Category Archives: フランス文化社会

フランスの迷信I

フランスと日本、さまざまな違いがありますが、時に「え、それはちょっと」と思うことがあります。

うちの旦那さんの両親がうちに来られた時のこと。お箸をそろえて日本食の夕飯を準備した所、箸の持ち方や使い方などで終始にぎやかな食卓だったのですが、そのうちお箸をお茶碗のごはんにつきさして「こんな風にするのを見たけど。」と。(多分それは中国の様式) 日本では仏前を思い出させるものとして縁起が悪いとされていると説明すると、納得してもらえました。特に悪気があってのことではないのですが、何気ないことで「あっ」と思うことが あるんです。フランス人もきっとそう感じていることがあるかもしれません。このぺージではフランスに存在する迷信のいくつかをご紹介していきます。地域な どによって違いがあるかもしれませんが、南仏出身の旦那さんにいろいろ聞いてみました。

「ピーン」と耳の中で音がしたら: それは誰かがうわさをしている証拠だそうです。日本人はくしゃ みですが。

犬の糞を踏むと: ウン(運)がつくらしい。 じゃパリはウンのいい人がいっぱいなんだなあ。

木を触る: いい事が続くように、Je touche du bois と言って木製のテーブルなどをノックします。これはキリスト教に関係する迷信で、英語でもknock on woodと言います。起源はあまり分かっていないそうですが、樫の木やヒイラギなどを神聖な木としていた頃のキリスト教の儀式が始まりだと言われています。またアイルランドでは、幸運をありがとうと小人に感謝を伝えるために木をノックするそうですよ。

はしごの下は通ると: bad luck。

13日の金曜日: やはり世界共通で、bad luck。

黒猫: bad luck。最近でははGood luck だと言う人もいる。

鏡を割ると:bad luck。昔鏡は人の魂と考えられていたため。

塩をこぼすと: こちらもbad luck。こぼしてしまったら塩のビンを右肩越しに後ろへほおり投げなければならない。

抜けた歯は: 子ども達は抜けた歯を大切に枕の下へしまいます。するとその夜、ねずみが出てきてギフトと交換にその歯を持っていくんだそうです。ちなみにうちの旦那さんは、ギフトが欲しいばかりに、ぐらぐらした歯を思いっきり自分で抜いたらしい。そしてもらったギフトがチョコレートだったそうだ。(抜けたばかりなのにチョコとは…。)

鳥が低く飛ぶと: 嵐がやってくる

白馬とすれ違ったら: bad luck。 お祓いのために通りにつばを吐くんだそうです。

ねずみが去ると: 何かが起こる。例えば、船からねずみが去っていくとその船は沈み、町からねずみが去ると地震が起きるなど。

サンドマン: 子どもが夜寝ないで起きていると、サンドマン(砂男)がやってきて目に砂を振り掛 け、目を開けていられなくなるそうだ。

音痴な人: 歌が下手だと、雨が降る。だから下手な人に向かって、N’apporte pas la pluie(雨を持ってこないで)と言うそうだ。

朝一番左足からスタ-ト:ベッドを左足からでると、その日ずっと調子が悪くなる。

Tシャツを裏返しに着ると: その日ギフトがもらえるかも知れない。

傘を家の中で開くと: 近所のbad luckを全部集めてしまう。

晴れの日に傘を開くと: 雨を呼ぶ。

バゲットを裏返しにおくと: ブルターニュ地方では、悪魔を呼ぶと言われている。

馬の馬蹄を見つけたら: 後ろになげよう。願いが叶うそうだ。とりわけその馬蹄の穴が奇数であれば ベスト。よくこの馬蹄を家の中に飾っている人がいます。

ぼうしをベッドの端に置くと: bad luck。

海の神様をなだめるために: 船の上でボトルを割ります。

病人には3本のろうそく: 一本消えたら、即回復。二本目が消えたら、その病気が長引く。三本目が 消えたら、死を導く。

テ-ブルの上でフォークとナイフをクロスさせない: bad luck。

フランス語vs英語

フランスでは、全て政府で取り扱われる書類などはもちろんのこと、ビジネス文書、レストランメニュー、広告などにおいてフランス語を使用するとい う法律が決められている。しかしながら最近になってこういったフランス語擁護者たちは英語の強力な脅威に立ち向かわなければならなくなってきた。

