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フリウル群島(マルセイユ/プロヴァンス)

マルセイユからおよそ4kmほど離れた場所に位置するフリウル群島は4つの島から成ります:Pomegues,Ratonneau,If,Tiboulain

マルセイユのVieux Port(旧港)から出ているフェリーでアクセス。往復10ユーロで大体30分おきに出航しています。

4つの島のうち一番有名なのがIf(イフ島)。ここにはCahteau d’If(イフ城)があり、多くの観光客が訪れます。このイフ島は、16世紀、当時フランス国王フランソワ1世が海から攻撃してくる外敵からマルセイユを守るために砦として築かれたものですが実際に役立ったことは一度もなかったそうです。そしてこのイフ城を世界的に知らしめているのは、作家アレク サンドル・デュマの小説「厳窟王」でしょう。この城は小説の主人公だけでなく、鉄仮面をはじめ、現実に数多くの政治犯や異教徒たちを幽閉、牢獄するために長年使われてきました。

さらにそこから船で数分、Ratonneau 島へ。ここは第二次世界大戦中ドイツ軍に占領されていましたが、1971年にマルセイユが買い戻しました。島には特に観光ポイントがあるわけではないのですが、ここにある自然は手付かずの状態で残されてい ます。ハイキングがてら丘の頂上へ歩いて行くとそこにはドイツ人の築いたバンカーの廃墟が残っていてちょっとびっくり。タイムスリップしたような気分。また島の端には病院の廃墟も。ここは検疫所として機能していたらしく、昔はマルセイユの陸に上がる前にここで病気などの検査がされていたということです。

島にはわずかに住民もおり小さなコミュニティが存在しますが、ほとんどが自然のまま。島のあちこちに小さな入り江があり、そこで日光浴をしたり泳いだり。リッチな人たちはボートでゆったりと・・・。私たちもマルセイユに帰省する際にピクニックによく出かけます。

ではここから島の自然をご紹介しましょう!

マルセイユの港を出る前に、ラファイエットの食料品コーナーでランチを調達(右上写真)。南仏名物ライオリ(ガーリックのきいたマヨネーズ)はいかがでしょう。パンやハムにつけて食べます。島にはお店がないので、お水など買っておくのを忘れないように。夏は日差しが強く、影もほとんどありません。サングラス、帽子も忘れずに。

ビーチ脇の岩場に腰を下ろし、海を眺めながらランチをし、おなかがいっぱいになったらハイキング。青い海を眺め、自然の空気をたくさんすってリラックス。左の写真は野生のromarin(ローズマリー)。とてもいい香りがしました。

南仏滞在で少し時間があれば足を運んでみてはいかがでしょうか。地中海からマルセイユを眺めてみるのもいいですよ。

関連ページ
プロヴァンスの町マルセイユ

関連サイト
Frioul If express
Iles du Frioul

カシスとカランク(プロヴァンス)

Cassis ・Calanques

マルセイユのお隣にある町Cassis (カシス)。カラフルなカフェが小さな港を囲み多くの観光客でにぎわっています。

その港から観光船に乗って地中海へ。

ちょうどマルセイユとこのカシスの間にある海岸線には、たくさんの入り江が存在し、地中海ブルーの美しい景色が味わえます。そしてこの入り江のことをCalanques(カランク)と呼びます。

典型的なプロヴァンスの小漁港カシスは、プロヴァンス語の古い格言によると、「パリは見たがカシスを見たことがない者は、何も見たことにないに等しい!」ということです。そして断崖(300メートル以上のものもある)や風の穏やかな小さな浜辺を持つカラ ンク(入り江)が交互に続く海岸線は、一見の価値ありがあります。

cassis
カシスの町
小さな坂にぎっしり家が立ち並んでいます。
細い路地を下へ下へと降りていくと、
そこには青い地中海が。


たくさんのボートが小さな港に並んでいます。

calanques

calanques
そしてそこから地中海へと。
これがカランク。


真っ青な空と海です。
視界がぱっと開けて気分も爽快。


プロヴァンスにきたあという感じがしますね。
(クリックで拡大)

