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ル キャストゥレ(プロヴァンス)

Le Castellet(ル キャストゥレ)というのは、マルセイユの東の方向に位置する小さな町の名前です。

丘の上に集落ができており中に入ると迷路のように入り組んでいてエスカルゴの中のような形をしています。たくさんのかわいらしい建物が並んでいて、ついついここもここもと写真を撮ってしまうような町です。一軒一軒きれいに花で飾られていたり、ドアがかわいかっ たり、窓がかわいかったりと、何もかもかわいらしい。静かでひっそりとした路地を歩いていくと中世の時代に戻ってしまったような感じにとらわれてしまうほど印象的。

castellet

castellet

ル  キャストゥレの歴史

Le castellet(ル キャストゥレ)は、ラテン語のCastellumキャストゥルムからきています。8世紀まではローマに、そしてその後はサラセン にと占領されてきました。さらに973年には、ギオーム一世がここプロヴァンス一帯を統治しはじめ、封建社会へと進んでいきます。ポンス・メニエというマ ルセイユの貴族がキャストゥレの新しい支配者となり、その後マルセイユの宗教組織がこの地に教会やキャストゥレ城などを建設したということです。時代は進 み1212年から1314年までキャストゥレの王はテンプラーナイトに属し(十字軍のための宗教的軍隊組織)、1437年にはこの町は王ルネ・ダンジュに よりシャルル・ドゥ・キャスティーヨンに売られてしまいます。キャスティーヨン家は1790年までこの町に属していましたが、その後の革命によりフランスへと支配権が移っていきます。

castelle


丘から見下ろした景色もすばらしい。プロヴァンスのパノラマです。

ル・キャストゥレ LE CASTELLET
Hotel de Ville 83330 Le Castellet
Tel:04-94-98-57-90、Fax:04-94-98-57-98

プロヴァンスのお土産

またこのエスカルゴ状の集落の中には、お土産やさんなども数件あり、特に目に付いたのは南仏風デザインのカ ラフルな室内装飾ランプ。すごくおしゃれできれい。さらに昔ながらのキャンドル専門店、テーブルクロスなどのプロヴァンス織物も売っていました。話を聞く と、デパートなどで買うよりこういった小さな専門店で買ったほうがプロヴァンス織物は質のいいものが揃っているそうです。種類もたくさんあるし。

provance  specialities

また面白かったのは、せみグッズがたくさん。日本と同様南仏でも夏にはせみがたくさんいるそうです。至ると ころでおもちゃのせみが「カルカルカル……」とないていて、しばらく耳に残ります。フランスでは「ミーンミーン」とはなかず「カルカルカル」だそうです。発音がとても表しにくいのですが、ルはフランス語のRの発音で。

cicada


どこもかしこもカラフルなせみ、せみ、せみ。オリーブ柄のせみも発見。

またもう一つのお薦めは、南仏名産のオリーブの木でできたまな板やいろんなお料理道具。うちでも一つ使っていますが結構使いやすい。同じくオリーブからできたSAVON de MARSEILLE(サヴォン ドゥ マルセイユ)も、すごく大きな石鹸で長持ちし、お土産にいいかもしれません。いろんなお店をまわって面白い小物を探 してみるのも楽しいかもしれません。特に女性には楽しい場所だと思います。


キューブ型になっているのが正真正銘のSAVON de MARSEILLEらしい(左奥)。手前はテントウムシつきでかわいかったので買ってもらいました。

マルセイユから車でオリーブやブドウ畑の中をドライブして一日を過ごすのも 楽しいですよ。

Le Castellet オフィシャルサイト

鷲の巣村エズ(プロヴァンス)

以前から行ってみたいと思っていたコートダジュールにある村Eze(エズ)に2008年お正月に出かけることになりました。

エズはどこ?
エズはニースとモナコの間にある岩山に立つ村です。


エズで買ったポストカード
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エズ村は、鷲の巣のように岩山の上に位置し、その姿から nid d’aigle 鷲の巣(のような)村とも呼ばれます。岩山の高さは海抜427m。そのため、岩山の頂上に立つこのエズ村と教会( 1764年に建てられたNotre Dame de l’Assomption)が遠くからも眺めることができます。


エズ村の地図
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エズの歴史
エズはローマ時代に栄え、中世になるとGenoa(ゼノア)とモナコのもとに組み込まれます。1861年にフランスの領土になるまでは、イタリアのthe Kingdom of Sardinia(サルディニア王国)の一部で、当時はイタリア名Eza(エザ)と呼ばれていました。現在もイタリアの文化は色濃く残っており、車の標識などもイタリア語が付け加えられていたり、フランス語の他イタリア語も話す人たちがいます。 イタリアとは目と鼻の先ですしね。

