にはルイ8世とオーストリアのアンとの結婚を祝うための騎馬パレードがここで開催されました。ヨーロッパに見られる居住区広場としての原型をなしていきます。またこの時から家の正面が同じデザインに統一されます。南北に一際高く伸びる2つのパヴィリオンはthe Pavilion of the King〈王の館) と the Pavilion of the Queen〈王妃の館)と名付けられていますが一度も王室の人物が住むことはありませんでした。フランス革命前まではこのようにこの場所はthe Place Royale 「王の広場」と呼ばれていました。

place  des vosges


今では人々が集う美しい公園。四方を建物に囲まれ全体がきれいにまとまって見えます。


建物の下はこんな風に歩けるようになっており、カフェ、レストラン、アトリエなどが並んでいます。

place  des vosges


ちょっと狭い場所でカフェは・・・落ち着きがなさそう・・・人が思いっきりテーブルの間を通りますから。お店は見ていておもしろいですよ。アートギャラリーをウィンドー越しに見ながら歩いて行きます。


そしてthe Pavilion of the King と the Pavilion of the Queenですが、特に何かがあるわけではなくその部分が少し高い建物になっています。

Hotel de Sullyシュリー館:ヴォージュ広場の南西の位置に小さな入り口があり、そこを入って行くとシュリー館の敷地です。Rue St Antoineに通り抜けができますが正式には62 rue Saint-Antoineと住所になっており入り口はこちらから入ったほうがいいかもしれません。

1624年、宰相Mesme GalletはPlace Royale〈現在のヴォージュ広場)に通じるような形で館を建てさせます。その後1634年、アンリ4世の宰相シュリー公Maximilien de Bethune〈マクシミリアン ドゥ ベテュヌ)がこれを買い取り、内装を完成させ晩年をここで迎えます。さらに1660年、彼の孫Maximilien、2番目のシュリー公が新しい棟を追加。シュリー家は18世紀までこの館を所有していました。その後ざまざまな持ち主の手に渡り、1862年に歴史的建造物として登録され、2000年にはCentre des monuments nationauxとなり歴史的建造物の保護管理を運営する公共機関として機能しています。。

ヴォージュ広場の南東隅にはヴィクトル・ユーゴ記念館

この建物はもともとIsaac Arnauld〈1566年~1617年)と言うCorbevilleの領主に由来します。シュリーによりフランス王国の経理担当者とされ、ヘンリ4世に財務監督職に推されるという経歴を持ち、Hotel de Guemene〈ゲムネ館)を現ヴォージュ広場に建てます。さらにde Rohans familyにより実質的に改善がなされ、Hotel de Rohan-Guemenee〈ロアン‐ゲメネ館)と名づけました〈アクサンは省略)。そして1832年になり、ヴィクトル・ユーゴが30歳のときに妻Adeleと伴にこの家に引っ越してきます。

ヴィクトル・ユーゴの友達として知られる小説家で脚本家のPaul Meurice〈1818年~1905年)により多額の寄付がなされこの館が記念館として姿を変えることになります。


Musee de Victor Hugo ホームページ

中央写真はヴィクトル・ユーゴの寝室。ここでユーゴは1885年に亡くなります。また、手前にあるのは小説を書くための机。立って書いていたことがこの部屋にある写真を見てわかります。

さてヴォージュ広場を離れてRue St Antoineへと出ます。ちょうどRue de Rivoliと名前が変わるあたりに大きな少し黒ずんだ教会が見えてきます。

St Paul St Louis教会:1627年にルイ13世が第一番目の石を置いたところからこのイエズス団体のための教会の建設が開始されました。パリでも最も古いドームの一つ、そのスタイルは典型的なイエズススタイルで建築においてもとても興味深く、また多くの芸術作品が使われています。


