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フランス環境問題(大気汚染対策)

【大気汚染】
世界中どこの大都市に住んでいようとも感じるのは新鮮な空気を吸いたいということ。東京にいた時には、アパートの窓に高速道路からの「すす」がたまっていたり、ロスアンジェルスにいた時にはよく飛行機の窓から灰色がかったスモッグの層を眺めていました。そしてパリ。ここもまた自動車が所狭しと走り回ってい ます。こんな狭い所にそんな車はいらないでしょうと思うような大きな車が走っていたり、通りには人間の数より駐車されている車の数のほうが多かったり。どこも同じです。

では、自動車の排気ガスがどのくらい世界各国で排出されているか見てみましょう。ここでは窒素酸化物に着目。自動車の排気ガスがもとで発生する酸化物で、光化学スモッグや酸性雨などの原因となります。その他、大気汚染物 質には硫黄酸化物(大気汚染や酸性雨などの原因となる酸化物で,石油や石炭など硫黄分が含まれる化石燃料の燃焼により発生するもの)、一酸化炭素、非メタン炭化水素が含まれます。

窒素酸化物総排出量2002年
(1,000トン)
1人当たりの排出量2002年
(kg)
日本 2,018 15.8
韓国 1,136(1999年)
トルコ 951 14.1
アメリカ 65.3
カナダ 2,459 78.4
メキシコ 1,152(1998年)
アイスランド 26 90.5
アイルランド 121 31.0
イギリス 1,587 26.3
イタリア 1,267 21.8
オランダ 430 26.6
ギリシャ 318 28.9
スイス 90 12.4
スウェーデン 242 27.1
スペイン 1,432 34.8
デンマーク 191 35.5
ドイツ 1,417 17.2
ノルウェー 213 46.9
フィンランド 211 40.5
フランス 1,350 22.7
ポルトガル 288 27.8
オーストラリア 1,691 86.0
ニュージーランド 204 51.8

出典:OECD, OECD Environmental Data Compendium 2004

世界中で懸念されている環境問題。次はパリで行なわれている主な対策方法をご紹介していきましょう。

パリのトラム
フランスパリでは、2006年12月16日に、約70年ぶりに路面電車が復活。自動車によって占領されてしまったパリの町を、クリーンな交通手段で緩和させようというねらい。もともとパリに路面電車が登場したのは19世紀。地下鉄や自動車の普及にともなって姿を消してしまっていました。パリ市内の交通渋滞 や排気ガス汚染対策として見直され、今回パリ南部に一部開通。路線には芝生も敷き詰めてあり環境にやさしい交通機関を目指します。今後はパリを囲むように 路線が延長されていく予定です。


トラムウェイパリ オフィシャルサイト

パリのレンタルサイクル
同じくパリ。2007年7月15日、パリのレンタルサイクルが始動。フランス語の自転車「veloヴェロ」と自由の「liberiteリベルテ」を掛け合 わせて「Velib’ ヴェリブ」という名前。こちらも車増加による交通渋滞を解消し、大気汚染も減らそうという環境対策の一環で、世界の主要都市で初の大規模な政策となりま す。

300メートルおきに750箇所の駐輪場が置かれ、1万600台の自転車が用意されています。2007年度末までに駐輪場の数は2倍 (1451箇所)に増やされ、自転車も2万600台に拡大される予定。自転車を利用したい人は、自転車を借り、目的地近くの駐輪所に戻せばよい。毎日24 時間常に利用可能。まずは専用カード購入から。
カード1日用  —1ユーロ
カード1週間用—5ユーロ
カート1年間用—29ユーロ
専用申し込み用紙は郵便局や役所、またインターネットなどで手に入ります。14歳から17歳の若者は親の承認が必要。

コンセプトはシンプルですが、ヴェリブは都市の戦略的思考、計算が必要とされます。それは、これらの利用料ははじめの30分のみで、次 の30分で1ユーロ、次の30分で2ユーロと順次高くなっていくのです。そして1時間30分が過ぎると、30分ごとに4ユーロが追加される計算。もちろん 30分ごとに駐輪場に戻して乗り継げばカード代以外は何もかかりません。こういった戦略はヴェリブ自転車が、あくまで短距離使用にのみ活用されることが念頭に置かれているため。自転車を返却しないとクレジットカードから150ユーロが引き落とされることもお忘れなく。

