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フィリップ・オーギュストのパリII(左岸編)

さて、前ページフィリップ・オーギュストのパリ(右岸編)に続き、今度は左岸探索です。普段見慣れた景色の中にまたどんな新しい景色が見出せるのかワクワクしながら出発です。

出発地点はパリ6区のHotel des Monnaies(造幣局)です。お隣にはInstitute de France(フランス学士院)という立派な建物が立っています。シテ島のノートルダム観光から人が流れてくるのでしょう、毎日観光客が多いこの通り。大きな観光バスもたくさん通っています。そんな賑やかな通りとは対照的にひっそりと一つ史跡紹介パネルが。

La Tour de Nesle(ネールの塔)。『右岸におけるフィリップ・オーギュストの城壁の出発点。1200年ごろに建造され、もともとはこの建造物に住んでいたプレヴォ(憲兵隊長)の名をとってLa Tour  Filippe Hamelinと呼ばれていたが、1270年ごろL’Hotel de Nesleにより強化され総合建築物の一部となった。さらに1308年には端麗王フィリップ4世の手に渡る。伝説によるとブルゴーニュの3人のプリンセスMarguerite、 Blanche、Jeanneの受難が残されています。3人は未来の王ルイ10世、フィリップ5世、シャルル4世のお妃だが義理の妹Isabelleにより訴えられます。その内容とは彼女らがGaultierやPhilippe d’Aulnayらを招き入れ不貞を働いたからだという。そして訴えの後すぐに拷問にかけられ、斬首刑となる。』

あるいは、妃マルグリットと妹ブランシュは捕らえられてガイヤール城へ幽閉され続け、ジャンヌのみ無罪が認められ宮廷に戻れたなど、さまざまな説が残されているようです。

この上に昔は塔が立っていたんですね。今はこのパネルとその建物の一角とみられる部分がひっそりと残るのみ。

周囲にはフランス学士院(左)と造幣局(右)の立派な建物が立っています。

それでは次に、造幣局の前を通過し右折、Rue GuenegaudをまっすぐRue Mazarineに突き当たるまで歩きます。そこで左折して少し歩くと史跡パネルとPのサイン、パーキングが見つかるはず。


まずパネルですがフィリップ・オーギュストの城壁とあります。『13世紀に建造された城壁はシャルル5世の時代まで軍事的に利用はされず、左岸ではこれらの城壁は現状で十分であるとみなされていたため、簡単に補強され、水のない乾いた堀で囲まれました。そしてこのMazarine通りがそれを証明しています。フィリップ・オーギュストの城壁の外につくられたこの通りは17世紀にRue des Fosses de Nesle(ネール堀端通り)と名づけられています。中心都市の発展にともない、中世の要塞がゆっくりと都市構造の中へと吸収されていきます。大きな壁は大邸宅などの境界、家の基壇、砕石場となったり、塔は住まい、アトリエ、あるいはチャペルなどに利用されました。そしてここでは、長い壁面と塔の土台部分が地下駐車場で目にすることができます。このような城壁の連続的再使用が多くの遺跡部分を残し、また極端な破壊から守っているのです。』

では、駐車場の中へ。地下2階と3階にかけて城壁が確認できたと思います。見た瞬間本当に驚きました。フランス人の主人ですらビックリ。知らなかったと。

またこのパネルの左側にはpassage Dauphineパッサージュ・ドーフィヌがあります。この界隈の建物の中には城壁の一部がうまく取り入れられていることでしょう。

マザリヌ通りのお店の中にも城壁らしき壁の一部をウィンドー越しに見ることができました。きっとあれもそうだよと言いながら歩いて行きます。

では今度はRue St Andre des ArtsにあるCour du Commerce St Andreとうパッサージュへ。


左写真が入り口です。中へ入るとでこぼことした石畳が。ちゃんと見て歩かないと躓きます。この抜け道にはカフェやレストランが並び、ここで一服しているギャルソンたちも。右写真は見にくのですが、工事中のお店があり中をのぞいてみたら巨大な城壁の塔が中心に。ちゃんとその部分は保護がされているようで、仕上がりがどうなっているのかまたいつか行ってみようと思います。