おしゃれなお店が立つ通りで一際目立つ教会。目の前に立つと威圧感を感じます。

さあRue de Rivoliをまた進み、市庁舎へ戻って今度は北上して行きます。するとCentre G.Pompidou(ポンピドゥーセンター)が見えてきます。役立ち情報・観光名所でも紹介したように、ここには近代美術作品 がたくさん展示してあります。またこの建物には図書館や、本屋さんも入っており、ア-トの好きな人にはもちろん、またそうでない人にもきっと楽しめる場所 だと思います。例えば、私のオススメは入り口左のエスカレ-タ-を登った所にある最新デザインの売店。かなりユニ-クなものがみつかります。変わったデザインの家具、台所用品、文房具類など、他にもたくさん、ちょっとした小物なんかはお土産にいいかもしれませんん。さらに、ここからのパリの眺めもオススメ します。遠くにサクレク-ル寺院などが眺められ、作品を見ながらくつろぐのもいいでしょう。

pompidou

pompidou
ポンピドゥーセンターの5階からの眺めです。この向こう側にサクレク-ルが。みんな写真を撮っている様子。

pompidou

pompidou

pompidou
現代美術作品。いろんないすがテ-ブルにくっついている。ゴミだらけの部屋。高島屋の紙袋が…

Centre G.Pompidou  ホー ムページ

またパリ市役所の向かいにSt Gervais St Protaisという教会があります。この教会の裏側に細い路地Rue des Barresがあります。ここもとても雰囲気のある通りで、通りの最後に教会のハチミツやさんがあります。その名もProduits des monasteres(プロデュイ デ モナステル)、小さなお店ですが店内には数多くの種類のハチミツ やジャムがそろっていてオススメ。どれも無添加。ブル-ヴェリ-ジャムが好きな私ですが、ブルーヴェリ-ってこんな味なんだと初めて知ったような気がしまし た。もともと教会の僧侶は人里から離れたところにすんでいてこのような蜂蜜やジャム作りをして昔は町に売りに来ていたということです。

jam shop
Produits des monasteres 住所:10 rue des Barres 75004

jam shop
この看板が目印。

ちなみに、このマレ地区という一帯はゲイの方がたくさんいらっしゃる地域です。カフェなどでも少し違った光 景を目にするかもしれませんが、それも文化の違いと思って!!!

パリ4区関連ページ:フィリップ・オーギュストの城壁 こちらのページでもパリ4区の歴史的な見所を紹介しています。
パリ4区関連ページ:パリで見つけた芸術 パリ4区にある国際芸術都市

ロダン美術館

Musee Rodin
メトロ Varenne
77, rue de Varenne
75007 Paris
Tél. 00 33 (0) 1 44 18 61 10
Fax. 00 33 (0) 1 44 18 61 30
開館 9:30 ~ 17:45 (冬季16:45)
休館 月曜日 5/1, 12/25, 1/1
入場料 5€ (25歳以下は3€)
Website Musee Rodin

museum

ロダンの彫刻やデッサンを集めた美術館。アンバリドのすぐ横にひっそりと緑に囲まれる一角があり、ゲ-トをくぐると庭中いたるところに像が立っている。き れいに整理された庭とロダンの作品の調和が素晴らしい。建物はロダンが亡くなるまでの9年間を過ごしたロアンの館。代表作の「考える人」「カレ-の市民」 は庭園に、ロダンが収集した絵画や家具、古代美術品は旧礼拝堂内に展示されている。

statue  people

statue  people

まずはそのロアン館の前にある庭園を奥へ歩いていき、振り返ってもう一度その館を眺めてみる。西洋らしい庭 園の構造の写真が撮れますよ〈ちょうど一番上の写真のように)。とても美しい風景です。西洋人が日本庭園を異国情緒を感じる風景と考えるように、日本人も 西洋の庭園を見れば、異国情緒を感じるものでしょう。そしてその庭園の横になんともフランスらしくカフェがある。そこでゆっくりくつろいでさらにその情緒 を味わうのもいいかもしれません。

代表作品は、このロアン館を挟んで庭園の反対側にある(入り口側)。花々で飾られた小さな一角の真ん中にあの「考える人」がいまだ長い時間を越えて考え込んでいる。彫刻というと厳かなイメ-ジをもっていたのですが、花に囲まれたその彫刻を見たとき何かいい意味で裏切られたような気がしました。そこで私が考えることは彼が今この時代に何を考えているんだろうということ。いつの時代もきっと考えない時は一秒もな いんだろうなと。本当に狭い一角に彼に会うためたくさんの人が集まっていました。

thinker thinker

さて、話は変りますが、この「考える人」世界にいくつあると思いますか。私が以前静岡県立美術館へ訪れたとき確かにあの「考える人」が考えているのを目撃しました。この美術館によると世界に「考える人」は21体あるそうです。 そして何を考えているのかというと、1880年、彼の有名な作品の一つ「地獄の門」の注文を受けてから、門の上に立って、足下に広がるダンテの『神曲』に記された地獄の悲劇を見つめる「ダンテ像」を門に組み込むことを考えていたということです。そう、初め「考える人」は「地獄の門」に座って地獄に落ちた人々の運命を考えていたのです。そしてそこから切り離され、「詩人」という名によって1888年、コペンハーゲンで初公開されことになります。