また教会の中にあるエジプトの十字架はこの村のルーツを示しています。時代はPhoenicians(フェニキア人)にさかのぼります。彼らはそこに女神Isis(イシス)を祭るために寺院を建立したのです。

この村のモットーは”Isis Moriendo Renascor” 、「死の中で私は再び生まれる」。そしてその象徴は骨の上にとまるフェニックス(不死鳥)。


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この地域の方言はほとんど消滅してしまっていますが、モナコ公国のthe Monegasque language(モネガスク語)に近いと言われ、またthe Ligurian language(リギュリアン語)にも関係があり、 the Occitan language(オキシタン語)からの影響も受けているそうです。

エズの観光
エズ村は岩山から見下ろす地中海の絶景で有名です。

村で一番古い建物はthe Chapelle de la Sainte Croix(サントクロ ワチャペル)で1306年にまでさかのぼります。疫病犠牲者を助けるためにエズの修道会によってそこで会議が行なわれました。ベルの小塔の形はかつてこの 村がGenoa(ゼノア)王国のものであったことを示します。

またこんな噴水も村の中で見つけました。

1930年に作られた村唯一の噴水で、村の住人が初めて得た流れる水でもありました。それまで、エズ村の水は村のふもとから運ばれ、エ ズ人は村中に設置されていたタンクの水に頼っていました。

また村の中には、たくさんのお土産屋さん、アートギャラリー、ホテル、レストランが並び、多くの観光客や新婚旅行客などを魅了していま す。その結果村は美術館村のように化してしまい、実際にこの村に住む地元の人はほとんどいないそうです。


村の中には、所狭しといろんなお店が詰まっています。


左はオリーブの木で作られた置物や料理用具など。
右はバス停のすぐそばにあったカフェで食べたラヴィオリ・ニソワソース!

Fragonard(フラゴナール)のお店もここにアウトレットを持っています。香水のお好きな方 は立ち寄ってみてはどうでしょう。Fragonard ホームページ


お土産に私も一つ。

また村の一番の高台に熱帯植物園があり、そこからの景色も有名みたいです。私たちの訪れたシーズン(年末年始)は閉まっていました。観 光局サイトで詳細はチェックしてみて下さい。

夜のエズ村
エズ村を訪れるなら夜の景色が最高!昼間に来て青い地中海を眺めるのもいいですが、村の中を歩くのならば夜がいいですね。下の写真は2007年12月30 日。人も少なく、雰囲気もとてもよかったです。昼間訪れた時には、観光客でいっぱいで写真もなかなかうまく撮れませんでした。年末でもお店は開いてました。カフェもあったし、カジノ(スーパー)も開いてましたよ。


クリスマスデコレーションの残るエズ村入り口。ぼんやりと照らすランプの光がとてもいい雰囲気を出してくれます。


細い石畳の路地は迷路のようで、次にどんな景色が現れるのかと期待がふくらみます。


右の写真は、有名なホテルChateau de La Chevre d’Or(シェーブルドール)

エズのホテル/レストラン
エズにある有名なホテル/レストラン。フランスだけでなく世界的に有名なホテルが存在します。エズといえばこの2強ホテルですね。


Chateau de La Chevre d’Or(シェーブルドール)
ホームページ


Chateau Eza(シャトーエザ)
ホームページ

右はシャトーエザのレセプション横にあるBAGAGISTE!?荷物を運んでくれるのでしょうか。

この2つのホテルが4つ星トップホテル。予算も結構なものです。レストランで食事だけでもOKなので、私たちはシャトーエザでディナー を満喫してきました。地中海を望むテラスにレストランはあり、遠くにニースの夜景も見えました。周りのお客さんはリッチそうな人ばかりで、私たちはジーン ズ…。予約も前日に…。12月31日はもう予約でいっぱいでしたが、それまでならば意外とシーズンオフで簡単に予約が取れるかもしれませんね。私 たちが選んだコースは、Degustationコース(いろんな料理を少しの量で一通り味わえるコース)、105€。dessert(デザート)の前にpre-dessert(デザート前のデザート)が存在するなんて知りませんでした。もちろんpost-dessert(お勘定待ちの間のお菓子)も。そう呼ぶのかどうかは知りませんが。

私たちが泊まったホテルは、


Hotel Restaurant Eze Hermitage
ホームページ

エズ村からさらに山を登っていったところにあります。ちょっと離れています。SNCF(鉄道)でEze駅で降りたら、駅の目の前にある バス停で83番に乗ります。後は終点 Plateau de la Justice まで(約20分くらい)。途中エズ村でも停車するバスです。一時間に一本くらいしか走っていない路線なので不便ですが、有効に活用するといいですね。こちらのホテルも3つ星でレストランの評判も高いそうです。かわいらしいホテルで、お正月ともあって、地中海の町を紹介するDVDをプレゼントでもらいまし た。