有名なカフェ・プロコープもここにあり、表通りと裏通りのパッサージュの写真です。

では、サンジェルマン大通を渡りRue A.Duboisと、さらに進んでお隣5区へ足をのばしRue Malebrancheという小さな通りを見つけます。この2箇所は掘割の上にできた道でその様子がそこにある階段でよくわかります。お堀でできた段差を調整しているんですね。不思議な通りです。

さらにパンテオンを左にRue de L’estrapadeを進みRue Blainvilleで少し休憩プラスランチ。朝10時に出発してなんだかんだとぶらぶら歩いていたらもう12時!腹ごしらえです。そうこの通りも斜めに坂になっていてお堀の名残だとか。そしてここに私たちがよく通う韓国料理のお店Han Limがあります。この日もいつもの鶏のから揚げとビビンバです!

いつも来るこの通りがそんな歴史の上に建っていたなんて本当に感動です。そしてこれまたよく通っていた通りRue du Cardinal Lemoine。なんだか地図を持った人がちらほら、そのうちグループでなにやらレクチャーしている人が・・・。え、何があるの?と、のぞいてみたら、あるじゃないですか、大きな城壁が!!!今までまったく気がつかずに通り過ぎていました。Rue du Cardinal Lemoineから少し入ったRue Clovisにアパートの壁にぴったりとくっついて城壁が保存されています。

城壁にはちゃんとフィリップ・オーギュストの名前が。それにしてもうまい具合にアパートが建てれたものです。この城壁の右となりのアパートの中庭にも壁の一部が城壁でできているのを確認。

横から見ると、壁の部分が少し通りにはみ出した状態です。そして奥行きはと言うと、右の写真で見えるでしょうか。Rue du Cardinal Lemoineにあるアパートの正門があいていたのでのぞいてみると、中庭の奥に、あるじゃないですか!城壁の続きが!

さあ、これでフィリップ・オーギュストの城壁跡をぐるっとまわったことになります。足もクタクタです。でも何よりもパリを違った視点から見ることができたことは価値が大きいです。こんな風にして歴史が町の空間の中に生かされていることは非常にすばらしいことだと思います。すごい国ですよね。すべてが自然に町の中に溶け込んでいるんです。

皆さんもちょっと違ったパリの探索をされて見ませんか。とってもおもしろいですよ。

フィリップ・オーギュストのパリI(右岸編)

ある日、ふと書店で見つけた一冊の本。面白そうなタイトルだったので夏のヴァカンス中に読んでみようと購入。すると実に興味深いお話がたくさん。パリに住んでいて、今までなんとなく気になっていたことをスパッと解決してくれました。それはパリの中に潜む中世の姿。そう、パリの街中で見かけた奇妙な場所が実はものすごい歴史のある遺跡だった!

その時代はフィリップ・オーギュストと呼ばれる王がフランスを支配していた中世にさかのぼります。

まず旅を楽しむためには歴史から。

カペー朝(dynastie des Capétiens 987年~1328年)
世界史を勉強された方なら懐かしい名前かもしれませんね。もともと西フランク王国が存在し、987年に西フランク王ロベール1世の孫に当たるパリ伯ユー グ・カペーがフランス王になりカペー朝が始まります。その領土はパリ周辺の小さな地域で王の権力はまだ弱く、12世紀前半のルイ6世から王権の強化が開始されます。1180年には、ルイ7世の子、フィリップ2世がフランス・カペー朝第7代王となり、さまざまな活躍を見せます。一番大きな功績 としてはイギリスの大陸領土をフランス領土へと回復したこと。当時イギリスのノルマンディー地方からの侵略が脅威として懸念されており、その防御策として築かれたのがパリを囲む城壁。そうこれが旅の目的となるテーマです。

またフィリップ2世はパリの整備をはじめ、パリ大学の創立への協力、ノートルダム建設の継続など内政にも力を注ぎフランス王国の礎を築いていきます。そしてこれらの業績を評価され、初代ローマ皇帝アウグストゥスにちなんで尊厳王(Augusute)と呼ばれるようになりました。