フランス国内において英語教育をフランスの学校で義務づけるようにしようという提案が持ち上がったのだが、これに対して反対の声が予想通り炸裂した。それどころかフランス語支持者達はフランス語をEUの公式な言語に採用するよう声名を出したり、シラク現大統領でさえこれに加担している。 Nothing would be worse for humanity than to move toward a situation where we speak only one language.つまり、「人道にとって一言語しか話さないような状況に近づいていくということは何よりもあってはならないことである」と彼は言っている。みんな英語以外に他の言語も使おうと。これは、70年間のフランス植民地の結果現在もなお約100万人もの人がフランス語を話すヴェトナム訪問の際に発した言葉です。フランス人はいったい文化の多様性を保護しようとしているのか、それとも自分達の影響力あるいは支配力を誇示しようとしているのだろうか。言葉と行動に矛盾が多い。

第一言語として約3億8千万の人々が英語を使用し、第二言語としては2億5千万人を超える。一方フランス語はというと、それぞれ1億人と6千万人程度である。毎年フランスはフランス語を国際的に促進するため10億ドルの予算を費やしているにもかかわらず、その話者の数から見ると世界で11番目のランクにしかならない。

ユネスコ、インターポール、欧州裁判所など国際的機関においては公式言語としていまだフランス語の力は存続しているが、他の分野、例え ば、国際外交、ビジネスなどでは英語が圧倒的に支配してしまっている。特にコンピューターウェッブサイトの52%がほぼ英語使用なのに対し、フランス語はたったの4.4%。さらに欧州全体(英国をのぞいて)でも、92%の学生達は外国語として英語を学ぶことを選ぶ。ちなみにフランス語をとる学生は33%、 ドイツ語が13%。さらにフランスの多国籍企業などでも職場で使用する言語として英語を採用している所もある。

長い間フランスでは自国の言語、文化を世界に広めることがこの国の政策の重要な部分であったのに、グローバル化によってその影響力が弱 められてしまった。多くのアメリカの映画や音楽が国内に浸透し若者の心をひきつけ、フランスを越えて活躍しようと望むものにとっては必要不可欠の言語であるという位置づけがなされている。そんな中フランス指導者達は英語を採用するよりむしろ現実を否定して公然と非難を繰り返す。そのため、8歳以上子ども達 に対して英語を必須にしようという政府の提案にしても教育機関や教師達が耳を傾けないのである。

そんな報告があった後日、3人のフランス人の役人がブリュッセルでフランス語をEUの公式言語にしてくれとバトルを始めた。フランス語は他の言語と違って、意訳の違いの危険性が少ないからだと言う。

以上TIME誌より参考

英語にもフランス語にも関係のない私から見ると、ヨーロッパでライバルの英語が拡大していくのを見るのはフランス人にとって耐えられな いことなのでしょう。でも今のビジネスコンピューターの時代にフランス語の影響力はとても英語に勝てるものではないと。フランスにいても使っている電化製 品はほとんど外国製(その点日本語が共通語になってもいいくらいなのに…)。文化社会「フランスの税金」でも述べたように、この国でビジネスで成功するということはまず難しい。みんな能力のある人は海外へ出て行ってしまう。まず言語や文化を無理に提供するより、もっと外に影響力を持 てる中身を作らないといけないと思う。魅力のあるものになれば自然とその言葉も必要とされてくるのでは。

poster
フランス人も英会話に通います。97%の人が結果を出せるんだそうです!