ハイキング
Eze Hermitageホテルは、エズ村から少し離れている点がマイナスですが、プラスの点は周りにハイキングコースがあって、そこからの眺めが素晴らしい!! エズ村よりももっと高いところにあるので、地中海のパノラマが見 れます。足に自信のある方は是非。


Mon Bastide(バスティドゥ山 570m)。
一つ目のハイキングコース。
頂上から見た地中海の眺めは、エズ村で見たものよりもはるかに壮大。登った印に石が積んであったので私も積んでおきました。そこに行かれたら探してみて下さい。

頂上は崖のようになっているので、くれぐれも注意を。下に見える家々の屋根が太陽に照らされ光って見えます。上にあるエズ村の写真も実はこの山から。村が見下ろせます。これが年末年始のコートダジュールの景色です!!!


もう一つのハイキングコーすからは、サン・ジャン・カップ・フェラ半島、お金持ちの別荘地、さらに向こうにニースの町が。


そして北を眺めると、遠くに雪を覆ったアルプスが!!!そして右の写真が地中海から登る初日の出です。泊まったホテルのバルコニーからも見えました。

エズへの行き方
ニースとモナコの中間に位置し、車で途中立ち寄るような人も結構多そうでした。私たちはマルセイユからまずカンヌまでTGV、そこからローカル線を使ってエズまで(駅名はEze Bord de la Mer)。ニースからでも可能です。

エズ駅出口には、小さな観光デスクが設けてあり、そこでバスの時刻など詳しく聞くことができます(注:年末年始は閉まっていました)。 バスは一時間に一本程度(1ユーロ30サンチーム)、83番に乗るとエズ村(Eze Village)、Eze Hermitageホテルに行くことができます。気長に待ちましょう。ハイキングコースもあって歩 いてエズ村までいけるそうですが、かなりきつい坂で、一時間半ほどかかるそうです(ニーチェの道)。タクシーも電話番号が書いてあるので利用可能です(エ ズ村まで確か30ユーロ/冬のヴァカンス期はお休みだそうです)。

ちなみにニースからもバスが出ています。こちらは82番。こちらの路線もエズ村(Eze Village)、Eze Hermitageホテルに行くことができるので便利です。

またエズ村駐車場付近は道が3方向に分かれており、バス停の行き先に気をつけてください。

バス情報
Ligne d’azur ホームページ

エズ観光局 ホー ムページ

こうして2008年、小さな鷲の巣村エズでよいスタートがきれました。また今度はドライブで行ってみたいなあと思います。

マルセイユ(プロヴァンス)

プロヴァンスの歴史:

プロヴァンスには紀元前1万年に、すでに人類がソルグからアントレープ地方の岩場に居を構えていたことがわかっています。紀元前600年にはギリシャ人が入り始め、小アジアからフォカイア人が現在のマルセイユにマッサリア王国をつくり、商業の拠点となっていました。1世紀になるとローマ帝国が関わってきます。その後混乱の時代が続き、異民族が進入してきてマッサリアはフランク王国の支配下に入ります。

13世紀初頭、フランス王ルイ8世はアヴィニョンを包囲。1229年パリで条約が結ばれ、 ローヌ川右岸はフランス王領となりました。1274年には法王庁がローマからアヴィニョンに移され繁栄の時代を迎えます。

その後、プロヴァンスは戦争の絶えない時代が続きますが、現在のようにプロヴァンス地方がプロヴァンス・アルプス・コートダジュールとして成立していきます。

プロヴァンスの文化:

プロヴァンスは多くの文化遺産が残る地方です。そしてまた多くの芸術家たちがたくさんの作 品を生み出したところでもあります。ゴッホをはじめ、ピカソ、マティス、セザンヌなどが挙げられます。伝統文化に関しては鉄球を投げて目標玉に接近させる ゲーム、La Petanque(ペタンク)や闘牛のFerias(フェリア)などが有名です。また先祖代々伝わる技術で作られる各種工芸品も魅力的なものばかりです。プロヴァンス独特の織物やサントンの粘土人形(フランスのクリスマ ス参照)はプロヴァンスの名物になっています。そしてプロヴァンス地方にも方言があり、パリのフランス語とはだいぶ印象が違います。パリと比べると、その風土ともあいまってプロヴァンスの人の話し方のほうが人懐っこく暖かみがあるような印象を受けるかもしれません。

petanque

Marseille マルセイユ:

マルセイユは、紀元前600年フォカイア人によってつくられたプロヴァンス最古の都市で、 以来、海上貿易の中心地として栄えてきました。船による渡仏が当たり前だった時代、日本人が最初に到着したフランスの地もマルセイユでした。現在もフランス第一の貿易港であり、パリに次ぐ大都市です。

まず中心地となるのが LeVieux Port(旧港) です。たくさんのヨットや遊覧船などの船が停泊する港で、周辺にはたくさんのカフェやレストランが並んでおり、名物のブイヤベースが味わえます。
そこからのびる La Canebiere(カヌビエール通り)にはデパート、ホテルなどが並びマルセイユの中心となっています。また港から見て右手にある丘の上にはノートル・ダム・ド・ラ・ガルド寺院が あり、そこから見下ろす景色は最高です。

vieux  port

cannebiere


旧港に向かって立つ教会。そして右は強大なオリーブの鉢植え。


遠くに見えるのがノートル・ダム・ド・ラ・ガルドです。毎日太陽が輝いています。ちなみにこの写真は12月クリスマス時期に撮影。停泊する船は色とりどり。地中海の雰囲気がいっぱい。


ノートル・ダム・ド・ラ・ガルド。この教会からの眺めも最高ですよ。マルセイユの町から地中海まで。

そして港から遊覧船で約20分、Chateau d’If (イフ城)は、16世紀、当時のフランス国王フランソワ1世が海を渡ってやってくる外敵か らマルセイユを守るために、砦として築かれたものですが実際役立ったことは一度もなかったそうです。このイフ城を世界的に知らしめているのは、作家アレク サンドル・デュマの小説「厳窟王」でしょう。この城は小説の主人公だけでなく、鉄仮面をはじめ、現実に数多くの政治犯や異教徒たちを幽閉、牢獄するために長年使われてきました。さらにそこから船で数分、Iles de Frioul(フリウル島)に着きます。ここは第二次世界大戦中ドイツ軍に占領されていましたが、1971年にマルセイユが買い戻したということで、特に観光ポイントがあるわけではないのですが、ここにある自然は手付かずの状態で残されています。お気に入りの場所は少し歩いたところにある小さな入り江になっているビーチです。澄んだ青い地中海とあまり人の知らない場所で静かにのんびりするのはとても気分がいいです。

frioul
観光ページ フリウル群島 も参考に。詳しくご紹介しています。

歴史に興味のある方は、旧港のすぐ近くにあるCentre Bourse(サントル ブルス)というデパートの中にあるMusee d’histoire de Marseille(マルセイユ歴史博物館 )をおすすめします。入り口階にはSavon de Marseille(オリーヴで作った石鹸)で有名なこの地域の産業の歴史を、昔の広告ポスターなどを使って紹介しています。階段を下りて地下階に行くとがらりと変わって、プロヴァンスの歴史の古さを感じさせる展示物がずらりと並んでいます。特に海上貿易の盛んだった都市ということで巨大な船の模型や、そのころの生活を表す道具などが数多く展示されています。さらに奥へ進んでいくと、プロヴァンス最古の都市を思いおこさせる住居の模型や、ミイラなどがおかれています。デパートの中にこのように立派な博物館があるなんてびっくりしてしまいます。

museum

museum garden
こちらが博物館の入り口。デパートの中です。外には本物の遺跡が公園として残されています。デパートを建てる際に発見されたそうです。

また日本でも人気のサッカー。こちらフランスではそれ以上。特にここマルセイユ。サッカー ファンの方なら、L’OM (L’Olympique de Marseille) が有名でしょう。マルセイユの南東に位置するホームスタジアムにはグッズショップが入っていて、地元のお客さんがたくさん買いものに来ていました。スタジ アムには60,000の観衆が毎ゲーム、チームをサポートしにやってくるそうです。

l'om

zidan
こちらは旧港の正面にあるL’OM カフェです。そしてジダンもマルセイユ出身(右)。

南仏といえばまた、オリーブや魚介類などの食材も豊富ですね。マルセイユの代表的料理として、ブイヤベースはおすすめです。旧港の周りにはたくさんのレストランが並んでいるのですが、地元の人に聞いたおすすめレストランをここでご紹介しましょう。どこのお店のメニューにもブイヤベースと書いてあるけれど、はずれが多いそうなので、せっかくマルセイユへ行くの ならば本物をお試しください。

miramar
MIRAMAR まず旧港に面したレストランの並びの中にある一番有名で おいしいブイヤベースのレストラン。ホームページ

michel
MICHEL 旧港を後に車で海岸線沿いを走っていくと左手に現れます。

petit  nice
LE PETIT NICE PASSDAT さらに進んでいくと地中海に突き出た 岩の上にレストランが立っています。

rhul
Le RHUL こちらはマルセイユでもっとも有名なホテル。地中海を正面にきれいな景色が眺められます。

そして南仏といえば地中海。旧港から東に少し行くと、Le Prado(ル プラド)と呼ばれる人工のビーチがあります。夏はもちろんのこと、冬でも日光浴に人々が多く出かけます。地中海は一年 を通じて温暖な気候なのです。泳ぐには寒いかもしれませんが、冬でも充分地中海の気分が満喫できると思いますよ。遠くには上でご紹介したイフ城やフリウー ル島 が見えます。