ヴェリブ自転車は、やや重く22kg、毎年2万km走行に耐えられるようデザインされています。前にカゴとと小さなロックがついています。

またパリの他に、リヨンではこのようなレンタルサイクルが2005年にすでに開始されています。リヨンでは「Velo’vヴェロヴ」。

町の人の声は:

パトリシア B (フレンチアメリカン 60歳) 「ヴェリブが成功するとはそんなに思わないわ。だってフランス人って他人の持ち物を 大切にしないもの。特にそれが誰のものでもない時は。」

ピエール C (フレンチ 19歳) 「このプロジェクトは成功すると思うよ。スイスに住んでいた時に同じものがあった。便利だし、行きたい所どこにでも行けるしね。」

キャテリーヌ P (フレンチ 29歳) 「よいイニシアティヴにはなるでしょう。でも私はパリで自転車なんて乗らないわ。早死にしたくないもの。道路の交通安全が心配。」

velib' velib'
ヴェリブ オフィシャルサイト

以上The Paris Times

パリ市によると、すでに約1万人がこのヴェリブプログラムに加入。そして安全のため交通ルールの取締りにも力をそそぐ。交通規則に反するものは、歩行者、自転車利用者、二輪車運転者、あるいは自動車運転者であろうと厳しく取り締まる姿勢。赤信号発進、歩道や一方通行路、またバス専用車線 通行などは主要な違反。罰金は99ユーロ。ヴェリブ開始にともない、より一層自転車利用者に関して詳細に検討する予定。

2006年度、自転車が関わった交通事故数が577件。506人の負傷者と2人の死者。そのうち60パーセントが二輪車と自動車による ミス。バス専用車線を通る乗り物や自転車専用車線を通るバイクなどは厳しく処罰されます。罰金135ユーロ。

以上フリーペーパーMetro

パリの自動車レンタル
パリ市は、自転車レンタルの他、もう一つのオプションを準備中。それは「autopartageオートパルタージュ」、つまり車をシェア(共有)するこ と。すでに2,000人のパリジャンがこのプロジェクトに参加しています。そのプロジェクトでは、最低30分から車を借りられます。いくつかの基準に達す れば、民間のレンタル会社が市のラベルを使用できるというシステムで、自動車は24時間利用可能で、使用15分前まで予約が可能なこと、そして車はヨー ロッパの大気汚染対策項目に対応していることなどが条件。1990年代に、この車をシェアするというアイデアが成功しているスイス、ドイツ、オランダで は、6~10台分の自動車が1台のシェア自動車によって置き換えられています。

以上The Paris Times

自動車数減少傾向
2006年度のパリ市公共交通機関の総合評価で、2005年に比べMetro(地下鉄)利用が2.7パーセント、RER(パリ市内近郊線)が1.4パーセ ント、Noctilien(夜間バス)が31パーセントそれそれ上昇したことを発表。バスは工事のため2006年度には1.4パーセント減少していたが、 再度上昇傾向。自動車による移動はそれに続き3パーセント減少。二輪車は変動なし。

2007年登場の自転車は2006年度と比べ、すでに44パーセントの伸び。またアクセス可能となった地域 数も11パーセントの上昇(137,000箇所)。さらに2006年度交通事故数は2005年に比べ8パーセント増加。2007年第一四半期においては逆 に2006年度の30人の死亡者に対し、20人の死亡者数。

以上フリーペーパーMetro

ここ数年、パリの様子ががらりと変わりつつあります。トラムウェイが設置され、町のいたる所にはヴェリブの駐輪場が。そして、今まで駐車のためにとってあった道路上のスペースが削り取られ、道が細くされています。何とか自動車数を減らそうという市の取り組みが伝わってきますね。自転車の利用が一般化するのかどうかにも興味がありますが、上で述べられているように交通事故が増えないかどうかという懸念も残ります。町では結構この自転車を利用している人を見かけますが、交通量の多い場所をあの重たい自転車に乗っているのを見るとたまにヒヤッとすることも。

さまざまなプロジェクトが開始され、大きな結果を見るのはまだ先かもしれませんが、成功して大気汚染問題解決への一歩となって欲しいものです。

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フランスの教育

フランスの学校教育
フランスの教育に関するニュースや知人からの話などを聞いてつくづく思うことは、フランスには「競争」というものが無いということです。文化や考え方の違いによって教育の捉え方なども全く異なってくるのだと改めて感じました。