 

EUいじめ問題

いじめ問題は、日本でも大きく取り上げられている社会問題の一つですが、同じように海外においても深刻な問題として扱われています。地域社会が複雑化するにつれ子ども社会もそれに追随します。

EU全体でのいじめ問題
ヨーロッパ社会でのいじめ問題は他の国々と同様、増加傾向にあり、また一方で若年化しています。

スペインでのいじめの例

2003年の9月、スペイン北部バスク地方にある高校に新入生として当時13歳だった少年が通っていたのだが、胃腸感染によりクラスで下痢を伴う発作を起 こしてしまった。そしてこの日以来クラスからいじめの対象になってしまう。2004年の8月には、少年がサマーキャンプでハシシを友達と一緒にすっているのが見つかり、そのことで少年の両親が関係したクラスメートの両親に忠告したところ、そのことがかえっていじめを悪化させてしまった。その年の9月にはその少年の机にトイレットペーパーで飾られた《記念日》と書かれた文字が。

少年はいじめをするクラスメートの名前を挙げることを拒んでいたが、2004年9月17日についに母親に事実を伝え、その2日後関連した生徒の親に会うことになる。9月21日、トラブルに巻き込まれぬよう携帯電話を持ち少年が学校から帰ってくるはずの時間、少年は家へ向かう代わりに町を 囲む中世の石塀の頂上へと向かった。そしてそこで飛び降り自殺を図ったのです。

こういった事例がヨーロッパ各地で広がっており、自殺までいくケースはまれではあるものの、嫌がらせや暴力など広範囲化しまた悪化し続 けている。また傾向としてはその対象が若年化していることです。

スペイン 9歳から16歳の間の7%の子どもたちが深刻ないじめの被害にあっている。

フランス 学生の13%が複数のいじめ事件のターゲットにあったことがあると答えている。一方、い じめだけでなく、言葉による攻撃、けんか、盗みなど学校における暴力事件の数も72,000件(2002-03年)から81,000(2004年)へと増 加している。

ドイツ 暴力的いじめにあったと答える生徒のパーセンテージが一世代のうちに倍増している。 1970年代に5%だったのが、今日では10%となっている。ドイツ人元教師は、「実質的に子ども達の切れる境界線が低くなり、より突発的に暴力へ訴える。」と述べている。

イギリス 1862人のイギリス人の親のうち、21%が自分達の子どもが過去一年においていじめを 受けたことがあると答えている。またそのうち57%は言葉によるいじめ、27%が暴力によるいじめ問い結果も出ている。

いじめの原因として、家庭環境の影響は大きい。調査では、子どもの数が減り、一人っ子が増えるにつれて、家庭内で人間関係を学ぶことが困難になってきていると指摘されている。兄弟が多ければ、その中で上下関係やけんかをすることによって痛みを知ったり何が悪いのかと言うことを自然に生活の中から学べるのだが、一人っ子であることによりその訓練が省かれてしまうのだ。そしていきなり大きな学校という社会へ送り出され、直面する問題に対して解決方法がなくいじめへ走ってしまうという。

例えば、兄弟間でテレビの奪い合いがあるとする。どちらかがあきらめないと解決しない問題である。きっとけんかが始まるであろう。でも その後けんかをしたところで解決するものではないと気付くはず。そしてそこへ親が入り、テレビを順番に見るという妥協案を提示することにより、その問題は 解決されるでしょう。このように子どもは多くの解決方法を家庭で身に付けていく。

それが一人っ子の場合では機会が少なくなってしまうと言うのです。そして学校などで、自分の欲しいものを他人が持っていたり、自分より 頭のいい子がクラスにいたりすると、そのストレスをどう発散していいのか分からなくなってしまうのです。そして子どもの脳というのは感情に訴えやすく暴力 へと走っていしまうのだそうです。

