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ヴォルヴィコント城

Chateau de Vaux-Le-Vicomte ヴォルヴィコント城
ヴォルヴィコントとはルイ14世に仕える財務長官Nicolas Fouguet二コラ・フーケの地所です。財宝の数々で埋め尽くされた彼の城は、17世紀中頃、他のどんな貴族も真似できないほど近代的でエレガントな傑作と称されていました。

ところが、このような華やかさが太陽王ルイ14世の嫉妬を招き、フーケは牢獄され、のちにヴェルサイユ宮殿がフーケの築いたヴォルヴィ コント城を元に建てられることになります。

ヴォルヴィコント城への行き方
Metroメトロ・シャトレーもしくはリヨン駅でRER D(パリ市内近郊を走る電車)に乗り、一時間ほどすると終点Melun ムランに着きます。そしてそこからは駅前から出ている専用シャトルバスを利用します(往復7ユーロ/4月から10月までの週末と祝日運 行/時刻表など詳細はホームページにて)。ちょっとそのバス停を探すのに手間取ってしまいましたが、カフェの並ぶ通りに立っています。出発時間の20分前 にはバスが到着し、それまでどこにいたのか不思議なくらいたくさんの人々がやって来ました。そして出発。街中を抜け、木々に囲まれた細道を進み20分ほどするとヴォルヴィコント城に着きます。


クリックす ると拡大します。

ヴォルヴィコント城内

Les Charmilles
バスを降り、城構内へ進んでいくと、まずお土産やさんとレストランがあります。お天気も良かったのでたくさんの人々がランチを楽しんでいました。5月から 10月の間の平日オープン。

The carriage museum(馬車博物館)
さらに奥へ進むと、馬車のコレクションが展示してある建物があります。左下の黄色い馬車は猟をした後に獲物を入れておくためのものだそうです。そんな馬車があるなんて知りませんでした。他にも子供用のポニー馬車など、たくさんの馬車が保存してあり、どれだけ裕福であったかが実感できます。

Chateau de Vaux-Le-Vicomte ヴォルヴィコント城
そして少し歩いて、お城へと到着。水に囲まれたお城はどこか訪問客を潤してくれます。

城内は見所がたくさん。これもあれもと説明を読みながら見学していきます。絵画などには当時の古いフランス語で説明がされていたりする ので、その言語にも興味津々となりながら見て回りました。昔のフランス語はラテン語に近かったので余分な部分が省略されて、現在のフランス語のアクサンが 生まれたんだそうです(フランス語アクサン記号の謎参照)。

下の絵は二コラ・フーケが裁判にかけられている様子です。ただの嫉妬で刑にかけられるなんて当時の絶対王政の力がうかがえます。

またにニコラ・フーケと親交のあった人物には寓話作家ラ・フォンテーヌの名前も。フランスではイソップ童話の紹介や他にも数々の寓話を 残し人々に親しまれています。絶対王政の中、王に向かって直接批判をすることはできなかったので、彼は彼の作品の中で、王をライオンと例え非難を表していたそうです。(関連ぺージ:観光/ラヌ ラグ公園

そしてこちら(左下)は当時のバスルーム。中央のちょっと長めの椅子のような形のものがお風呂です。そこに手前にある入れ物でお湯を入れたそうです。また右端の穴の開いた椅子が【トイレ】です。うーん、こんな普通の部屋の中でバスタイムは落ち着かない。右下の写真は寝室。昔の人は小さかったんですね。こんなスペースに私はおさまりません。

こちらはニコラ・フーケの書斎、方形の大部屋と王家の控えの間。ここでどんな本を読んでどんなことを考えていたのでしょうか。

ブッフェ広間はフーケの旧食堂。それ以前の時代では、主人や客のいる部屋に料理が運ばれていたので史上最初の食堂と言われています。右はワインセラー。

そして鉄仮面伝説。当時の王政下で牢獄された人物の中に鉄の仮面をかぶった囚人がいたそうです。仮面には鍵がかけられており、一言も口を聞かなかったそうです。そして彼の顔を見たものは全て処刑されてしまったという。ある説によるとルイ14世の双子の兄弟だったのではないかとも言われてます。それも本当かどうかは闇の中。いまだに誰だったのか、その話自体本当にあったことなのかも分からないままです。そしてニコラ・フーケはこの人物のことを知っていたのかどうか。

見所はまだまだ他にもたくさん。ヴェルサイユ宮殿のモデルにもなっただけあって、造りも良く似ているところがあります。比較しながら見 学してみるとおもしろいかもしれませんね。