こちらの写真は12月クリスマス時期に撮影したもの。太陽が輝きとても穏やかな天候です。


そのビーチの正面の道路中心に立つミケランジェロのダビデ像。なぜこんな所に。カモメが頭にとまっています。地中海を見下ろす丘に建つ高級住宅やマンション。


そして近くのカフェで夕日を見ながらgrenadine(グラナディン)のシロップでも。


こちらはLuminy(リュミニ)と呼ばれる森から見下ろした地中海。ハイキングコースになっています。

まだまだ見所の多いマルセイユです。フランスはパリだけではありません!ぜひ南にも足を運んでみてください。

関連ページ
マルセイユのおいしいもの
マ ルセイユのお土産
カシスの町

観光案内所/Tourist office in Marseille

マルセイ ユ観光船協会/Information about excursion boats in Marseille

フランス歴 史文化財/Historical monuments in France

マルセイユ市公式ウェッブサイト/ Official Website of Marseille

カシスからサントボ-ムへ(プロヴァンス)

Cassis カシス

マルセイユから西へ、 典型的なプロヴァンスの小漁港カシスは、プロヴァンス語の古い格言によると、「パリは見たがカシスを見たことがない者は、何も見たことにないに等しい!」 といわれるほどとても美しい町です。

cassis view

そして今回訪れたのが La Presqu’ile(ラ プレスキル) というレストラン。ここで”本物のブイヤベ-ス”を楽しんできました。プロヴァンス人いわく、プロヴァンスで本当においしいブイヤベ-スを出してくれるレ ストランを探すのはとても難しいと。観光客呼びに、メニュ-にブイヤベ-スと書いているけれど、実際は、缶詰の魚ス-プに適当に魚介類を入れて煮込んで出 しているだけのところが多いそうです。そういうス-プも一度経験ありの私が今回このレストランで食べたブイヤベ-スは他とは比べ物にならないくらいの絶 品。

cassis restaurant

cassis restaurant

cassis restaurant

レストランは、ビ-チのすぐそばに立っており、眺めも最高。食後にレストラン前にある散策道から白いヨットの浮かぶ青い地中海を満喫し てみてはどうでしょうか。「ギャルソンの対応もとてもいい」とプロヴァンス在住主人の両親も太鼓判を押していました。前々からおいしいブイヤベ-スが食べ たいと言っていたので、お父さんがここを探してくれたんです。真ん中の写真は前菜のマッシュル-ムとトマトソース。そしてその右が”本物のブイヤベ- ス”。とろっとしたス-プで、スープのおかわりは何度でもOK。ギャルソンがテ-ブルに大きなポットを持ってサ-ヴィスしに来てくれます。

そしてカシスと言えば、Cassis Blanc(カシスブラン)と呼ばれるホワイトワイン。このレストランでももちろんブイヤベ-スと一緒にお父さんがオ-ダ-してくれました。魚料理と相性 ピッタリ。おすすめです。町のいたるところにCassis Blancと宣伝がされています。

La Presqu’ile サイトでさらに詳しい情報を。レストランやビ-チの写真も載ってますよ。

La Ste BAUME ラ サント ボーム

カシスでお昼を済ませ、次に向かったのがエクサンプロヴァンスにあるサントボ-ム。日本とは違い岩がむき出しの山々の中を車で走ってい きます。遠くに見える町並みがマルセイユ。くねくねと山道を標高946メ-トル登っていきます。するとそこに現われるのがマグダラのマリア伝説で知られる 洞窟のある山。

mountain

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山の中腹にある洞窟まで40分ほどのハイキングです。この日はあいにくの天気で足元が少し悪かったのです が、天気のいい日であればいい森林浴になりそうですよ。