以上 ヨーロッパTIMEより参考
訳 aki

日本にいるとなかなか国外の事例を耳にすることがありませんが、いじめという問題は世界的問題でもあります。便利になる社会である一方、その犠牲になって しまうのはまだ良し悪しの判断ができない子どもたちだと思います。大人の都合だけで社会を変えてしまうのは無責任であるし、今の子ども達は次の世代の親でもある。この連鎖が続いていくとしたら、きっと心のない人間でこの世の中いっぱいになってしまうでしょう。また学校の先生や親だけでなく、社会の中にいる人全員が参加して考えなければならない問題だとも思います。

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フランス校内暴力

フランス少数民族

ヨーロッパの中の少数民族

まずはヨーロッパ全体から少数民族についての問題をご紹介していきます。

ヨーロッパ内では、EUの拡大過程において、その国境というものが形を消そうとしています。そのためそこで影を失くしそうになっている大陸固有の少数民族たちは彼らの伝統的文化やアイデンティティを保護するよう訴え始めてきたのです。

map クリックすると拡大します。

イギリスは西南部に位置する町Corwall(コーンウォール)は、10世紀ごろAthelstanという独裁王によって何世紀もの苦痛ののちイギリスの一部とされました。しかしながら地元歴史展覧会では、この歴史を“Athelstan”という恩人的君主が土着の民族Cornishの人々をイギリスの一部になるようにと好意的な態度を持って説得にあたったと伝えていま す。そこで、Cornish文化の保護と権利を訴える一人Angarrackさんは活動グル-プを結成。イギリス内に存在する少数民族としてCornishを認めてもらい、またその文化や言語保護のための資金を国から援助してもらおうとキャンペーンをすすめています。「イギリスの国家カリキュ ラムはケルト人の歴史(Cornishはその一部)を組み込もうとしない。なぜなら、イギリス人が新しい民族だという概念を国民に埋め込みたくないから だ。」と彼は言う。

traditional horn

ロンドンのテロ事件後、他国からの移民問題が取り沙汰され、国家アイデンティティを問うマルチカルチャーリズムが大陸で叫ばれるように なった一方、今回はヨーロッパ国内にもともと定着していた古い少数民族たちの文化継承概念とそれを支配する大きな国家概念との間で闘争が発生したことに注 目がおかれます。

ヨーロッパ中部、東部では共産主義が倒れ、それまで圧迫されいた少数民族がEU拡大にのってその失われつつあったプライドやルーツを再確認しようとしています。

traditional costume

さらに、主流から遠ざけられていた少数民族は彼らの多様性を国家の中で強調し、祝いまた商業化していこうと前進しています。The Sami(サミ民族)はノルディック地域に住むトナカイ使いの民族で、フィンランド、ノルウェイ、スウェーデンにおいて言葉や文化的問題を独自に解決でき るという権利を与えられた議会を持っています。またドイツのSchleswig-Holstein州では、自らをNorth Frisians(北フリジアン)だとみなしている50,000人のうち20%が2,000年前にこの地域に定住した移民民族の子孫で、いまだ西ドイツ言 語の方言を使っています。

こうした民族が歴史の表へと進出してきた背景には文化的なものだけでなく経済的利益も考えられます。例えば旅行客は自分の国では味わえ ない、民族ダンスやクラフト製品、また新しい味の発見などを経験してみたいものです。特に地方特産物は将来の経済効果が高く望まれます。

こういった民族の再認識の到来は異分子として踏み潰されるどころか、さまざまな方法でEUから奨励されています。例えば先に挙げたCorwallでは、その文化遺産、芸術、あるいはさらなる発展を追求するための手助けとして援助手当が国から支給されています。