ちなみに、この初代ローマ皇帝アウグストゥスの名前から8月の英語名Augustがつくられました。それまで8月は30日までだったのが彼によって31日に増やされたんだそうです。今の子供たちの夏休みは彼のおかげで1日分長くなったということですね(偉大な業績です!)。

1223年7月14日にフィリップ2世は亡くなり、歴代王の眠るサン・ドニ大聖堂に埋葬。その後、ルイ8世(獅子王)、ルイ9世(Saint-Louisサン・ ルイと呼ばれアメリカのセイントルイスの名前の由来に)、フィリップ3世(大胆王)、フィリップ4世(端麗王)、ルイ10世、フィリップ5世、シャルル4 世と続きカペー朝が終わります。 (以上参考ウィキペディアより)

では、ここからこのフィリップ2世尊厳王のパリ城壁探検へ(右岸編)。

まず、パリ4区にあるHotel de Ville(パリ市庁舎)へ。そうこの辺りはよく訪れる地域で(BHVへのお買い物)、前からずっと気になっていた通りがありました。ちょうどこの市庁舎 の裏手に教会(St,Gervais-St,Protais)があり、この教会の裏道がなんだか他の景色と比べてちょっと違うんです。Rue des Barres(柵通り/柵で囲まれていた地域)と呼ばれ、通り自体短くて人もまばらなのですが、そこだけ石畳で古い時代を感じさせます。 カペー朝の王たちがここから市壁を築いたと伝えられているそうです。春になると小さな植え込みにある花々がとてもきれいで、途中にある少し広いスペースに は小さなお店が何件か。「フランスお土産スイーツ」のページでも紹介 している教会が作ったBIO食品のお店もここにあります。その名もProduits des Monasteres。セーヌ川沿いにはおしゃれなカフェやレストランが数件軒を並べいます。

Rue des Barresを抜けたら、左に曲がり世界各国からの芸術家が集まるCite International Des Arts(国際芸術都市/パリで見つけた芸術のページで紹介しています)を過ぎます。すると目の前にまた歴史のありそうな建物が現れます。城壁とは関係ないのですが、ちょっと立ち寄ってみました。

この建物はHotel de Sensサンスの館と呼ばれ、当時パリはサンス大司教区に属しており、Sens(サンス/パリ南東に位 置する町)の大司教によって所有されていました(1475年~1570年に建設)。建物自体は後期ゴシックと初期のルネッサンススタイルの間に当たり、現在はForney art library(芸術・産業技術の専門図書館)となっています。パリに残る3つの中世私宅の一つだそうです。


建物の裏は小さな公園になっており、ここでちょっと休憩をとってもよさそう。

さらにHotel de Sensの前の通りを渡り、お隣Lycee Charlemagneリセ・シャルマーニュへ。


この城壁の姿が視界に現れたときには、主人も私も感動!こんなところにこんな遺跡が残っていたなんて・・・と。壁の向こうがリセで、城壁をはさんでこちら側はグラウンドになっていました。二つの塔も確認できますね。


奥の方の塔に近づいてみると、その向こうは普通の道路。昔はここにそびえたつ塔があったんだなあと思いながら空を仰いでみます。

パネルには、『十字軍遠征中パリの防衛が手薄になるのを心配し1190年にフィリップ・オーギュストが右岸に城壁の建設を開始させた。1200年からは続いて右岸の工事も開始。』とあります。

さらに進み、この通りのすぐそばにあるRue Francois Miron(フランソワ・ミロン通り)へ向かいます。すると11 番、13番地にこれまた雰囲気の違う建物が現れてきます(城壁には関係ありませんが)。15世紀の建物だそうです。


こんな歴史のある館ですが、一つの部屋がVendu(売却)とありました。そしてその下の部屋を見るとLouer(賃貸)とサインが上がっていました。 うーん、どんな人が住んでいるんだろう・・・。

Hotel de ville へ戻り今度はここから北上しArchivies Nationales(国立古文書館)を目指します。通りでいうとRue des Francs Bourgeois。古文書館の入り口正面に着いたら後ろを振り返ってみましょう。そうすると通りの向こうに立つ建物の隙間からひょっこりものすごい建築物が目に入ってきます(かなり感動)。フィリップ2世時代の塔の一部です。


振り返った瞬間、私も主人も大感動!!!