途中にはDome visit(展望台見学/別料金)があり、美しい庭園を一望もできます。

ヴォルヴィコント庭園
では次はヴォルヴィコント庭園へ。この庭園を設計したのは、後ヴェルサイユ宮殿も手がけることになる造園家ル・ノートルです。彼の功績を称え、彼に与えられたシンボルがこちらキャベツとカタツムリ(右下)。城内にLe Notre exhibitoinが 設けられているので、そこで彼の作品について知ることができます。

この庭園は土地の傾斜など緻密に計算がされており、数学の知識が至るところに張り巡らされています。広大な敷地の中に置かれた大きな噴水のおかげで、城は実際よりも近くに見えるという目の錯覚が起こります。そう、近そうでものすごく遠いんです。川を挟んだ向こう側の丘に像が立っており、そこまで行くのにそんなかからないだろうと思って歩いて行くのですが、結構時間がかかる。そしてそこから城を見返すとそんな遠くにあるような気がしない(不思議)。それどころか手前にある大きな噴水の水に城が映っているのまで見えてしまう。

写真では伝えきれませんが、城から徐々に離れていきます。

ちょっとここで休憩。川の手前まで着ました。
夏には噴水ショーや花火もあります。きれいでしょうね。

城を川を挟んで反対の丘から見た眺めです。

丘の上では歩いて来た人々がそれぞれに休息をとっています。私たちも草の上に寝転がってちょっと休憩。
緑に包まれ、のーんびりとできました。

ヴェルサイユ宮殿もいいですが、その元になったお城を訪ねてみる価値があります。

Chateau de Vauxt-le-Vicomte
77950 MAINCY

TEL: 01 64 14 41 90
FAX: 01 60 69 90 85
オフィシャルサイト

オープン
3月24日~11月11日の毎日(2007年度) *7月6日、7日を除く
10:00am~5:30pm  *平日 1:00pm~2:00pm  お城は閉まっています。

12月22日(2007)~1月6日(2008) *12月25日、1月1日を除く
10:00am~6:30pm

詳細は上のオフィシャルサイトにて確認してください。

イベント
またここヴォルヴィコントでは年間を通していろんなイベントが企画されています。サイトで詳しくチェックしてみてください。

(2007年度のイベント情報)

・17世紀のコスチューム/ランチパーティ 6月17日(2007)

・ヴォルヴィコント夏のパーティ 8月14日(2007) 野外劇、音楽、花火

・屋外オペラ [Le Barbier de Seville] 9月6日~9月9日(2007)

・バロック音楽コンサート 10月20日(2007)

・ヴォルヴィコントクリスマス 城内庭園がクリスマスデコレーションされます。 12月22日(2007)~1月6日(2008)

・キャンドルライト 8:00pm~11:00pm 7月、8月の毎金曜日(7月6日を除く)。5月5日~10月6日の毎週土曜日(7 月7日と9月8日を除く)。

・噴水ショー 3月24日~10月27日 3:00pm~6:00pm 毎月第2と最終土曜日。

パリからのツアー
Paris Vision: 01 42 60 30 01
Euroscope: 01 49 46 24 50
Paris Trip: 01 42 12 86 76

アクサン記号の謎

フランス語は、読めて話せても書けない人が多いといいますが、実にルールが細かい。その中の一つがアクサン記号。日常では英語がほとんどの私にとっ て、「フランス語を書く」という作業はいつマスターされることやら。いやマスターすることはおそらくないでしょう。難しい。

そこで先日訪れたヴォルヴィコント城で見つけた絵の説明で、古いフランス語を発見。あるアクサンのルーツが隠されていたのです。

Chasteau de la Bastille du costé de la rue…

現代フランス語にすると

Château de la Bastille du côté de la rue …

(aとo の上に山型のアクサンがついています。最後の箇所はeにアクサン・グラーヴ)

この山型アクサン記号はアクサン・スィルコンフレクスと呼ばれるもので、そこにはsが隠れているのです。古いフランス語はラテン語に近 く、いつも音のないがスペルの中に入っていたそうです。そこでそれを省略し、このアクサンが生まれたそうです。おも しろいですよね。

例えば、カタカナで日本語にも取り入れられている「フェスティバル(祝祭の意)」は英語で書くとfestival。 そのルーツをたどっていくとfesteがあり、そしてそのsが省略されフランス語のfêteが 出来上がります。

