Tag Archives: パリ郊外

サン・クルー公園

パリの南西郊外に位置する大きな公園、Parc de Saint-Cloud(サン・クルー公園)。都会から少し離れて、自然の中で息抜きするのもいいですね。ピクニックやジョギング、サイクリング、私たちはウォーキングに。

行き方:

パリ市内からだとメトロ9番線のターミナルPont de Sevres、そこからセーヌ川を渡ったすぐ。入り口にはMusee National de Ceramique(陶芸博物館)があります。またトラム2のMusee de Sevres駅も目の前にあります。


Pont de Sevresの駅からバス停を通り越し、橋を渡ります。橋からのセーヌの眺めも結構きれいですよ(左の写真クリック拡大)。川釣りを楽しんだり、ヨットで遊んだりしている人を発見。


こちらが、公園入り口に隣接するMusee National de Ceramique(陶芸博物館)です。観光セーヴル陶器博物館のページを参考に。


お天気がいいと人が集まってピクニックやスポーツを楽しんでいます。かなり広い公園なので、パリ市内の公園みたいに人が密集するようなことがないのでは。


夏には木陰で休むのが気持ちがいい。二匹の犬がじっと池を眺めています。。。

公園は460ヘクターを占め、1923年から自然特別保護地域として存在しています。ヨーロッパでも一番美しい公園の一つとしてみなさ れ、2005年にはRemarkable Gardens of Franceの地位を受賞しています。1999年に 起きた嵐により公園の森林はひどく被害を受けましたが、その後回復作業がなされてきました。

公園はLe Notre(ル・ノートル)によるフランス式庭園、イギリス式庭園、Marie Antoinetteマリー・アントワネット公園を含んでいます。

Parc de Saint-Cloudの歴史


サン・クルー城の模型

公園はChâteau de Saint-Cloud(サン・クルー城)の跡地に作られました。サン・クルー城は16世紀の王室、皇室の住居として利用されていました。1785年に は、マリー・アントワネットのためにルイ16世がこの城を購入。サンクルの空気が彼女の子どもたちに良いからだと思っていたそうです。さらに、ナポレオン3世がプロシアに戦争を宣告した後、この地域はプロシア軍に占領され、そこからパリ攻撃が始まります。1870年の10月13日、フランス軍の反撃により 城は焼かれてしまい、1892年には完全に破壊されることになります。そしていくつかの離れ屋敷だけが元のまま残るだけになってしまいました。

ではさらに奥へ進んでいきましょう。結構いい運動になりますよ。


どちらを向いても広大なスペースが続き、開放感が感じられます。空がとても広い!!!


さあ、一度試してみたかったレストランにようやく行って来ました。公園の中にあるレストランです。Restaurant la Pergola(位置はLe Fer a chevalと呼ばれるエリア)私はニソワーズサラダ(16ユーロ)、主人はシェーヴルサラダ(15ユーロ)。外で、それも公園の中で食べるのはやっぱり気持ちがいい。結構ボリュームのあるサラダで、ロケーション込みで16ユーロはお手ごろかと(どうでしょうか?)。他の人が頼んでいたピザもおいしそうだったので次はピザにすると主人・・・。私たちは早く行ったので簡単に席が見つかりましたが、お昼を過ぎると(特にヴァカンス期)かなり込んでいるのでご注意を。

さらにここから上に森を進んでいくともう一軒レストランがあります。Restaurant Xylo


お腹がいっぱいになったらウォーキングへ出発。ちょうどレストランの目の前がこの展望台の入り口になっています。パリのパノラマが楽しめることでも有名。右の写真では遠くにエッフェル塔が見えます。


