Category Archives: フランス語レッスン

Love ハンドル

フランス語を勉強しようしようと思いながら数年が経ち、いまだに英語を追求する今日この頃。この間も英語の表現力をあげようと本を読んでいると、”Love Handles“という言葉が出てきました。なぜこの単語に興味を持ったかというと、こんなLoveがつくような愛らしい表現のわり に、その表すものというと なんと「わき腹についた贅肉」なんです!! 確かにつかめるからハンドルはハンドルだと思うんだけど….。

この発見にちょっと調子にのって、うちのフランス人に何か分かるか試してみました。「Love Handlesってなんだと思う?」と。

すると、にやり。なんとフランス語でも同じ表現をするんです。フランス語では” Les poigees d’amour” と言い、「愛のひとつかみ」とか「愛の取っ手」という直訳です。

こんな風に表現されると「わき腹の贅肉」も美しく見える!?

しょっぱいポエム

メトロに毎日のように乗っているのですが、普段勉強できないフランス語を少しでも有効に学べるよう、できるだけ電車の中ではフランス語のチラシやポ スターに目をやっています。そしてある日、こんな詩を見つけました。

La ville est dans l’homme, presque comme l’arbre vole dans l’oiseau qui le quitte.

ブラジル人がメトロに投稿したみたいなのですが、分かりますか? 私はまずフランス語の理解から始まって、そこにどんな意味が隠れているのか想像するのに何時間もかけてしまいました。何が言いたいのか気になって気になって….。うちに帰って夕飯を食べながら主人と二人でできる限りの 想像力を駆使してみました。そしてふと、頭の中にあることが浮かんできたのです。

皆さんは、どういう風に想像しますか?

英語で直訳すると、

The village is in man, almost like a tree is flying in the bird that is leaving the tree.

日本語で直訳すると、

その町は人の中にあり、ちょうど木がその木を離れようとする鳥の中を飛んでいるかのようだ。

どんなことを想像しますか。私が想像したのは、

「町というのは人間の中、つまり人間によって築かれ支配されるもの。そして人間が町を作るということは、木(自然)を失うこと、そして、そこを住処としている鳥たちが追いやられること。飛んでいく鳥とともに木も飛んで行ってしまうのだと。」

tree

また、この解釈を導くに当たって、ブラジル人というのにヒントを得たことも付け加えておきます。ブラジルと聞いてアマゾンを思い浮かべ たからです。そしてこのタイトルには poem sale ポエム サレ (*アクサン省略) と書いてありました。サレとは、しょっぱい (ちなみに sel セル=塩) という意味で、sweet poem(甘い詩)にかけているかなあと。自然破壊は人間にとってはしょっぱいような、苦いような問題ですよね。

脱帽です

最近読んだ本に忘れかけられている日本語として、「シャッポを脱ぐ」という表現が記してありました。その意味として、シャッポとは外来語で”ぼう し”という意味。ただ単に帽子を脱いで挨拶するだけでなく、ごめんなさいと謝る時もあれば、降参しましたとお辞儀する場合もあるとありました。

シャッポとは他のヨ-ロッパ言語にも存在するのかもしれませんが、フランス語でも、chapeauシャポーと言います。そしてこんな表現も。
Chapeau!! 脱帽だ! すごい!
Je tiens mon chapeau a Anne. アンに脱帽する。 (ジュ ティアン  モン シャポー ア アン)
シャッポが忘れけられている日本語なんて…それが日本語として使われていたなんて…

hat

ちなみにドイツ語・オランダ語からきた表現も書いてあったので、ドイツ語の少し分かるうちの主人で試してみました。
ドイツ語を含んだ表現: トテシャン

I : We have an expression “TOTESHAN” in Japan.  TOTE means “very” in English, and SHAN comes from German. Can you recognize the word?  「 トテ」とは日本語の「とても」 「シャン」はドイツ語から来てるんだけどわかる?