フランス人でも間違える

フランス語は文法が分かっていても発音ができなかったりと日本人には困難の多い言語です(少なくとも、私にとっては)。先日マクドナルドでエスプ レッソを頼み、お砂糖が欲しかったので sucre s’il vous plait「シュク(ル) シル ヴ プレ」と言ったところ、店員さんが「ショコラ?」と。私のシュク(ル)はシュガーのシュになっていたのです。それがショに聞こえたのかな。主人にそのことを話したら、「シュじゃなくてスュ。でもそれにしても通じなくはないはずだよ。何でショコラに聞こえるんだ?フランス語のできないフランス人も多いからね」と。

主人の話によると、フランス語のできないフランス人は特に最近になり目立ち、そのひどさがものすごいんだそうです。例えば、アクサンのつけ方を知らないので、それによってaとアクサン付きaの使い分けができなかったりする。もちろん動詞の語尾変化なども書けないことがあります。あるいはまた単語そのもの自体を知らないこともあるそう(語彙不足)。

そして先日、あるフランス人のフランス語能力のレベルにかなりショックを受けて主人が帰ってきました。職場でコンピューターを設置する ためにamenager(アメナジェ)「(部屋/家)を整備する、改修する」という単語を使っていたらしいのですが、どうしても意味が通じず、よく聞いてみるとそのフランス人はamenager(アメナジェ)をemmenager(アンメナジェ)「(新居に)入居する」と思っていたそうです。そうそのフラ ンス人はamenager(アメナジェ)という単語を知らなかったのです。これは辞書にも学習必要度の高い単語として星マークがついています。フランス人にとったらなんでもない単語なのでしょう(私はまだ勉強してませんでしたが…)。

また、職場トレーニングで来ている若者のレポートなどもチェックするそうなのですが、これがまたかなりひどいらしく主人は嘆いていまし た。ミススペルはもちろん、文章に動詞が抜けていたりと…。

フランスも今の日本と同様、一昔前までは厳しい教育を受けてきたそうですが、現在は緩みすぎて能力が低下しているそうです。フランス語 のライティングにしろ、主人の両親いわく昔はきっちり間違いなく書けるまで練習させられたものが、今ではほとんど時間をかけない。悲しいことですよね。私 もたまには日本語の本を読まなければ…。漢字を忘れてしまいます。でも今の学生さんは外科を「がいか」、意図を「いず」ですからね。頑張りましょう。

house

amenager(アメナジェ)「(部屋/家)を整備する、改修する」

amenager sa nouvelle maison 「新居を整備する」つまり家具などを取り付けること。

emmenager(アンメナジェ)「(新居に)入居する」

emmenager dans un nouvel apartement 「新しいアパートに入居する」

ちなみにdemenager(デメナジェ)は「旧宅を引き払う」 です。

つまり、demenager(デメナジェ)した後に、emmenager(アンメナジェ)して、amenager(アメナジェ)するん ですね。覚えておきましょう。

*アクサンは省略してあります。

くすぐりにやって来る

テレビで体操の世界選手権を見ていた時のことです。ある選手が競技を終えスコアが出た後に、解説者が“Il vient le chatouiller.” (イル ヴィアン ル シャトゥイエ) と言ったのです。訳すと「彼は(別の)彼をくすぐりにやって来る」です。なぜ”くすぐる”なのか、またいつもの好奇心で辞書を引いたのですが、そんな言い回しは載っていませんでした。

gymnast

そこでうちの生きたフランス語辞書に質問してみることに。するとうちの主人は、「これは口語だから、辞書には載ってないかもね。くすぐ りにやってくるとはつまり前をリードする選手に追いつきそうだということ。」

面白い表現ですよね。

chatouiller シャトゥイエ 「くすぐる」

Ca me chatouille. サ ム シャトゥイュ  「くすぐったい」
Ca chatouille la curiosite. サ シャトゥイュ ラ キュリオシテ   「好奇心をそそる」

どうでしょう、好奇心をそそられたでしょうか。いろんなことに興味を持って追求してみましょう。

*アクサンは省略してあります。

ジベルニー

モネが暮らしたことで有名な村、ジヴェルニー。パリから北西へ約88キロのところに位置します。

行き方

パリからはサン・ラザール駅でルーアン(Rouen)行きなどに乗り、ヴェルノン(Vernon)で降ります。電車によって停車駅数が異なるので1時間半かかる場合もあるし、私たちの場合は45分ほどで着く電車を利用しました。SNCFのサイトで運賃料金を比較すると料金の差も分かりやすいですよ。私たちは一番安かったチケット片道11.60€。

ヴェルノン駅に着いたら、ジヴェルニーへアクセスする方法は3つ。まずは駅前にあるバス停からバスで。私たちは駅前のカフェで自転車を 借りました(一台一日10€)。お天気も良かったのでサイクリングがてら、のんびりとジベルニーまで楽しむことができたし、多分バスからは見えないまたは 味わえない雰囲気が味わえてとてもよかったです。そしてその途中には歩いてジヴェルニーへ向かう人も何人かいました。のんびりぶらぶらとするのもいいかも しれません。