4月に訪れると、チューリップが満開でした。手入れがいつも行き届いていて訪れる人を楽しませてくれます。


7月はひまわりが(左写真)。そしてそのひまわりの間に、なんだかかわいらしいボールのような。。。


花壇の花だけではありません。地面に横たわるとそこにもいろんな草花が。広いスペースに森が広がっていて、本当に気持ちが良かったですよ。近くでお惣菜を買ってピクニックをし、本を読んで、雲を眺めながらボーっとし、ちょっとお昼寝。少し体を休めたらウォーキングに立ち上がり、植物観察をしに出発。広大な敷地なので、まだほんの一部しか歩いていないのですが、また、遊びに行こうと思います。

普段ビルばかりの景色から、ちょっと自然にもどってみるとほっとしますね。それも砂埃の立つ街中の公園ではなく、人もまばらな森を歩くのは最高!

Parc de Saint-Cloud 公園の地図などが載っています。

参考:ウィキペディアENGLISHより

ヴァンセンヌ城

ヴァンセンヌ城への行き方
パリの南東に位置し、ヴァンセンヌの森のちょうど入り口に当たります。パリ、メトロ1番線の東のターミナル、Chateau de Vincennes(シャトー ドゥ ヴァンセンヌ)。城内見学7.50ユーロ。

ヴァンセンヌ城の歴史
ヴァンセンヌ城は14世紀から17世紀にわたるフランス王の城。

他の多くの有名な城と同じく、もとは狩猟用に使うロッジとして1150年ルイ7世のために建てられました。13世紀にはフィリップ・オ ウギュストとルイ9世がさらに実質的な荘園へと築き上げていきます。またルイ9世はここヴァンセンヌから十字軍遠征に向かい、二度と戻ってこなかったとされます。そしてさらに、この土地を強化するために、天守閣がフィリップ6世によって足され、その塔は52mで中世で一番高くて頑丈な構造でした。天守 閣工事は1337年に開始。そして、天守閣を囲む長方形の城壁がヴァロワ一族によって約2世代後にようやく完成されました(1410)。

またヴァンセンヌ城はたんなる砦としてだけでなく、フィリップ3世(1274)、フィリップ4世(1322)のようにこのお城で結婚式を 挙げた王もいました。そして14世紀の王たちは皆ここヴァンセンヌ城で生まれています。ルイ10世 (1316)、フィリップ5世 (1322) 、シャルル4世(1328)。

17世紀には、ヴェルサイユ宮殿が注目を集めはじめ、ヴァンセンヌ城は多くの重要人物などが収容される牢獄の役割も果たして行きます。

18世紀この城は放棄されますが、その後まずはヴァンセンヌの陶器製造の地として(セーブル陶器博物館参考)、次に公式の収容所として、1796年には軍事品製造所として機能していきます。そして現在はthe French Armed Servicesの歴史的セクションとしての役割を果たしています。

また19世紀に英国様式の公園が作られます。そして1860年にナポレオン3世がヴァンセンヌの森と城を公共の公園として開放することになります。

ヴァンセンヌ城は1940年ドイツ軍侵略に対し、フランスが軍の本部を置いた場所でもあります。

Chateau de Vincennes ヴァンセンヌ城
12年の修復期間を終えて今年(2007年)オープンしたヴァンセンヌ城。6年前に訪れたときはまだ当然のことながら工事中で、いつかもう一度訪れたいなと思っていました。


高くそびえ立つ塔の中は意外に狭く、昔の様子が伺えます。


塔の地上階は倉庫、1階(橋のつながっている階)が出迎えの階、2階が王のプライベートの間、そして最上階には兵士たちが集まっていたそうです。


右の写真はクリックすると拡大します。


本丸を囲む塔の回廊。右の階段状にデザインされている部分は王の間。他の部分と違って、わざわざ手が加えてあります。


部屋の中は一本の柱を中心に、これが全階で一直線をなしています。


天井に使われている木材はかなり古く、時代を感じます。800年前に作られたというオリジナルです。


左は暖炉。右の写真は見にくいですが、トイレだったそうです。


実際はいろんな装飾が壁や柱に施されていたということです。

Ground Floor
中世時代には、この地上階は一階の小さな階段を使ってのみアクセスが可能でした。中庭に通じるドアのための開き口は18世紀に作られたものです。それ故に当時はこの地上階を台所として使うことはとても困難であり、代わりに貯蔵庫や召使達の部屋として使われました。 またこの階には、井戸や暖炉の跡が残っています。