そしてここカシスに来たら是非本物のプイヤベースを堪能してください。
私がいつも行くのは目の前がビーチという最高のロケーションにある、

LA PRESQU’ILE
Route des Calanques 13260 CASSIS – Tel : 04 42 01 03 77
ホームページ


木々に半分隠れた建物がLA PRESQU’ILEレストランで、
その下で海水浴を楽しんでいる人たちが。


たっぷりのスープとお魚。
一緒についてくるプロヴァンスマヨネーズをパンにつけて、
スープにつけるのも忘れずに。
そして、カシスワインをオーダーするのも忘れずに。
ブイヤベースとぴったり合い、ついつい飲んでしまう。。。

レストランの前にはカランクに続く遊歩道もあり、食後に散策もいいかもしれませんね。
ただ夏は日差しが強いので、ぼうしとサングラスを忘れずに。

あけましておめでとう

あけましておめでとうございます。フランスへ来てまた1年が経ちました。あまりいいニュースのない近年ですが、2009年は少しでも多くいいニュー スが聞ける年になるといいですね。

毎年年末から仕事やクリスマスショッピングなどで急激に忙しくなるのですが、去年は疲労を減らすために、TGVではなく飛行機を使って マルセイユ(主人の実家)に向かいました。TGVでマルセイユまで約3時間(よく遅れます)、飛行機で1時間ちょっと。空港までのタクシー代を入れても断 然飛行機のほうが安かったし、人出も避けられて、プラスドリンクサービスもついていてとても良かったです。

マルセイユに着くと快晴。それまでの忙しさから解放されほっとするような感じでした。飛行機の中からは途中アルプスや地中海の海岸線が 眺められたし、今までなんで飛行機を使わなかったんだろうと。。。

マルセイユは12日間の滞在。また今年もお母さんがおいしいものをたくさん作ってくれました。

dinnerdinner
左は鴨肉、マッシュルームとベーコンのソース。
右は羊のお肉、お肉の間にはガーリックが挟んであり
またハーブの味もまざってとてもおいしい。

dinnerdinner
手作りキッシュ。
左はプロヴァンス風でトマト、チーズ、オリーブ、アンショワ。
右はシンプルなベーコンと野菜。
このキッシュを食べるとお店で売っているキッシュは食べられなくなります。

cheese cake
毎日こんな感じで食事がどんどん出てきて、
さらにフォアグラ、チーズ、デザートとオンパレード。
さらにクリスマスの日はグレードアップ。

と、こんな感じで12日間、何もせずテーブルの席につき支給されるのを待つという感じで、どんどん胃が大きくなっていきました。プロヴァンス料理は パリとは違ってバターを使わないフランス料理、つまりオリーブオイルが主なのでまったくこってりしていません。これがパリだったらクリームだらけできつい かもしれませんね。キッシュなんかものすごくさっぱりしています。一年間頑張ったなあと、おいしいものを食べながら振り返ります。

そしてそんな贅沢な生活から、元旦はフランス南西部にあるカルカッソンヌという中世都市へ訪れました(また新しくページを追加します)。夜景がなん とも素晴らしくいい思い出になりました。

fort
クリックで拡大

そしてパリ。寒いです。また現実に戻って、明日から頑張ります。今年のクリスマスにまたおいしいものを食べながら頑張ったなあと振り返られるよう に。

マルセイユ(プロヴァンス)

プロヴァンスの歴史:

プロヴァンスには紀元前1万年に、すでに人類がソルグからアントレープ地方の岩場に居を構えていたことがわかっています。紀元前600年にはギリシャ人が入り始め、小アジアからフォカイア人が現在のマルセイユにマッサリア王国をつくり、商業の拠点となっていました。1世紀になるとローマ帝国が関わってきます。その後混乱の時代が続き、異民族が進入してきてマッサリアはフランク王国の支配下に入ります。

13世紀初頭、フランス王ルイ8世はアヴィニョンを包囲。1229年パリで条約が結ばれ、 ローヌ川右岸はフランス王領となりました。1274年には法王庁がローマからアヴィニョンに移され繁栄の時代を迎えます。

その後、プロヴァンスは戦争の絶えない時代が続きますが、現在のようにプロヴァンス地方がプロヴァンス・アルプス・コートダジュールとして成立していきます。

プロヴァンスの文化:

プロヴァンスは多くの文化遺産が残る地方です。そしてまた多くの芸術家たちがたくさんの作 品を生み出したところでもあります。ゴッホをはじめ、ピカソ、マティス、セザンヌなどが挙げられます。伝統文化に関しては鉄球を投げて目標玉に接近させる ゲーム、La Petanque(ペタンク)や闘牛のFerias(フェリア)などが有名です。また先祖代々伝わる技術で作られる各種工芸品も魅力的なものばかりです。プロヴァンス独特の織物やサントンの粘土人形(フランスのクリスマ ス参照)はプロヴァンスの名物になっています。そしてプロヴァンス地方にも方言があり、パリのフランス語とはだいぶ印象が違います。パリと比べると、その風土ともあいまってプロヴァンスの人の話し方のほうが人懐っこく暖かみがあるような印象を受けるかもしれません。

petanque

Marseille マルセイユ:

マルセイユは、紀元前600年フォカイア人によってつくられたプロヴァンス最古の都市で、 以来、海上貿易の中心地として栄えてきました。船による渡仏が当たり前だった時代、日本人が最初に到着したフランスの地もマルセイユでした。現在もフランス第一の貿易港であり、パリに次ぐ大都市です。

まず中心地となるのが LeVieux Port(旧港) です。たくさんのヨットや遊覧船などの船が停泊する港で、周辺にはたくさんのカフェやレストランが並んでおり、名物のブイヤベースが味わえます。
そこからのびる La Canebiere(カヌビエール通り)にはデパート、ホテルなどが並びマルセイユの中心となっています。また港から見て右手にある丘の上にはノートル・ダム・ド・ラ・ガルド寺院が あり、そこから見下ろす景色は最高です。

vieux  port

cannebiere


旧港に向かって立つ教会。そして右は強大なオリーブの鉢植え。


遠くに見えるのがノートル・ダム・ド・ラ・ガルドです。毎日太陽が輝いています。ちなみにこの写真は12月クリスマス時期に撮影。停泊する船は色とりどり。地中海の雰囲気がいっぱい。


ノートル・ダム・ド・ラ・ガルド。この教会からの眺めも最高ですよ。マルセイユの町から地中海まで。

そして港から遊覧船で約20分、Chateau d’If (イフ城)は、16世紀、当時のフランス国王フランソワ1世が海を渡ってやってくる外敵か らマルセイユを守るために、砦として築かれたものですが実際役立ったことは一度もなかったそうです。このイフ城を世界的に知らしめているのは、作家アレク サンドル・デュマの小説「厳窟王」でしょう。この城は小説の主人公だけでなく、鉄仮面をはじめ、現実に数多くの政治犯や異教徒たちを幽閉、牢獄するために長年使われてきました。さらにそこから船で数分、Iles de Frioul(フリウル島)に着きます。ここは第二次世界大戦中ドイツ軍に占領されていましたが、1971年にマルセイユが買い戻したということで、特に観光ポイントがあるわけではないのですが、ここにある自然は手付かずの状態で残されています。お気に入りの場所は少し歩いたところにある小さな入り江になっているビーチです。澄んだ青い地中海とあまり人の知らない場所で静かにのんびりするのはとても気分がいいです。

frioul
観光ページ フリウル群島 も参考に。詳しくご紹介しています。

歴史に興味のある方は、旧港のすぐ近くにあるCentre Bourse(サントル ブルス)というデパートの中にあるMusee d’histoire de Marseille(マルセイユ歴史博物館 )をおすすめします。入り口階にはSavon de Marseille(オリーヴで作った石鹸)で有名なこの地域の産業の歴史を、昔の広告ポスターなどを使って紹介しています。階段を下りて地下階に行くとがらりと変わって、プロヴァンスの歴史の古さを感じさせる展示物がずらりと並んでいます。特に海上貿易の盛んだった都市ということで巨大な船の模型や、そのころの生活を表す道具などが数多く展示されています。さらに奥へ進んでいくと、プロヴァンス最古の都市を思いおこさせる住居の模型や、ミイラなどがおかれています。デパートの中にこのように立派な博物館があるなんてびっくりしてしまいます。

museum

museum garden
こちらが博物館の入り口。デパートの中です。外には本物の遺跡が公園として残されています。デパートを建てる際に発見されたそうです。

また日本でも人気のサッカー。こちらフランスではそれ以上。特にここマルセイユ。サッカー ファンの方なら、L’OM (L’Olympique de Marseille) が有名でしょう。マルセイユの南東に位置するホームスタジアムにはグッズショップが入っていて、地元のお客さんがたくさん買いものに来ていました。スタジ アムには60,000の観衆が毎ゲーム、チームをサポートしにやってくるそうです。