さて、フランスの教育に関する現状ですが、フランスの学校では「競争」どころか、生徒に対してランクや成績をつけることは公平ではないと捉えられていて、能力別にするべきだという意見もあったそうですが、すぐにストライキにあい却下されてしまったそうです。

「競争」が無いので生徒たちはストレスがたまらない。その上、週5日の授業のうち水曜は午前中で終わり。一年で見れば、数ヶ月の夏休 み、クリスマス、スキー休みがそれぞれ数週間、さらに何かしらの祝日があり、またストライキが起こると学校も閉まってしまう場合もある。この国には塾も予備校もないし、休みは完全に休みなのです。

でも休みが多いということは、学校の授業の進度が遅いということもありえます。フランスに住む日本人家族から聞いた話なのですが、フランスで子供のために学校を選ぶ際、フランスのある現地小学校を見学しに行かれたのですが、その時の授業内容が日本のその学年に比べ数年遅れだったということです(日本が詰め込みすぎという考えもできますが…)。

《2006年度更新記事》

フランスに吹き込めるか新しい考え

2006年度、フランスに新しい考えが生まれようとしています。 シラク大統領の後、次期大統領として人気を増してきているニコラ・サルコジ氏。先日テレビ演説がありました

フランス語ができないので主人に要約してもらったことを書くと、サルコジーさんは、フランスの教育は、一新されなければいけないと主張。学校では子供たちに想像力だとか自由なんて教える前に、数学を勉強させるべきだ。そして教師を尊敬する態度を身に付けさせなければいけない。アメリカでは授業の前に国家を歌わせている。フランスでも取り入れるべきだ。昔は何もしなくても何でも手に入った時代であったが今は違う。この国では、もっと働きたい、もっと成功したいと思っても、法で労働時間が週35時間と決まっていて、それ以上働いても手当ても出ない。私が選ばれても、政府が何でも守ってくれるなんて思わないほうがいい、などなど。

その後、主人が、「フランスの子供の多くは学校、学業というものに対して重要視をしていない。学校での出来事で、クラス全員がテストで0点を取 る。それに対してとる教師の対応が問題。生徒が勉強しなかったことを責めるのではなく、難しかったからだと、誰でも解ける簡単なテストでやり直しを させて、みんなが100点を取れるようにアレンジする。大学入試にあたるヴァカロレアも同じ。その年の学生の能力に合わせて難易度が変るようになっている。そんなシステムだと、中学生になっても 計算できなかったり、字が書けなくても当然の事だ。」 と。(2006)

《2007年度更新記事》

こちらは夏のヴァカンス時期によくフランスで売り出される子ども達の復習用教材についての記事です。ちょっと興味深かったので紹介します。


ヴァカンス中の宿題の出しすぎはダメ

夏のヴァカンスによく見かける学習ノートがよく売れている。全体の売り上げは3パーセントにもかかわらず、幼稚園生向けの教材が18.5パーセント伸びている。

こういった結果に対して、専門家達は不審そうな表情をする。「この現象は親の不安による商業的投資を示している。」と教育労働組合幹事。また「親というものは常に就学前に子どもに学習させようとする傾向にある」と幼児教育心理学のある教授は述べる。

その教授によると、親と子どもが接する時間を持つほうが効果的であるということだ。「子どもの認識力や情緒の発展は遊びを持って伸びるものである。滑り台で遊んだり、砂場で他の子と共感しあう方がよっぽどそんな教材を使うより建設的である」と、さらに児童心理学者は言う。「子ども達に嫌な思いをさせる必要は無い。彼らの自由にさせてやりなさい」ということだ。 —-フリーマガジンMetro(2007)より—-

また多くのフランス人は若い子のフランス語がひどいと嘆いています。昔は学校でフランス語が正しく書けるまで練習させられていたけれど、最近は何でも子ども側に立って物事が進み、そのせいで学力が下がっているとか。うちの主人もよく研修で来る学生の文書を確認したりするのですが、読めたものではないと言っています。単語の使い方を知らない、文法を知らない、文の書き方を知らない、何を書いていいか分からない、 中には丸写しで提出するような学生もいるそうです。どこの国も同じような傾向をしていますね。

《2009年度更新記事》

サルコジ大統領となってから、いろんな改革を謳ってきていますがそれほど効果の出たものはいくつあることか・・・・・なかなか新しいことを 取り入れることは困難です。特にフランスは保守的な考え方の人が多い。何かあるとストライキ。