また、上の階同様、この部屋も一本の柱を中心とした部屋となる予定でした。柱を隠してしまっている内側の壁は中世後期に作られたものです。19世紀に作られた窓の柵や独房の扉は、この部屋がかつて牢獄として使用されていたことを物語っています。1784年、この城の本丸は牢獄としての使用に終止符を打ち、囚人達はみなバスティーユに移されました。1785年から1790年の間は、ヴァンセンヌ村にパンを供給していたパン屋と東パリ地区が この地上階と本丸の中庭を占拠しました。

The Marquis de Sade’s cell
快楽主義哲学者、無神論者、スキャンダラスで挑発的な作家、Donatien Alphonse Francois de Sadeは好色な作品内容で悪名高かった。彼は2度、このヴァンセンヌに収容されている。一回目は15日間、売春宿での乱暴な行為に対して。二回目は、 1777年、売春婦毒殺で終身刑を宣告されました。ヴァンセンヌで7年を過ごした後、1784年にバスティーユへ移され、1790年自由を得ることになり ます。この本丸に収容されている間、彼の妻とは活発に連絡を取り合っていました。

ヴァンセンヌの牢獄
中世の頃から、フランスの王達は司法高官としての役割をも果たすために、それぞれの居住区に囚人を投獄する場所を持っていました。15世紀後半、ルイ11 世はこの本丸を囚人、時に重大な罪を犯した者などを収容するための牢獄として使い始めます。16世紀からは、公式にこの本丸が牢獄として機能していきます。その対象となったのは、プロテスタントなどの宗教異端者や政治敵対者などでした。

Pierre Ernst I of Mansfeld(1517~1604) は、the Emperor Charles Quintとルクセンブルグ総督の任務に服した戦争捕虜としてヴァンセンヌに投獄されました。しかし彼は、この本丸内で、料理などの家事をしたり、野うさ ぎやオオムなどのペットを飼うことを許されていました。そして身代金が出された後すぐに解放されることになります。

17世紀からは、フーケ(1615~1682)のように囚人は独房に入れられるようになります。1661年、彼はルイ14世によって投 獄されました(詳しくはヴォルヴィコント城参考)。

18世紀後半からは、バスティーユとともに王宮の牢獄としてシンボル化していきます。ある囚人達は裁判もなくここに連れてこられました。1749年のDiderotは、彼の作品が破壊分子的だとされ牢獄されてしまいました。

19世紀、1830年と1848年の改革後、免職となった高官たちがヴァンセンヌに収容されました。そして世界第2次世界大戦の終わりまで牢獄として使用されていきいます。

彫刻装飾
彫刻は窓の基盤に集中して用いられており、音楽を奏でる天使やファンタジー溢れる姿や予言者を描いています。これらの彫刻は修復時にコピーされたものです が、オリジナルのいくつかは中に展示してあります。音楽を奏でる天使というのは中世ヨーロッパの彫刻、ステンドグラス、絵画などによく見られ、14世紀中ごろから天のシンボルとして使われるようになりました。


音楽を奏でる天使たち

ベル塔と時計
1369年に作られたベル塔は、フランスで最初の公共時計。ここに現在たっている塔は2000年に復元されたもの。オリジナルのベルはサント・シャペルにある(サント・シャペルの ぺージも参考に)。シャルル5世によってパリ居住区に取り付けられた時計のうち、唯一現存する時計。王の書斎の上に設置され、また本丸にある王の寝室と同 じ階にあり毎日規則正しい時間を告げていた。