原型は高さ63cm。「考える人」は人気を博したため、ロダンは高さ38cmのより小さい像を作っている。また、静岡県立美術館のものは、高さ183cm の拡大像だそうです。パリの「考える人」、静岡の「考える人」世界中に「考える人」はいたんですね。

Website 静岡県立美術館

オーギュスト・ロダン (1840-1917)
パリ警視庁下級吏員の子として生まれ、14才で学業放棄する。22才で修道士を志すものの翌年還俗。カリエ・ベルーズのもとで修行した後、イタリアを旅行 し、ドナテルロやミケランジェロを研究して自己の道を見出し、以後、世紀の転換期に力強い表現力と大胆な造形性を発揮した近代彫刻の祖。

white  statue statue  painter

ロダンの作品。右端がパリにある「地獄の門」。静岡県立美術館には巨大な「地獄の門」がありました。

カミ-ユ・クローデル ( 1864-1943 )
ここでロダンにまつわるもう一人の彫刻家を紹介。
カミユ・クローデルは幼少の頃から彫刻家になるのが夢だったが、当時女の子が芸術家になろうと考えることは奇想天外なことだった。1881年パリの美術学 校で学び始め、翌年サロン(政府主催の官展)に送った石膏胸像「老いたヘレナ」が入選。アトリエにはロダンが新しい指南役として現れる。オ-ギュスト・ロ ダンはこのとき42歳。あまりに正確なため石膏で型をとったのではないかと陰口をたたかれた彫像(1877)が出世作となり、量感あふれる作風で他を圧倒 する新進気鋭の彫刻家だった。

16年連れ添う愛人ロ-ズのいた彼はカミーユの才能に衝撃を受け、また二人は愛し合い反発しあった。この時 期にロダンがカミーユの手を借りて作った男女の像に、当時の二人の関係の難しさがあらわれている。

ロダンの代表作「カレーの市民」でもカミーユは百年戦争史を読みあさってアイデアを出したが、発表の場では協力者として紹介されない。一方彼女の自作「インドの悲恋伝説」「ワルツ」には、〈みだら〉〈ロダンの物まね〉と批評が出る。29歳のカミーユは失意に沈 み、ロダンとの関係をたつことにした。

たちまち生活苦に陥ったが、後に彼女の代表作となる胸像「館の小さな女主人」が有名な銀行家に売れ、ロダン を痛烈に皮肉った作品「分別ある年輩」は、良心の呵責を感じるロダン本人の推薦で、国に売れる。

もちろんこのことは彼女に知らされなかったが、折りあるごとに「ロダンの生徒」と囁く声は嫌でも耳に入って くる。彼女は徐々にロダンを憎むようになり、精神のバランスを失い始めた。1905年、カミーユの弟ポールが訪ねてきたとき、カミーユは自分で破壊した作 品の中に座り、ロダンがアイデアを盗みにくると呟いていたという。

父親が志望した1913年、ポールは、全身垢にまみれてアトリエにこもる48歳の姉をパリから連れ出し、ア ビニョン郊外の精神病院に入れた。患者を犯罪者のように扱う当時の精神病棟で、カミーユの精神状態はよくならなかった。1917年にロダンが亡くなり、カ ミーユも30年間病院から出ることなく、1943年に悲しい一生を終える。

戦後カミーユの作品はパリのロダン美術館に展示された。それは、カミーユ入院の知らせに心を痛めた晩年のロ ダンが、建設を予定する美術館の一室をかつて共に生き、共に闘った比類なき天才女性彫刻家、カミーユ・クローデルに捧げることを強く望んだからという。

Website Camille Claudel
彼女の彫刻作品などが見れます。

こんな話を知ってから美術館に行けば、また違った思いがわくかもしれません。歴史の断片だけでなく、その時代に生きた人物を見て作品を鑑賞をしてみるのもいいですね。