教育の場でも同じです。サルコジ政権のもと、教育改革に取り組んでいるのがダルコス教育相。その内容とは、

  • 教育予算の大幅カット
  • 教師をはじめとする教育労働者の数を大幅削減
  • 職業高校で得られる資格の削減、職業教育年限の短縮など
  • これらを通じて、教育の民営化攻撃を激化させる

フランスは、アメリカ、イギリスに比べ民営化や規制緩和が非常に遅れています。当然今まで教師として地位を保証されていた人たちは猛反対。それも学生を巻き込んでのストライキ。競争のないフランス社会、「弱い人を助けよう」精神はいいのですが、そればかりで進歩がない。助けられるのが当然だと思い自分から改善しようとしない人が増えます。大変な状況だと思います。(フランスの職場と雇用も参考に)。どこの国でも同じですね。

先日見たヴァカロレアについての特集番組では、それをよく表していました。

その番組では、まず、近年学生の学力低下が問題視されており、ヴァカロレアの難易度もそのレベルに合わせ年々簡単になっているとある関係者が嘆いていました。日本のセンター試験は確かマークシートで機械が採点するのに対して、ヴァカロレアは人間が採点します。すると、採点する教師によっ てスコアに開きがでてきます。問題に対して的を得ない回答であっても、何か書いてあればスコアを与えるように上司から指導を受けているという教師がいました。そうしなければ、その教科がヴァカロレアから削除されてしまい、自分たちの立場が危なくなってしまうからだと言っていました(もちろん顔にはモザイ クがかかっていましたが)。教えることでスコアをあげようというのではなく、スコアを改竄することで何とかしようとしているんですね。

知人から聞く話では、レベルの低い子たちの点数が悪くなってしまうから、ヴァカロレアでどんなに良い回答でも高いスコアを与えない教師 がいるという。ヴァカロレアのスコアというのは、採点する教師によってこんな風に影響されてしまうんですね。

そして大学で法律を教えている友達は、「どうやってヴァカロレアに受かったんだろうかと思われるような生徒がいる」と嘆いていました。 日本で言うと、大学で高校の復習をさせなければならない状況と似てますね。

日本もそうですが、フランスも教育改革がこのように重要な問題点として扱われています。

《2010年度更新記事》

フランスのある大学の教授のお話です。

『フランスの大学では学生の能力が年々低下しており、またそれに合わせヴァカロレアの難易度も落ちてきている。大学生になっても高校生で学習するレベルの知識が入っておらず、大学に高校の教師を呼んで授業の補修を行っているケースもある。文章がかけない、計算ができない、また論理的に考えられないのである。競争できるのは医学部くらいのものである』。

やはり日本の大学とフランスの大学、同じですね。高校のレベルにも達していないのになぜ大学にいけるのか。勉学を志すならば一生懸命勉強するだろうし、その気がないのに大学に行くって・・・?

チャンネル2のニュースでも、大学生の学力低下について同じような内容のニュースを伝えていました。例えば、フランス語のスペリングや文法などの問題、あるいは語彙力の欠如など、改善が必要だと。しかし、おもしろいもので必ず違った考えをする人が世の中にはいます。この件に関して「もし学生の学力が低下しているのならば、フランス語のスペリングや文法を簡略化する必要がある」と・・・専門の方が・・・。

またきになる記事があれば追加していきたいと思います。

続く

 

リュクサンブール宮殿と公園

[リュクサンブール宮殿]
美しい庭園に囲まれたリュクサンブール宮殿は、パリ6区、ショッピングで人気のサン・ジェルマン・デ・プレ地区の近くにあります。

もともとは、リュクサンブール公爵のために設計された邸宅でしたが、イタリアからフランス王室に嫁いできた王妃マリー・ド・メディシスのために、彼女の生まれ故郷であるフィレンツェのピッテイ宮殿を模して居城として改築されました。またニコラ・プッサンとフィリップ・ド・シャンパーニュにより内装が手がけられました。

マリー・ド・メディシスがフランスを追放された後は、彼女の孫モンパシエ公爵夫人、プロヴァンス伯爵(後のルイ18世)などが住み、そ して、ナポレオン・ボナパルトが権力を掴んだ歴史的な舞台ともなりました。

また庭園内には、自由の女神像の原型が設置されてます。ちなみに、フランスがアメリカに自由の女神を送ったお礼に、パリに住むアメリカ 人達がフランス革命100年を記念してセーヌ川のグルネル橋に自由の女神を建てました(セーヌ川参考)。