門の向こうに広がるのがヴァンセンヌの森(写真右)。


塔からの眺めも美しい(天気がいいともっとよかったんですが)。

参考:ウィキペディア English
ヴァンセンヌ城内の説明記事より
訳 aki

パリのメトロですぐに行けてしまうという便利さ。見学の後ヴァンセヌの森を散歩しながら一日を過ごすのもいいですね。パリはショッピングもいいですが、やっぱり歴史もおもしろいですよね。日本史と比べながら見学したりするとさらにおもしろい。ここでどんな人がどんな事を思っていたんだろ うと考えるとぞくぞくしてしまう。

ヴァンセンヌ城 オフィ シャルサイト

ヴォルヴィコント城

Chateau de Vaux-Le-Vicomte ヴォルヴィコント城
ヴォルヴィコントとはルイ14世に仕える財務長官Nicolas Fouguet二コラ・フーケの地所です。財宝の数々で埋め尽くされた彼の城は、17世紀中頃、他のどんな貴族も真似できないほど近代的でエレガントな傑作と称されていました。

ところが、このような華やかさが太陽王ルイ14世の嫉妬を招き、フーケは牢獄され、のちにヴェルサイユ宮殿がフーケの築いたヴォルヴィ コント城を元に建てられることになります。

ヴォルヴィコント城への行き方
Metroメトロ・シャトレーもしくはリヨン駅でRER D(パリ市内近郊を走る電車)に乗り、一時間ほどすると終点Melun ムランに着きます。そしてそこからは駅前から出ている専用シャトルバスを利用します(往復7ユーロ/4月から10月までの週末と祝日運 行/時刻表など詳細はホームページにて)。ちょっとそのバス停を探すのに手間取ってしまいましたが、カフェの並ぶ通りに立っています。出発時間の20分前 にはバスが到着し、それまでどこにいたのか不思議なくらいたくさんの人々がやって来ました。そして出発。街中を抜け、木々に囲まれた細道を進み20分ほどするとヴォルヴィコント城に着きます。


クリックす ると拡大します。

ヴォルヴィコント城内

Les Charmilles
バスを降り、城構内へ進んでいくと、まずお土産やさんとレストランがあります。お天気も良かったのでたくさんの人々がランチを楽しんでいました。5月から 10月の間の平日オープン。

The carriage museum(馬車博物館)
さらに奥へ進むと、馬車のコレクションが展示してある建物があります。左下の黄色い馬車は猟をした後に獲物を入れておくためのものだそうです。そんな馬車があるなんて知りませんでした。他にも子供用のポニー馬車など、たくさんの馬車が保存してあり、どれだけ裕福であったかが実感できます。

Chateau de Vaux-Le-Vicomte ヴォルヴィコント城
そして少し歩いて、お城へと到着。水に囲まれたお城はどこか訪問客を潤してくれます。

城内は見所がたくさん。これもあれもと説明を読みながら見学していきます。絵画などには当時の古いフランス語で説明がされていたりする ので、その言語にも興味津々となりながら見て回りました。昔のフランス語はラテン語に近かったので余分な部分が省略されて、現在のフランス語のアクサンが 生まれたんだそうです(フランス語アクサン記号の謎参照)。

下の絵は二コラ・フーケが裁判にかけられている様子です。ただの嫉妬で刑にかけられるなんて当時の絶対王政の力がうかがえます。

またにニコラ・フーケと親交のあった人物には寓話作家ラ・フォンテーヌの名前も。フランスではイソップ童話の紹介や他にも数々の寓話を 残し人々に親しまれています。絶対王政の中、王に向かって直接批判をすることはできなかったので、彼は彼の作品の中で、王をライオンと例え非難を表していたそうです。(関連ぺージ:観光/ラヌ ラグ公園