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cave entrance

岩壁に大きな口をあけた洞窟が見えてきます。ここでマグダラのマリアは30年という月日を祈りに捧げたので す。

cave interier

cave interier

この洞窟内で彼女が体験したさまざまな歴史を思い起こすと思わず涙が出てしまいました。ここで彼女がどんな 思いで、そして未来の私たちのことをどんな風に考えていたのだろうと想像すると、なんともいえない気分になってしまいました。いまだにおろかに闘い続けて いる人間がいることを悲しく感じます。雫の落ちる洞窟内は、まるで彼女が今もそこにいて泣いているような気がします。

マグダラのマリア伝説

Magdalene(マグダラの)とはエルサレムからそんなに遠くないMagdalum(マグダラム)とい う壁に囲まれた町からきています。彼女は高貴な出身で、この土地を所有していました。しかし、キリストの昇天後、マグダラのマリアはその全ての所有物を 売って、使徒の元へ進んでいきます。

当時、彼女はその美貌と富のため、肉体的快楽へ走り、”the sinner”(罪人)と呼ばれていました。そこでキリストがおられるというSimon the leperの家へと向かうのです。罪人であるため、そこでは正義の人々と交わることができず、いつも一歩下がりながら、彼女の涙でキリストの足を洗い、彼 女の髪でぬぐい、貴重な軟膏でその足を労わっていました。

Simon the Phariseeは「もしこのお方が預言者であるのなら、罪深い女性が彼に触れることは許さないだろうと」とマグダラのマリアの存在をいいものと思ってい ませんでした。しかしキリストは彼を叱責し、マグダラのマリアに全ての罪は許されると説いたのです。キリストは彼女から7つの悪を取り除き、彼の愛情で彼 女を満たしたのです。そしてマリアはキリストの近しい家族の一員となり、家事などの手伝いをしてキリスト一行を支援していきました。その後も、不貞であ る、怠惰である、浪費家であるなどと周りの使徒から呼ばれながらも、キリストは常に彼女をかばい、彼女への愛のため、彼女の兄を生き返らせたりといくつも の奇跡を起こさせました。

キリストの昇天から約14年、ユダヤがキリスト信者をエルサレムから追い出そうとしている頃、キリストの弟 子達はさまざまな国へキリストの教えを伝えるために分散して行きました。また、マグダラのマリア、兄のラザラス、キリストによって目が見えるようになった と言われるセドニアス、そして多くのキリスト教信者が、途中でおぼれて死んでしまうようにと、先導も舵もついていない船に乗せられ海へと流されてしまいま す。しかし神の意思により、彼らはなんとマルセイユにたどり着いたのです。

そこでマグダラのマリアは、マルセイユの人々が神殿に集まり、偶像に生贄を差し出しているのを目撃します。 彼女は彼らに穏やかな言葉で偶像崇拝をやめるように諭し、キリスト教を熱心に説いたのです。

そしてそんな中、マルセイユの長官が子孫に恵まれるようにと妻と共に、生贄を差し出し神に祈りを捧げにやっ てきました。マグダラのマリアは彼にキリストを説き生贄をやめさせよとしました。数日後、マリアは長官の妻の前に幻影となって現れます。「あなた達はこん なに裕福なのに、どうして神の聖徒たちを飢えや寒さで殺してしまうのですか?」と。そしてさらに「あなたの夫に神の聖徒たちを解放するように説得しなけれ ば、あなたは神の罰をうけるでしょう。」と。二日目、さらに三日目、再度マリアが今度は夫婦二人の前に幻影として現れます。まるで家全体が燃えているかの ように彼女の顔は高潮し怒りで震えながら、「悪魔の手先、暴君よ、私のお告げを伝えなかった腹黒い人と共に眠っているのですね。神の敵、あなたの貪欲さは たくさんの食べ物で満たされていることでしょう。神の聖徒が飢えや渇きで滅びようとしている時に。家もなく死にそうになっている人々を見た後にシルクのよ うな布をまとって横たわっているのですね。そんな貧しい彼らに手を伸ばすことを拒んでいる罪は逃れられません。」と。

夫婦は目覚め、恐れで震え上がります。そしてキリスト教信者たちに住まいや必需品を提供することにしまし た。

ある日、マグダラのマリアが説教していると、その長官がマリアに、「あなたの説く信仰を守り抜くことができ ますか?」とたずねました。マリアは「もちろん。私の信念は毎日の奇跡とロ-マに住む私の師Peterについて説くことによって強く固められています。」 と。長官とその妻は、「もしあなたが説く神から私達に息子を授けさせくれることができるなら、私達はあなたのいうことを何でもする準備ができています。」 と。そして、マリアは神に彼らに息子を授けるようにと祈りました。そして妻は子どもを授かったのです。

すると今度は、マリアの説くことが本当なのかどうか確かめるために、その夫婦は使徒Peterへ会いにロ- マへと航海するのです。そこでマリアは彼らの肩に魔よけとして十字架のサインをつけてやりました。