マリー・ド・メディシスの生涯とは
イタリアはフィレンツェの名門メディチ家に生まれ、1600年、27歳の時に、マルグリット・ド・ヴァロワと離婚したばかりのフランス王アンリ4世への元へと嫁いでいきます。この結婚はフランスの財政建て直しのための政略結婚で、アンリ4世はマリーの結婚持参金を目当てにしていました。アンリ4世は女好きでも有名で、生涯で50人もの愛人がいたとも言われています。結婚当初フランス語の話せなかったマリーにとって王宮の暮らしは孤独であり、またそれを紛らすかのように彼女は毎日のように宝石などを購入し浪費に明け暮れていました。

1601年、王太子ルイ13世を出産。彼女の立場が一気に注目を浴びます。アンリ4世もこれを機に放蕩を自重し、マリーを手厚く扱うようになります。しかし、1610年5月14日アンリ4世はパリでフランソワ・ラバイヤックという精神異常者に刺し殺されてしまいます。そしてマリーは後を継いだ息子ルイ13世の摂政としてフランスの重要な責任を負うことになっていきます。

彼女の政策は、アンリ4世時代の宰相を罷免し、イタリアのアンクル元帥という人物を補佐官として重用。フランス国民を思いやったアンリ4世の方針を破棄し、次第に有力貴族達(息子ルイ13世も含め)の不満が高まっていきます。

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「マリーのマルセイユ到着」
ルーヴェンス作
(ルーヴル美術館)

不利な立場へと徐々に追い込まれていったマリーは、有能なリシュリュー枢機卿を登用して何とか形勢を立て直そうとします。しかし息子ルイ13世は、母マリーをブロワ城に幽閉し、リシュリューを自分の補佐官として見方につけてしまいます。1619年、マリーはブロワ城を脱出し、ルイ13世 の弟オルレアン公ガストンと共に反乱軍を起こしますが、これもすぐに鎮圧されてしまい、その後リシュリューの仲介でマリーとルイ13世は和解し、1621 年まで王立議会の一員として政治に関わっていくことになります。

リシュリューがルイ13世の宰相となり政治の実権をつかむと、マリーはリシュリューの失脚を目論見ます。しかしこの時もリシュリューのほうが上で、1613年マリーはフランスを追放、そしてブリュッセルへと亡命します。

アンリ4世とは
ブルボン朝初代のフランス王で、在位中から現在に至るまでフランス国民の間で人気のある王の一人で大アンリ良王アンリと呼ばれます。

プロテスタント派のアンリ4世は、1572年のパリで起きた「サン・バルテルミの虐殺」(カトリック派によるプロテスタント派虐殺事件)の後、宮廷に幽閉されカトリックに強制的に改宗させられてしまいます。宮廷から逃走するとプロテスタントに一時また戻りますが、王位を継承した後にさ らにカトリックへと改宗を発表。これによりカトリックが優勢なフランス国民の広い支持を受けることになります。1594年にシャルトル大聖堂で正式に戴冠 式が行なわれ(シャルトル大聖堂参考)、1598年ナント勅令ではカトリックをフランスの国家的宗教であると宣言しつつも、プロテスタントにカトリックと同等の権利を与えることを認めてい ます。

一方、アンリ4世と妻マルグリット・ド・ヴァロワとは長く別居状態で、子どももいませんでした。そして迎えられたのがメディチ家のマ リー・ド・メディシスでした。2人の間には6人の子どもが生まれています。

大きな業績としては、セーヌ川のポンヌフ橋を中心とした首都パリの再開発計画や、パレ・ロワイヤルやルーブル宮殿の大ギャラリーを建造しました。また北アメリカにサミュエル・ド・シャンプランを探検に派遣させ、これがのちにカナダにフランス植民地が置かれる基礎となっていきます。

そして1610年パリで暗殺された後、遺体はサン・ドニ大聖堂に埋葬されました。その後フランスはルイ13世、14世と絶対王政時代へと進んでいくことになります。

参考:ウィキペディア

[リュクサンブール庭園]

宮殿に付属する広大なルネサンス様式の庭には、90近い彫刻や噴水、花壇などが配置されています。ジョギングする人、本を読む人、日光 浴をする人、人それぞれに公園で過ごしています。