そしてこちら(左下)は当時のバスルーム。中央のちょっと長めの椅子のような形のものがお風呂です。そこに手前にある入れ物でお湯を入れたそうです。また右端の穴の開いた椅子が【トイレ】です。うーん、こんな普通の部屋の中でバスタイムは落ち着かない。右下の写真は寝室。昔の人は小さかったんですね。こんなスペースに私はおさまりません。

こちらはニコラ・フーケの書斎、方形の大部屋と王家の控えの間。ここでどんな本を読んでどんなことを考えていたのでしょうか。

ブッフェ広間はフーケの旧食堂。それ以前の時代では、主人や客のいる部屋に料理が運ばれていたので史上最初の食堂と言われています。右はワインセラー。

そして鉄仮面伝説。当時の王政下で牢獄された人物の中に鉄の仮面をかぶった囚人がいたそうです。仮面には鍵がかけられており、一言も口を聞かなかったそうです。そして彼の顔を見たものは全て処刑されてしまったという。ある説によるとルイ14世の双子の兄弟だったのではないかとも言われてます。それも本当かどうかは闇の中。いまだに誰だったのか、その話自体本当にあったことなのかも分からないままです。そしてニコラ・フーケはこの人物のことを知っていたのかどうか。

見所はまだまだ他にもたくさん。ヴェルサイユ宮殿のモデルにもなっただけあって、造りも良く似ているところがあります。比較しながら見 学してみるとおもしろいかもしれませんね。

途中にはDome visit(展望台見学/別料金)があり、美しい庭園を一望もできます。

ヴォルヴィコント庭園
では次はヴォルヴィコント庭園へ。この庭園を設計したのは、後ヴェルサイユ宮殿も手がけることになる造園家ル・ノートルです。彼の功績を称え、彼に与えられたシンボルがこちらキャベツとカタツムリ(右下)。城内にLe Notre exhibitoinが 設けられているので、そこで彼の作品について知ることができます。

この庭園は土地の傾斜など緻密に計算がされており、数学の知識が至るところに張り巡らされています。広大な敷地の中に置かれた大きな噴水のおかげで、城は実際よりも近くに見えるという目の錯覚が起こります。そう、近そうでものすごく遠いんです。川を挟んだ向こう側の丘に像が立っており、そこまで行くのにそんなかからないだろうと思って歩いて行くのですが、結構時間がかかる。そしてそこから城を見返すとそんな遠くにあるような気がしない(不思議)。それどころか手前にある大きな噴水の水に城が映っているのまで見えてしまう。

写真では伝えきれませんが、城から徐々に離れていきます。

ちょっとここで休憩。川の手前まで着ました。
夏には噴水ショーや花火もあります。きれいでしょうね。

城を川を挟んで反対の丘から見た眺めです。

丘の上では歩いて来た人々がそれぞれに休息をとっています。私たちも草の上に寝転がってちょっと休憩。
緑に包まれ、のーんびりとできました。

ヴェルサイユ宮殿もいいですが、その元になったお城を訪ねてみる価値があります。

Chateau de Vauxt-le-Vicomte
77950 MAINCY

TEL: 01 64 14 41 90
FAX: 01 60 69 90 85
オフィシャルサイト

オープン
3月24日~11月11日の毎日(2007年度) *7月6日、7日を除く
10:00am~5:30pm  *平日 1:00pm~2:00pm  お城は閉まっています。

12月22日(2007)~1月6日(2008) *12月25日、1月1日を除く
10:00am~6:30pm

詳細は上のオフィシャルサイトにて確認してください。

イベント
またここヴォルヴィコントでは年間を通していろんなイベントが企画されています。サイトで詳しくチェックしてみてください。

(2007年度のイベント情報)

・17世紀のコスチューム/ランチパーティ 6月17日(2007)

・ヴォルヴィコント夏のパーティ 8月14日(2007) 野外劇、音楽、花火

・屋外オペラ [Le Barbier de Seville] 9月6日~9月9日(2007)

・バロック音楽コンサート 10月20日(2007)