困難な航海中に、妻が突如陣痛を起こし、息子を産んだ瞬間に息絶えてしまいました。生まれたばかりの赤ん坊 は死んだ母親の胸の暖かさを求め、泣きじゃくっています。長官はなす術もなく、途方にくれ、船乗り達は遺体を海に投げ捨てるようにとせがみます。

すると突然目前に丘のある岸が現れたのです。そして長官は、海に投げ捨てるより、遺体と赤ん坊を岸へと置い てやるほうがいいと思いました。母親の胸の間に生まれたばかりの赤ん坊を置き、長官は「マグダラのマリアよ、あなたがマルセイユへたどり着いた時、あなた は私に破滅をもたらしたのか。なんて不幸なんだ。あなたは神に私達に息子を授かるように祈ってくれなかったのですか?妻は妊娠したがお産で亡くなってしま いました。これがあなたの祈ったことなのですか?あなたの力で、母親の魂を呼び起こし、あなたの祈りでこの子の命をお助け下さい。」と言いながら、その遺 体と赤ん坊を彼の外套で包み、船へと戻っていきました。

船はその後ロ-マへ着きます。長官は使徒Peterと共にエルサレムへ行き、キリストが説教した場所や、奇 跡を起こしたと言われる場所などへ連れて行ってもらいます。そして信仰の心得を教えられます。約2年が過ぎ、長官はマルセイユへ帰ることに。

ロ-マへの航海中、亡くなった妻と赤ん坊を残してきた丘に近づいてきました。するとそこには、見覚えのある 外套の下に隠れて母親の胸で子どもが見たこともない光景に怖がっている様子が見えてきました。そうそれは二年前に置いてきた彼の息子だったのです。長官は 陸に上がり、その少年を抱き上げ、「マグダラマリアよ、私の妻が生きていてくれて、一緒にマルセイユへもどれたならば、なんて幸せなことだろう。あなたの 祈りでこの子が二年間生きていたことは確かなことです。そして今度は私の妻をよみがえらせてくれることでしょう。」と。

すると、その言葉が発せられた瞬間、女性が息を吹き返したのです。そして、「私は、マグダラのマリアの力 で、あなたと共にいることができました。」と、長官の見てきたキリストの訪れた場所や奇跡をひとつ残らず説明したのです。そして三人一緒にマルセイユへと 戻っていったのです。

三人は洗礼を受けたあと、マルセイユにある偶像崇拝の寺を全て取り壊し、キリストのための教会を建てたので す。そして町の司教にラザラスを選び、その後神の意思により、エクサンプロヴヴァンスへと移っていき、多くの奇跡によってそこに住む人々たちにもキリスト 教が受け入れられていきました。

この頃、マグダラのマリアは、現世から離れ祈りと瞑想に自身を捧げたいと望み、30年間天使によって築かれ た場所で誰にも知られずに暮らしました。

(Saint Mary Magdalene – Golden legend- 訳 aki )

現在でもここプロヴァンスではこのマグダラマリア信仰が強く残っています。マルセイユにある教会には多く黒いマリアの像が見かけられま すが、これは聖母マリアでなく、このマグダのマリアであると言う説が聞かれます。

サントロペ(プロヴァンス)

地中海に面したマルセイユとニースのちょうど中間に位置する小さな町サントロペ。うちの主人が生まれた町でもあります。

Saint-Tropez : サントロペの歴史

この町の歴史は、ある伝説から始まります。皇帝ネロの時代にTropez(トロペ)という人物が存在し、彼は皇帝に逆らい打ち首となってしまいます。その遺体は船に乗せられ、海へと投げ捨てられ、この岸に漂流してたどり着いたという話です。

9世紀には、ポワティエの戦いに破れ、サラセン人がこの地に稜塞を築きます。15世紀から17世紀にかけては自治共和国として発展 し、ちょうどこの頃、要塞 が建てられます。

さらに時は過ぎて19世紀、港での貿易が盛んになり、主にロゼワインやコルク用の樫の木や栗の木などが扱われたそうです。またナポレオン3世の公使が現在のMoutte Castle(ムットゥ城)を購入し、その後アーティストたちがこの城を発見し、モーパッサンやシニャックさらに はマティスなどがこの町の虜となってし まったそうです。

そして20世紀に入り、さらに多くの芸術家や作家などがこの町に集まってきます。その中でも特に銀幕の女王Brigitte Bardotブリジット・バルドーが世界にこの街の名を広めました(映画「素直な悪女」の撮影地)。そして今でも多くの芸能人がここに集まり、また別荘などの数も多いんだそうです。