しかしながら全ての少数民族グループが彼らのアイデンティティを顕著にし、政治的に権力を得ることに成功しているわけではありません。 スロバキアの350,000人のRoma(ロマ民族)のうち150,000人は差別隔離された地方の少数民族居住地区や都心のスラム街に住まわされています。2003年の国連報告では、中欧・東欧に暮らすRomaの生活状況について、ヨーロッパというよりもむしろサハラアフリカに次ぐようなものであると発表しました。この状況はゆっくりとしか変化しようとしていません。2004年ようやくハンガリーのLivia Haroka(30)さんがはじめてRoma民族からEU議会に選ばれたところです。それとは対照的に、The Basques(バスク)は彼らの文化を持続的に生き生きと保ってきました。スペインバスク族は独自の地方政府を持ち、2003年にはその地域で出版される書物の45%がバスク語によるものでした。

ではどうしてこのような少数民族を重要視しなければならないのでしょうか。それは文化的多様性それ自体はとてもよいことであるからで す。少数民族はヨーロッパの文化遺産の部分を成しており、もし文化の多様性が生き残れなければ全てを失うことになってしまう。さらには、疎外感を感じている少数民族の若者達はしばし自らのルーツを求める際に過激に走る傾向がある。コーカサスから、バルカン、バスク地方にわたる複数の民族が暮らす地域では暴力と不安定という歴史を続けてきました。文化の多様性を押しつぶすのではなく認識することで彼らのアイデンティティを過激な運動から遠ざけることができる のです。

フランス、ブルトン民族

大西洋に突き出た西フランスの半島、Brittany(ブリタニー)にあるLorien(ローリ エン)という小さな港町で毎年恒例のInterceltic Festival(ケルト祭り)が行われます。この祭りは1971年に始まり、ケルト文化(特にBrittany ケルトやThe Bretonsに関する全てのもの)を祝いに集まってくれる人々に音楽、芸術、クラフト、料理などを振舞うのです。祭りに現われた人々は、まず伝統工芸品 などを販売するバザ-をいろいろ見て回ります。Kouignamannと呼ばれるバターケーキ、Chouchenと いうハチミツがベースとなったアルコール飲料など本物のケルト料理が楽しめます。そしてケルト調で近代音楽を演奏するSoldat Louisというバンドや、ケルトの伝統民族音楽を演奏するTropheeというバンドの演奏が聴けます。このイベントは10日間におよび、ただ楽しむための祭りではなく、参加した人にとってはさらに文化的独立宣言という大きな意味を持っています。あるBrittany出身の若者は、「フランスでは何かと調和を掲げるが、すべての人々がそれを望んでいるわけではない。私は自分をフランス人だと思うがその前にBreton民族であるとまず考えている。」と言う。

breton musician

La Republique Fransaise(フランス共和制)における強調はしばし国の原住民文化の圧縮を意味してきたフランスにおいて、これは過激な発言である。しかし移民の連続的な波が押し寄せてきたのです。まずはヨ-ロッパの他の地域から、そして最近においては旧北アフリカ植民地やアジアの国々から。そしてこの波は単一文化や言語、信条を全ての人々に課すことができないのだということをフランス国民に気付かせるのです。

The Bretonは時に激しく彼らの言語を保護しようとし、彼らの古代伝統を完全に近代的に変化させていきました。Tri YannのようなBretonバンドは過去30年においてフランスにおけるケルト音楽を人気化させ、作曲家Yann Tiersenは映画アメリのサウンドトラックを作り、その年フランス中で大ブレイクしました。

Brittanyは5世紀以来重要なケルト文化を継承し、1532年にその地域がフランスの州となってからはパリによる支配に抵抗してきました。何年もの間、Bretonsは田舎者としてばかにされ何かと活動の制限をかけられました。1970年には、独立を求め暴動になることもありました。

Breton人はその言語を、The Diwanというスクールシステムの設立によって伝え続けています。年に2,500人以上の生徒がこのThe Diwan学校で、フランス語と並んでBreton語を学びます。また他の公立学校においても学生は第2言語としてBreton語を学んでいます。こう いった教育方針のおかげで現在フランスでは257,000人の人々がBreton語を話します。この数字は50年代の100万人よりかなり少ないのですが言語を維持させていくのには十分な数だと考えられています。