メディシスの噴水。マリー・ド・メディシスの命令により作られました。ここで故郷のイタリアを思ったのでしょうか。


広大な敷地内には花壇が置かれ、花に混ざって野菜が植えられていたり…


木陰で横になったりランチをしたり。宮殿の正面ではミニチュアヨット遊び。

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また敷地内にはたくさんの彫刻も。ライオンの彫刻と宮殿(左)。そして右の写真は肩の凝りそうな彫刻作品。


そしてこちらモンパルナスタワーをバックにポーズ。

また、今回訪れた時には、庭園内に変わったオブジェがあちこちに置かれていて興味をそそられました。こうした企画はよく行なわれているそうなので運がいいとちょっとした美術館めぐりができますね。


作品を一つ一つ見て歩いてみましょう。


こちらは作品に取り組む男性。木の中に女性が埋め込まれたような作品に仕上がっています。


大粒の雨粒?そして今にも歩き出しそうなオブジェ。


こちらは庭園内にある彫刻をアレンジした作品。庭園内が不思議な空間に。


そしてこちらおもしろいものを発見。コインを入れると体重が計れます。
なぜこんなものが…。ジョギング後にでも計るのかな。

公園を歩いていると、その美しい景色に目がとらわれてしまいますが、ちょっとベンチに座って400年前に起 こっていた出来事を思い出してみましょう。違った景色が見えてくるかもしれませんよ。いろんな人々が歴史上にいて、現在の姿があるんですよね。そして現代 に生きる私達が未来の人々にどんなものを残してあげられるのでしょうか。

パリ16区アールヌーボー建築巡り III

パリ16区アールヌー ボー建築巡り I パ リ16区アールヌーボー建築巡り IIに続く第3弾ぺージ。今回はメトロ9番線JasminジャズマンをAuteuilオートイーユへ向かって歩 きます(オートイーユからジャズマンでもいいのですが)。第1弾で紹介したエリアとすぐ近くです。

今回の散策エリアは、

(地域:パリ16区 メトロ9番線 Jasminジャズマン ~ Auteuilオートイーユ

メトロでJasminジャズマンへ行き、そこから歩いてほんの10分足らずの地域にアールヌーボー建築がいくつか点在しています。いつ も通ってるのになあ、今回もまたそう思いながら歩いていました。

Hotel Particulier 3 square Jasmin (1922)
静かな通りに隠れるかのように、周りとは明らかに異なる目を引く建物が。細部にまで細かく装飾がされています。

Immeuble Guimard 18, rue Henri-Heine (1926)
こちらもおもしろいデザインです。でも、この3つの窓がワンセットになっているのはギマールの特徴ですね。

Villa Flore 120 Avenue Mozard (1924)
テトリスのようなデザインです。

Hotel Guimard 122, Avenue Mozard (1913)
ギマール邸。左下の写真が正面、そして右下の写真が側面から撮った写真です。この家の中がどうなっているのか、興味をそそられます。

地上階はギマールの設計スタジオ、上の階は画家であったギマール夫人のアトリエ、そしてその間の階が居住空間だったそうです。

迫力のある門構え。なんだか飲み込まれそうな感じがします。

Immeuble de graconnieres 36, rue Greuze (1927)
こちらは、ちょっと離れてしまいますが、メトロJasminから2つ行ったRue de la Pompe(ルー・ドゥ・ラ・ポンプ)にある建物です。

Immeuble de rapport 38, rue Greuze (1928)
そしてそのお隣の建物もつづいています。

3回に分けてお届けしたアールヌーボー散策。16区の静かな街中を散歩してパリの雰囲気を味わってみるのも良いのではないでしょうか。 カフェでお茶して休みながらでも。

フランス環境問題(農薬編)

農業の国フランス。広大な土地を利用してさまざまな野菜や穀物が作られています。そしてスーパーに並べられる野菜はどれもピカピカ。こういった大量生産の裏に農薬技術が隠れていることはどこの国でも同じですよね。最近はBIO(ビオ/無農薬)の製品も見かけるようになりましたが、気に過ぎるのもどう かと思ってしまいますし。ですから私達は、マルシェで見つけた新鮮な野菜を売る店でなるべくたくさん野菜を買うようにして(これが本当においしいし、季節 によって出る野菜も違う)、そしてスーパーで買ってきたものは丁寧に洗うようにしています。