・ヴォルヴィコントクリスマス 城内庭園がクリスマスデコレーションされます。 12月22日(2007)~1月6日(2008)

・キャンドルライト 8:00pm~11:00pm 7月、8月の毎金曜日(7月6日を除く)。5月5日~10月6日の毎週土曜日(7 月7日と9月8日を除く)。

・噴水ショー 3月24日~10月27日 3:00pm~6:00pm 毎月第2と最終土曜日。

パリからのツアー
Paris Vision: 01 42 60 30 01
Euroscope: 01 49 46 24 50
Paris Trip: 01 42 12 86 76

ジベルニー

モネが暮らしたことで有名な村、ジヴェルニー。パリから北西へ約88キロのところに位置します。

行き方

パリからはサン・ラザール駅でルーアン(Rouen)行きなどに乗り、ヴェルノン(Vernon)で降ります。電車によって停車駅数が異なるので1時間半かかる場合もあるし、私たちの場合は45分ほどで着く電車を利用しました。SNCFのサイトで運賃料金を比較すると料金の差も分かりやすいですよ。私たちは一番安かったチケット片道11.60€。

ヴェルノン駅に着いたら、ジヴェルニーへアクセスする方法は3つ。まずは駅前にあるバス停からバスで。私たちは駅前のカフェで自転車を 借りました(一台一日10€)。お天気も良かったのでサイクリングがてら、のんびりとジベルニーまで楽しむことができたし、多分バスからは見えないまたは 味わえない雰囲気が味わえてとてもよかったです。そしてその途中には歩いてジヴェルニーへ向かう人も何人かいました。のんびりぶらぶらとするのもいいかも しれません。

セーヌ側沿いに車道が走っているのですが、そこから少し奥の山側に自転車と歩行者用の道が設けてあります。上の写真のようにまっすぐと自転車をこいでいきます。この日は朝早かったので人はまだ見かけませんでしたが、帰りには地元の子供たちが三輪車に乗って遊んでいたり、ベンチで本を読んだりおしゃべりしている人、さらに散歩をしている人などたくさん見かけました。

そして専用道を抜けると、Rue Claude MONET クロード モネ通り。モネの家が近づいてきます。

こちらは同じ通りに立っている教会。この右隣に色とりどりの花々でいっぱいにされたモネのお墓がありました。

モネの家

そしてようやくモネの家へと到着。そこには朝10時に着きましたが祝日ともあってもうすでに結構人が並んでいました。小さな入り口でチ ケットを買い(5.50€)、階段を下りて行くとまずそこはお土産売り場。そして花々がちりばめられた庭へと続きます。

花々に埋め尽くされた庭を歩いていると、甘い香りに心も癒されるような気がします。今回の写真は4月のもの。チューリップやパンジーが たくさん咲いていました。これから夏にかけていろんな花を咲かせるんでしょうね。

そしてこちらがモネの家。淡いピンクとグリーンが庭ととてもマッチしています。こんなところで毎日花々を眺めながら暮らせるなんていいなあと。

内部に入ると、まずモネが収集した日本の浮世絵版画が所狭しと飾られているのに驚きました。いきなりタイムスリップしてしまったような 気分に。「日本の浮世絵には動きがある」といってモネは賞賛していたそうです。その中には当時の日本人が見たアメリカ人、イギリス人、オランダ人、ポルトガル人、ロシア人などの絵があり、それを興味津々となって西洋人たちが眺めていました。うちの主人もとても興味深いと見入っていました。そして一階の奥に はモネのアトリエや目がちかちかしそうなくらい青いキッチン、黄色いダイニングルームとあり、二階へあがるとベッドルームなどがありました。二階から見る庭の景色も素晴らしかったですよ。

そしてさらにモネの代表作「睡蓮の池」のモデルとなった日本式庭園と向かいます。連絡路を通って車道の下をくぐり反対側へと移動。大きな柳と蓮が特徴的なあの池へとやってきました。