2004年、パリ市内に初めてThe Diwan学校が建てられました。しかし彼らの文化が人気になるにつれて、Breton人自体がその成功の犠牲者になってしまうかもしれないという懸念が発生しつつあります。もし誰もが、Bretonの服を着て、Bretonの音楽を聞くだけで、Breton人になれたら、このBretonという言葉が本当に本来の意味を成すのかどうか。こういった不安は残るものの、Bretonアイデンティティは時代とともに変化し続け、豊かになっていくでしょう。そして他の少数民族を抱えるヨーロッパ諸国と同様、フランスもまた変化し続けることだろうと願います。

2005.8.29 ヨーロッパTIMEより
訳:AKI

まだ私が日本にいる頃は、フランスに少数民族が存在するなんて全く知りませんでした。長い西洋の歴史においても多くの人々がさまざまな道を歩んできたのだなあと思う一方、グローバル化の一途をたどる世の中でこういった小さな民族の声がなかなか届かないというの は、文化の面から悲しいことだなあとも感じます。

フランスではとくにバスク地方のニュースを耳にします。スペインとフランスの国境辺りに位置するこの地域で 独立を訴えて争いが起こっているのです。一見平和そうなこの地方で、銃などの武器が隠されていたのが発見されたなどというニュースを聞くと驚いてしま います。また同じく独立を訴えているコルシカ島やサヴォワ地方など、問題は尽きません。サヴォワ地方をドライブ中には、フランス国旗ではなくサヴォワ国旗を見かけたり、「サヴォワ独立」という落書きなどもありました。

一まとめにフランスと見てしまいますが、中をよくのぞいてみるとこのように独立を望んでいる地域があるということを知ると、またこの国の見方が変わってくるのではないでしょうか。日本がそうであるように、フランスにもいろんな地方の特色があり、その違いが特出 して独立心にまで至っているのでしょう。

またこういった問題はフランスだけには限りません。ヨーロッパの国々をはじめ、世界中で見られる問題ではな いでしょうか。なかなか届かない声に耳を傾けてみると、見えなかった世界が見えてくるようです。

フランスの迷信II

2009年の2月と3月は、両方とも13日の金曜日でした。フランスの迷信のページ では、「13日の金曜日」も含めいろんな迷信を紹介していますが、このページではどのくらいのフランス人が迷信を信じているのか、またその迷信の起源について詳しく調べてみました。

迷信を信じる人はどのくらい?

フランスのフリーペーパーDirectsoirによると、2009年、13日の金曜日には多くのフランス人が宝くじやロトなどを購入し たという。多くの関連企業はこの「13日の金曜日」をうまく利用しようと期待しているそうです。17%のフランス人はこの日を幸運の日とはみなしていないものの、41%のフランス人がこの日をとりわけ賭け事の日として選んだことがあるという。

「13日の金曜日」が社会現象となったのは最近のことで、特にこういった賭け事を楽しむフランス人によって普及されました。中世時代に は信じられていなかった「13日の金曜日」が、「黒い猫」や「はしご下の通過」のように文化的な迷信となったのです。

15歳から34歳までのフランス人51%が迷信を信じており、その割合は60歳以上(31%)を上回ります。さらに、女性(49%)の ほうが男性(34%)よりも信じやすく、地域で見るとLes Auvergnatが48%で一番高かく、Les Rhonalpinsが33%で一番低い。

「13日の金曜日」の起源

現代では「13日の金曜日」は不運と同じくらい幸運を連想させますが、もともとは不幸の日とみなされていました。起源はテンプラー(聖 堂騎士団)時代にさかのぼります。端麗王フィリップ4世が1307年の10月に行政官、司法官などに送った手紙には、教会を13日の金曜日に開放するようにという命令が書かれていました。そしてその書簡をもって全テンプラー騎士団を捕らえるようにと王からの要求がなされたのです。そして同日約2000人の テンプラー騎士団の騎士たちが捕まってしまいます。