l'om

zidan
こちらは旧港の正面にあるL’OM カフェです。そしてジダンもマルセイユ出身(右)。

南仏といえばまた、オリーブや魚介類などの食材も豊富ですね。マルセイユの代表的料理として、ブイヤベースはおすすめです。旧港の周りにはたくさんのレストランが並んでいるのですが、地元の人に聞いたおすすめレストランをここでご紹介しましょう。どこのお店のメニューにもブイヤベースと書いてあるけれど、はずれが多いそうなので、せっかくマルセイユへ行くの ならば本物をお試しください。

miramar
MIRAMAR まず旧港に面したレストランの並びの中にある一番有名で おいしいブイヤベースのレストラン。ホームページ

michel
MICHEL 旧港を後に車で海岸線沿いを走っていくと左手に現れます。

petit  nice
LE PETIT NICE PASSDAT さらに進んでいくと地中海に突き出た 岩の上にレストランが立っています。

rhul
Le RHUL こちらはマルセイユでもっとも有名なホテル。地中海を正面にきれいな景色が眺められます。

そして南仏といえば地中海。旧港から東に少し行くと、Le Prado(ル プラド)と呼ばれる人工のビーチがあります。夏はもちろんのこと、冬でも日光浴に人々が多く出かけます。地中海は一年 を通じて温暖な気候なのです。泳ぐには寒いかもしれませんが、冬でも充分地中海の気分が満喫できると思いますよ。遠くには上でご紹介したイフ城やフリウー ル島 が見えます。


こちらの写真は12月クリスマス時期に撮影したもの。太陽が輝きとても穏やかな天候です。


そのビーチの正面の道路中心に立つミケランジェロのダビデ像。なぜこんな所に。カモメが頭にとまっています。地中海を見下ろす丘に建つ高級住宅やマンション。


そして近くのカフェで夕日を見ながらgrenadine(グラナディン)のシロップでも。


こちらはLuminy(リュミニ)と呼ばれる森から見下ろした地中海。ハイキングコースになっています。

まだまだ見所の多いマルセイユです。フランスはパリだけではありません!ぜひ南にも足を運んでみてください。

関連ページ
マルセイユのおいしいもの
マ ルセイユのお土産
カシスの町

観光案内所/Tourist office in Marseille

マルセイ ユ観光船協会/Information about excursion boats in Marseille

フランス歴 史文化財/Historical monuments in France

マルセイユ市公式ウェッブサイト/ Official Website of Marseille

カシスからサントボ-ムへ(プロヴァンス)

Cassis カシス

マルセイユから西へ、 典型的なプロヴァンスの小漁港カシスは、プロヴァンス語の古い格言によると、「パリは見たがカシスを見たことがない者は、何も見たことにないに等しい!」 といわれるほどとても美しい町です。

cassis view

そして今回訪れたのが La Presqu’ile(ラ プレスキル) というレストラン。ここで”本物のブイヤベ-ス”を楽しんできました。プロヴァンス人いわく、プロヴァンスで本当においしいブイヤベ-スを出してくれるレ ストランを探すのはとても難しいと。観光客呼びに、メニュ-にブイヤベ-スと書いているけれど、実際は、缶詰の魚ス-プに適当に魚介類を入れて煮込んで出 しているだけのところが多いそうです。そういうス-プも一度経験ありの私が今回このレストランで食べたブイヤベ-スは他とは比べ物にならないくらいの絶 品。

cassis restaurant

cassis restaurant

cassis restaurant

レストランは、ビ-チのすぐそばに立っており、眺めも最高。食後にレストラン前にある散策道から白いヨットの浮かぶ青い地中海を満喫し てみてはどうでしょうか。「ギャルソンの対応もとてもいい」とプロヴァンス在住主人の両親も太鼓判を押していました。前々からおいしいブイヤベ-スが食べ たいと言っていたので、お父さんがここを探してくれたんです。真ん中の写真は前菜のマッシュル-ムとトマトソース。そしてその右が”本物のブイヤベ- ス”。とろっとしたス-プで、スープのおかわりは何度でもOK。ギャルソンがテ-ブルに大きなポットを持ってサ-ヴィスしに来てくれます。

そしてカシスと言えば、Cassis Blanc(カシスブラン)と呼ばれるホワイトワイン。このレストランでももちろんブイヤベ-スと一緒にお父さんがオ-ダ-してくれました。魚料理と相性 ピッタリ。おすすめです。町のいたるところにCassis Blancと宣伝がされています。