そしてずっと気になっていた場所がもう一つ。Rue des Francs BourgeoisをChatelet Les Halles方向にまっすぐ歩いて行きます。途中から通りの名前がRue Rambuteauとなり、その通りがRue du Louvreにぶつかったら左折します。Rue du Louvre 13番地には城壁の痕跡が!


右の写真、PHILIPPE AUGUSTEフィリップ・オーギュストの文字が見えるでしょうか。平凡な通りの上に古い建物がいくつか並び、その中央に位置するえぐりとられたような形をしている建物。ここに塔が昔あったということを示しています。


ここに塔がそびえ立っていたんでしょうね。今は柵に囲まれて保護されています。お隣の建物の壁には古い広告の跡が残っており、こちらは主人が興味を示していました(右写真/余談)。

そして最後に、ルーブル美術館。訪れた方ならご存知だと思いますが、シュリー翼入り口をまっすぐ進むと中世の要塞が現れます。こちら もフィリップ2世時代の城壁の一部です。中世時代のルーブルはパリを守る要塞の一部としてつくられ、建物の中は武器や兵士の宿舎、あるいは牢獄として機能 していたそうです。結局イギリスからの攻撃は受けなかったそうですが。


(こちらのイメージはウィキペディアより)

さて最後になりましたが、私が参考にしたお薦めの一冊をご紹介しましょう。


パリ歴史探偵術 著/宮下史朗 講談社現代新書

歴史好きな方はもちろん、パリをちょっと違った角度から見てみたいという方におススメ。とても興味深いお話がたくさん詰まっています。パリを訪れる前に読 んでみてはいかがでしょうか。きっと旅のヒントが生まれますよ。

普段何にも知らずに通り過ぎていた場所が、今はとても貴重な空間に思えてきます。「知る」ということはこんなにも生活を豊かにしてくれるんだなあと改めて感じました。そう、パリはエッフェル塔や凱旋門だけではないのです。町の隅々にまで歴史が詰まっているのです!

続きはセーヌ左岸に渡り歴史探索です。フィリップ・オーギュストのパリ(左岸編)

パリ4区関連ページ:パリ4区マレ地区のおススメ

ヴェルサイユでハイキング

ヴェルサイユと言えばヴェルサイユ宮殿。しかし!その宮殿の周りには自然がたくさん存在し、ハイキングコースもたくさんあるんです。

私たちが選んだコースはForet Domaniale de Versailles。ヴェルサイユの駅から宮殿へ向かう人々とは反対に方角的には南へと歩いて行きます。地図上だと線路を超えD91号線を目指します。するとハイキングコースの入り口が見えてきます。

正午12時ハイキングスタート。ここからRoute des Mulets、Route des Chataignirrs、Route du Grand Boitとハイキングの道が続き、このコースの右手には線路、左手にはN286が走っています。ひっそりとしていて、人もまったくいませんでしたが、自然を楽しむにはそれが一番。サイクリングをする人に数回出くわしたくらいです。でも途中電車や車の騒音が聞こえてくる箇所が数箇所。


静かな森の中。花や草や木を観察しながら歩いて行きます。途中森の中でカサカサと動物の歩く音が・・・。


鳥の声もどこからともなく聞こえてきます。いる証拠は見つけたのですが・・・(左写真)。


地面にカブトムシが!(右写真)

2時間くらいでしょうか。するとN286号線にぶつかり、道路を渡って反対側のコースへと移動です。

ここからはRoute Forestiere de la Fontaine Blancheに沿って歩いて行きます。こちらのコースは結構人が歩いていました。パーキングが何箇所かあるようでアクセスがしやすいようです。