しかし、「13日の金曜日」が不幸の日となった理由を知るには、最後の晩餐を考えなければなりません。キリストの最後の食事です。招待客は13人。イエスと彼の12人の使徒。そのうちのJudaがイエスをローマ人に引渡し、翌日金曜日にイエスは磔にされます。

4つ葉のクローバーの起源 clover

37%のフランス人が4つ葉のクローバーの幸運を信じているそうです。それぞれの葉には意味があり、一枚目が希望、二枚目が信頼、三枚 目が愛情、そして四枚目が幸運。その起源は、4つ葉クローバーの希少性から来ていると考えられます。1万個の3つ葉に対してたった一枚の4つ葉が見つかる計算だそうです。さらに稀なのが5つ葉。伝説によると一生に一度だけ見つけることができると言われているそうですが、普通は見つけられない。

幸運を呼ぶ馬蹄の起源 horse  shoe

この迷信に関する起源は複数存在し、一番最初の起源は10世紀に始まります。この時代、聖Dustan(カンタベリー(イギリス)の司教となった鍛 冶屋)は悪魔の先の割れたひづめに馬蹄を打ちました。そしてその悪魔を放す際に、馬蹄によって守られている家の中には決して入らないようにと約束をさせま す。

ウサギの手の起源 rabbit

豊かさを示すこのシンボルは中世にその起源をもちます。当時ウサギはその多産性から繁栄を象徴していました。また砂金を探すのにウサギの手が使われ ていたということも伝えられています。ざるの中にある砂金が毛について回収できたという。ちょっと残酷な感じがしますが、、、。

黒猫の起源 black cat

エジプト時代に崇拝され、黒猫を殺すことは死刑に値する犯罪だとされ、さらに家族の猫が死ぬとその猫はミイラ化され、家族は喪に臥したといいます。 ローマ時代には、猫は神聖なものとされ、ヨーロッパへ紹介されていきます。イギリスとアイルランドを除いたほとんどのヨーロッパでは猫が目の前を通ると不幸が訪れると考えられています。そして教会からは魔女を連想させる動物だともいわれてきました。黒猫は姿を変える動物だと信じられ、魔女が呪文を唱えて変身した姿だと。逆に日本では、福猫として魔よけや幸運の象徴とされており、黒い招き猫も存在しますね。

そして最後に、ちょっと気になって調べた、

いろんな国の幸運のテントウムシ ladybug

北ヨーロッパ:テントウムシが体にとまったら願いが叶う。
イタリア:テントウムシがベッドルームに飛んで入ってきたら幸運をもたらす。
中央ヨーロッパ:女の子の髪の毛にとまったら、その年に結婚する。
北アメリカ:テントウムシを捕まえたら願いを言って、願いが叶うように飛ばして帰してやる。

フランスでももちろんテントウムシは幸運を呼ぶものとして考えられており、最初はなぜいろんなところにテントウムシの絵が使われているのか不思議に思っていました。日本人はテントウムシといっても幸運を思い浮かべることはないような。テントウムシ、日本名《天道虫》、太陽に向かって飛んでいくことか ら、太陽神の天道からとられたそうです。

国によっていろんな迷信が存在しますが、どうしてそう思われるようになったのか調べてみるとおもしろい話がたくさんありますね。また、国単位だけで なく、国の中の地域によっても違った迷信が存在するのがとても興味深いです。例えば、ある人は家の中で傘を開いてはいけないというけれど、私の家族はそんなこと聞いたことないといいます。

でも、迷信を信じすぎてある種の恐怖症にかかってしまう人もいるそうなので気をつけないといけないですね。 以上、フリーペーパDirectsoir、Wikipedia English参考 訳aki