セーヌ側沿いに車道が走っているのですが、そこから少し奥の山側に自転車と歩行者用の道が設けてあります。上の写真のようにまっすぐと自転車をこいでいきます。この日は朝早かったので人はまだ見かけませんでしたが、帰りには地元の子供たちが三輪車に乗って遊んでいたり、ベンチで本を読んだりおしゃべりしている人、さらに散歩をしている人などたくさん見かけました。

そして専用道を抜けると、Rue Claude MONET クロード モネ通り。モネの家が近づいてきます。

こちらは同じ通りに立っている教会。この右隣に色とりどりの花々でいっぱいにされたモネのお墓がありました。

モネの家

そしてようやくモネの家へと到着。そこには朝10時に着きましたが祝日ともあってもうすでに結構人が並んでいました。小さな入り口でチ ケットを買い(5.50€)、階段を下りて行くとまずそこはお土産売り場。そして花々がちりばめられた庭へと続きます。

花々に埋め尽くされた庭を歩いていると、甘い香りに心も癒されるような気がします。今回の写真は4月のもの。チューリップやパンジーが たくさん咲いていました。これから夏にかけていろんな花を咲かせるんでしょうね。

そしてこちらがモネの家。淡いピンクとグリーンが庭ととてもマッチしています。こんなところで毎日花々を眺めながら暮らせるなんていいなあと。

内部に入ると、まずモネが収集した日本の浮世絵版画が所狭しと飾られているのに驚きました。いきなりタイムスリップしてしまったような 気分に。「日本の浮世絵には動きがある」といってモネは賞賛していたそうです。その中には当時の日本人が見たアメリカ人、イギリス人、オランダ人、ポルトガル人、ロシア人などの絵があり、それを興味津々となって西洋人たちが眺めていました。うちの主人もとても興味深いと見入っていました。そして一階の奥に はモネのアトリエや目がちかちかしそうなくらい青いキッチン、黄色いダイニングルームとあり、二階へあがるとベッドルームなどがありました。二階から見る庭の景色も素晴らしかったですよ。

そしてさらにモネの代表作「睡蓮の池」のモデルとなった日本式庭園と向かいます。連絡路を通って車道の下をくぐり反対側へと移動。大きな柳と蓮が特徴的なあの池へとやってきました。

この池を囲むように散策路が作られておりぐるっと一周することができます。本当に絵の中を歩いているかのような気分。幻 想的な雰囲気です。睡蓮は時期としては4月は早すぎましたが、それでも充分満足。水面に映った木々や草花とのコントラストがとても美しかったです。ここで あの大作が描かれたのだなあと。

そんな興奮感に浸りながらしばらく庭に用意されたベンチで一休み。自然の美しさをゆっくりと鑑賞させてもらいました。

モネと睡蓮

睡蓮はモネが1890年代から描き始めた連作です。1899年から1926年に彼が亡くなるまで、ここジヴェルニーの睡蓮の池で200 点以上の作品を描きあげました。1890年代の作品には岸に生える柳や木、池に架かる日本風の橋などがモチーフとされていましたが、1900年代になる と、画面が全て水面で埋め尽くされ、水面に浮かぶ睡蓮や水草、水面に映る空や樹木などが描かれるようになりました。晩年は白内障を患い、失明寸前状態とな り、彼の作品は徐々に抽象的になっていきました。

ここモネの家では彼の作品ではなくほとんどが日本の浮世絵版画で覆われています。彼の作品をうかがうためにはパリにあるオランジュリー美術館そしてマルモッタン美術館に足を運びま しょう。モネを追ってフランスの旅もいいですね。

そして私たちは、帰るまでにまだ時間に余裕があったので、しばらくサイクリングを楽しみ、サンドイッチを買って草むらの上でピクニッ ク。日光浴がてらにそこでしばらくうたた寝をしてから駅へと向かいました。ひっそりとたたずんだ村の中には、たくさんのB&Bや農家自家製サイ ダーなどのサインをみつけました。暑かったけれど新鮮な空気がたくさん吸えた一日でした。

Fondation Claude Monet

86, rue Claude Monet – 27620 Giverny
TEL : 02 32 51 28 21

ホームぺージ

オープン
9:30~18:00
休み:月曜、11月~3月 月曜日でも祝日に当たると開いているそうです。サイトで確認を。
入園料: 5.50€(大人)