La Presqu’ile サイトでさらに詳しい情報を。レストランやビ-チの写真も載ってますよ。

La Ste BAUME ラ サント ボーム

カシスでお昼を済ませ、次に向かったのがエクサンプロヴァンスにあるサントボ-ム。日本とは違い岩がむき出しの山々の中を車で走ってい きます。遠くに見える町並みがマルセイユ。くねくねと山道を標高946メ-トル登っていきます。するとそこに現われるのがマグダラのマリア伝説で知られる 洞窟のある山。

mountain

mountain

mountain

mountain

山の中腹にある洞窟まで40分ほどのハイキングです。この日はあいにくの天気で足元が少し悪かったのです が、天気のいい日であればいい森林浴になりそうですよ。

mountain

cave entrance

岩壁に大きな口をあけた洞窟が見えてきます。ここでマグダラのマリアは30年という月日を祈りに捧げたので す。

cave interier

cave interier

この洞窟内で彼女が体験したさまざまな歴史を思い起こすと思わず涙が出てしまいました。ここで彼女がどんな 思いで、そして未来の私たちのことをどんな風に考えていたのだろうと想像すると、なんともいえない気分になってしまいました。いまだにおろかに闘い続けて いる人間がいることを悲しく感じます。雫の落ちる洞窟内は、まるで彼女が今もそこにいて泣いているような気がします。

マグダラのマリア伝説

Magdalene(マグダラの)とはエルサレムからそんなに遠くないMagdalum(マグダラム)とい う壁に囲まれた町からきています。彼女は高貴な出身で、この土地を所有していました。しかし、キリストの昇天後、マグダラのマリアはその全ての所有物を 売って、使徒の元へ進んでいきます。

当時、彼女はその美貌と富のため、肉体的快楽へ走り、”the sinner”(罪人)と呼ばれていました。そこでキリストがおられるというSimon the leperの家へと向かうのです。罪人であるため、そこでは正義の人々と交わることができず、いつも一歩下がりながら、彼女の涙でキリストの足を洗い、彼 女の髪でぬぐい、貴重な軟膏でその足を労わっていました。

Simon the Phariseeは「もしこのお方が預言者であるのなら、罪深い女性が彼に触れることは許さないだろうと」とマグダラのマリアの存在をいいものと思ってい ませんでした。しかしキリストは彼を叱責し、マグダラのマリアに全ての罪は許されると説いたのです。キリストは彼女から7つの悪を取り除き、彼の愛情で彼 女を満たしたのです。そしてマリアはキリストの近しい家族の一員となり、家事などの手伝いをしてキリスト一行を支援していきました。その後も、不貞であ る、怠惰である、浪費家であるなどと周りの使徒から呼ばれながらも、キリストは常に彼女をかばい、彼女への愛のため、彼女の兄を生き返らせたりといくつも の奇跡を起こさせました。

キリストの昇天から約14年、ユダヤがキリスト信者をエルサレムから追い出そうとしている頃、キリストの弟 子達はさまざまな国へキリストの教えを伝えるために分散して行きました。また、マグダラのマリア、兄のラザラス、キリストによって目が見えるようになった と言われるセドニアス、そして多くのキリスト教信者が、途中でおぼれて死んでしまうようにと、先導も舵もついていない船に乗せられ海へと流されてしまいま す。しかし神の意思により、彼らはなんとマルセイユにたどり着いたのです。

そこでマグダラのマリアは、マルセイユの人々が神殿に集まり、偶像に生贄を差し出しているのを目撃します。 彼女は彼らに穏やかな言葉で偶像崇拝をやめるように諭し、キリスト教を熱心に説いたのです。

そしてそんな中、マルセイユの長官が子孫に恵まれるようにと妻と共に、生贄を差し出し神に祈りを捧げにやっ てきました。マグダラのマリアは彼にキリストを説き生贄をやめさせよとしました。数日後、マリアは長官の妻の前に幻影となって現れます。「あなた達はこん なに裕福なのに、どうして神の聖徒たちを飢えや寒さで殺してしまうのですか?」と。そしてさらに「あなたの夫に神の聖徒たちを解放するように説得しなけれ ば、あなたは神の罰をうけるでしょう。」と。二日目、さらに三日目、再度マリアが今度は夫婦二人の前に幻影として現れます。まるで家全体が燃えているかの ように彼女の顔は高潮し怒りで震えながら、「悪魔の手先、暴君よ、私のお告げを伝えなかった腹黒い人と共に眠っているのですね。神の敵、あなたの貪欲さは たくさんの食べ物で満たされていることでしょう。神の聖徒が飢えや渇きで滅びようとしている時に。家もなく死にそうになっている人々を見た後にシルクのよ うな布をまとって横たわっているのですね。そんな貧しい彼らに手を伸ばすことを拒んでいる罪は逃れられません。」と。