この池を囲むように散策路が作られておりぐるっと一周することができます。本当に絵の中を歩いているかのような気分。幻 想的な雰囲気です。睡蓮は時期としては4月は早すぎましたが、それでも充分満足。水面に映った木々や草花とのコントラストがとても美しかったです。ここで あの大作が描かれたのだなあと。

そんな興奮感に浸りながらしばらく庭に用意されたベンチで一休み。自然の美しさをゆっくりと鑑賞させてもらいました。

モネと睡蓮

睡蓮はモネが1890年代から描き始めた連作です。1899年から1926年に彼が亡くなるまで、ここジヴェルニーの睡蓮の池で200 点以上の作品を描きあげました。1890年代の作品には岸に生える柳や木、池に架かる日本風の橋などがモチーフとされていましたが、1900年代になる と、画面が全て水面で埋め尽くされ、水面に浮かぶ睡蓮や水草、水面に映る空や樹木などが描かれるようになりました。晩年は白内障を患い、失明寸前状態とな り、彼の作品は徐々に抽象的になっていきました。

ここモネの家では彼の作品ではなくほとんどが日本の浮世絵版画で覆われています。彼の作品をうかがうためにはパリにあるオランジュリー美術館そしてマルモッタン美術館に足を運びま しょう。モネを追ってフランスの旅もいいですね。

そして私たちは、帰るまでにまだ時間に余裕があったので、しばらくサイクリングを楽しみ、サンドイッチを買って草むらの上でピクニッ ク。日光浴がてらにそこでしばらくうたた寝をしてから駅へと向かいました。ひっそりとたたずんだ村の中には、たくさんのB&Bや農家自家製サイ ダーなどのサインをみつけました。暑かったけれど新鮮な空気がたくさん吸えた一日でした。

Fondation Claude Monet

86, rue Claude Monet – 27620 Giverny
TEL : 02 32 51 28 21

ホームぺージ

オープン
9:30~18:00
休み:月曜、11月~3月 月曜日でも祝日に当たると開いているそうです。サイトで確認を。
入園料: 5.50€(大人)

シャンティイー

lake and  castle

パリの北に位置する小さな町シャンティイーは、パリからほんの30分ほどの距離なのですが、静かで落ち着い た雰囲気のある場所です。ここにあるシャンティイー城は水に囲まれたとても美しい城で、14世紀から19世紀にかけて、オランジ・ュモン家、モンモランシー家、ブルボン・コンデ家、そしてオルレアン家によって建てられた壮大な建造物です。ヴェルサイユ宮殿を見てからここにくるとその規模では劣りますが、 水に移る城の美しさは負けません。人も少なくなんとなく落ち着きます。

まずは橋を渡ってその右手にあるオフィスでチケットを購入します。チケットは何種類かありますが庭園と美術館のセットで大人が7ユーロでした。そこから庭園を見学すのもよし城内美術館へ入って見学すのもいいでしょう。庭園は城の裏側に広がっており湖に白鳥やかもなどがくつろいでいます。私たちが行ったのは寒い季節で湖に氷がはっていて鳥たちが泳いでいるのではなく氷の上を歩いていました。また美術館に入るに は、スタッフのお昼休みがあるのでその時間帯は入館できないので気をつけてください。(冬期間)

castle
水に囲まれるシャンティイー城
ducks
氷の上を歩く鳥たち
outerior  decolation
シャンティイー城庭園

プチシャトーは、1560年ごろ、アンヌ・ド・モンモランシーのためにジャン・ビュランによって建てられた城で、2階には17、18世紀の装飾が施されたコンデ公のための大きな居室、そして地下階には19世紀の装飾になるオマール公の小居室があります。