さて、再スタートしてからまだ数分も歩かないうちに視界にサッと何か動くものが。「しっぽが見えた!」と主人に指をさして知らせると、そこにはなんとリスが!!!生まれてはじめてみるしまのあるリス。めちゃくちゃかわいいですよ。


おなかがすいたなあと時計を見るとなんと3時。ちょうど湖を背にピクニックできる広場に到着。こんな思いっきり西洋の森で、おはしでご飯と魚をたべました。弁当です・・・。主人はサンドイッチじゃなくて大喜びでしたが、そばを通った人たち不思議だっただろうな・・・。そして食事中にものすごいきれいな鳥がテーブルの下に飛んできました。きっとパンくずをもらえると思ったのでしょう。でも、パンがなかった・・・。代わりにオムレツを投げってやったら拾って飛んで行きました。鳥に料理した卵をあげてよかったのだろうか・・・。


このコースには湖が3つ:Etang du Moulin a Renar、 Etang du Vol d’Or、 Etang de la Geneste。Etangエタンだから池? でも、ものすごい大きいので一つ一つぐるっと回っていられません。


歩いても歩いても湖いや池。途中かもの親子に遭遇。足もかなり疲れてきましたが、何が現れるか分からないのでドキドキしながら前へ進んでいきます。


そう、いつ何が現れるか分からない!!! ハイキングも後半で疲れで会話も途絶えようとしていたその瞬間、野うさぎです! しずかーに近づいてカメラを構えます。超感動。

パリから30分ほどの場所で、すぐそばにはヴェルサイユ宮殿。そんな場所にこんな自然が。私たちは結局7時間のハイキングでしたが、部分部分に区切って歩いても充分楽しめます。パーキングもあるので車があればさらに近くまでアクセスができると思います。結構森の中に入るといろんなコースが交差しているので地図でしっかり確認して行かれることをお勧めします。


赤い線が私たちの通ったコースで、地図中央部分は軍の管轄地帯になっているようです。その周りをぐるっと囲むような形で歩いて行きます。地図の上のほうがヴェルサイユ宮殿です。

フリウル群島(マルセイユ/プロヴァンス)

マルセイユからおよそ4kmほど離れた場所に位置するフリウル群島は4つの島から成ります:Pomegues,Ratonneau,If,Tiboulain

マルセイユのVieux Port(旧港)から出ているフェリーでアクセス。往復10ユーロで大体30分おきに出航しています。

4つの島のうち一番有名なのがIf(イフ島)。ここにはCahteau d’If(イフ城)があり、多くの観光客が訪れます。このイフ島は、16世紀、当時フランス国王フランソワ1世が海から攻撃してくる外敵からマルセイユを守るために砦として築かれたものですが実際に役立ったことは一度もなかったそうです。そしてこのイフ城を世界的に知らしめているのは、作家アレク サンドル・デュマの小説「厳窟王」でしょう。この城は小説の主人公だけでなく、鉄仮面をはじめ、現実に数多くの政治犯や異教徒たちを幽閉、牢獄するために長年使われてきました。

さらにそこから船で数分、Ratonneau 島へ。ここは第二次世界大戦中ドイツ軍に占領されていましたが、1971年にマルセイユが買い戻しました。島には特に観光ポイントがあるわけではないのですが、ここにある自然は手付かずの状態で残されてい ます。ハイキングがてら丘の頂上へ歩いて行くとそこにはドイツ人の築いたバンカーの廃墟が残っていてちょっとびっくり。タイムスリップしたような気分。また島の端には病院の廃墟も。ここは検疫所として機能していたらしく、昔はマルセイユの陸に上がる前にここで病気などの検査がされていたということです。

島にはわずかに住民もおり小さなコミュニティが存在しますが、ほとんどが自然のまま。島のあちこちに小さな入り江があり、そこで日光浴をしたり泳いだり。リッチな人たちはボートでゆったりと・・・。私たちもマルセイユに帰省する際にピクニックによく出かけます。

ではここから島の自然をご紹介しましょう!