夫婦は目覚め、恐れで震え上がります。そしてキリスト教信者たちに住まいや必需品を提供することにしまし た。

ある日、マグダラのマリアが説教していると、その長官がマリアに、「あなたの説く信仰を守り抜くことができ ますか?」とたずねました。マリアは「もちろん。私の信念は毎日の奇跡とロ-マに住む私の師Peterについて説くことによって強く固められています。」 と。長官とその妻は、「もしあなたが説く神から私達に息子を授けさせくれることができるなら、私達はあなたのいうことを何でもする準備ができています。」 と。そして、マリアは神に彼らに息子を授けるようにと祈りました。そして妻は子どもを授かったのです。

すると今度は、マリアの説くことが本当なのかどうか確かめるために、その夫婦は使徒Peterへ会いにロ- マへと航海するのです。そこでマリアは彼らの肩に魔よけとして十字架のサインをつけてやりました。

困難な航海中に、妻が突如陣痛を起こし、息子を産んだ瞬間に息絶えてしまいました。生まれたばかりの赤ん坊 は死んだ母親の胸の暖かさを求め、泣きじゃくっています。長官はなす術もなく、途方にくれ、船乗り達は遺体を海に投げ捨てるようにとせがみます。

すると突然目前に丘のある岸が現れたのです。そして長官は、海に投げ捨てるより、遺体と赤ん坊を岸へと置い てやるほうがいいと思いました。母親の胸の間に生まれたばかりの赤ん坊を置き、長官は「マグダラのマリアよ、あなたがマルセイユへたどり着いた時、あなた は私に破滅をもたらしたのか。なんて不幸なんだ。あなたは神に私達に息子を授かるように祈ってくれなかったのですか?妻は妊娠したがお産で亡くなってしま いました。これがあなたの祈ったことなのですか?あなたの力で、母親の魂を呼び起こし、あなたの祈りでこの子の命をお助け下さい。」と言いながら、その遺 体と赤ん坊を彼の外套で包み、船へと戻っていきました。

船はその後ロ-マへ着きます。長官は使徒Peterと共にエルサレムへ行き、キリストが説教した場所や、奇 跡を起こしたと言われる場所などへ連れて行ってもらいます。そして信仰の心得を教えられます。約2年が過ぎ、長官はマルセイユへ帰ることに。

ロ-マへの航海中、亡くなった妻と赤ん坊を残してきた丘に近づいてきました。するとそこには、見覚えのある 外套の下に隠れて母親の胸で子どもが見たこともない光景に怖がっている様子が見えてきました。そうそれは二年前に置いてきた彼の息子だったのです。長官は 陸に上がり、その少年を抱き上げ、「マグダラマリアよ、私の妻が生きていてくれて、一緒にマルセイユへもどれたならば、なんて幸せなことだろう。あなたの 祈りでこの子が二年間生きていたことは確かなことです。そして今度は私の妻をよみがえらせてくれることでしょう。」と。

すると、その言葉が発せられた瞬間、女性が息を吹き返したのです。そして、「私は、マグダラのマリアの力 で、あなたと共にいることができました。」と、長官の見てきたキリストの訪れた場所や奇跡をひとつ残らず説明したのです。そして三人一緒にマルセイユへと 戻っていったのです。

三人は洗礼を受けたあと、マルセイユにある偶像崇拝の寺を全て取り壊し、キリストのための教会を建てたので す。そして町の司教にラザラスを選び、その後神の意思により、エクサンプロヴヴァンスへと移っていき、多くの奇跡によってそこに住む人々たちにもキリスト 教が受け入れられていきました。

この頃、マグダラのマリアは、現世から離れ祈りと瞑想に自身を捧げたいと望み、30年間天使によって築かれ た場所で誰にも知られずに暮らしました。

(Saint Mary Magdalene – Golden legend- 訳 aki )

現在でもここプロヴァンスではこのマグダラマリア信仰が強く残っています。マルセイユにある教会には多く黒いマリアの像が見かけられま すが、これは聖母マリアでなく、このマグダのマリアであると言う説が聞かれます。