My husband : ” Beautiful !” So it means “very beutiful !!” 「美しい」 つまり「とても美しい」

そうトテシャンとは「とても美しい」とか「とても美人」という意味で使われていたそうです。私の読んだ本には「バックシャン」というのが現役で使われると書いてありましたが聞いたことありますか。バックシャンとは後姿だけ見ていると美しいという意味だそうです。前に回ってみて、だまされた気分になって口にする言葉。なんて失礼な…。

さらにおもしろい表現がオランダ語を含んだもの: 半ドン

I : How about DONTAKU? Another similar Japanese expression, HANDON, contains a Japanese word HAN that means half, and a Dutch part DON. DON comes from DONTAKU?  じゃあドイツ語のドンタクは?半ドンの半は半分の意味で、ドンがオランダ語から来てるんだけど。そのドンはドンタクが由来らしいんだけど?

My husband : That means Sunday! or could be a holiday.  それは「日曜日」もしくは「休日」かな。

つまり半ドンとは、半分休日の土曜日を指した言葉だったらしい。そういえば小学校の時は土曜日もお昼まで昔はあったなあ…。それが いつの間にか消えてしまって…この言葉も使われなくなったのかなあ。「博多どんたく」のドンタク、これも「博多の休日」ということになります。ドイツ 語オランダ語を知っていたうちの主人もそうだけれど、そんな外国語をを知っていた昔の日本人にも脱帽です。

bunny in a  hat

取らぬタヌキ

まだ何事も始めていないのに、大きな利益が得られると計算することを「取らぬタヌキの皮算用」と日本語のことわざにはあります。

英語では、Don’t count your chickens before they are hatched.「卵 がかえらないうちにひよこを数えるな」 とあります。

じゃ、フランス語は?と、先日主人に質問。フランス語にもありました。同じような表現が。

フランス語では、Ne pas vendre la peau de l’ours avant de l’avoir tue. 「クマをまだ殺さないうちにクマの皮を売るな。」 だそうです。

同じ意味を表しているのに、その計算されるものが、日本人はタヌキの皮、アメリカ人はひよこ(ニワトリ)の数、フランス人はクマの皮な んて少しおもしろいですよね。なんとなくそこにある文化や価値観というものが伝わってきそうです。日本人は小柄だからタヌキの皮くらいで足りても、大柄な フランス人にはクマの皮が必要だったのかなあなんて。

racoon dog

ちなみに、

peau (人間の)皮膚、(動物の)皮、(果実野菜の柔らかい)皮。faire peau neuve と言うと「新しい皮膚または皮を作る」でそこから「外見や生き方を一新する」という意味が生まれます。また n’avoir que la peau sur les os と言うと文字通り「骨と皮ばかりにやせている(骨の上に皮しか持って ない)」という意味になります。
ours ウルス クマ。人付き合いの悪い人と言う意味もあるそうです。ちなみにOurson(ウルソン)というとクマのプーさん、 oursin(ウルサン)というとウニ。発音が難しい。

言葉が違っても、こういった共通することわざが存在すということは、どこの国でも、同じことを考える人がいるということです。 中身はみんな同じ人間。

スゥイートルーム

英語を教えていて気付くことは、よく間違って覚えてしまっているカタカナの言葉があるということです。その中の一つに、ホテルなどでよく耳にする、 〈スゥイートルーム〉という言葉。この〈スゥイートルーム〉のスゥイート、「甘い」という意味のsweetだと思っている人はいませんか。これはsuite(こちらもスゥイートと発音)という単語からきています。意味は「一続きの間」。フランス語でもsuite(スュイトゥ)は「続き、続編、結果、随員、そして(高級ホテル)の続きの部屋」という意味を持っています。

この単語を使って日常よく聞かれる表現で tout de suite(トゥ ドゥ スュイトゥ) があり、こちらは「すぐに」という意味があります。「今からうちにすぐ帰るね」と言う時は「a」をつけて、A tout de suite. と。うちではいつも電話で「A tout de suite. じゃあね」です。 またテレビなどでも、「次の番組はコマーシャルの後すぐ」と言う時にこのtout de suiteが使われます。