マルセイユの港を出る前に、ラファイエットの食料品コーナーでランチを調達(右上写真)。南仏名物ライオリ(ガーリックのきいたマヨネーズ)はいかがでしょう。パンやハムにつけて食べます。島にはお店がないので、お水など買っておくのを忘れないように。夏は日差しが強く、影もほとんどありません。サングラス、帽子も忘れずに。

ビーチ脇の岩場に腰を下ろし、海を眺めながらランチをし、おなかがいっぱいになったらハイキング。青い海を眺め、自然の空気をたくさんすってリラックス。左の写真は野生のromarin(ローズマリー)。とてもいい香りがしました。

南仏滞在で少し時間があれば足を運んでみてはいかがでしょうか。地中海からマルセイユを眺めてみるのもいいですよ。

関連ページ
プロヴァンスの町マルセイユ

関連サイト
Frioul If express
Iles du Frioul

ビュットショーモント公園

パリの日曜の公園

私たちはパリの東にあるビュットショーモント公園の近くに以前住んでいました。立ち並ぶビルやアパートを抜けると、パッと見晴らしがよくなります。そしてそこがビュットショーモントと呼ばれる公園です。

週末にもなるとたくさんの人々が集まり、本を読んだり、散歩したり、ジョギングしたりそれぞれいろんな 過ごし方をしています。すごいなと思ったのは夏の風景。あたり一面水着姿。もちろんプールがあるわけではありません。日光浴をしているのです。そしてワイ ンを片手に・・・。真っ赤な顔。そしてさらにフランスらしいなと感じたことは、その風景を絵画を学ぶ学生らしきグループが観察していたことです。なんでも 絵になるみたいですね。芸術の国。

ビュットショーモント公園  Buttes-Chaumont

では、公園をご紹介していきましょう。まず春の公園4月です。


色とりどりの草木が公園を彩ります。右の写真は一面に黄色いチューリップが咲いています。


歩いているといろんな匂いがしてきます。左写真はスイセンが一面に。

flower

flower

flower
そしてこちらは5月頃訪れたときの写真です。

ビュットショーモント公園にについてもう少し。実はこの公園はパリの北東に位置する歴史のある場所なのです (19区:メトロButtes-Chaumont)。 名前にある”buttes”とは「丘」を意味し 、”chaumont”は”mont chauve”が変化したもので、「禿げた山」。つまり、このあたりには昔何もなかったということを表しています。そのもっと以前は炭鉱があった場所だそうですが、時代が変わるにつれて、それらはただの石ころと化し、人々はこの廃れてしまった地域にごみを捨てたりするようになってしまいました。そこで 1864年から1864年にかけてナポレオン3世と、当時のパリの町の設計に大きな功績を残している建築家オースマンとでこの地域を改善しようという計画が起こりました。現在のように美しくよみがえった公園は、半分自然、半分人工のユニークな芸術作品でもあります。

まず目を引くのが公園の中心にある展望の丘。ここからはサクレクール寺院が眺めることができます。よく写真 を撮っている人たちを見かけます。豊かな緑を抜けて丘のふもとへ降りていくと人工の滝が豪快に流れ、その水は公園中に小川となったり池となったりして広 がって行きます。

obsevatory


右の写真、遠くにサクレクール寺院が見えるでしょうか。なかなかの眺めですよ。


そしてその周りを囲む池。なんとなく落ち着きます。


ジョギングする人、ローラーブレードを楽しむ人、ベンチに座ってくつろいでいる人。そして、絵を描く人も!


そしてこちら、公園を一周してくれる馬車も出ています。

lake

duck
のんびり散歩するのも楽しいですよ。


豪快な人工の滝。夏はとても涼しい風を送ってくれます。

秋の公園風景10月頃。

park park
秋になると葉の色も変わり、また人も少なくなりますが、それはそれで満喫できます。

tree

tree
冬へ向けて準備する植物も中にはあります。

statue greek writing
公園内で見つけた森の守り神。ギリシャ神話に出てくる神で、この像もギリシャから友好のために送られたそうです。

map
公園の全体図。

四季によって、表情を変える公園。こんな美しい公園にもさまざまな歴史があったんだなあと考えながら寝転がってみるのもいいんじゃないでしょうか。