グランシャトーにはフランス革命のときに破壊されましたが、ルイ・フィリップの息子、アンリ・ドルレアン、 オマール公(1822~1897)の絵画コレクションを収容する目的で、オノレ・ドーメによってオルジュモンの建物(14世紀)の跡に、1875年から1855年にかけて再建されました。シャンティイ-は1886年そのルイ・フィリップの息子によってフランス学士院に寄贈されましたが、コンデ美術館の展示には手を加ないようにという希望によって、ギャラリーは19世紀の様相をそのまま残しています。そのため絵画は時代の流派に関係なく、いく段かに分けて掛けられています。ここではガイド付き無料見学になっていて時間が合えば展示品に関する説明を聞くこともできます。

museum

painting

painting
狩猟がさかんだった

幾つか気になったものといえば、まず「大猿の間」といって中国風装飾の部屋なのですが、猿が読み書きの練習 をしている絵があり、少し人間をこっけいに捉えた絵が壁一面に描かれているというものでした。また各部屋にはたくさんの寄木細工や彫刻などの装飾品が置かれていてとても興味深いです。中でもパリの昔の様子を描いた絵は必見です。その絵の中には隠された間違いがあって今のパリの様子と一致しない部分が含まれているのです。さらにシャンゼリゼ通りにあたる地域は当時何もない場所で、その名前にあるようにChamps「シャン」(野原)であった ことがわかります。またおススメめは絵画ギャラリー。上にも書いたように流派に関係なく展示されているのでどこから先に見ていいのかわからないくらい部屋中に絵が飾られています。ずっとその絵画の部屋を奥に進むとまたそこから2本通路が延びておりさらに絵画の部屋が続きます。一番奥の部屋にたどりつくと多くの肖像が掛けられていてます。当時の人の顔立ちなどなんとなく滑稽なものもあったりして、面白かったです。またそこで気がついたのは今でも変わらぬペットと しての犬です。肖像画の中まで犬が描かれていて、やはりフランス人の先祖だなと感じました。当時このあたりでは狩猟が盛んだったこともあり300匹あまり の犬が飼われていたということです。またもう一方の通路を進むとたくさんの装飾品が展示されているガラスケースのある部屋にたどり着きます。ここで見つけ たのは日本の装飾品でした。ちょうど江戸後期に当たる時代なので、見てそれとすぐにわかります。こんなところで日本のものを発見するなんて期待をしていなかったのでなんとなくうれしいような、またどんな背景でここにたどり着いたのかも知ってみたいよう な気になりました。

さてその他の情報として、シャンティイーというとフランス語では「ホイップクリーム」というのをご存知でしょうか。ここでホイップクリームが生まれたという話なのですが、特にそれを宣伝する様子はなく、幾つか見つけた中では、このお城内敷地にあるレストラン で扱っているということ。でもだからといってそれがメインになっている様子ではなく、しかもお高めのレストラン。私がお茶をしにいったのは、このお城を出て右手(駅のある方向)に向かっていくとある(少し歩きます)、La Belle Bio (22,rue du Connetable 60500 / 03 44 57 02 25) というレストランでした。唯一シャンティイ-を使ったメニューがあり、シャンティイーがカップに入ってでてく るものからクレープなどとの組み合わせたメニューなどがありました。すごく雰囲気もよくかわいらしい感じのレストランで、他にもBIOレストランというだけあって無農薬食品を使った伝統料理が売りだそうです。また食品類なども店内で販売しています。この日も有名なフランス人作家のマダムがお茶をしにきていまし た(私にはよくわかりませんでしたが)。 あと、オーナーの話によるとここのレストランの休みが不定で、あいている時にであったらラッキーだということです。

restaurant La Belle Bio

アクセス
列車 SNCF Chantilly-Gouvieux駅下車
Gare du Nord(長距離線)から30分
Chatelet-les-Halles (RER D線)から45分

オープン時間
3月から10月31日 10時から18時
11月から2月28日 10時30分から12時45分、14時から17時
閉館日 火曜日
公園は毎日開園

ホー ムページ

field
城の近くには馬の博物館も。