こちらはマルシェで買ったトマト。つやがって甘い。

それに、農薬というのは野菜から直接体内へ侵入するばかりではありません。このページではフランス、特にパリ周辺に見る農薬による環境 問題について紹介したいと思います。

【農薬による大気汚染】
Airparifによって発表された研究によると、パリ上空の大気圏は約30種類の除草剤、殺虫剤そして除菌剤によって汚染されているということです。

殺虫剤がパリの人口密集地に雨に混ざって降ってくるということは以前から確認されていたことだが、Airparifの発行する月刊誌の中で新たに首都圏の空中にも殺虫剤が混ざっていることが明らかにされた。それも農業地域と同じくらいの濃度の数値が割り出され、さらに合計約30種類の分子が5箇所の採取地域から確認された(Pari, Les Halles ; Bois-Herpin(Essone) ; Gennevillier (Haut-de-Seine) ; Challes et Coulommiers (Seine-et-Parne)。

2006年の3月から6月、農作業で一番大事な時期において、農薬汚染に関する調査キャンペーンが行なわれた。その調査結果のグラフか ら、大気中の殺虫剤濃度のピークと農作業のスケジュールとが完璧に一致することが分かった。4月上旬には殺虫剤(pesticides病原菌を殺す)が、 少しして別の種類の殺虫剤(insecticides虫を殺す)、そして除菌剤(fongicidesカビを殺す)の順と続く。これらのサンプル採取は空 気を吸引しフィルターに通すセンサー機器を使って実行されました。

Airparifは、首都中心と周辺の耕作地域との間にはほとんど違いがないと認めています。パリ郊外Bois-Herpinで最大 29種類の殺虫剤が、それに対し、Hall(パリ中心)の駅では19種類の殺虫剤が確認されました。間違いなく、都心エリアの方が濃度は薄まりますが、汚 染は現実に起こっています。Ile-de-France(パリの所在する県)で毎年3,200トンの殺虫剤が使われており、耕地1へクタールにつき 2,1kgに合致。フランスは世界第3番目の農薬使用国である。

ある殺虫剤研究者は、≪パリ中心の大気中に農薬が飛んでいるのは驚きではない≫と強調します。パリ人口密集地は広大な農業地帯に囲まれており、いくつかの地域は風が吹いてくる方向にある。そうした地域からさまざまなガスや化学物質を運ばれてくる可能性がある。実際、農薬散布時期には25 パーセントから70パーセントの物質が大気中に気化しガスとなる。それらの大きさは「ナノ」メートルで表され、そしてそれらのガスは肺の中に侵入し、簡単に血液中に通過する。

また、都市エリアでは、造園のため、特にバラ栽培のために使用される薬剤物質が確認されており、その物質はパリ周辺においては見つかっ ていない。しかしながら、これにはほんの10パーセントの有害物質しか含まれていない。≪対象を間違えたり、非農薬用途についての問題を持ち出してはいけない≫と。汚染は何よりも農薬が原因となっているのだ。

殺虫剤はそれぞれに特徴を持っている。あるものは揮発性が強く、使用された時にだけしか大気中に現れないものもあり、アブラナやヒマワ リの栽培に使用される除草剤のように、一年中空気中に潜んでいるものがある。

以前Orlean(オルレアン)で同じような調査が行なわれたが、今回Airparifによって殺虫剤の引き起こす衛生問題が新たに提 示された。水の中にも、食品の中にも、そしてまた毎日人々が吸っているものにも考慮しなければならなくなるだろう。まだまだ調査されなければならない殺虫 剤のリスクというのは評価がし難いものである。Airparifの研究調査はla Drass d’Ile-de-France のPlan Cancer(癌研究)の一環として、また Essone とval-d’Oise県、そして Ile-de-France Environnement 研究所などの支援を受けて実行された。

以上 2007年6月フィガロ紙より / 訳 aki

air

どこの大都市も、大気汚染は頭の痛い問題ですね。こんな所に農薬が飛んでいるなんて驚きです。食べるものだけに注意していても、普段 吸っている空気自体汚染されているんですから大変なことです。でも、健康のために農薬をやめたとしても、きっと今の世の中自給自足できなくなってしまうのでは。どこで流れがくるってしまったんでしょうね。

自分個人の生活スケールではなく、自分の国、あるいは世界スケールで、物事を考えて行動しなければならないですね。「BIO(無農薬) 野菜を買って食べてれば健康でいられる」という考えではなく、どうしたら汚染問題が解消されるかということにも頭を使わなくては。

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