サントロペのおすすめポイント

mapクリックすると拡大します。

old port

Nouveau Port:新港

町の大きな駐車場から町の中心へと向かう途中、この港を歩いてみてください。ここには数え切れないほどたく さん、また計算できないほ ど高級なヨットが停泊しています。

ここサントロペは上にも述べたように世界からリッチな人々が集まり、フランス一プライドの高い町としても有名なんです。それ故、ヨットも格別超豪華 で、ついつい見とれてしまいます。どんな人が所有しているんだろう・・・なんて。船の中に高級な家具やソファーを置き、壁には美しい絵が飾られ、ほとんど 家の中と変わらない様子。そして、そのまた奥にも部屋があってという感じで、いつの間にか覗き込んでしまいました。

そして港から離れて遠くには、まさに今そのヨットで 地中海クルーズを楽しんでいる景色が眺められます。青い海に白いヨットは本当に絵の中の世界です。

Vieux Port:旧港

新港を過ぎると少し開けた空間に出ます。ここが旧港で、カフェやレストラン、絵描きさん、またお土産やさんなどが集まっています。

この港のすぐそばにあるフィッシャーマーケットには、とてもきれいなデザインの壁があります。このデザインは、なんと私の主人のお父さんがデザインしたもので、もしサントロペにいかれたらのぞいて見てください。

fish  market
旧港の少し裏手にあるフィッシュマーケット。
この日は午後訪れましたが午前中には実際に魚を売っています。

旧港辺りで少しお茶をした後、ぐるっとこの港をお店沿いに歩いて海岸方面に進んでいってください。 そこから海岸線沿いに散歩道のような小道ができており、地中海を左手に、ゆっくりと景色が楽しめます。少し古いサントロペの建物もこの風景の中に溶け込み、なんともいえない落ち着いた雰囲気に浸れます。

では、ここから少し海岸沿いを 散策してみましょう。

the sea

the sea
地中海の青、空の青。なんともいえない青です。

the sea

the  beach
入り江がたくさんあ り、小さな砂浜のビーチが現れます。
そこで人々は、泳いだ り、ビーチバレーをしたり、あるいは絵を描いたりして楽しんでいます。

the sea

the sea
しばらく歩いたら、後ろを振り返ってみてください。きれいな景色が背後にもあります。

Citadelle:要塞

海外線の小道を歩ききると丘にぶつかります。そしてここからサントロペの町を眺めると、まず中心にあるカ ラフルな教会が、目に入ってきます。

citadelle

forest

そしてさらに、ここから頂上を目指して上っていくと要塞への入り口が見えてきます。ここで入場券を購入しさらに中へ進んでいきます。結構いい運動になる距離です。建物の中にはいくつかの部屋があり歴史や当時の様子を表す絵や展示品などが置かれています。さら に、階段を上って屋上へ出ると、サントロペの町そして地中海が一望できます。ここからの眺めは特にお勧めです。本当に絵の中の世界です。

the sea
要塞の屋上からの眺め。はるか向こうまで白いヨットが浮かんで見えます。

Musée de l’Annonciade:アノンシアドゥ美術館

旧港へ戻り、一息ついたら、ちょうど港の角に位置する、一見美術館には見えないような建物があります。以前は教会だったそうで、知らないと通り過ぎてしまうかもしれませんが、中にはシニャックなど見逃せない画家の作品が多く 展示してあります。私の好きなスーラの作品を見つけたときには、とてもびっくりしました。パリのオルセー美術館にある彼の作品「サーカス」が有名ですね。 このサントロペにある彼の絵は小さなものですが、探してみてください。

Place des Lices:リス公園

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港から今度は、ブティックが立ち並ぶ町の中心を歩いていくと、大きな広場に出ます。ここにはカフェが何件か並び、木陰で人々がくつろ いでいます。またペタンクを観戦することもできます。ペタンクは【プロヴァンスの町マルセイユ】で 説明しています。とても落ち着いていてくつろげる広場で す。また少し高級なイメージから離れ、庶民的な感じのする場所です。

サントロペは5千人ほどの小さな町ですが、高級ブティックなどが数多く並ぶ活気のある町でもあります。しか し少しエリアを変えると、静かで落ち着く風 景が現れ、散策の楽しみにもなるでしょう。石畳の狭い路地に入っていくと小さなア-トギャラリーやかわいらしいお店が発見できます。少し迷路のような町で すね。そして一度行くと芸術家たちのようにこの町の虜になってしまうかもしれません。もちろんこのサントロペ周辺にはさらにたくさんこのような小さな町が点在しています。海岸線沿いにドラ イヴしてみるのもいいでしょう。

サングラスと帽子を忘れずに。

サントロペ公式サイト